第35話 手がかり

 世間も夏休み、である。

 昼間の大通りは渋滞していた。

 さきほどロイから「仏間の机の脚が折れた」という電話がきた。菅野によるものらしく、これ以上壊されてなるものか──といそいで帰ろうとした矢先の渋滞に、父はうなだれる。

「デストロイヤーが残っていたのを失念していたなあ。航空機に限ったものと思っていたが、そうでもなかったらしい」

「落ち着きのない人だとおもったわ! あははは」

「いやいや、他人ごとだと思って軽いんだから成増さんもエマちゃんも」

「まあ、あの机古かったし」

 私もわらった。

 その後、渋滞はそれほど待たされず、家に着いたのは午後四時頃であった。


 大きな荷物を抱えて家に入る。なかは不気味に静まり返っていた。ここに残ったメンツを思えば考えられない空気感である。

「ただいま。ロイくんいないのか」

「寝ているのかな」

 成増が玄関をあがる。

 廊下をすすみ居間を覗くと、輪を囲むように座る四人の姿があった。

「うわ、起きてるじゃないか。荷物を運ぶの手伝ってくれよ……どうかした?」

「────おう、おかえり」

「どうしたの響さん。お通夜みたいな雰囲気出して」

「いや、デストロイヤー様のおかげで手がかりを見つけたもんでね。ちょっとひとしきり興奮して、興奮しすぎて疲れていたところだった」

「……そ、なにをそんなに」

「いやこの話は長くなります。あとで話そう」

 と、響は立ち上がった。

 車に積まれた荷物を受け取るためだ。つられて菅野と杉崎も「手伝うか」と車へ向かう。ひとり残ったロイに父が視線を向ける。彼は暗い顔で手紙を見せてきた。

「倉田文彦さんへ、宍倉って男からの手紙。どうやら杉崎さんの知り合いらしくて、いろいろわかったよ」

「──ししくら?」

 ハッとした。

 私のなかですべてがはじまった昨日。

 うちに訪ねてきた男の名が、宍倉だったはずだ。彼はここが倉田家だと知ってなおここに訪ねてきたというのだろうか。

 父はむっつりと手紙を見つめる。その件にはとくに感想もなく仏間へ目をむけた。

「それで、脚が折れたってのは?」

「あぁボンドは?」

「買ってきたよ、くそ!」

 仏間に入り、机の脚の惨状を目にした父は奇声をあげて買い物袋からボンドを探す。その後姿を見た菅野が、キャッと笑ってから「すみません」と頭を下げた。

「なんで笑ったのいま」

「いや、折るつもりはなくて。ほんとに」

「つもりがあったらなおさら悪いな──別に、菅野さんがわるいってんじゃなくて、驚きとショックで複雑な感情なんだ。ほっといてくれ」

「そんなに大切にしてたっけ、この机」

 私はうしろから覗き込む。

「俺がガキの頃からあるんだぜ。愛着があるよ」

「まあ、デストロイヤーを家に残した倉田さんがわるかったってことで」

「だからそれやめろよ!」

 と菅野が頬を染める。

 先ほどまでの通夜の雰囲気はすっかり払拭された。人数分の生活用品を車から降ろして、現代の生活について説明をする。

 菅野と杉崎は、スマートフォンやパソコン、カラーかつ鮮明に映るテレビという家電製品にいたく感動したようで、質問が出るわ出るわ。

 すべての質問を答え終えたときには、時刻はすっかり夕飯時を迎えていた。


 エマはいちど横浜にもどって、支度をしてからまた来るといった。父とロイはあれこれ騒ぐうちにすっかり夜を迎えていたので、もう一晩泊まることに。

 仕事はいいのか、と尋ねると、島民はいま夏休みのため、ほとんど本土へ帰省しているのだという。「見張る対象がいなきゃ俺がいても意味がねえ」と父はわらった。

 その後、彼女を駅まで送り届けた父は、

「さて」

 と居間に腰をおろす。

 すでに私や軍人、ロイが一通の手紙を囲むようにして座している。口火を切ったのは響だった。

「それじゃあ共有といきましょう。この手紙について」

 彼の手中には、薄茶けた封筒。

 全員の視線が注がれた。

 すでに目を通したからか、菅野は居間のすみっこで腕をまくらに寝ころがる。杉崎はそわそわと落ち着かないようすで倉田と響の顔を見比べた。

 手紙の内容は、以下のとおりである。


『前略 その後御変りありませんか。

 自分も変りなく。杉崎軍曹の行方が分っただけでも安堵致しました。島から御帰還なされましたらまたどうぞ一報の程お願い致します。

 さて、此度二点報告したく筆を執った次第です。一点目は、先日の御手紙に書かれていた井塚さんの”死亡宣告”ですが、彼の内縁の妻が提出されていました。

 二点目は、細菌調査について。

 南硫黄島岩滴を分析しましたがこれといって特殊な成分は見つかりません。再三の確認を恐縮ですが、破棄を逃れた研究資料はないですか。ワクチン製造しようにも、細菌デヱタがないことには難しい。

 島の調査を進めてみます。

 口惜しいですが一文字氏の監視が解かれぬ限りは、派手な動きもむずかしいかと。それでも、文彦さんまでいなくなってはすべて終わりですから、どうぞ悔恨は胸に留め、今後も慎重に事をお運びください。がんばって。 早々

追伸 東南東小島支部の研究室解散の原因は、やはり文彦さんのおっしゃるとおりでしょうね。研究室にひとり知り合いが勤めておりましたが、解散宣言ののちはその消息も分かっていません。呉々も一文字には気をつけて』


「ワクチン?」

 読み上げは成増がおこなった。

 話をさえぎらぬように、と我慢していた父が身を乗り出す。聞くにつけ湧きだした多くの疑問に、みな表情は曇り、皺の寄った手紙から目を離すことはない。

 響が口をひらく。

「井塚憲広の死亡宣告と、宍倉がおこなっていたらしい南硫黄島の調査。──この宍倉って男はいったいなにをやっていたんだ?」

「一度にいろんな糸口が見えてきたような気はしますが、同時に疑問も増えた」

 父は頭を掻きむしった。

 しかし、私には少しだけ希望が見えている。杉崎も同じことを考えていたようで、私の方へ視線を寄越す。昂ぶる気持ちを抑えきれずに私は身を乗り出した。

「宍倉さんなら、きのうの昼ごろにうちに来た」

「え、」

「つまり生き証人でしょ。もうだいぶじいちゃんだったけど、わりとはきはきしてたし聞く価値はあるとおもう」

「宍倉さんの住所。封筒に書いてあるか?」

 父に言われてすぐ、菅野が薄茶けた封筒に手を伸ばす。

 裏面にはしっかりと宍倉の住所が記載されている。ロイは「よし」と力を込めて、うなずいた。

「近いちかい。おなじ小田原市だ」

「明日にでもここに行ってみよう。電話番号がありゃあ一報入れられるんだけどな」

「いやもう突撃訪問するしかないだろ、ここまできたらなんでもござれだ」

 と、ロイ。

 彼をはじめ、私や父、菅野が興奮するなか、意外にも杉崎がおとなしい。彼は眉をしかめて足の指をいじっていた。どうしたんです、と父が問う。杉崎は「いや」と口ごもった。

「い、井塚に嫁さんがいたことが衝撃で──この手紙っていつのものです?」

「消印は昭和二十一年。井塚が失踪してすぐのころじゃねえか」響が首をかしげた。

「そ、そうか。まあいくら朴念仁とはいっても嫁のひとつくらいもらうかぁ。それにしても、あした宍倉に会えるんだと思うとわくわくしてきたぞ。そうだ和真、おまえ宍倉に俺が帰ってきたら教えてくれって言われてたんだろ。俺が自分で報告に来たなんて知ったら、アイツおどろいてぶっ飛ぶぞきっと」

「ずいぶんなジジイになってんなら、おどろいたあまり死んじまうかもしれないぞ。気をつけろよスギさん」と、菅野がわらう。

「年寄りは心の臓が弱いもんな」

 抜けた会話である。

 とにかく明日だ、と響は膝を叩いた。

「もしかしたら宍倉は、文彦くんが出した手紙も持ってるかもしれねえ。彼がひとりで墓まで持ってった情報がそこに書かれてる可能性もある。とにかく明日、くわしく聞くことです」

 軍人たちは「応」と声を揃わせた。


 夏休みは一日が早い。

 おおきな荷物を扱ったせいか、すっかりねむけ眼の私が自室に入ろうとした矢先のことである。廊下の先で声がした。

 わずかに覗くとロイと父が顔を寄せて話している。

「──どうりで、社のどこをさがしても見つからねえわけだ」

「ああ。研究資料はすべて破棄されて、わずかな情報は親父がワクチン製造のために外の人間に託してたんだ。でもそのことを俺に共有するには一文字の監視が厳しすぎた、と」

「一文字はいったいなにをそこまで監視していたんすかねえ」

「さあ。細菌研究なんて第一級戦争犯罪だし、外部に漏れねえようにと気は張るだろうが」

「それにしては監視対象が──」

 常務に固執している感じだけどね、とロイはつぶやいた。

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