保坂ロイ

第5話 契約

 学生時代、世間の目を通した保坂ロイは、無口な王子様だった。

 『王子様』という形容は、イギリス人の父から受け継いだ容姿からきた。きらきらと輝く栗色の髪に、透明感のある白い肌。鼻筋はすっきりと通って、セクシーに吊り上がった大きな瞳は透き通るような暗いグレーを帯びる。

 下がった眉尻がアンニュイさを引き立てて、ひねくれた性格もまたクールだと囃された。

 ──けれどロイは、その視線が心底嫌いだった。

 高校卒業間近に両親を事故で亡くすと、八つ下の妹は人のよい伯父母のもとへ引き取られた。当然ロイも声はかかっていたが、妹のために使ってくれ、と大学進学資金を渡し、単身遠くの町へ引っ越すことを決める。


 現代では誰もが知る一流企業──『一文字社』に声をかけられたのは、フリーター生活も堂に入った二十六歳、熱海にある民宿のアルバイトを始めて二年ほど経った頃のことだ。

 一文字、と聞けばたいていの大人は「良いところに入った」と称賛する。

 第二次世界大戦中、科学技術発展のために莫大な資金を投資し、現代までに医療・新薬研究の部門において非常に高い優位性を持つグループ会社で、今では中堅の財閥レベルにまで発展を遂げている。

 会社への誘いは、その一文字グループの中核会社に勤めるという宿泊客からだった。語られた仕事内容はぼんやりしていたが、報酬がよかったのでロイは二つ返事で承諾する。

 それが、平成二十七年三月のことである。


 ※

「なんてこったい」

 とは、後日会した契約締結担当者が、ロイの顔を見るなり上げた声である。

 スカウトしてきた男とは別人だった。契約書の内容に目を通していたロイが顔をあげる。

「いまの、どういうリアクション?」

 と。

 小生意気な口調に、気を悪くするでもなく対面のソファにどかりと座る。ロマンスグレーの短髪と凛々しい眉、優しげな垂れ目の顔は、いかにも女性に好かれそうな面立ちである。

「いやァ──あんな怪しいスカウト内容で、いったいどんな奴が釣れたんだと思って来てみりゃ。前途華やかそうな青年がいらっしゃるんでびっくりしたんだよ。わるかったな。契約担当の倉田真司くらたしんじです、どうも」

 男が名刺を出した。

 口を開くとモテなさそうだ、とロイはひそかにおもった。


 今回の業務契約は、一文字社内でもトップシークレットであるらしい。数少ない関係者の中から、契約担当に倉田が選ばれた──というよりは立候補した──とのことだった。

「保坂ロイです、どうも。……つっても契約書の内容は、いうほどわるくないけど」

 一枚めくる。

 倉田はこまった顔で、控えの契約書を仰ぎ見た。

「そりゃあ契約書はざっくりとしか書いてねえもん。スカウトした奴はくわしく知らねえから、君みたいなの引っ張ってきちゃったんだろうけどよ──誘ってなんだが、正直なところあんまりおすすめできねえな」

「この歳でいまだにフリーターなのに、前途華やかもなにもないでしょう」

「やろうと思えばなんだって出来る。とくに君のような子はな。……とにかく俺の話を聞いて、少しでも嫌だと思ったらサインをせずに帰りなさい」

 と、男は眉頭をおさえた。

 契約担当らしからぬ発言に口角があがる。

「どうおすすめできないのか教えてくれなきゃ──判断のしようがないですね」

「前任者が、二年間で三人死んだ」

「…………」

 倉田は、持ち込んだ缶コーヒーのプルタブに指をかけた。

「もっとも、五十年以上も前の話だけど」

「──今はだれが」

「誰もやっていない。三人目の死者を最後に、そこへの配属自体がなくなったからな」

 と、口元を歪めて缶コーヒーをあおる。

 ロイは上唇をなめた。

「仕事内容は?」

「──死亡した三人の前の担当者が、大層な引継書を残してくれた。その内容をもとに、島の秩序を守るお仕事だよ」

「……意味深に旨いスカウトがきたと思ったら、案の定──裏があったわけね」

 挑発的にわらったロイに、倉田もつられてにがっぽくわらう。

「嫌ならいいんだ。俺も、君にはもっと明るい仕事をしてほしいと思うよ」

「だれも嫌とは言ってない。やりますよ」

 とロイは契約書をめくり、ボールペンを手に取った。

 こんな口ばかりきく性格だから、大体雇用主と喧嘩になって長続きする仕事はなかった。だからというわけではないけれど、できることならばやる、という気概がロイにはある。

「その引継書の内容に書かれた仕事ってのが楽なモンであることを願います」

「仕事は楽だよ。プレッシャーがかかるってだけでそう時間はかからない。──いや、あの棟に配属者が出た以上、時間はかけるべきじゃない」

「…………」

 ロイが首を傾げた。視線がするどく尖る。

 倉田は軽く咳払いをして飲み干した缶をゴミ箱に捨てた。ざっくりいうと、と前置きして、彼は前に体重を乗せる。

「君には、一文字社所有の島に赴任してもらう。製薬会社らしく研究開発専用に島を買い取ってな、研究者がそこに出向しているんだけども──その島のひとつの建物。そこの警備員として配属したいとおもってる」

「警備員?」

 それで三人の死亡者が出たのか、とロイは片方の眉をつり上げた。いまいち話が見えない。が、倉田は苦虫を噛み潰したような顔でうなずいた。

「立入禁止の建物なんだ。あの島には、研究者の家族も住んでいて、一見すりゃあふつうの暮らしなんだけれど──ただその建物だけが、異質でね。子どもが万一入らんとも限らないってことで」

「なるほど。それで警備、──ね」

 ロイはうなずいた。

 仕事内容は、彼のいったとおり難しいものではなさそうだ。気がかりなのは前任者の末路だが、とはいえいまのロイにとって、おのれの命に執着もない。

 やりますよ、と。

 また軽く言い放ったロイに、倉田は奇妙な顔をしたが、やがて乱暴に手をとり握手した。

「──君がいいなら契約成立だ。ありがとう」

「こちらこそ」

 互いに契約書へ署名捺印をする。倉田はふたたび契約書に目を落とした。

「ちなみにその島、俺もいま単身赴任で住んでいるんだ。赴任したのは最近なんだけどもね」

「へえ。そりゃ心強いな」

「まあな──あらためて案内する日もつくるから、くわしい話もそのときに……ま、いろいろと深い付き合いになるだろうからさ、仲良くしようや」

 意味深な言い回しである。

 印鑑についた朱肉をティッシュで拭き取るロイが、その意味についてたずねようとしたとき、彼はアッと声をあげた。

「そうだ、船舶免許も取ってもらわんと」

「は?」

「一級小型船舶操縦士。知らない?」

「いや、知っちゃいるけど──俺が?」

「そうだよ。なんてったって君の仕事、クルージングボートの操縦は必須だから」

「…………警備だろ?」

「そうだけど。もしかしてもう持ってる?」

「わけない」

「大丈夫、だいじょうぶ。一週間もかからずにとれるんだって」

 からりと笑った男に、ロイは思わず閉口する。

「君が免許を取ったら配属先の島へ案内するから、連絡してくれ」

「…………」

 少しだけ後悔の念がよぎる。

 倉田は、こちらの沈んだ顔に気づいたかパンと手を叩いて笑った。

「さて、ここまでが一文字社員として人事から委託された俺の仕事。ここからは君を見込んでの個人的なお仕事の話をしたい」

 突然まじめな顔をして、ロイを見つめた。

「保坂くん」

「はい」

「──君、ゾンビ映画は得意?」


 ────。

 言葉の真意を知ったのは、およそ三週間後。

 免許を取得したロイが倉田とともに、島と本土をつなぐ定期船に乗り込んでからだった。

 あの日は、

 ──ゾンビ映画?

 と、聞き返すや倉田は「やっぱりこれも今度話すよ」と話題をぶった切ってしまったのである。


 いま、水飛沫を高くあげた定期船は沖合いに向かって走っている。風を浴びたら肌寒くて、ロイは早々に船室へと引っ込んだ。倉田は革張りの椅子に座って島の地図を眺めている。

 こちらに気が付くや、

「これやるよ」

 と地図を掲げた。

「周囲十五キロほどの小さな島だ。この定期船は朝昼夕と動いてる。学校なんかないんで、子どもたちはこの定期船に乗って本土の学校に通ってるんだ。あとは物資輸送で動くこともあるかな」

「へえ」

「島の名前は東南東小島。俺は東南東小島統括支部長ってたいそうな肩書きをもらって、先月赴任したんだ。だからまだ、それほど馴染んでいるわけじゃない」

 意外とお偉いさんだったのか、とロイは内心でおどろいた。見た目じゃまるでそうは見えない。

 正直なところ、と倉田はつづけた。

「今回の雇用について俺は反対してた。かつて死亡者が出たところに、また人を入れるなんざおかしいってよ」

「なにかきっかけが?」

「人事権を強く持っていた社の重鎮が死んだんだ。なんてこたねえ、もう年だったし心臓もわるかったから」

「…………」

「その人が、島の、あの旧棟にはだれも近付かせちゃならねえってずっと言ってたんだ。だからこれまでだれも配備されることはなかったんだが、ここ最近で事情が変わった」

「というと?」ロイは地図を見る。

 倉田の顔が暗くなった。

「はっきり言えなくてわるいんだが、この件に関しちゃ実際に見てもらわなきゃ説明が難しい。それに、……」

「それに?」

 ロイはせっついた。

 どうにも歯切れのわるい上司である。しかし彼もまた部下の追及に覚悟を決めたか、身を屈め、鞄から古びた一冊のノートを取り出した。かなり古いものらしく、ところどころ茶色く変色して、匂いもどこかすえている。

「七十年ほど前の前任者が残したノートだ。膨大な引継事項がまとめられている。前任者の名は、井塚憲広いづかのりひろ──彼は戦中当時、俺の父の上官だったらしい」

「なんだそれ」

 ロイがつぶやいた。

 倉田は苦笑する。

「俺がこの会社にいる所以だよ。彼が父の上司だったからこそ俺はいまここにいるんだ。というのも、父はこの井塚って人をずいぶん慕っていて、この会社に入社したのも彼がいたかららしい。ほら、人事権をもった人の話をしたろう。それが俺の父だよ」

「ああ」

「井塚さんも父のことは信頼していたみたいで──とある任務を任せたんだ。ま、結局父もそれを遂行しきれなかったおかげで、俺はいまここにいるわけだけども」

「その、井塚さんの後任者が、前に言っていた三人ってことか」

「ああ」

「──どうして死んだ?」

「…………」

 倉田は、それには答えずに真剣な顔でロイを見る。また焦らすのか、と批判的な目を向けると、彼は困ったようにわらってつぶやいた。

「俺も、聞きかじった話しか知らねえっていうことだけは、理解してくれや。なんせ事の起こりは戦時中だ────」

 長くなるぜと前置きして、彼はゆっくりと話しはじめた。

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