倉田真司

第8話 呼び出し

『東南東小島支部にて、発症者確認』

 平成二十七年二月。

 東南東小島支部において感染者発生の由、月に一度の視察団より報告をうけ、倉田真司は会長である一文字玉枝に呼び出しを食らう。

 くたびれた白い髪をきっちりと束ね、老齢とは思わせぬ伸びた背筋と、眼鏡の奥に覗くしわくちゃの目がこちらに威圧を放っている。

 緊急事態です、と彼女はつぶやいた。

「倉田、あなたの父上がやっていた仕事ですよ」

「…………」

「来月よりあなたを東南東小島支部の統括支部長と任命します。さきの役員会で決まりました」

(役員会っていうより家族会議だろ──)

 なんて、口に出したら殺されそうだ。真司は黙ってうなずく。

「やるべきことはお分かりですね。かわいそうですが、該当社員は焼却処分をお願いします。ご家族には相応の手当てを、殉職理由はなんでもかまいません」

「該当社員はいまどこに」

「無論、旧棟の焼却室です。初期症状が一週間ほど前のことだそうですから──そろそろ理性をなくす頃でしょう。腐りきると厄介です、早い対処を。……感染ルートは不明ですからあなたも十分お気をつけなさい」

「……承知、しました」

 深く頭を下げて真司は部屋をあとにする。

 まったく、顔を見るだけで胸がわるくなる。真司はムッとした顔でエレベーターに乗った。乗り合わせた顔見知りの女子社員がギョッとこちらを見るので、あわてて笑顔をつくり挨拶をする。

 目的地は人事課。

 仲のよい人事課長をむんずと連れ出して、喫煙室に引きずり込んだ。入社当初より面倒を見てきたかわいい後輩──佐々木である。

「な、なんすかぁ真司さん!」

「佐々木、てめえいま東南東小島支部の採用やってんだって?」

「えっ、あ、ああ──一般棟の管理人さんが産休入っちゃったんで、その代わりすよ。まあ僕は仕事早いすからすぐに入れられましたけどね」

「あっちの話はきたか」

「あっち?」

「旧棟だよ」

「ああ。ええ、昨日玉枝さんが直々に言ってきたんで、これから求人サイトの手配しようとおもって」

 バッカおめえ、と真司はガラ悪く佐々木の肩を小突いた。

「旧棟にかかわる求人はんなもん使うなって決まりをわすれたか。まして今回のは社内にだって秘密にしてんだろ」

「で、でもいまの時代はもう、ネットで求人出すほかないじゃないすかぁ。倉田常務がお亡くなりになって、人事課もイノベーションしようってなってるんすよ」

「…………なぁにが」

 イノベーションだ、とふたたび彼を小突き、むっすりと押し黙る。なんだかんだで真司を慕う佐々木である。すんません、と頭を掻いた。

「会長からはなんも言われなかったんか」

「はあ。島配属になるから、なるべく家族や身寄りのない身軽な方がいいかもね──とは仰ってましたけど」

「あんのクソばばあ!」

「い、いやちょっと真司さん。玉枝さんに聞かれたら殺されますよ!」

「聞かれねえよ。あのばばあは嫌煙家でいらっしゃるからな、ここには近寄らねえんだ」

「だ、だから吸いもしないくせに喫煙室へ──」

 と、佐々木は乾いた笑いを浮かべる。

 いつも頼もしいこの上司が、これほど荒れ狂うとはめずらしい。なにかよほどのワケでもあるのだろう──と自分なりに納得してうなずいた。

「分かりましたよ、真司さん。お父上である常務の意思を継ぐとおっしゃるんですね」

「べつにそれほど立派なもんじゃねえけどよ。でもな、親父が反対していたのにはきちんと理由があるんだ。その懸念理由がなくならん以上、イノベーションは後回しにしてもらうほかねえ」

「……はあ。でも玉枝さんに頼まれちまった以上は、だれも捕まりませんでしたァなんて報告できませんからね。ましてこれまで庇ってくれた常務はもういらっしゃらないんですから。人事課長として、どうにかしてでも人はとりますよ」

「…………」

 それは、佐々木の言うとおりだ。

 これまで一文字を差し置いて人事権を掌握していた父はもういない。その息子である自分も当然一文字家から腫れ物のように扱われ、案の定此度の異動につながった。

 いまさら人事を止めることは不可能なのだ。

「わかった。その代わり業務契約の説明は俺にやらせろ」

「え、えーっ。真司さんが絡んだら玉枝さんなんか言いそうじゃないすかァ」

「心配すんな。ちゃんと理由はある」

「え?」

「来月から東南東小島統括支部長ってなァどえれえ肩書きいただいちまったもんでな。ま、つまりは俺の部下になるヤツってことだから、俺が面接しようがかまわんだろ」

 と、言うと佐々木はワッと情けない顔でこちらの腕を掴んだ。まったく、歳は三十も半ばだというに恐ろしいほどの童顔からか、いまだに若手社員にしか見えない。

 なんだよ、と鬱陶しげに眉をひそめるも、佐々木は気にしない。

「真司さん島に行っちゃうんすか。いやっすよマジで心細いじゃないすかァ」

「人事課長のいう言葉か、それが」

「しかも自分、人事課長なのにそれ聞いてねえし。マジで東南東小島支部絡んでくると途端に指示系統メチャクチャっすよね」

「そうだろ。そうなんだよ。……あの島は」

 と言いかけて苦笑を漏らす。佐々木の肩をやさしく叩いた。

 あの島は──。

 これより先は、言葉にしようにもならなかった。だからキョトンとした顔で言葉を待つ佐々木に「たのむぜ」と一言だけ放つと、先に喫煙室を出た。

 並びにある給湯室にて、備え付けの紙コップへポットのお湯を注ぐ。湯気がたつ。

 ──該当社員は焼却処分をお願いします。

 玉枝の言葉がよみがえる。

(とうとう来ちまったよ、親父)

 唇を噛み締めて、真司は焼けるような熱さの湯を喉に流し込んだ。


 ※

「真司さん」

 と肩を叩かれたのは、男子トイレに入ったときである。聞き覚えのある声に、真司は一瞬鼻頭にシワを寄せる。

 社員のみなが名前で呼ぶのは、これまで倉田文彦という常務の父がいたからだ。自然に寄った眉をほぐして、真司が振り向く。

「どうも専務。クソしに来たんですか」

「ハッハッ! アンタくらいよ。おれにそんな口叩くの」

「わるいね、口が悪くて」

「いやいや嬉しいですよ。なんたっておれ社内に友だちいないから。けっこう孤独なのよ、親の七光りってだけで若くして専務なんかになると」

 と、わらうのは一文字彰いちもんじあきら。一文字家の跡取りで、他の民間企業から転職入社後わずか五年にして専務という役職をもらった、典型的な七光りである。

 彼のいいところはそれを自覚していることだろうか。とはいえ経営能力がないわけでもなく、旧態依然とした会社経営に疑問を持つ、一文字家のなかでは異色の存在でもある。

 なぜか彼の入社当初から、真司は彼に懐かれていた。

「東南東小島統括支部長ですってね」

「ああ、どうも。家族会議でお決めになられたそうで」

「ハッハッ。そうそう、それうちのばばあに言った?」

「言うわけないでしょ。首ハネられちまう」

「おれは反対したんですよ。真司さんが本社からいなくなるのは寂しいからヤダってさ。でもあの鉄仮面のことは説得できなかったわ」

「説得したいならもうちょっとマシな理由考えてくれよ──」

 ズボンをくつろがせ、用を足す。

 となりで喋りつづける彰はその気配がない。わざわざ真司に声をかけるためだけにトイレへ入ってきたらしい。

「そういや聞きましたぜ真司さん。とうとうアレ、焼却するって?」

「ああ──」モノをしまってチャックをあげた。

「仰せつかったな。ばばあに」

「決行は?」

「いや、まだ決めてないけど。直近三日以内には施行しないとまずいだろな」

「おれも行っていい?」

「え、イヤだよ。一文字の坊っちゃんになにかあったら俺の責任になるでしょ」

 水で洗った手の滴をピッと彼の顔に飛ばす。

 しかし彼はうれしそうに詰め寄ってきた。若々しい笑みである。たしかこの七光りも、年齢はまだ三十路をすこし過ぎた程度だったか。

「大丈夫。ぜったいアンタから離れないから」

「はあ?」

「アンタについてたら間違いないって、入社したときからいろんなヤツに言われてきたんですよ。絶対余計なことしないから……だってズルいじゃん。ばばあたちはアレを実際見たことがあるわけだけど、一文字家なのにおれはまだ見たことないんだもん。アンタもでしょ真司さん」

「…………」

「焼却立ち会いさせてくださいよ。うちの先祖がどれだけ愚かだったのかをこの目で見たいんだ。あの小島に隠された秘密も、さ」

 廊下の外で声がする。

 真司はすばやく彼を引き寄せて、分かりましたよ、と声をひそめた。

「──でも、なにが起きたって不思議じゃない。あんたの言うとおり俺だって見たことないんだ、だからなにが起きても対処のしようもない。それだけは忘れないように」

「はーい」

「…………」

 絶対わかってない。

 とは思ったが、これ以上話しても埒はあかない。あとは実際に現場を見てからだ。

「じゃああとは日付だけど」

「もちろんアンタに合わせるよ、専務」

「定期の船頭が小此木の日がいいな──直近だと明後日。予定は?」

「この任務より優先すべき予定があるとでも? 明後日の夕便はどうだよ」

「ハッハッ。了解しました」

 ポン、と肩を叩かれる。

 トイレから一歩出たところで彰はひっそりと笑い、専務室の方へと歩いていった。

(気が重いなぁ──ちくしょう)

 真司はボリボリと頭を掻く。

 

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