佐々木郁実

第48話 始動

 居間の電話が鳴った。

 携帯電話を持つようになってから、すっかり使わなくなった固定電話である。引っ越してきた当初、電話回線の契約を終わらせるはずだったが、祖父母の友人たちがこの電話に時折かけてくるため、なんとなくそのままでいた。

 出ます、と私は立ち上がった。

 受話器をとって耳に当てる。こちらがもしもしのひと言を言う間もなく「真司さん」と焦った声が聞こえてきた。

「あ、はい。あの、倉田ですけど──」

『もしもし? 真司さん?』

「いや、息子の和真です」

『あっ。…………あー!』

 失礼しました、と電話口で頭を下げる気配がする。

 彼は一文字社人事課長の佐々木と名乗った。

『真司さん、携帯にかけても出なくて……それで、おもわず固定の方かけちゃったんですけど。おもえばこれって常務の家であって、足立区の方の番号じゃないですよね。失礼しました』

「あ、や。たぶん──足立区の方かけても親父いないんで、こっちで大丈夫です。なんかあったんですか」

『真司さんいます?』

「いや、島に戻っちゃったんですけど──たぶん携帯いま繋がらないとおもうんで」

『あ、そっか。じゃあちょっと息子さんにお伝えしときます』

 と、佐々木の声はわずかに強ばった。

『たったいま、玉枝会長の殺人事件で警察から連絡あって。倉田さんから話を聞きたいってんで携帯とここの番号教えたんです。自分もさっき真司さんに連絡したら繋がらなかったし、たぶん警察もこっちに電話してくるとおもうから──和真くん、対応できます?』

「け、警察。……」

 対応できるかどうかと言われたら、否と言いたい。が、いまはそうも言っていられない。ちらと響を見ると、彼は微笑んで「心配ない」というジェスチャーをしていた。

「あの、いま親戚のおじさんが来てるんで、おじさんに対応してもらいます」

『あ、ほんと。よかった! それじゃあお願いします──』

 通話はまもなく終了した。

 受話器をそのままに、私がふたたび響を見ると、彼はソファから立ち上がり受話器を受け取った。

「聞こえてた」

「あ」

 響の長い指がフックスイッチを押す。

「警察からってのは好都合だ。おれが対応しますよ」

 エマもホッとした顔でこちらを見ている。

 杉崎と菅野は遠目から固定電話をまじまじと観察している。おそらく黒電話の頃しか知らないので珍しいのだろう。

 待ちわびた着信音が鳴ったのは、響が受話器を置いた直後であった。

 来た、とつぶやいて妖しくわらう響は、わざと二コールほど見逃してから受話器をとる。

「倉田です」

『どうも警視庁捜査一課の沢井と申します。倉田真司さんはいらっしゃいますか』

「警察の方──」

『一文字社の会長殺害事件で聞きたいことがありまして』

「ああ。はあ、わたしです」

 と。

 言った響に、居間にいた私たち一同は目を丸くした。まさか本人に装って出るとはおもわなかったからである。

 電話の向こうでは、よかったと弾んだ声が聞こえる。

『先ほど二回くらい携帯にかけてしまったんですが、それ自分の番号なんで気にしないでください。いまこちらに戻っていらっしゃる?』

「はあ。あ、いえ」響の口角があがる。

「すぐに島へ戻るので、話はできれば島で」

『であれば、明日我々も小島に向かいます。朝便に乗る予定ですので、そのころお時間ください』

「はあ。あの、その事件のことですが」

『はい』

「きちんと一文字については調べてもらえてるんでしょうな。家宅捜索なんてのは入りましたか」

 なにを聞く気だ、と杉崎が目を見開く。

 電話の先では一瞬の間を置いてから『なぜ?』と問い返す声が聞こえた。

「や、すこし気になることが」

『社長の恒明氏には連日取り調べをしてます。息子の彰氏が行方不明となっている以上、被疑者のひとりとせざるを得ない』

「一文字の家のなかに、妙にガタイがよくて、色の黒い男がいませんでしたか。名は──いまなんと名乗っているのか知りませんが」

『家宅捜索は一度入ってます。が、使用人こそいましたが、そんな特徴の人は見かけませんでしたね。倉田さんはその人物が玉枝を殺したと?』

「あくまで実行犯という意味です」

 響の脳裏に、あの日エマに接触した男がよぎる。すれ違った程度のため、しっかりとすがたを見たわけではないが、パイロットならばその顔は昨日のことのようにおぼえている。

 男は言った。

 ──タマエはおれがころした、と。

『どういうことです』

「つまりそういうことです」

『明日、くわしく話してもらいますよ』

「もちろん」

 ではよろしく、ということばをさいごに、響は受話器を置いた。

 よろしくじゃないわ、とエマが眉を下げる。

「どうするの? まさか銀也さんが真司さんになりきるつもりじゃないわよね。警察のことだもの、当然真司さんの顔写真は持ってるはずだわ。すぐにバレるわよ!」

「真の字はまだ連絡とれないのかね」

 と、響が私を見る。

 携帯を確認するも、変わらず父からの連絡はない。響は明日の朝便で島にゆくと言った。

「どうせ真司くんも島にいるんだ、嘘はついていまい」

「ならわたしも行く。玉枝をころしたってことばを聞いたのはわたしだもの、いいでしょ?」

 とは言うが、エマは同意を求めてなどいない。なにを言われても行くといってきかない顔である。勝手にしなさい、と響は肩をすくめた。

 その横でパッと菅野が手を上げる。

「エマが行くならおれも」

「いや、菅野と杉崎にはこちらで調べてもらいたいことがある」

「?」

「どうにかして一文字恒明という男に接触しなさい」

「え、恒明って」

 私はおもわずつぶやいた。

 先ほどの響と警察の通話を聞いていた。現在第一被疑者として挙げられているのが、社長の一文字恒明だと電話の奥から聞こえたがその人物のことかと確認すると、響はそうだ、とうなずいた。

 菅野は首をかしげる。

「おれたちが会ってどうするんです」

「恒明氏とパイロットの関係性についてさぐってほしい。もしかすると、パイロットの居場所を知っているかもしれない」

「そんなすぐに口割りますかね」杉崎がうなった。

「割らせるのが貴様らの仕事です」響はわらった。

 でも、とエマが顎に手を当てる。

「パイロットは母体感染者なのよね。なら、偽成増さんに母体がだれかを聞いて、母体からパイロットの居場所を聞いた方が確実じゃない? 母体は感染者を統率する力があるんでしょう。どこにいるのか知ってるはずよ」

 そうか、と私は口内でつぶやいた。

 以前に父から説明を受けたが、私にとってはかなり複雑な話に聞こえてしまい、大半を理解してはいなかった。対するエマはその賢そうな見た目のとおり理解力も高いらしい。しかし響はそれ以上に先を読んでいたようだ。彼女の指摘に首を振る。

「たしかにパイロットは母体感染者です。が、しかし──どうもパイロットの動きが母体の意思のままに動いているともおもえない。母体なら、玉枝を殺害するよりも感染させる動きをとるのが妥当でしょう。それに加えて、エマに玉枝殺害の報告をしたのも奇妙です」

「目的が、わかんないすね」

 たどたどしい口ぶりで会話に参加してみる。

 母体の目的、パイロットの目的、裏でなにかしらの糸を引いているであろう一文字恒明の目的も、なにもかもが分からない以上、今後の動きを予測することすら難しい。

 だからこそ、と響は言った。

「母体の目的は宮沢とともにいるであろう真司さんたちに任せて、こちらでは一文字恒明とパイロットの目的を探るべきだとおもったんですよ。できるか。杉崎、菅野」

「目的を引きだせばいいんですね?」菅野が口角をあげる。

「米軍捕虜の口を割るより簡単そうだ」杉崎も挑戦的にうなずいた。

「和真くん、ふたりをたのみますよ」

 響は満足げにこちらへ笑みを向けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る