第49話 東京駅にて

 父から連絡がきたのは昨夜遅くのことである。

 連絡が遅くなったことへの謝罪と、偽成増改め宮沢一敏から母体云々についての話を聞いたという。くわしい話は私から響に代わった際に話したようであった。

 こちらはこちらで、一文字恒明との接触を試みる予定だと伝えたところ、父はわずかに声を弾ませて「一文字の鼻っ柱をへし折ってやれ」と煽ってきた。

 ふと私が、

「親父も、ロイさんも、大丈夫?」

 と問いかける。

 父は意外にも電話の向こうで『大丈夫じゃねえよ』とぼやいた。

『もう知らねえことばっかで頭がおかしくなりそうだぜ』

「喧嘩とかしないでよ」

『誰とするんだよ、子どもじゃあるまいし。それよりおまえの方も大変なことになったな。一文字はなかなか手強いぞ。覚悟決めたんなら、いつものやさしい和真くんは封印しとけよ』

「え──?」

『こっちの正義を通すためなら、すこしくらい非情になれってことだ。杉崎、菅野コンビにもそう伝えとけ』

 と。

 いうなり電話口は父からロイへと代わった。

 エマに代わってくれというので携帯を渡すと、彼女はぎろりと携帯をにらみつけて「もしもし」と声を低くしてつぶやく。

 会話は聞き取れなかったが、エマの返答を聞くかぎりは互いに軽口を叩きあっているらしい。こんな状況でも余裕があるのかと思えばすこし安堵した。ほどなく携帯をぶち切って、エマは私に携帯を押しつける。

「ほんとテキトーな人でやんなっちゃう。どうしてあれがわたしの兄なのかしら」

「な、なんて?」

「和真くんに共有できる有用な話はなんにもなかった。もともと期待もしちゃいないけどね。それより明日の準備をしましょう。響さんが立ててくれた作戦を見直して、動きを再確認しなくっちゃ。なにせ明日は和真くんのほかに菅野さんと杉崎さんしかいないんだから」

「そ、それなんだよな──」

 正直なところ不安でしょうがない。

 杉崎と菅野が頼りないからというわけではないが、記憶がもどっていない以上、この件に関する情報について父やロイ、響に比べて持ち得ていないのも事実である。くわえてふたりともドがつくほどポジティブなので、ネガティブ思考の私には予想もできない考え方をすることがある。

 これから先、どうなってゆくのかが分からないことほど怖いことはない。私は杉崎と出会ってから毎日そんなことをおもうようになった。

 不安な表情が顔に出ていたのだろう。

 だいじょうぶよ、とエマは元気よく私の背中を叩いた。

「もし明日が失敗でも、それですべて終わるわけじゃない。こういうのって気楽に構えた方が案外うまくいくものだから。ねっ」

「は、はい」

「あのふたりをご覧なさい。もう飽きちゃったみたい、バランスボールで遊んでる」

 というエマの視線の先には、客間の端にころがっていた健康器具にからだをあずけて、ごろごろと転がるふたりのすがたがあった。まるでボールにのしかかって遊ぶセイウチだ。

 あまりにのどかな光景に、ふっと噴き出す。

「……おれ、がんばります」

「無理しないでね」

 エマはにっこりと微笑んでくれた。

 

 翌日。

 響とエマは熱海港から出る朝便に乗るため、早朝に倉田家を発った。残された我々三人衆は、昨日の夜に五人で企てた作戦を遂行するため、各々がエマに指定された服に着替えている。

 ハンチング帽にくだけたシャツとスラックスを着用し、首からカメラをさげるのは菅野直。きっちりと襟元までボタンを留めたワイシャツと父のスーツを身につけて、胸元に偽物のひまわりバッジを見つけた伊達眼鏡の位置を整えるのは杉崎茂孝である。

 軍服を脱げばすっかり別人のふたりは、どう見ても週刊誌のルポライターと頭のよさそうな弁護士である。

 杉崎は胸元の記章をまじまじと見て、感嘆のため息をついた。

「これ響さん、夜通し作ってたよ。あの人手先器用なんだなァ」

「遠目から見りゃ木彫りだなんてわからんな。さすが響さんだ」

「でも──ルポライターはともかく、弁護士のフリなんてすぐばれちゃいそうじゃないですか? エマさんが偽造の名刺はつくってくれたけど」

「そこはそれ、杉さんの演技力だろ。それに一文字恒明とやらに会っちまえば、もう取り繕う必要もなくなるんだ。それまでの辛抱だい」

「まかせろ。こう見えて映画は嗜んだからな」

「や、やっぱ不安だ」

 このメンツでは車での移動は不可能だ。目的地は東京、私たちは支度が済んだことを確認し、午前八時ごろに小田原駅へと向かった。

 国鉄東海道線に乗って東京駅へ。大正時代を再現したモダンな駅舎とは反対の八重洲方面に降り立った我々を出迎えたのは、高く聳えひしめくオフィスビルの群れ。小田原では見ることのなかった高層ビル群を見るや、杉崎と菅野はあんぐりと口をあけた。

「ゲェーッ。あんなたけえ建物、地震でぶっ倒れねえんかよ。全面鏡面みてえにきらきらして──地震で割れちまうんじゃないか?」

「いやいや。いまの時代は耐震技術がすごいから。建設基準とかを設けて、安全性を保ってるって聞いたことある」

「ほ、ほんとかよぉ」

「うん。日本は安全だと実証されたものしかつくらない」

 なぜかどや顔をした私だった。

 七十年前足らずで、列強国と肩を並べるほどになったなど、世界のだれが想像しただろうか。しかしふたりはやっぱりな、と頬を赤らめてわらった。

「国土は少なかれど、民はひとりひとりが百人力。いまもむかしもおんなじだ」と、菅野。

「それが大和魂というやつだ」とは、杉崎。

 ふたりが納得したところで、目的地へ向かう。

 一文字本社はここからすこし先にあるらしい。

 大丸デパートの横を通りビル群にむかって歩く。道行くなか、ふたりは周囲を歩くスーツ姿の外国人男性を観察していた。小田原よりもよほど多い外国人のすがたに驚いたのだろう、彼らの肩がこわばるのがわかる。

「話に聞いちゃいたが、ホントにたくさんいやがるな」

「みんな楽しそうだよ杉さん。うちに何しに来たんだろうな?」

「なあ和真、彼らはなにしに来るんだ。小国だと誹りに来たんだったらゆるせねえぞ」

「いやフツーに観光とか、仕事とか、留学とか──いろいろ。見た目は外国人でも、もう何年も日本に住んでいる人もいるよ」

「ああ。そうだよな」

 杉崎はしみじみとうなずく。

 対する菅野はせわしなく周囲を見ては、感嘆のため息を吐く。

「むかしっから思っていたが、なんでアメ公の顔はあんなにシュッとしてんだろうな。くやしいがかっこいいよな──あのスーツともよく似合ってるし」

「戦時中もそうおもってたの?」

「ちっとな。空で会敵するだろ、よほど近くに寄ると相手の顔も見えるんだ。グラマンのパイロットがギロッとこちらを睨む。そんときはおれも殺しちゃるとしかおもわないけど、布団に入ってその日の飛行を思い出すとさ、ばっちり目が合ったパイロットのことを思い出して──憎たらしい顔だぜ、でもなんかカッコイイぜ。なんておもいながらさ」

 と菅野は意外にもけたけたわらう。

 つぎの瞬間には、ふたりの興味対象が外国人から信号機へ移っていた。


 決して恨みがないわけではないだろう。

 しかしその情に支配されることなく明日を見てわらう強さ。これこそ、人間のあるべきすがたなのだ──と私は子どもながらに思ったものである。

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