第33話 祖父のこと

「そいつは、奇縁というかなんというか。因縁深い関係だな」

 鰻屋にて。

 ロイから倉田家と杉崎家の話が展開された。しみじみと感慨にふける響、複雑な表情で固まる成増、涙ぐむエマ。ただひとり菅野だけはポカンと一同を見つめている。

 研究所での記憶がないため、なぜ倉田家がそれほど罪の意識を持っているのか理解できないようだ。

 彼は視線を彷徨わせ、最終的にロイを見た。

「それは、おれたちがいまこうなっていることに関係があるのかい」

「大いにね」

「それを教えてくれよ。おれ、本当にあの日、機銃に孔が空いて海へ堕ちてからまったくおぼえてねえんだ。あ、いやなんとなく、みんなの顔に見覚えはある気もするんだけど」

 菅野がムッとくちびるをとがらせる。

 焦らなくていいわよ、とエマは菅野に身を寄せた。

「銀也さんだって、起きてひと月半くらいかな。ようやく思い出してきてるところなの。ねっ」

「ああ」

「ふうん──」

 菅野はつまらなそうに鼻を鳴らす。

 話し終えるころには、みなすっかり腹は満たされた。元フリーターには目に痛い金額を払い、鰻屋から出たときである。

 ロイの携帯がふるえた。倉田からの着信だ。

 むこうも話が終わって、小田原城に繰り出すという。電話は、わずか三十秒ほどで終了した。菅野がロイの肩越しに顔を覗かせる。

「これからどこ行くんだ」

「小田原城にもどる。合流しようってさ」


 ※

 軍人一行が小田原城についたころには、私たちがひと通り城址公園内を見回ったあとだった。

 杉崎は天守閣が非公開であることを、たいそう残念がった。

「俺がここに来てたころはまだ天守閣がなかったからさぁ。見たかったなー」

「スギさん、サル舎見た?」

「ああ見たよ。ナオさんに似たサルがいたぜ」

「男前なサルだな。いいだろう見てやる」

 年が近いゆえか、すっかり仲良しの杉崎と菅野。私も行く、とエマが飛びはねると、菅野は大よろこびで彼女を受け入れた。

 サル舎へ駆けてゆく三人を見送ってから、父は私にむかって頭を垂れた。

「すまんな、和真」

「え?」

「おまえを巻き込むつもりはなかったんだよ。ほんとうならいまだって、なんにも聞かずにしばらく彼らを泊めてほしいと言いたいくらいだ。だけど──」

 父は口をつぐんだ。

 ロイが、響が、成増がわれわれ親子を見守る。

 彼らの表情はなんとも言いがたく、つぎのことばを待っている。父は私の肩に手を置いた。

「さっきの、杉崎さんのことば。和真と会えて……この時代に目覚めてよかったとおもえたって言ってたろ。それを聞いたら、父さんやっぱりおまえに言わなくちゃなあとおもった」

「…………」

「長くなるけど聞いてくれるか」

 私は、初めて見る父の表情におどろいていた。いつだって自信と威厳、すこしの茶目っ気に溢れていた父はどこにもいなかったからである。

 いいよ、と私はつっけんどんに返す。

「聞いて減るもんじゃないし──ここまで関わって、これで終わりじゃ寝覚めもわるいし」

 素直じゃない受け答えである。いっぱしの高校男児が、半端に好奇心をおさえて見栄を張った結果であった。けれど父はこんな回答でもうれしかったらしい。

 うん、とわらって私の肩を強く握った。

 気恥ずかしい。おもわずロイを見る。彼は無表情のまま「よかったね」と父に言った。微塵もおもっていない口ぶりである。

「ああ。なにから話そうかな……」

「それなら菅野くんと杉崎くんも交えてお話してあげてください。彼らの記憶がもどるのを待つ時間はもうあまりなさそうですから」と、成増。

「そうだ──もう警察が動きはじめてるからな」

「け、警察?」

 声がひっくり返った。

 なにやら物騒な話になってきた、と肚底をふるわせる私の横で、成増が額の汗をぬぐう。

「もう島には来たんですか」

「いや、一文字の家と本社に家宅捜索が入るらしいとは聞いてますが、まだ島は候補にも挙がってないみたいですぜ。まあ警察からすりゃあただの一支社にすぎませんからね。……ただ、懸念事項は会長の遺体が海上で発見されているってとこです。伊豆沖なんざ島からそう遠くはねえし目ェつけられるのも時間の問題でしょうな。どのみち猶予はあまりない」

「ワクチンもまだ出来ねえし、専務の問題もあるし──やるべきことは腐るほどあるってのに」

「井塚くんがいないのがこれほど痛手とはなぁ」

 と、成増がうつむく。

 するとこれまで黙っていた響がふうむと鼻を鳴らした。

「ずっと気になっていたんですが、井塚はなぜ死んだんです?」

「…………」

 井塚。

 私にとっては、きのうの夕飯時に杉崎から聞いた人でしかなかったが、彼らにとってその名前は重要であるらしかった。父とロイが困惑したようすで顔を見合わせる。

 死んだかどうかは、と眼鏡をおしあげて成増が答えた。

「倉田文彦くんが遺した言葉を借りれば、おそらく井塚くんも母体にやられたんじゃないかということだったけれど──たしかに、理由はわからず行方知れずとなっている」

「そりゃ妙だな」

「しかしその真実を知るにも、術がない」

「とはいえゼロじゃあない。高千穂に行ってみておもったが、やりようはいくらでもあるもんだ。諦めるのはまだ早ェ、なにせアイツらも加わったんだから」

 と響がきれいに微笑んだ。

 アイツら、という彼の視線の先には、サル舎へ行っていた杉崎や菅野、エマのすがたがあった。がやがやとさわがしくサルの顔について議論を飛ばしあっている。響は両手をひょいとあげて「この話はここまでだ」とおどけた。

 ロイが複雑な顔をする。

「だいぶ前向きになりましたね」

「アレに似てきたかな」

 と、響の目がエマに向く。

「おれよりもずっとスギさんの方が似ていたぜ、あのサル!」

「失礼なことを言いやがる、俺のどこがサルに似ているんだよ」

「どっちもたいして似てなかったわ」

 呆れたように言い捨てたエマ。響と目が合うなり笑顔で駆けてくる。そのなつきように見とれていたら兄のロイがこっそり教えてくれた。彼女はここひと月、響のそばで生活をしていたために、すっかり仲を深めたのだと。

 置いてけぼりを食らった菅野と杉崎はさみしそうに顔を見合わせる。その後、じめついた視線を響に向けた。なるほど、すでに彼らはエマのまぶしいオーラに魅了されてしまったらしい。

 わが妹ながらおそれいるぜ、とロイは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。

「アイツの人たらしは七十年前でも通用するんだな。……身内からすりゃあ、あんな口うるさい女はごめんだけど」

「いや──」

 あとに続くことばは出なかった。頬が熱くなる。

 まごつく私を察したらしい。ロイは気分を変えるためかパッと笑みを浮かべ、私の肩を引き寄せた。

「それより、和真は自分のじいさんのこと憶えてる?」

「えっ。あ、もちろん──死んだのもそんなにむかしじゃないし」

「聞いた話じゃ、ずいぶん偉い人だったらしいじゃん。発言力も強かったみたいだし。プライベートでもきびしかったの」

「じいちゃんは──」

 厳しいイメージは、ない。

 というよりも、彼は役員となってからも単身で島に泊まることも多かったので、あまり接点がなかった。夏休みなどの長期休みで小田原の家に行くと、たまに顔を合わせては膝上に乗せてくれたものだった。

 厳格な人というよりは、寡黙でおだやかな人という感じ。そう答えると、ロイはおどろいた顔をした。

「なにか言ってなかったか、軍人とか、会社のこと。──あ、さすがに孫の前じゃ言わねえか」

「…………」

 ザザ、ザ。

 よみがえる波音と祖父の声。

 彼はむかし、まだ幼い私を海へ連れていったことがある。波打ち際が怖くて泣いた私に、海を指さしてなにごとかを言っていたっけ。けれど幼い私にはむずかしくて、記憶にも残らなかった。

「よくおぼえてないや──」

「そっか」

「保坂さん、あ、えっとロイさんは、あの島で働いてるんスか」

「つい数ヵ月前からね」

「異動?」

「や、一文字社員ってわけじゃない。あとで親父さんから話があるとはおもうけど、オレはいまだけの契約だ。一連の事が終わりゃまた根なし草だよ」

 と、ロイは肩をすくめる。

 まだ就職だのなんだのと実感のわかぬ年端であった私は、また口ごもる。なんというべきか分からなかった。彼はおどけたように「少年」とわらった。

「将来、就活で悲観的になったらオレに相談しろよ。高卒でフリーター続けてきたのに、まだこうして自力で食っていけてる先輩がいるんだから」

「はは、めっちゃ心強い」

「ロイったら!」

 と。

 とつぜんエマが割り込んできた。彼女は私の肩に回るロイの手を振りほどき、代わりに私の腕をとって自身の方へと引き寄せた。慣れぬスキンシップに固まる。

 が、エマは気にしない。

「あなたの生き方のおかげで、妹がどれほど胸がつぶれる思いだったか分かってないわね。だめよ和真くんこんな大人になっちゃあ!」

「えぁ、あ」

「うるせえな。いまは男と男の話をしてるんだから、割り込んでくんなよ」

「ねえ和真くん、あっちの方見た? アラサーより上の人たちは小難しい話ばっかりだから飽きちゃうでしょ。十代の若者同士、遊びましょ」

「あ、う」

「アラサーでオレとあっちを括るな!」

 ロイの声は、わりと本気で焦っていた。

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