第28話 小田原へ
ボートは停泊していた。
一行がむかうは、港の駐車場。
車とは軍用車のことだとおもっていた菅野は、これらがすべて民間自動車であると聞き、おどろいた。だだっ広い駐車場にならぶ車はおよそ百台にものぼるだろうに、見ればたしかに軍用には役立つまいカタチばかりだ。
かつて戦闘機を相棒としていた自分にとって、ひじょうに心おどる光景である。どいつがいちばんおれに似合うだろう──なんて想像しただけでたのしい。先導する成増についてゆきながら、視線は周囲の車に釘付けだった。
「お待たせしました」
と、成増が唐突に手をあげた。
つられて見る。先の先に停まった車の横にひとりの女が立っていた。こちらも混血顔の白面に、栗色のうつくしい髪をなびかせる。白いタンクトップから覗く腕は細く、くびれた腰がまぶしく映った。
──きれいだ。
ごくりと菅野は息を呑んだ。目が覚めてから小一時間、およそ戦時中には遠かった存在に緊張した。
「『空の旅』の人ね!」
女は弾けるような笑みを向けてきた。
あんまりまぶしくて、菅野の頬がカッと熱くなる。しかし彼女は菅野の返事を待たずに、腰元へ目線を落とした。
その先、後部座席の窓からこちらに顔を覗かせる男がいる。色の白い涼しげな顔で、白い詰襟に金ボタンの上着を着用するのが見えた。その肩章に見えた三本線と三つの菊花。
(あ?)
菅野の動きが止まる。
こちらの視線に気がついたのか、むこうも窓越しにひょいと手をあげた。
「よう、菅野。わりかし大人しいねお前、もっと暴れながら来るかと思ったが」
と。
脳みそに沁みわたる低く甘い声によって唐突に頭が働いた。菅野が「あっ」と声をあげる。
「響大佐ッ」
突然、菅野の記憶が波のようにもどってきた。
帝国海軍大佐、
たしか上官である源田の友人かなにかで、たまたま呑み屋で出くわしたときに酒をおごってもらった──ような気がする。会話をしたのはその程度だったが、彼のどこか上品なたたずまいが強く印象に残っていた。
すばらしい、と成増がつぶやく。
「響さんのことは覚えていましたか。ま、エマくんもいることですし、互いに軽く自己紹介でも」
エマくん、ということばのあとに女が跳ねるようにうなずく。菅野はとたんに気合いをいれて、爪先をそろえた。
「では、まず自分から。第三四三海軍航空隊戦闘三〇一飛行隊隊長、菅野直大尉。昭和二十年八月一日、屋久島北方上空にて機銃筒内爆発のため死んだ──と思っとりましたが、生きていたようです」
「響銀也……海軍大佐。ま、軍もなにもないいま階級を気にすることはないでしょう。とりあえずまた無事に会えてよかった、菅野」
変わらない。
記憶のなかにいる響銀也とおなじだ。彼はたしか戦艦大和に乗り込んだと聞くが、ともに海底までは沈まなかったらしい。
ちらと女──エマといったか──を見る。彼女が何者かをはやく知りたい。
彼女はアッと頬を染めた。
「わたし、保坂エマです。そこのロイの妹で……大学生!」
そこの、と彼女が指した先には似た顔の男が立っている。くるりとうしろを振り向いて「あんたは?」と問う。男はおどろいた顔をした。
「──保坂ロイ。アンタらからすれば七十年後の人間だ」
「…………ホントに、七十年経っていやがるんかよ」
菅野の眉が下がる。
ロイは鼻でわらい、運転席に移動した。
「アンタけっこう有名みたいだな」
「え?」
「本を読んだよ、伝説のデストロイヤー。お逢いできて光栄ですぜ」
デストロイヤー。
菅野はうわっと叫んで顔をしかめた。その不名誉な二つ名は覚えている。恥ずかしくて耳が熱くなった。
「──からかうない!」
「さてそれじゃロイくん。倉田さんのところへ戻ろう」
「ああ」
あっちはさぞ話が盛り上がっているだろうな、とロイがつぶやく。
成増もわははとわらった。
※
熱海の港からおよそ四十分。
標識が小田原市を示したのを確認してからしばらく、ロイはナビゲーションをもとに目的地をさがす。
「たしかこのあたり──」
成増が「いたいた」と声をあげる。
一台のワゴン車が人気のない道に止まっていた。
「倉田さんが乗っていた車だ」
後ろにつけて、ロイは車から降りた。
暑い。
まとわりつく湿気が不快だ。顔をしかめた。さすがは八月である。すっかり打ち解けてやいやいとわめく後部座席はそのままに、前のワゴン車に近付いた。
「…………」
ひょい、と運転席を覗き込むと、ハンドルにもたれて静止する倉田が目に入る。具合でも悪いのだろうか、ロイは窓をノックして反応を見た。
彼はハッと顔をあげた。窓があく。途端に流れくる車内の空気にロイはおどろき後ずさった。
「あっつ。ちょっと、クーラーもつけないでなにやってんの」
「いや、その──」
「菅野さんを連れてきたけど。……あれ」
後部座席を見る。
そこにいるはずの人間が見当たらない。ふたたび倉田に目を向けると、彼はまたハンドルに顔を押し付けていた。
「顔上げろって。おい倉田さん」
「…………」
「もうひとりは、どうしたの」
と。
尋ねた瞬間、倉田がいきおいよく顔をあげた。窓越しにこちらの両腕をつかむ。
あまりに必死な形相におどろいてロイは「なんだよッ」とさけんだ。
「どうしよう、どうすりゃいい!」
「…………え?」
なにやら、緊急事態が発生したようだ。
「いなくなったってどういうことだッ」
成増を倉田のワゴン車に呼んでから事情を聞いたロイは、珍しく大声をあげた。その圧に、倉田はすっかり小さくなっている。
「犬猫でもあるまいし、どうやったら人間の大人を見失うんだよ。しかも保護対象」
「いや、本当にごもっともな意見だ。俺も自分に対してそう思ってる。そうなんだけど……現にいなくなっちまったんだからしょうがないだろ!」
「開き直ったし──」
ロイは口角を引きつらせる。
保護対象である人間の大人──それは四人目の軍人、杉崎茂孝のことである。
※
八月一日の今日。
倉田とロイ、そして成増は残りの軍人を起こすことを腹に決めていた。
綿密な計画のもと、なにかと節介を焼きたがる一般棟管理人の目すら掻い潜りながら、やっとのことで二名の覚醒処置をおこなったのだ。
杉崎茂孝についてはいろいろと事情があるらしく、小田原市内で覚醒させてやりたい、と倉田が言った。そのため、処置後の杉崎を倉田が預かり、菅野の覚醒を待って合流する──という手筈だった。
が、その杉崎がいなくなったという。
血管が浮き出るロイとは対照的に、さすがの成増は穏やかに後部座席から問いかけた。
「いったいなにがあったか教えてくれ。分かるところだけでいいから」
「……彼の実家がこのあたりにあるもんで、この場所に車を停めたんです。で、身体を温めようとおもって彼をそこのベンチに座らせていたんですよ。日向ぼっこの要領で」
「あの軍服で、か。軍帽もセットで!」
ロイの言葉一音にトゲがある。うん、と倉田はさらに背を丸めた。
「軍帽はほら、熱中症が怖くて……で、ちっとばかり暑いなあなんて思ったもんだから、その駄菓子屋でみんなの分のアイスを買ったんですよ。自分の分を先に車で食ってたらトイレに行きたくなって……あそこの角の家が俺の知り合いの家なもんでトイレを借りて、それでここに戻ったらもういなかった、っていう」
「…………」
「アイス七本も買ったの?」
「ロイくん、指摘すべきはそこじゃない」
と成増は眉を下げる。
「しかしずいぶんと早い目覚めだったんだね。ああでも、たしかに彼は──細菌の再生能力がなくても、いつも傷の治りは早かったそうだから、そういう体質だったのかもしれないな」
「ああもうホントに、本当にすまん。周囲を探してみたんだけど──見つからなくて」
「アイス買ったんならクーラーつけろよ。絶対溶けてるぜ、この車内」
「ロイくん、アイスが食べたいなら食べていいから」
と、成増。
クーラーボックスに入っていたからか、かろうじてアイスの形は保たれていた。
「そのアイス屋の人には聞いたの」
「聞いたけど、あそこのばあさんもう歳だから、一分前のことも忘れてんだ。軍人が座っていたことすら気付かなかったみたいだしよ」
「あっそう……」
腕時計を見る。空は明るいが、すでに時計は午後六時半をさしていた。うしろに停車した車をちらと見て、成増は苦笑する。
「とりあえず、猛獣二匹が脱走しないうちに、どこか落ち着けるところに行かないか」
「あ、ああ──軍曹には申し訳ないが、先に彼らをうちの実家に連れて行こう」
「あんたの実家って、まさか宛があるって言ってた家のことかよ。息子がいるんだろ?」
「いるけど、まああいつは大丈夫だよ」
「あんたの大丈夫は信用ならないんだけど──」
とある日のことを思い出したロイ。
まもなく倉田はハザードランプをカチカチと二回点け、ゆっくりと車を走らせた。後続もそのうしろにつづく。
二台の最終目的地は、倉田の実家だ。
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