先人たち

第38話 鍵

 ふるさとを歩く杉崎はおどろきの連続だったらしい。

 なによりコンビニエンスストアの品揃えや店舗の多さには下を巻いたようで、彼は数十メートルおきに点在する店に入っては、じっくりと商品を物色した。

 外は炎天下、だくだくと流れる汗が、コンビニのクーラーで冷やされる。その感覚もたいそう気に入ったらしかった。彼は店に入り、ひやりとした冷気を浴びるや、まるで小学生のごとくキャッキャとはしゃぐ。

「なんか買う? アイスもあるよ」

「アイス──」

 杉崎がつぶやく。

 なつかしい響きである。

 つい先日、一本のチョコアイスが私たちを繋いだのだから。彼は、おもむろにおのれの着物の袂をさぐった。

 和真、と目前に突きだされたのは、一本の木の棒。

「えっあれ? それ──」

「和真にもらったアイスの棒だ」

「あ、まだ持ってたんだ。そこにゴミ箱あるよ」

「馬鹿!」

 と。

 唐突に叱責され、私は硬直した。

 ゆとり世代と馬鹿にされる我々は、声を荒げられることに慣れていないのだ。とたんに顔が真っ青になって、なにか間違ったことを言っただろうかと彼の顔を見る。

 おどろいた。予想とは真逆の、かなしげな顔をしている。ギュッと握るアイスの棒をいとしげに見つめ、捨てられるもんかい、とつぶやいた。

「これまで生きてきて食ったもんのなかで、なによりもうまかったんだぞ──」

「……あ、でもハーゲンダッツのがぜったいウマイとおもうし」

「そういう意味じゃないッ。あのとき、あの場所で君からもらったアイスだからうまかったんだ。きっとどんな高価なもんを食ったって、あのアイスに勝るものはない」

(やっぱり大げさだよな)

 なんて思いつつ、しかし胸はこそばゆく、私は神妙な顔でうなずいた。うむ、と彼も頬をほころばせ、アイスの棒をふたたび袂に仕舞い込もうとしたときである。

 そうだ、と彼は棒と入れ違いになにかを取り出した。

「ずっと言おうとおもって忘れてた。これのこと」

「なに──鍵?」

 おおきな手のひらにちょこんと乗った古びた鍵。古めかしい形にすこし錆びついたこの鍵は倉田家のものではない。どこにあったの、と和真が尋ねた。杉崎は恥ずかしそうに肩をすくめる。

「妙なとこにはさまってた」

「妙なとこって」

「褌」

「ああ。……」

 私は鍵を手に取りかけてやめた。

 傷つくなあ、と彼が不愉快な顔をする。

「布に巻かれてたんだから汚かねえよ。あそうだ、あと鍵といっしょにこれも──」

「まだあるの」

 杉崎は三度袂に手をつっこみ、一枚の紙きれを取り出した。

 彼いわく鍵とともに挟まっていたようで、初日の風呂に入る時点で気付き、夕食のときにでも私に話そうとおもっていたらしい。が、その後のドタバタがあり、なんとなく好機を失していたといった。

 くわえて、このメモである。

(『軍人ニ渡スナ』──)

 どういう意味だろう。

 ちらと杉崎の反応をうかがうも、彼はさっぱり分からないと言いたげに首をかしげた。

「キミに相談しようにも、なかなかふたりになるときがなかったろ。まあ真司さんに言っても良かったんだけども──なんとなく」

「……親父に言うときは、成増さんたちには鍵のこと言わないでって念を押さないとな。けっこう親密なかんじだったし」

「成増さん、もう目覚めて何ヵ月か経つんだろう。そりゃあ一体にもなる」

「たしかに」

「でもさ」

 と、杉崎はめずらしくちいさな声でつぶやく。

「あの──成増さん、だっけ。彼、俺が三階級特進したと言っていたよな?」

「ああ、うん。戦死した人はそういうのあったらしいすね」

「でも俺、記憶にあるかぎりじゃ、戦死したんじゃなくてペ島で捕虜になったような気がするんだよなぁ。いやたしかにハッキリと覚えてるわけじゃないがね、でも『生きて虜囚の辱しめをうけず』だ。捕虜となった俺が三階級特進なぞもらえるわけもない。それとも、捕虜になったということ自体が記憶違いなのかな──」

 そういえば、と私も考えた。

 これまで杉崎は戦時中のことはスラスラと話が出てくるが、なぜか捕虜となった瞬間の話はいっさい出てこなかった。私がそのことについてたずねるも、彼は首をかしげるばかりでどうもはっきりしない。

「記憶がもどればスッキリすんのにね」

「そうだな。成増さんならなにか知ってるかもしれないし、あとで聞いてみる」

「うん」

「しかしふしぎな話だ。軍人に渡すなって、軍人の褌にしまい込んでんだもんな。……」

「杉崎さんのことを信頼していた人が隠したとか。杉崎さんにだけわかるようにさ」

「──井塚か」

「その可能性は……うん、ある」

「…………」

 杉崎はそれから倉田家につくまで、むっつりとおし黙ってひと言も話すことはなかった。

 

 ※

「成増弘之という男」

 とは、おもえばとんでもない男だった──と言い出したのは響である。彼の記憶が、写真を見るなり、波のようにもどってきたのだという。以下は、宍倉と倉田文彦がしらべ、手紙にて報告し合った内容に、響が記憶を交えたうえで推察した話である。

 ──かつて。

 初期の東南東小島隔離施設には、例のパイロットと一文字正蔵、成増、ほか数名の研究員と、パイロットから感染して腐敗兵となった研究員や重症兵が十名ほど存在した。腐敗兵に関しては焼却すれば問題なかったので、感染者が十名に到達したときに一気に焼却するという手筈をとっていたという。

 一九四五年四月末、戦艦大和沈没により負傷した響銀也と、海上陸戦隊としてテニアンの戦いで重体となった宮沢一敏みやざわかずとしが運ばれてきた。──


「ちょっとまって」

 と菅野がさっそく話の腰を折る。

「響さんはおぼえてますか。自分が最期のとき、だれにたすけられてどうやって研究所に来たのか」

「いや。海に沈んでいく瞬間、だれかが手をひっぱったのはおぼえてる。しかしそれがだれで、どのように連れてこられたのかまでは、たぶん気をうしなったんでおぼえていない」

「ですよね。……すみません、つづけてください」

「あの研究所に運ばれてくるのは風前の灯火という軍人たちだったそうだが──おそらくはおれも宮沢も、いまにも死にそうだった身体だったにちがいない。とにかくおれたちは成増にたすけられたようだ」

 響はつづける。

 どのように助けられたのかは、宍倉からの手紙には書かれていない。ともかく、響と宮沢は研究所のなかで終戦までの長期間療養をすることとなる。とくに響が思い出したのは成増弘之という男の人間性であったという。

「彼は、俗にいうサイコパスというやつだった」

 人としては最高にクールで憎めない男であったともつづけた。


 ──あれは、まだ菅野も杉崎も来ていない、梅雨のころのことです。

 もう治ったのだからはやく母国の土を踏ませてくれとたのんだのだけれども、成増は頑として顔を縦には振らなかった。

「この研究を知ってしまった以上、ノーリスクで帰還することは一文字正蔵が許すまい」

 といってね。

 傍から見ていると、一文字正蔵と成増は対等な関係のように見えていたんだけども、話を聞けばそうでもないみたいだったな。成増は決して一文字を信用してはいなかった。単純に嫌いだったのかもしれないね。だから「つねに研究結果を報告するように」と一文字に言われていた成増は、一文字に隠れてけっこういろいろなことをやったそうだ。

 たとえば?

 そうだな、うーん。──研究の輪を乱す人間を感染者の牢内にぶちこんだり、一文字に知られぬようほかの島に拠点を構えて動物の血を人に輸血したり、あとは……一文字家含む研究員すべての人間の情報を収集もしていた。

 でもおれはね、この男がきらいじゃなかった。

 飄々としてはいたが偉ぶらないし、頭がいいんで話をしていてもおもしろい。それになにより、おれとおなじく、彼も科学者でありながら一文字正蔵の考え方を心底軽蔑していたから、気も合ったんです。

 だからよくふたりで話していた。彼は下戸だったから酒はなしでしたが──ああ、宮沢という男はあまりよくおぼえていないね。人はよかったが存在感なかったから。

 だからこれは成増に関してだけれど。顔を見て、声を聞いて、あの独特の話し方もおもいだしたんですさっきね。それであらためて気がついた。だから菅野、きさまに聞いたんですよ。──


 響はうつろな目を菅野に向けて、再度、さきほどとおなじことをたずねた。

「成増ってのは、あんな顔をしていたんだったか?」

 と。


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