第10話 反旗
二時間後。
対象が跡形もなく消え去ったことを確認し、真司が部屋を出る。途中で退席した彰は、意外にも部屋の外で膝を抱えていた。
いつものおちゃらけた様子はなく、部屋から出てきた真司に肩を揺らして立ち上がる。
「し、真司さん──」
「なんだ。とっくに逃げ帰ったかと思ってた」
「……と、おもったけど。ひとりで戻るのも怖いから待ってた。それより、骨あげなんかはするんですか」
「あげる骨も残ってねえよ」
と、扉に錠をかける。
ぐるぐると適当に数字を回して、いまいちど開かないことを確認してから、面の狭い階段を慎重に降りる。
彰は行きと変わってすっかりおとなしかった。
箱から出るまで、一声も発さず真司のうしろをついてきた。お坊ちゃんのことだ、これまで世の中のきれいなものだけを見てきただけに、ショックも大きいのだろう。真司はひとり自嘲する。
がちゃん。
太い鎖をふたたび錠前でつなぐ。真司は、群生する背高泡立草を一瞥して彰に小此木のもとへ戻るよう伝えた。
「え」
と、一瞬戸惑った声を出す。
とはいえ彼も疲れていたらしい。すんなりうなずいてもどっていった。真司は尻ポケットに手を伸ばす。
──一昨年の冬、一文字正蔵が死んだ。
背高泡立草をかき分けた先、人目につかぬ敷鉄板を外す。ひんやりとした空気を顔に受け、真司は中へと身を入れた。
(親父は一文字正蔵に飼い殺されていた。一文字家以外でゆいいつくわしい話を知っていたために、つねに監視の目があって、なんにも出来やしなかった。でも俺は違う)
尻ポケットの錆びた鉄鍵で開錠。扉を開ける。
(諸悪の根元が死んだいま、倉田は反旗を翻す。親父の願いはただひとつだ)
先に見える無機質な部屋。
四つのベッドに横たわる四人の男が、冷えた空気のなかを死んだようにねむっている。ここに来たのは高校生以来だったか。
作業台に置かれた一冊のノートを手に取った。
(彼らの夏を終わらせること──)
表紙を、めくる。
前書きには見慣れた父の字が綴られていた。
"井塚分隊長の意志を継ぐ"
(…………)
中は、父と異なる筆跡のちいさな文字が、びっしりと一頁を埋めた。筆者については、父が尊敬していた井塚という上司だと、以前話に聞いたことがある。
これを見るのも高校生以来だ。
当時は関係ないこととろくに目も通さなかったものだが、父が死んだいま、もはや逃げるわけにもゆくまい。
学生時代に培った速読術を駆使して、分厚いノートへ目を通す。
死なない兵隊の研究。
眠る軍人の目的。
感染の兆候。……
(リアルバイオハザードじゃねえか。──)
戦後、一文字社に入社した井塚がこと細かく見てきた記録は、三流映画の脚本のように現実味がなかった。
(死なない兵隊の研究、そういや親父が言ってたっけ。……感染の兆候について。初期症状における顔面は蒼色、食の細い人間でも大食漢となり、日の光を浴びると皮膚がただれる──これはいったいなんなんだ。細菌か。ウイルス?)
書かれている内容は初めて知ることも多い。
あまりのことに、読了後は一本の映画を見たような感覚に陥った。それもひどく胸がわるくなる、最悪のシナリオだ。
(でもこれの)
眠る軍人を見る。
(残された理由は書いてない。『彼に聞け』──それだけ)
彼、とは。
(親父はこのなかのひとりだけ、名前を教えてくれたっけな。たしかこの人。……)
ひとりの男に手を伸ばす。そのときだった。
「真司さんッ」
と。
突如うしろから声がした。あわてて振り返る。一文字彰が立っているではないか。
「な、なにしてる」
「あ──」
なにか様子が変だ。
襟が乱れ、顔色がよくない。もっとも、この部屋を初見で平静を保つのもむずかしいだろうが。
「……真司さん、遅いから。なにかあったのかとおもって。その、これは」
「…………」
真司はとっさにノートを隠す。
しかし彼の目線はすでに、ベッドに横たわる軍人たちへと向けられていた。
(くそ)
チッと舌打ちする。
いくら彰が一文字家に対して懐疑的だとしても、所詮はそこの坊やである。父が守ってきたこの秘密が知られるわけにはいかなかったのだが──。
ノートを見られずとも、この軍人たちの姿を見られたら下手な言い訳など通らない。真司はぐっと彰の背を押して、部屋から追い出した。
「ち、ちょっと真司さん!」
「どうやってここが? あとをつけてきたのか」
「す、すんません──でもホントに、一度はお、小此木さんのとこへ戻ったんだよ。でも……そのいくら待っても来ないからなにかあったんじゃないかっておもって、それで」
「……ああ、いや。そうか」
無理もない。
あれほどショッキングなものを見たあとで、闇を抱えた人間が音沙汰なければ不安にもなるだろう。真司はガシガシと頭を掻いた。
「一文字家のだれも知らねえ場所だ。あそこに眠る軍人たちも、いまはもうこの世で俺しか知らねえはずだった」
「倉田常務がずっと隠してたってことですか。一文字家の人間から?」
「そうだ」
「なんのために」
「彼らが……この悪夢を終らせられる、唯一の存在だからだ。もっとも俺だって、ついいましがたそれを知ったわけだが」
「さっき読んでたノートで?」
「…………」
いったいどこから見ていやがったのか。
気付かぬ自分も、よほど読みふけっていたらしい。
気まずさに顔をしかめると、彰は意外にもにっこり笑った。
「おれには隠さないでくださいよ、水くさい! おれだって、前々から一文字のやり方は気に食わないと思ってたんだ。今日のことでさらにその気持ちが強くなったよ。な、おれと組みません?」
「組む?」
「アンタは倉田としてやるべきことがあるんだろ、おれは一文字の目をアンタからそらすように動くんだ。いったいどんなワケがあるのか知らないけど、……真司さんが命懸けるってんなら、よっぽどのことなんだろうし。新人の頃から世話焼いてもらったんだ。こういう時くらい手伝わせてよ」
「…………」
ずいぶんと必死な様子の彼に、真司は反対する気も失せた。
誰であれ、巻き込むべきじゃないと思っていたが、ここまで見られてしまったのならばもはや同じこと。真司はこめかみを抑えて沈黙し、うなずく。
「どうせここまで見られちまったんだ、しょうがない。ここのこと、小此木には知られてねえよな?」
「──ええ、もちろん。ていうか、あの人にも秘密にしてるんですか」
「船頭になってから一文字家と近いだろ。いくら同期でも、裏切られんともかぎらん。信用しきっちゃあぶねえからな」
ノートを片手に部屋の鍵を締める。
ふうん、と彰がつぶやくので真司はなんだよと眉をしかめた。
「さっきから歯切れが悪ィな、専務」
「あいや。なんかもっとズブズブの関係なのかと邪推しちまってました」
「俺と小此木が?」
ズブズブの関係、とはつまりどういう意味か。問うまでもなく彼の顔色を見れば明らかだった。どうやら男色関係を疑っていたらしい。
だって、と彰はあわてて言った。
「真司さんさっき寝てる男の人になんかしようとしてたし、──」
「なんでだよ、俺には奥さんも子どももいるだろ。小此木だって、あいつはあれ昔から稀に見る女好きだぜ」
「そうですか」
と言ったところで地上に出た。
敷鉄板を戻して、隠すように左右に避けた背高泡立草の背筋を寄せる。身を隠すように屈んで歩き、草むらを抜け出した。
外はすっかり日が暮れている。
「そうですかって──お前さんそんなに人をゲイ扱いしたいのか」
「ち、ちがいますよ。そうじゃなくて」
彰がさけぶ。
すると遠くから、小此木がこちらに手を振るのが見えた。となりで彰の肩がわずかに揺れた。
おいおい、と小此木が駆けてくる。
「ずいぶん遅かったじゃねえか。なにかあったか?」
「いいや。任務は無事遂行したよ」
「ったく、やんなっちまうな。倉田ってだけでお前がそんな荷を背負いこむことになるんだから──」
「ほかのだれかにやらせるわけにいかんだろ、こんなこと。とはいえ息子に継ぐのも勘弁だから、早いとこ片をつけねえといけねえな」
「片をつけるって、なにか策でもあんのか」
という小此木に、真司はうっそりと笑みを浮かべて黙った。先ほど手に入れたノートの存在は、一文字家に近い者に知られるわけにはいかない。
おそらくはこのノートが、この悪夢を終らせる唯一の手がかりとなるだろうから。
「策なんかねえさ。まあでも、なんとかやってみせる」
「相変わらず適当な野郎だ」
クク、とわらう小此木が船を起動させる。
その時。
彰のからだがぐらりと倒れた。
「おい!」
真司があわてて駆け寄り、その身を支える。ショッキングなことが続いたためか──と思ったが、彼の顔色を見てその思考は消えた。
どうした倉田、と操縦席から小此木の声がする。
「専務は大丈夫かァ」
「おまえ、彰────顔が」
「……────しんじさ」
「顔が蒼いぞ、おまえ。……」
真司の脳裏にノートに書かれた文言がよぎる。
(感染の兆候について。初期症状における、顔面は。…………)
真司さん、と白いくちびるを震わせて、彼はにやりとわらった。
「俺なんかすごく腹減った──なんかない?」
平成二十七年二月。
一文字家嫡男、彰の感染が発覚。
直後、小此木の提案をもとに、彼への処置は焼却室内への隔離に留めることとなる。
※
平成二十七年三月。
人事課長佐々木より連絡を受け、朝から東南東小島を出て本社へ向かう。
(『旧棟配属に適した人材を見つけた』──か。適しているかどうかは会ってみねえとわからねえが)
真司の腹には、一物抱えたものがある。
(信用できそうなヤツなら切り込むのもありだな)
佐々木から来たメールには『世捨て人のような男性』とだけ記載されていた。人事課長ともあろう者が書くとは思えぬ文言だったが、真司にとっては都合のよいことばでもある。
(世捨て人ってんなら、それなりの人生経験があるだろう。多少の無茶も聞いてくれそうだ)
さあ、だれがくる。
真司は扉に手をかけた。
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