第22話  準備

 一文字社玉枝の夫である一文字社社長の恒明つねあきから、六度目になる本社呼び出しを受けた朝──。

 真司の携帯にエマから着信が入った。が、このとき真司は到底電話に出られる状況にはなかった。

「た、玉枝が一週間も前から帰ってない。彰をさ、探しに出たのかとおもって、待っていたのだけど──一向に戻らないんだよ。な、なにか知らないかね」

 おどおどとした様子で、恒明はくるりとこちらを見る。彼は一文字正蔵の実の息子でありながら、ご覧のとおり小心者ゆえに嫁の玉枝に会長の座を譲った名ばかり社長である。

 ただでさえ真司は、定期船も出ないくらいの早朝に呼び出されたのだ──おかげでロイを叩き起こしてボートを出してもらう羽目になった──。これだけでもむかっ腹が立つのに、この威厳の欠片もないすがたを見たら、さらにムカついて気が狂いそうだ。

(早くエマちゃんに電話したい──)

「玉枝はき、君によく相談していたそうじゃないか。だから、なにか分かるかとおも、思ったんだけど……」

「相談ではなく、命令です。彰さんの行方に関してだって、相談というよりは尋問されていたにすぎません。それより、恒明社長にお聞きしたいことがありまして──船頭の小此木について」

「小此木? ああ、彼か」

「ヤツはいまどこに。ここ二ヶ月、船頭が違う人のようなので。まさか船頭をやめちゃいませんよね?」

「知らんよ。そ、そんな一介の社員のことまで──あ、でも玉枝とはよくは、話をしていたみたいだけど」

「クソ──マジかよ」

 ぼそりと漏れる。

 小此木に対する疑惑が深まった頃より、次に船頭として島へやってきたときに取っ捕まえようと待っていたのだが、ぱったりとすがたを見せなくなった。

 一方で、安全だと思っていた横浜に、自らそのすがたをエマの前に現したと聞く。不穏なことばを添えて、である。

「会長の失踪に関わっている可能性があります。小此木がお宅に来たら、十分に警戒してください」

「…………わ、わかったよ。それで、ワクチンというのはまだ出来ないものかね」

「ワクチン?」

 真司の背中がぴりついた。

 自分がワクチン製造に取り掛かったのは響を起こして以降のことであり、そのことについて一文字社のだれにも伝えたことはない。よりによってなぜこの恒明がそのことを知っているのだ──と内心で焦ったのである。

 しかしそれは杞憂であった。

「キミのち、父親が製造に取り掛かってることは僕も聞いてる。彼のことだ、息子のキミには話していたんじゃないのか?」

「親父がワクチンを。……いえそれは初耳です。ちょっと調べてみます」

「む、息子の君にも教えてないのか」

「私の身を案じたんじゃないですか。いまじゃ嫁も子もいるんだ、変に情報を持っていたらなにをされるか──ああいや、一文字家のことを悪くいうつもりはまったくないですけど」

 そのつもりしかない言いぐさである。

 とにかく、と真司はいまいちど背筋を伸ばして、恒明を睨み付けた。

「小此木については気を付けて。なにかあればすぐ私にご連絡ください。いま、貴方のサポートが出来るのはもはや私くらいのものですから」

「あ、ああ。たのむぞ」

「はい」

 わずかに口角があがる。

 なるほど、玉枝よりもよほど扱いやすい。真司は、尻ポケットで再度ふるえる携帯に手を伸ばしながら、社長室を後にした。


 ──。

 ────。

「なに、高千穂?」

 非常階段を降りながら、真司がすっとんきょうな声をあげた。

 着信は保坂ロイ。

 どうやらエマから連絡がきたそうで、困り果てた末の電話のようだった。

 内容は、響の生まれ故郷である宮崎県高千穂へ、彼とともに向かいたいというもの。ついては倉田かロイにも同行してほしいと懇願してきたというのである。

 なるほど、先ほどの着信はそれか──と真司は苦笑した。

「エマちゃん学校は?」

『あしたの金曜日を休んで、土日でいくって』

「タフだな。いいんじゃねえか。響さん分の旅費はほら、エマちゃんに渡したクレジットカード使えばいいから。ただしエマちゃんは自費だぞ」

『付き添いはどうすんです。アンタは成増さんとワクチン製造する方が先決だろ』

「うん。だから君、久しぶりの休暇でも取ってきなよ。島の奴らは俺と成増さんで見るし、旧棟のことは心配いらないから」

『えェ…………』

 と、露骨に嫌な声を出すロイ。

 真司は五階分の階段をくだって、フロアへの扉に手をかける。

「ちょっとは兄らしいことしてやれよ。エマちゃん、べらぼうに可愛いじゃねえか。高千穂ならさすがの小此木も来ねえだろうし、妹孝行だとおもって」

『…………』

「じゃあな、お土産待ってるぜ」

 と言い捨てて、真司は通話を切った。

 フロアに出るとちょうど人事課長の佐々木と出くわした。

「うわっ、真司さん! なんすかわざわざ非常階段から」

「そんなことはいいから、佐々木よ。常務室の鍵どこにある? ちと調べてえことがあるんだよ」


 ※

「クソ」

 と、悪態をつくのはロイである。

 真司を本島へ送り届けてからすぐ、島の自室からエマへ電話をかけた。

 もしもし、という妹の弾んだ声にロイの口角はわずかにゆるむ。まったく、行くなと言われる可能性を微塵も持っていない声色である。

「オレだよ。二泊三日なら、オレも同行してやれる」

『ほんと!?』

「ああ。許可もらった」

『やった、やったわ銀也さんッ』

 電話の奥で飛び跳ねる音が聞こえる。

 おどろいたことにエマは電話を待つあいだ、すでにふたり分の支度を終えていたらしい。あとは飛行機とるだけね、という声が興奮のあまり上ずっている。

「飛行機と宿はこっちで手配するから。おまえ、ちゃんと自分の分旅費出せよ。そこまでオレは面倒見ねえからな」

『分かってる。それより、さっそくいろいろ調べなくちゃ。二泊三日なんてあっという間だもの、なんの収穫もないまま終わっちゃうことだってあるわ。ねえなにすればいいとおもう?』

「……江田島の同期の連絡先、響さんちの菩提寺、いまの響さんが覚えている限りのとこから掘ってくしかねえだろうな。とにかく、響家の事情を知る人を探さねえと」

『そう。うん、そのとおりだわ。……ロイ』

 ふとエマが神妙な声を出した。

 なんだよ、とつられてロイも声をひそめる。

『さっきから思ってたんだけど、』

「もったいつけんなよ。なんだ?」

『あなた倉田のおじさまに似てきたわね。口調とかそっくり』

「は?」

『仲良くやっててなによりだわ。それじゃ、あしたの集合場所と時間決まったら教えてね。バイバイ』

「なにを、…………」

 すでに通話は終了している。

 ──倉田のおじさまに似てきたわね。

 妹からのこの一言が、胸にぐっさり刺さって、ロイはよろりと自室のベッドにころがった。

 なんて憂鬱な気分だ。

(気を付けよ。……)

 ムシャクシャして、とびきり早い早朝便のチケットを三枚とる。宿は高千穂の役場からほどない場所にある旅館をふた部屋。

 のちに集合時間を聞いたエマは、電話口で悲鳴をあげた。


 ──。

 ────。

 午前六時、羽田空港第二ターミナル。

 エマはとある航空会社のチケット発券場前で待っていた。となりに立つ響の腕をがっしと掴んで、疲れた顔でロイに手を振る。

「おはよ。どうした」

「どうしたじゃないわ。この人なんとかしてよ、目を離したらすぐどこかに消えるの。早めに出てきたのにギリギリになっちゃった」

「ああ、そうだった」

 つい数日前。

 熱海港から宿までのわずかな道のりに手こずったことを思い出す。数日ぶりだというのに、彼の服装がジャケットにジーパンだからか、すっかり現代に馴染んでいる。

 ロイはぺこりと頭を下げた。

「ご無沙汰してます、響さん。って一週間も経ってねえけど」

「ああ。エマが君の話をよくするんで、毎日会ってた気分です」

「そんなにしてないでしょ!」

「早いとこ荷物を預けよう。──おまえ、なに入ってんだよその荷物。二泊三日だぜ」

「女の子にはいろいろあるの。早く行きましょ!」

 エマは弾んだ声を出した。


 事前に得られた情報は、それほど多くはないという。

 頼りは響の記憶のみ。

 住所や菩提寺の名前、思い付く数人の同期生。しかしそれらが七十年という月日を経て、不変のままとも限らない。同期生など、すでに死亡している可能性の方が高いのである。

「同期生にはとくにひとり、宮崎出身で意気投合した同期がいたっけかな」

 と響は言った。

 搭乗口前で、エマは朝食代わりとなるおにぎりを食べる。

「高千穂生まれの人?」

「いや、町は──どちらにしろ、墓が残っていたら確認も楽なんでしょうがね」

「なんて寺?」

「それが、お寺じゃないんですって。響家はお父様の方が神道だったから、神社の氏子さんだったらしいわ」

「神社か──」

 ロイがうなる。

 すごいの、とエマは身を乗り出した。

「高千穂神社。ああいう大きなところって氏子さんなんかとらないと思ってたけど、そうじゃないのね」

「墓はどこにあるんです。神社に墓は置かないでしょ」

「高千穂町ってのは複数の村が合併されて出来たとこでね。その村で共同墓地ってのがあったんですよ。おれが生きてるうちは、そこに墓があったと記憶してますが──きのうエマが墓地を調べていておどろきました。いまじゃ町で墓地経営までしてやがるのかと」

「ああ、なるほどね。……」

 もしかすると響家の縁者が時代を鑑みて、共同墓地から公営民間どちらかの霊園に墓を移した可能性もある、というのだ。

 無論、響家に縁者がいればの話だが。

「高千穂についたらまずは菩提寺からと思っていたけど、そういうことならまずはやっぱり響さんのご実家に行くべきみたいですね。住所も、変わってなきゃいいけど」

「高千穂町は戦後にいろいろ合併してるみたい。頼みの綱は銀也さんの記憶だけね」

「行けそうですか」

「高千穂にしっかり住んでいたのは六歳までだからなァ。まあでも、神社から実家までなら目をつぶってでも帰れますよ」

 と、めずらしく茶目っ気の含んだ笑みを浮かべる響。エマはキャッとよろこんだ。

 六時三十分発、宮崎空港へお越しのお客様──というアナウンスののち、搭乗口が開かれる。まもなく一行は、響の生まれ故郷となる高千穂へと旅立った。

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