第37話 浮上する違和感
昼頃、ロイの迎えによりエマが倉田家へ到着。
なかでは菅野が、響から家電製品のレクチャーを受けている。戦前と比べれば四倍ほどの大きさとなったテレビ画面や、電気冷蔵庫、とくに洗濯機は彼にとって青天の霹靂だったようである。
「んじゃこらぁ!」
と、興奮したようすで洗濯機内をぐっと覗き込む。エマは満足そうにうなった。
なぜって、響のときはいまいち感動も薄かったからである。もともと感情的でない性格の上、イギリス、イタリア暮らしの長かった彼は優雅なものだった。また、居住性の高さから『大和ホテル』と皮肉られた豪華戦艦に乗っていたこともある。
戦艦大和には大型洗濯機が搭載されていたから、専門のクリーニング屋を雇って週に何度か回していたというから、彼にとっては「七十年も経てばそんなものか」という感想だったのだろう。もちろん、『下着は他人に洗わせるな』という日本古来の考え方から、褌は手洗いもしていたが。
「でも倉田さんちは、ちょっと私も慣れないものが多いわね。まずこういう和風家屋なのも新鮮だし」
「そりゃあうちは父さんもクリスもイギリスだからな。日本家屋じゃ狭すぎるんだ──それよりいまのうちにいろいろやるぞ」
「や、やるってなにを」
「家探しだよ。家主がいないんでちょっと気は引けるけど、きのうみたく手紙かなんかが出てくるかもしれない」
と、ロイが仏間を開ける。
仏壇の前にはきのう菅野がこわしたテーブルが修補されて置かれている。おなじ仏間のなかには本棚がひとつ。本棚に据え付けられた引き出しからはわずかに封筒めいた紙が見えた。
なるほど、と菅野はひかえめに部屋をのぞいた。
「家探ししがいのあるところだ」
「だからってこわさないでよ、菅野さん」
「わかってる!」
と、足音を荒く部屋へ踏み入れた。
ロイと響が仏壇、エマと菅野が本棚をくまなく調べゆく。とはいえ、仏壇についてはきのう菅野が手紙を見つけた際によく調べたので、けっきょく収穫はなしも同然であったが、本棚のほうは出るわでるわ──膨大な量の手紙が発見されたのである。そのなかには数枚の写真も同封されていた。
数十通はあるわよ、とエマがさけぶ。
「消印はどうなってる?」ロイは仏壇の上をのぞいた。
「ばらばら。なんだか……長いあいだずうーっと文通してたのね、ほら手紙のほかにはがきも。これは写真も入ってて──あら」
白黒写真をつまんだエマの指が止まる。
そこに写った数人の男。異様な空間、牢のような格子にからだを向ける男たちが、みな緊張した面持ちでカメラの方に顔だけを向けている。
「あっ?!」
と。
エマがふいに写真を放った。
ひらりと畳の上に落ちた写真をゆびさす彼女の指がふるえる。菅野が眉間にしわを寄せて写真を覗く。とくにこわいものが写っているわけではなさそうだが──。
「なんだエマ。どうした」
と、ロイも仏壇から歩み寄る。
エマはパッと兄の肩に顔をうずめて「このひと!」と声をふるわせた。指先が指し示すは、格子の奥にじっとりと座り込む大柄な男。白黒ゆえ鮮明ではないが、かろうじて人相は判別できた。
しかし、ロイに心当たりはない。
「こいつがどうしたって」
「だから、このひと。旅館の前にいたのも、横浜まで追ってきたのも──ぜんぶこのひと!」
「…………なんだと」
そんな馬鹿なことがあるか、と言いかけて口を閉ざす。写真にうつる男を見る。どう見ても、以前船頭として会った小此木ではない。
彼はいったい──。
と、眉根をひそめたところで響があっと声をあげた。
「そうそう、彼だ。パイロットの」
「パイロット」
「──すべてのはじまりですよ」
「……────」
パイロット、だったのか。
ロイは息を呑んだ。エマに付きまとっていたのは小此木ではなかった。ほんとうに?
しかし妹の怯えようを見るかぎりは、それが答えのようである。うそだろ、とロイは顔をしかめた。
「じ、じゃあ小此木はなんですがたを消したんだ。逆にほんとうにパイロットなら、コイツはいま──」
「おれたちはとんだ思いちがいをしていたようですね」
「ほかに写ってる男たちはだれだよ」
と、菅野が話を変えた。
ふたたび写真に視線を落とす響が、片眉をあげて吟味する。
「ひとり、知った顔がいる──見て思い出した」
「どれです」
ロイは息を呑んだ。
しかし響の顔は浮かない。なにか引っかかることがあるのだろうか、「いやしかし」と口中でつぶやき、動かない。
「銀也さん──?」
「なあ菅野」
「はあ」
「────さんってのは、こんな顔じゃなかったかい」
「え?」
響は、おかしなことをいった。
※
宍倉家からの帰り道。
小田原の町をもっとじっくり見たいというので、家から車で十分ほどの場所に杉崎をおろした。
ひとりで行かせるわけにもいかないから、と私も食い気味で手をあげて彼につづく。本音は、この軍曹ともっとたくさん話がしたかったからである。恥ずかしながら私は、強くてやさしい杉崎にすっかり魅了され、彼のようになりたいと憧れを抱いていた。この男がすきだったのである。
少なくとも彼なら、同級生から金をむしりとられることはなかっただろう。
父はいやに柔らかくわらった。
「気をつけて帰れよ、ふたりとも」
「うん」
と、杉崎はにっこり手をふった。
────。
すっかりなついたな、と真司はにがっぽくわらった。息子の和真のことである。よほど杉崎を慕っているらしく、近年あれほど瞳の輝いた息子は初めて見た。
それをいうと、成増はわははと声をあげた。
「杉崎くんも罪なおとこだ。宍倉くんだけでなく和真くんまで惚れさせるとは」
「いやほんとに。でもよかった、収穫があって」
「あのあとずいぶん真剣に手紙を読まれてましたね。なにか進展ありそうですか」
「……おおいにね。いろいろ分かりましたよ」
「いろいろ」
「うん。親父がどうやってこの事態に幕を引こうとおもってたのか、とかさ」
「幕?」
助手席の成増がちらと真司を見た。
さきほど車に乗ってしばらく、真司は宍倉家から拝借した手紙をじっくりと読みあさった。日々の雑談がほとんどだったけれど、なかには一文字社や杉崎、井塚にかかわるものであった。
車が道のわきに停まる。
成増さん、と真司が紙とペンを取り出した。
「ずっと考えていたことがあるんです。まとめたいのでちょっと聞いてくれますか」
「はあ、もちろん」
「俺たちの目的は母体の特定、そしてその息の根を止めること──ですよね。でも母体感染した感染者が燃やしてもしなないというのなら、母体自体はいったいどうやってころしたらいいんでしょうか。あるいは母体には、なにか生命のはじまりも終わりもつかさどるなにかがあるのか……どうおもいます?」
雑な字で『母体』と書き入れ、人形の図を描いた紙を成増へ渡す。
うーん、と成増は紙とペンを受け取った。
「──細菌も人間とおなじ生命にすぎませんから、そのいのちに終わりがないということはあり得ない、でしょう。細菌は分裂を繰り返すことで老化による身体の衰弱をとどめてはいるでしょうが、もし母体のなかに”核”というものがあるのだとしたら、そこを叩けばあるいは」
「核、ですか」
「たとえばの話ですけれどね」
といって、成増は人形図の頭の部分を丸で囲んだ。
核、と真司はいった。
「そこにあるんですか」
「え? あ、たとえばの話ですよ」
「井塚さんの氏名、書いていただけます?」
「──いったいどうしたんですか、真司さん」
「いいから」
「…………」
成増は『井塚憲広』と書いた。
その字を食い入るように見つめた真司が、やがて眉をひそめてがくりとうなだれる。
「真司さん」
「──親父は、抗体軍人とも成増さんとも、直接の面識がなかった」
真司がうなだれたままにつぶやいた。
成増が緩慢なうごきでそちらを見る。
「────」
「名札のついた軍服さえ着りゃ、だれだってそうだとおもうはずだ」
ハンドルを握りしめた真司がするどい瞳で見つめ返す。
「──成増さん、いや、あんたいったいだれなんです」
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