第三章

菅野直

第27話 撃墜王

 ──ワレ、機銃筒内爆発ス。ワレ、カンノ一番。


『カンノ一番、カンノ一番』

 昭和二十年八月一日。

 屋久島北方上空。

『カンノ一番ッ』

 大空に、ぴりりと緊張感が走った。

 第三四三海軍航空隊第二区隊長、堀飛曹長の胸が早鐘を打つ。

 つい二分ほど前『空戦ヤメ、アツマレ』と指示を出したはずの菅野区隊、菅野直かんのなおし区隊長の姿が見えない。

 呼び掛けを幾度も行なったが応答すらない。


 その後、ようやく入電するも、


 ──ワレ、機銃筒内爆発ス。諸君ノ協力ニ感謝ス。ワレ、菅野一番。──


 これを最期に、菅野機は完全に姿を消した。

 やがて燃料不足の関係で捜索を諦めた堀飛曹長は、菅野区隊とその後ろにつく第二区隊等を牽引して基地へ戻ることを決意する──。


 太平洋戦争下においての総撃墜数、七十二機という戦果をあげた第三四三海軍航空隊戦闘三〇一飛行隊隊長菅野直かんのなおし大尉の最期は、やはり敵からの撃墜ではなく、機銃筒内爆発によるものだった。

 海へと墜ちゆく“紫電改343-A-01”の、左翼部日の丸右脇に大きく空いた破孔を見る。瞬間、菅野の脳裏にはふしぎと気持ちのよい、三四三空編成当初に空へ飛んだ大編隊の雄々しい姿だった。


 ※

 ずいぶん眠っていたように思う。

 暑苦しくて目を開けると、こちらの顔を覗き込む男と目があった。

 栗色の髪。透けるような白い肌。グレーの瞳。

 敵か──。

 驚愕と焦燥がいっぺんに押し寄せて、一瞬、菅野直は息が止まる。腰元を探って武器をもとめたが、からだが板切れのように固まってぴくりとも動かない。

「っ」

「まだ動かんでしょう。無理しないでください」

「……み、かた?」

「こんなツラですが日本人なもんで」

 男はぶっきらぼうに言った。

 混血人種か、と菅野は無遠慮に顔を見つめる。いつかどこかで見た西洋人形のようだと思った。

「身体はどうです。痛いとか、きもちわるいとか」

「…………からだ、──」

 腕をあげてみる。ミシミシと音を立てて、あがったのはわずか数センチだった。肩も腰も足さえも、おもうように動いてくれない。

 めまい、とつぶやく声もひどく掠れた。

「……あと、暑い」

「暑いのは我慢して。板切れ状態もしょうがないとして、内臓が無事なら良かった。この分なら早い回復も見込めそうだな」

 男はホッとした。見たところ、ガタイはいいが武装はしていない。敵ではなさそうだと安堵して、指一本ずつを動かすように意識する。それからおよそ三十分の時間をかけて、身を起こした。


 ────。

 ボート上のようである。

 菅野自身が寝ていたところは、柔らかいクッションが敷かれた長椅子。男は、手元のノートを見ながら、名乗りもせず話しはじめた。

「大日本帝国海軍所属の菅野直大尉──いまは二階級特進して中佐になっているけど──昭和二十年八月一日。屋久島北方上空で筒内爆発とうないばくはつを起こしたアンタの紫電改343-A-01は、屋久島周辺の海底へと沈んだ、──ところまで記憶は?」

 菅野はピクリと眉を動かす。まだうまく言葉がでないので、これが精一杯の反応である。しかし男に通じたようだ。透き通るような栗色の髪を揺らしてうなずいた。

「そのあとは」

「────」

「なさそうだな」男は頭を掻いた。

「なるほどね、七十年前のダチュラ麻酔の副作用がまた出たわけか」

(いったいなにがどうなってる)

 菅野は、額から吹き出た汗をぐいとぬぐう。


 どうやら自分はまだ生きているらしい。緊張のためドクドクと高鳴る鼓動がよい証拠だ。まさか、筒内爆発によって海に落ちてからいままでずっと寝ていたというのか。

(どこだここは──)

 菅野は耳を澄ませる。

 ずいぶんと静かで、戦闘機の音は一切聞こえない。船上のようだがエンジンが動いている気配もない。

 よほど困惑の表情を浮かべていたのだろう。

 説明係を呼んでくる、と男は腰をあげた。しかし菅野はそれをゆるさなかった。白くなめらかな腕をぐっと引き寄せる。

「ここはどこだ」

「…………」

 聞きたいことが山ほどある。

 いまの戦況はどうか、基地はどこかに移ったのか、三四三空の所持燃料は少なかったはずだが、いまでも飛んでいるのか──。

 おのれの指揮した部隊を思ううち、脳裏に浮かんだ。鼻筋のとおった慈父のような男の顔。

「源田司令官は?」

「げ、ゲンダ──?」

「司令官に連絡を取りたい。たのむ!」

 菅野はさけぶ。

 と、同時に視界が揺れた。めまいだ。けれど身体は目の前の男によって支えられ、倒れることはなかった。

「ほら、無理するなって!」

「おれは三四三空に、もどらにゃならんッ。たのむよ司令官に──」

「それは無理だ」

 と。

 言ったのは目の前にいる混血の男ではなく、たったいまボートにあがってきた眼鏡の男だった。こちらは純日本人の面立ちをしている。

「何故」

「亡くなっている」

「……────」

「平成元年に、亡くなったそうだよ」


 ※

(成増さんが来て助かった)

 ロイは腕を擦る。

 小柄な体格のくせにばかみたいに力が強くて、白いはだにはくっきりと菅野の指痕が残った。

 菅野大尉、と成増は腰をかがめた。

「僕は参謀本部に所属していた成増弘行です。君が屋久島上空で落ちてからまもなく、僕の元へ運ばれてきたんだ。それから何度か会話して──いたんだけど、覚えていないかな」

「…………」

「麻酔にダチュラなんか混ぜたもんだから、こっちにも記憶障害が起きてる。思い出すだろうけど時間はかかるかもな」

 井塚文書、と成増によって名付けられたノートに、白く大きなチョウセンアサガオの絵が描かれている。井塚と成増は、軍人を眠らせるにあたり、この危険な花を混ぜたのだという。

 より深い催眠効果を実現するため──とのことだが、どうやら軍人たちの記憶までも深く眠りについてしまったらしい。

 成増は仕方ない、と唸った。

「なによりもまず、菅野大尉が知りたいことを伝えるのが先だ。いいかい菅野くん、これから僕が言うことに嘘はない。信じるか否かは君次第だがまずは話を聞いてくれ。いいね?」

「…………」

 菅野は、返事をしなかった。話を聞くかは内容如何だという構えである。成増はうなずいた。

「まず、我々の戦争は終わった。君が屋久島の海に落ちてからわずか二週間後のことだ」

「戦争が終わった──母国は」

「大日本帝国はなくなって、日本となった。天皇は国の象徴でありこそすれ、国を統べることはなくなったそうだ。軍も無くし、日本はいたって平和になっている」

「────」

 菅野がくちびるを舐める。

「今日は平成二十七年八月一日。君の上官である源田さんは二十七年前の平成元年、終戦記念日に亡くなった。御年八十四歳だったそうだ。…………聞いてる?」

「──き、聞いちゃいるが、そんな与太話を信じろというんですか。おれはどう見たって、二十三の身体だ。堀飛曹長、真砂上飛曹、予科練一期生の田村──みな最期にともに飛んだッ」

「もうだれもいないんだ、菅野くん」

「ウソをつけッ。ヘイセイだと? ふざけるな!」

「菅野ッ」

「────」

 成増が声を荒げた。


「われわれが命を懸けた戦争は終わった。負けたよ。昭和は、六十三年の歴史を終えて平成になった。それどころかその平成すらすでに二十七年は経過している。キミはちょうど七十年前の八月一日、屋久島北方の海に落ちたんだ!」


 菅野の顔が青ざめる。

 あんたは、という息も荒くなってきた。

「──じゃああんたはなんだよっ。先ほど陸軍参謀だと言ったが、となればあんただって七十年前の人間ということになるッ」

「そうだとも、七十年前の人間だ。戦地に赴くことは少なかったが、登戸の研究所なんかではいろいろやったよ」

「…………、……」

「ことばだけで話しても埒があかんな。ロイくん、車にいこう。彼に会えば腹落ちするかもしれん」

 と、成増は菅野の頭上を見た。

 ロイはいまだに菅野の身体に寄り添って支えていた。興奮するあまり、いつ菅野が意識を失うのではないかとヒヤヒヤしていたからだ。

 成増や響が、よほど物わかりが良かっただけに感覚が麻痺していたが、これこそ普通の反応であろう。ロイはホッと菅野から手を離す。

「菅野くん」成増が眼鏡をあげる。

「君のほかにも軍人がいる。会ってみないか」

「軍人が──?」

「彼も、エースパイロットである君が目覚めるのを心待ちにしているよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る