第29話 結集

 ※

 閑話である。

 初めて島に行き、成増弘之を起こしたあの日。倉田の誘いで成増とロイは倉田家に泊まることとなった。

 たいそう恐縮する成増に対して、倉田は「まったく問題ないですから!」と胸を張って言い切っていた。

 すっかり日も落ちたころ。

 倉田夫人が買い物袋を提げて帰宅した。リビングに入り、ロイと成増を見るなり慌てた様子で、

「やだ、お父さん帰ってたの? しかもお客さんも一緒って──聞いてないんだけど」

 とつぶやく。

 倉田は「まずい」という顔であわてて立ち上がった。

「あっそうそう。ごめん、連絡忘れてた」

「どうも倉田の家内です……あの、狭いうちですけれどどうぞゆっくりなさって」

「こちらこそ、図々しく上がっとります──成増と申します」

「あ──保坂です」

「会社の方?」

「うん……ちょっと島の家に問題があるんで、今日泊まってもらうつもりなんだけど」

 終始朗らかな笑みで対応してくれた倉田の妻──名前は宮子と言った──は、恐怖に顔を青ざめさせた倉田を見るや、突如鬼のような形相になって詰め寄った。

「なにが『泊まってもらうつもり』? 先に言ってよ。お父さん、島から帰るなんて一言もないから、夕飯の買い物自分の分しかしてないんだけど!」

「だからごめんって……足りないなら買ってくるから」

「そういう問題じゃないでしょッ、どうして男ってそうやって代替案で自分の非をなくそうとするかな。作りはじめる時間も遅くなるし──こっちもいろいろ考えて」

 長く連れ添った夫婦あるあるの会話だ。

 あの、とロイはすばやく立ち上がる。

「良かったらお手伝いさせてください。突然お邪魔させてもらったうえ、タダで飯をいただくわけにはいかないんで。もしお邪魔じゃなければ、ですけど」

「あらっ」

 宮子の顔が一瞬にして女に戻る。

「オレ、料理好きだから──ダメかな」

「あらじゃあ……お願いできます? 一緒に」

「もちろん」

 と、これまでに見たことのない笑みを浮かべた宮子に、倉田は目を剝いた。イケメンマジックとはこういうときに使うのだろうか。

 納得がいかずにむっとする旦那に、宮子は「ちょっと」と厳しい口調で言った。

「材料買い足して。メモするから」

「あ、はい」

 その後、客人のおかげで食事中は和やかだった宮子だが、寝室に戻るや、倉田はこっぴどく叱られたのだそうである。──


 ──閑話休題。

 なぜ今さら、そんなことを思い出したのか。それはロイの目前に繰り広げられる光景がもとであった。


「どうしていっつも連絡しないんだよ。こっちだっていろいろさぁ!」


 と。

 倉田の息子──たしか和真といった──の言葉に、ロイと成増が盛大に噴き出す。

 居間に置かれた卓には二人分の夕食が並べられ、食事の真っただ中であったことがうかがえる。

 今日一日の彼の心境を想像すると、さぞ心細かったことだろうと同情しながら、ロイはまた堪えきれずにわらった。

 およそ十分前の出来事である。


「どうぞどうぞ、ぼろいけど広さはありますから!」

 と、倉田は無遠慮に玄関をあがった。

 食欲をそそる香りが鼻をくすぐり、ロイはいまがちょうど飯時であることを思い出す。同じことを思っていたのか、菅野もぼそりと呟いた。

「ああ……もう七十年もなんも食ってねえと思うと、とたんに腹が減ってきたぞ」

「年数だけ見るとおぞましいな」

 なんて、響も肩を揺らしてわらっている。

 しかし問題は住人だろう。

 聞くところ、住んでいるのは息子ひとりとのことだったが──なにやら居間の方からぼそぼそと話し声がする。

「────ます」

「──も、──」

 先客か。

 と、倉田が顔をしかめたとき、玄関にひょこりと顔を出した青少年。途端、倉田はデレっとした声をあげた。

「おお和真ァ、元気にしてたか。ん?」

 存外、子煩悩のようである。

 和真は玄関先に立ち並ぶ七人の男女を見て目を白黒させた。

「…………えっ、何事」

「飯時にわるいな。ちょっと父さんを助けてくれない?」

「は、え?」

 戸惑う和真。

 うしろに待機する軍人らに「どうぞ」とうながす父親を横目に、ロイは心の中で「すまん」と謝った。

 戸惑う和真の声が聞こえたのだろう、奥から「大丈夫かァ」と先客であろう人物の声が聞こえてくる。

「お客さんいたのか」

 そりゃ申し訳なかったな、と言いかけた倉田の動きが、先客を見てぴたりと止まった。

 なんだどうした、とロイがひょこりと居間を覗く。そのまま固まった。

「…………」

「…………」

 つられた和真やエマ、先客の動きも止まる。

 総じて口を開けたまま動きを止めた三人の後ろから、「なんだどうした」と成増が覗き込むと、そこにいた顔に嬉しそうに手を挙げた。

「あ、杉崎くん。先に来ていたんですかぁ」

「エッ!」

 エマが目を剥いた。

 そう。彼こそが四人目の軍人──杉崎茂孝である。

「…………」

 一瞬の静寂。

 いまにも倉田が叫びださんとしたときである。あのう、とうしろから手が上に伸びた。

「おどろく前に、おれも飯が食いたいな……」

 と言ったのは、今まで黙っていた菅野であった。どうやら腹が減って喋る元気がなく、立っているのもやっとのようす。

 全員の視線が自然と和真に向けられる。

「え……ふ、二人分しかないけど」

 どこかで聞いたセリフだ。ロイはくっと笑う。

「お前、言うこと母さんに似てきたよな……」

「そう言うけどさぁ!」

 いじけた父親に和真は今度こそ目くじらをたて、母親とも似た前述の言葉を吐き捨てたのである。連絡不行き届きは、どうやら倉田真司の十八番のようだ。

 妻子から同じことで叱られる倉田を見て、ロイは十年ぶりくらいに爆笑した。


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