第9話 ひとごろし

 波間をぬって定期船が走る。走る。

「面舵ィ、いっぱーい」

 船頭をつとめる小此木実おこのぎみのるは同期だ。入社当初からウマが合って、互いに本社配属となってからはよくつるんでいた仲である。

 だれにも言うなと父に言われた『一文字の秘密』についても、彼にだけはぽろりと溢したこともある。

 あるとき突然、彼がこの定期船の船頭へ異動希望を出してからは、ぱったりと会わなくなっていた。ゆえに今日はおよそ十年ぶりの再会だ。

 うれしくて、真司は彼の日に焼けた太腕を叩いた。

「すっかりサマになったな、小此木」

「いったいいつの話をしてんだ。もうここ配属になって十年は経つぜ」

「つってもまったく会わなかったんだもんよ。異動してから酒に誘っても全然乗ってこねえし──気が付きゃすっかりジジイになっちまったい」

「お前は変わらないな。ほんとに、なんにも」

「よせやい。老けたろ?」

「もともと老け顔だろ。年齢が追い付いた」

「このやろ~」

 と、いい年をして喧々囂々けんけんごうごうとじゃれ合う親父ふたりを、同乗する一文字彰は興味深げに観察する。

 ふたりってそんな仲良しだったの、と半笑いで突っ込むと、小此木は豪快にわらった。

(ん?)

 面識あったのか、とふたりを見比べる。

 彼が入社したのは五年前。小此木が異動したのは十年前だから、本社での面識はそうないはずである。

 しかし思い返すと、彰は乗船時から妙に小此木に対して馴れ馴れしかった。もともと他人に対してフランクな性格ではあるが、まるで旧知の仲とも言いたげに。──そういえばこの定期船船頭についても、一番に小此木を指定していたっけ。

 実はさ、と彰は人懐こい笑みを浮かべた。

「小此木がうちに出入りしてたことがあったんすよ。船頭になってすぐのころだったよな」

「なんで?」

「お前も知ってるだろ倉田。十年くらい前から月に一度、視察団が出るようになったこと。その専任の船頭を選出するにあたって、倉田常務が俺を推薦してくれたんだ。もともとお前と仲良かったから面識もあったしさ」

「ああ。へえ──それで?」

「それから、東南東小島についてのアレコレを聞いたわけだ。ま、お前から聞いてた話とほぼおんなじだったよ。とある秘密が眠ってる、それは一文字家最大の恥であり、一切の他言は無用だ──って」

「おれも。肝心なところはあやふやに濁されるんだよなぁ。あれたぶん、ばばあたちも実はそんなに知らねえんじゃね?」

 彰がクッとわらった。

 まもなく東南東小島北端の船着き場が見える。しかし船はそのまま島の周囲をめぐるように走りつづけた。

(なつかしいな)

 高校生のころ、父の操縦で訪れたあの日を思い出す。

(島に隠されているのは、恥だけじゃない)

 手がかすかにふるえる。

 あの島には、数多の秘密が眠っている。このふたりはもちろんのこと、おそらくは一文字家の中枢すら知らないことも。

 かつて、あの厳格な父が泣きながら見せてくれたもうひとつの秘密。この先もそれをひとり背負い続ける覚悟は出来ていたが、今回"一文字家の恥"が、なんらかのワケあって漏れ出てしまった。

 こうなった以上、もはや終わらせる時がきたのかもしれない。"恥"も、──七十年ものあいだ『眠りつづける軍人たち』も。

「よん、よん、はち、さん──」

 ぽつりとつぶやいたのを最後に。

 真司はそれから島に上陸するときまで、一言もことばを発することはなかった。


 ※

 戦中当時から使用されていたという波止場に定期船が停まる。忌まわしきのちょうど真裏──いや、構造的にはこちらが正面か。扉にかけられた太い鎖と錠前が、物々しさを増す。

 船から下りたのは真司と彰だけだった。

 小此木はあくまでも運び屋にすぎないからである。

(また来ちまったい)

 真司の目が歪んだ。

 周囲に群生する背高泡立草を一瞥して、正面扉へ近付く。うしろからひょこひょことついてくる彰が、ひょお、と興奮したようすで錠前を覗き込んだ。

「ここから先は初めてだ。真司さんはある?」

「……四十年近くむかしに一度だけ」

「ご感想は?」

「相変わらず胸糞悪ィな、ってとこかな」

「ハッハッ。どーかん同感

 めずらしく、彰が暗い顔で口を閉じる。

 この張り詰めた緊張感を全身で感じているのだ。初見じゃない真司ですら、圧倒されて立ち尽くす。

 ポケットから鍵を取り出して錠前を開けた。鎖がガチャンと地に落ちる。もうもうと立ちのぼる砂ぼこりが、鎖の重さを示していた。

「専務」

 と、彰の肩を引き寄せる。

「ここから先、頼むからそばを離れないように。大声もなしだ。該当社員の焼却が完了次第、ただちに退避する。いいな」

「……分かったよ。真司さん」

 彰は神妙にうなずいた。


 ────。

 扉の奥は、薄暗い。

 このには窓がなく、中まで太陽光は届かない。昼間だというのに月のない夜なかへ来てしまったように錯覚する。

 ひんやりと冷たい空気が、腕を這う。振り払うように懐中電灯の明かりをつけた。広範囲を照らすことができる最新式だ。となりでホッと息を吐く気配がした。

「怖いか」

「真司さんがいるんで、平気っす」

 と、言うわりに彼は腰が引けている。

 どうやらホラーは苦手らしい。自分も特段得意なわけじゃないが、これより先に待ち受ける絶望を思えば、たいした恐怖ではなかった。

 管。管。管。

 明かりを照らす先、蜘蛛の巣のごとく管が張り巡らされている。少しでも明かりから目を離すとつまずいて転んでしまいそうなほどに。

 案の定、彰がバランスを崩す。

「あだっ。焼却室ってどこ──イデェッ。ったく、暗いし入り組んでるしでわかんねえ!」

「まわりのものにベタベタ触るな。俺の背中だけを見てついてこい」

「かっこいー……」

「そこの階段をあがる」

 と、真司が照らす明かりの先。管の道を避けた左の端に細い階段が上に伸びているのがわかる。おそろしく急傾斜だ。勇ましく階段をあがる真司に対して、彰はおっかなびっくりついていった。


 扉にたどりつく。

 ちいさなダイヤル錠がひとつ。この先からただよいくる物々しさと比較するとずいぶんお粗末だ、と彰がこっそりわらう。

「ここが焼却室らしい。俺も中にはいるのは、初めてだ。……」

「その錠前の解錠の数字はしってんの?」

「よん、よん、はち、さん」

「…………」

「親父がいつも船の上で言ってた。覚えちまった」

 と、真司の指がダイヤルを回す。

 かちり。開錠する。

 取手に巻かれた鎖が地に落ちた。真司はゆっくりと扉を手前に引いた。胸がドクンと大きく脈打つ。扉の先が見えた。


 思ったよりも狭い前室。

 視線を左に向けると、耐熱ガラス越しに階下のようすがよく見える。吹き抜けなのだ。

 この狭い空間には操作スイッチがいくつかある。逆を言えばそれしかない部屋という意味でもある。

「真司さんっ」

 ガラス越しの階下を見下ろし、彰はさけんだ。

 真司もつられて下を覗き込む。人のすがたが見えた。

「……あれは」

 男だ。

 白衣を着て、メガネをかけたふつうの──人間である。彼はだらりと壁を背にもたれていたが、やがて上にこちらの影を見たのだろう。がばりと身を起こして大きく手を振ってきた。

 その形相は鬼気迫るものがある。彰はヒッとガラスから身を離し、真司のうしろに身を隠した。

「あ、あれが焼却対象なんすか──?」

「そう聞いてる」

「でも……」

 彰の言いたいことはわかる。どう見たってふつうの人間だ。

「ていうかおれ、いまだによく理解してないんですよ。感染とか発症とか──単語はよく聞いてきたけど、それがいったいどういう病気なのか。インフルエンザとは違うんですか」

「俺もくわしいことは知らねえって言ったろう」

「でも倉田常務は知っていたんでしょ。一文字をいっさい信じてなかったあの人の事だ、真司さんにだけは伝えていたはずだよ。アンタいったい、どこまで知ってるんです?」

「…………」

 下唇を噛みしめる。

(父から聞いたこと?)

 おもわず真司の手がおのれの尻ポケットに伸びる。錆びた鉄の感触が手に触れた。これは一文字のだれひとり、存在すらも知らない──古びた鍵である。

(俺が知るのはこれだけだ)

 胸がさわぐ。

 階下で手を振る社員を見た。彼はすっかり安堵した顔でこちらに存在をアピールしている。一見すればただの男だ。なんの問題もない、一文字の一社員である。

 けれど──。

「真司さん!」

「アンタは見ない方がいいよ。彰さん」操作盤に手を伸ばす。

 ちょっと、とその手を彰が掴んだ。

「なにする気ですか。まさか本気であの人を焼却するとか言わないよね?」

「それが一文字の命令だからな」

「冗談、そんなもんに屈するあんたじゃないでしょ。倉田常務が聞いたら怒りますよ!」

「お前が親父のなにを知ってるってんだ。……これまでは親父がコレをやってきたんだぜ。あんたの親族に言われてよ」

「…………」

「いいか。この感染症はインフルエンザだのなんだのと抗生剤で治るようなもんじゃねえ。これだけ製薬会社として確立された一文字が、何十年もこうしてコソコソと感染者を隔離する理由を考えたことはあるかい。特効薬もつくらずに焼却なんていう非人道なおこないを続ける理由をよ」

「そ、それは──」

「薬がねえからだ。島民、果ては本土の人間を守る術が、この焼却しかねえからなんだよ。その術でさえ一文字はおのれの手を汚さず倉田に任せてきた。感染源もわからねえ、救う手立てもねえ。そんななかで親父は──数年おきに突如発生する感染者を人知れず燃やしてきたんだッ」

 わずかに感情がこもった。

 彰はほんとうになにも知らなかったのだろう、話を聞いて茫然と立ち尽くしている。彼は一文字の御曹司でこそあれ、この東南東小島の旧棟側には一度も上陸したことがないという。三十をすぎた程度の若造だ、いまだ矍鑠かくしゃくとした一文字玉枝が存命のかぎり、彰に事を話すつもりはなかったのかもしれない。

 彼に非がないことは、分かっている。

 しかしこれまで父が家族にも秘密にしてきた、この薄ら暗い仕事を思えば、やるせない気持ちになるも仕方ない。真司はいま一度、階下でこちらに手を振る感染者を見た。

 目が合った。すぐに逸らす。さすがに瞳をかち合わせたままこの機器をいじる勇気は、真司にはなかった。

「真司さん……」

「これより焼却を開始する。設定温度は千八百──焼却時間は二時間」

「ま、マジで──」

「イヤなら外に出て小此木のもとに戻ってろ。俺は焼けたのを見届けてから行くから」

「…………」

 焼却装置を作動させる。

 階下の部屋にたちまち炎がたちこめた。社員は叫喚し、すこしでも炎を避けようと部屋の隅へと駆けた。しかし炎は四隅から吹き出され、部屋に避ける空間などありはしない。炎にまみれた男は、必死にこちらへ手を伸ばす。

 叫ぶ。わめく。

「     」

 社員のくちびるがものを語った。

 遠くぼやけ、声も届かぬはずのそのことばが、真司の胸に突き刺さる。

(ひと、ごろし)

 ──ひとごろし。

 ──人殺し!


 にぎった拳が、空虚な壁を力なく叩いた。

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