宍倉健三
第34話 これからの事
父から話を聞いた。
一文字のこと、細菌のこと、眠る軍人のことも。すでに杉崎の出生などを独自に調べていたために、これ以上おどろくことがあろうか──とおもっていた私だが、あまりの突飛さに開いた口がふさがらなかった。
なによりあの祖父が、人知れず多大な苦労を強いられていたこと、父がその想いを継いだこともおどろきだった。息子である私から見て、父と祖父は決して仲が良さそうには見えなかったからである。
「というわけで、この四人の軍人さんは母体から守るために眠り続けていた。しかし警察が、会長の件で島に来る可能性が出てきちまった。それによって母体に存在を知られる危険性があるってんで、こうして起こしたわけだ」
端的な説明ではあったが、杉崎と菅野も理解したようだった。話を聞いて、過去を思い出すことはなかったが、不気味なくらい静かなところを見ると、自身のなかでしっくりきたところもあるらしい。
それでな、と父が言いにくそうに私を見た。
「こうして全員を起こした以上、この人数分のホテルを用意するのはさすがの俺も無理だ。おまけに響さんのいま住んでるマンスリーも、いつまでも契約を続けるわけにもいかない。ってことで和真、わるいんだけど──」
「いいよ。べつにここ、もともと親父の実家であっておれの家じゃないし」
「和真ぁ」
父はなさけない顔で私を抱き締めた。
さすがに高校生にもなって父親に抱かれるのは勘弁したい。私はそれを振りほどきながら、杉崎を見た。
彼はうれしそうにうなずく。が、そこに割り込んできた影がある。エマだ。
「ちょっとまって、おじさま。私は?」
「うん?」
「もともと私の護衛のためってことで、銀也さんを起こしてくれたのよね。彼がここに来るなら私ひとりになっちゃうわよ」
「ああ、」父は口ごもる。
でもおまえ、とロイが割り込んできた。
「か弱ぶってるけど有段者じゃん。自分の身くらい自分で守れるだろ」
「失礼ねッ。いくら私でも大の男に組み付かれたらただじゃすまないわよ」
「そうだよなあ。これまでなにもなかったのならまだしも、一度は接触しちまってるわけだし──」
「そうそう、そうでしょ」エマは父の腕にしがみつく。うわ、とロイが眉をしかめた。
「だから私考えたの。この夏休みのあいだ、私もここにお泊まりしちゃおうかなって」
言うとおもった、と額に手を当てるロイ。
しかしそのことばを想定していたのは彼と父くらいのもので、ほかの面子はみなぽかんと口をあけている。いや、菅野と杉崎に関して言えばよろこびが勝っているようだったが。
とはいえ、なにを隠そう私がいちばん困惑していた。
クラスの女子とも話したことがない『根暗』、陰の世界で生きてきた私である。こんなまぶしい女性と何日もいっしょに過ごすことになれば、日光消毒で死んでしまう。
が、先に口をひらいたのは菅野だった。
「そん、若い女が男の巣に入るなんて──それはよくねえんじゃねえか?」
「ナオさんさぁ。そういうこと言うならもうちっと顔を締めろよ。締まりがねえよ締まりが」
「うるせーっ」
「いやエマちゃんの言うとおりかもしれない。うん、そうしよう。おい和真おまえ──変なこと考えんなよ」
と、父がこちらを見た。
これだから中年オヤジのデリカシーのなさったら嫌なのだ。私はつっけんどんに「馬鹿かよ」と反論する。青臭い青少年の気持ちを慮ってかロイが、いやいや倉田さん、とフォローをいれてくれた。
「心配なのはそっちじゃないでしょ──まあ、響さんと成増さんもいるし無駄な心配でもないとおもうけど」
「おいロイくん。そりゃどういう意味だよ、俺とナオさんが心配だとでもいうのか?」
「いやいや。深い意味はないですけどね」
響と成増が声をあげてわらう。
決定してしまった。頭をかかえる私の横で、父はパンッと手を叩く。
「よし、諸々入用なものをそろえよう。わるいな和真、夏休みなのにいろいろ付き合わせて」
「いいよもう──ここまできたら自分のことと同じようなものだし」
「おまえってやつは……俺に似ていい子になったなあ」
こうして、世にも奇妙な軍人との同居生活を迎えることになった私である。
※
乗車人数の関係上、留守番となったのは響、杉崎、菅野、そしてロイの四名であった。平時のテンションが低いロイにとっては、根明自由人の三人に囲まれて居心地がわるい。
出かけてゆく車を見送り、居間へもどる。杉崎が自分の軍服上衣を丁寧に畳むかたわら、茶でも淹れるかと急須に手を伸ばした矢先のことだった。
ロイくん、と響がとなりに寄ってきた。
「君に聞くことでもねえかもしれんが──おれはどうにも引っ掛かりましてね」
「うん?」
「何故、井塚のその後のことを誰も知らねえのかということです。よほど井塚を慕っていた倉田文彦でさえ、憶測にすぎんことしか残していない」
「ああ……」
「倉田は」杉崎が口を挟んできた。
「俺のおふくろのことも抱えていたんだ。上官のようすまで逐一知っておくことなんか無理だろ」
「もちろん倉田に限らず、だ。研究の中枢にいたはずの人間が、軍人入眠の後に音信不通。おなじ組織、研究にたずさわっていたのに、仲間が死んだことすら分からねえってのは、奇妙でしょう」
「だれが井塚さんの死亡を届けたか、──つまりは井塚さんの遺族について調べるべきかな」
「あとは方法だ」
響がうなずいたときである。
仏間の方からなにかが落ちる音がした。
なんだ、と杉崎が立ち上がりかけて周りを見る。
「菅野は」
と。
気づいたとおり、仏間から出てきたのは菅野直だった。なぜか頭にほこりをかぶっている。
「なにをやっとるんだ、貴様は」
「いや──あんまりきたねえから、仏壇を掃除しようと思ったんですが。馬鹿にでかいもんだから天板のところに届かなくて、あの机を踏み台にしたら脚が折れちゃったのです」
「折れちゃった!」
驚いてロイが目を剝く。
さっそく腹を抱えて大わらいする杉崎を退けて、響がぽかりと菅野の頭をはたいた。
「なにをやっとるんだ、貴様は」
呆れるあまりおなじ言葉をかける響は、まるで子どものいたずらに怒る父親だ。
「零戦だけじゃ飽き足らず、人様の家の物まで壊して……まったく」
「さすが菅野デストロイヤー」と、ロイ。
「おい、その呼び方やめてくれ!」
菅野は恥ずかしがった。
デストロイヤーというのは、当時の菅野の異名である。
彼は飛行学生の頃から十機以上の九六戦や零戦などの航空機を破壊したことがある。べつに、わざと壊してまわったわけではない。
その才能ゆえ、危険だからと禁止されていたコンクリート上への着陸を試みて、機体がひっくり返るも華麗に脱出しては周りを驚かせたり、教えられてもいない宙返りをしたり、訓練にも関わらず無茶な乗り方で教官機へ激突寸前まで近付いたり──。
気が付けば廃機が積み重なっていっただけのこと。
乱暴のような、妙技のような乗り方に賛否はあれど、その後の活躍を鑑みれば、その練習があればこそ、のちに撃墜王──イエローファイターとして米軍にまで名を知らしめるパイロットとなったといっても過言ではない。
とはいえ。
今回壊したのは人のものである。菅野は頬をゆるめた。
「どうしよう」
「これか──綺麗に折れているし、木工用ボンドでくっつくよ。どうせホームセンターにいるだろうからついでに買ってきてもらおう」
と、ロイは倉田に電話をかけて説明した。
机が壊れたと聞くや、電話口では素っ頓狂な声が聞こえたが、当たり障りなくフォローをいれて電話を切った。
まったく、と杉崎はにやりとわらう。
「もうなんも触るなよ」
「すんません──でも、ほら。収穫もあった」
「収穫?」
「天板の上にあったんです。手紙かな」
「妙なところに保管していやがる、埃まみれじゃねえか。……」
響がほこりを払う。色褪せた文字がうっすらと見えた。
手紙の宛名は倉田文彦。差出人は──宍倉健三と書いてある。
「ししくら……」
「誰です」
「宍倉?!」
叫んだのは、杉崎だった。
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