第6話 島支部

 倉田真司の話は、ひどく現実味のない話だった。

 一文字グループの創設者──彼からすべてがはじまった、と彼は初めに言い置いた。

「戦中当時、帝国海軍の軍令部に所属していた一文字正蔵いちもんじしょうぞうという男、彼が創立したのが一文字社と呼ばれるいまの会社だ。彼は当時からかなりの資産家で、個人資産を軍事力強化研究のために投資していたらしい。あくまで人づてなもんで、具体的な数字は知らんが」

「…………」

「彼らの主な研究は、兵隊強化だった」

「兵隊? 武器じゃなく?」

「そう、不死身の兵隊だ」

 倉田の表情が変わった。


「どこの国でも同じような考えは出るもんだ。ただこの一文字正蔵って男は、少々クレイジーな奴だった──らしい」

 あくまで井塚さんの言葉だぜ、とノートをちらつかせる。

「どこからがきっかけだったのか──そこまで詳しくは書いていない。井塚さんは元々帝国陸軍の軍曹で、研究に参加したのは終戦後からみたいだから深いところまでは知らなかったんだろう。ただ、すべてが始まった場所だけは、ノートにも、俺の父の口からも何べんも示された」

 ロイの眉が相槌代わりにピクリと動いた。

「南硫黄島。……硫黄島から約四十マイル南下したところにある、孤高の島だ」

 特段島に詳しいわけじゃない。

 第二次世界大戦当時、激戦が繰り広げられたと伝わる硫黄島は知っているが、近い名前のその島は初耳だった。

「俺もまだ行ったことはないよ。いつかチャンスがあったら向かうつもりだけど──むずかしいかな」

「どうして」

「東京からだと丸一日半かかっちまう。それに南硫黄島はこの定期船くらいの船が停留できるような空間がないんだ。まるで自然要塞のごとく、人の上陸を拒むようにできている。さらに言うとあそこはいま上陸禁止になっちまっていろいろ手続きが大変でよ。そうぱぱっと行けるようなところじゃないのよ」

「…………」

 ロイは、諦めたように首を小さく横に振る。

 西洋風なしぐさが、その見た目にも相まってさらに彼の西洋感を増幅させる。倉田は手中のノートを一枚めくってつづけた。

「で、まあそこでなんらかが起こった。そのってのは、一文字正蔵が目指す『不死身の兵隊』を実現しうる何かだったんだな。だから正蔵は、そのの研究をはじめたんだそうだ」

「肝心なところがなにひとつ分かってないな」

「しょうがねえだろ。井塚さんが遺してくれなかったんだから」

「じゃあやりようがない」

「それが、そうでもない」

 また一枚、めくる。

 そうでもないって、とロイは上唇をなめる。

「じゃあ──なにをやればいいんだ」

「それを聞くためにんだよ」

「は、」

「およそ七十年間──眠っている人を、起こすんだ」


 ※

 東南東小島は、半径十五キロほどのちいさな島である。

 船の停留所に降り立つと、その場で遊んでいた数人の子どもがふしぎそうにこちらを見る。これほど狭い島だ、よそ者が来ることに慣れていないのだろう。案の定、ロイのうしろからのっそりと降り立った倉田真司を見て彼らはパッと笑みを浮かべた。

「倉田のおっちゃんだーッ」

「どうせ向こうで女のひとと遊んできたおっちゃんだァ」

「ブフッ」

 と、鼻を垂らした少年のことばにロイは噴き出した。

 あらぬ疑いをかけられた倉田は、大人げなく顔を真っ赤にして「こらっ」と言い返す。

「ガキのくせに人聞きわりぃこと言ってんじゃねえよ。俺にはちゃんと奥さんがいるの。ちゃんと奥さんのとこに帰ってたの!」

「でも奥さんこわいんでしょ。うちの父ちゃんが言ってたぜ、キョウサイ恐妻をもつ男にはたいてい外に女がいるもんだって」

「ほーう。で? アキラのお母さんはこわい人?」倉田が口角をあげた。

「うん、すげえこわいよ。鬼みたい」少年はあっけらかんと言った。

 倉田とロイが「ぶは」と同時にわらう。

「なるほどな。じゃああとで高橋くんに会ったら『身を滅ぼすおこないはやめろ』と伝えとくよ」

 と、声をふるわせた倉田に、少年はよくわかっていないまま「うん」とさわやかにうなずいた。可哀そうに、高橋クン──とロイはこみ上げるわらいを抑える。おそらくは上司であろうこの男に、いらぬ弱みを握られてしまったようだ。

 その後も、島案内のために巡った要所で、倉田はひとしきり声をかけられた。この島の最高責任者だから当然だろうが、どうもそういう理由でもないらしい。

 よくも悪くも裏表のない性格によって自然と人々の懐に入り、また島民もそれを受け入れたのだろう。いまだわずかな時間しか交流のないロイでさえ、なんとなくその気持ちがわかる気がしている。

 ふたりの足が、ひらけた場所にたどりつく。

「ここだ」

 倉田は建物を見上げて言った。


 ──島の中心には『一般棟』と呼ばれる、東南東小島支部員が勤める建物が存在する。

 先ほど会ったアキラの父も、そこここで日常を過ごす子どもたちの親もみな、このひとつの建物のなかで薬品開発をおこなっているのだという。

「けっこう綺麗だろ。会社も、本島にある支部よりよっぽど気を遣ってるんだよ」

 倉田は得意げにいった。

 一般棟のなかは、都心に建つ高層オフィスと変わらぬ装いだった。製薬会社らしく白を基調としたデザインで、ナチュラルウッドのインテリアが点在する。まるでモデルハウスのようだ。

 なぜここまでするのかと尋ねると、統括支部長は眉を下げる。

「まあ、経営陣の気持ちもわかるよ。ただでさえ孤島配属ってだけで不便な思いをさせているんだから、せめて就業環境だけでも整えてやりたいっていう親心というか、なんというか。そもそもがこの島、一号支部だから。経営陣も思い入れが深いらしくてさ」

「経営陣?」

「まあ、一文字一族だよ。こんだけデカい会社のくせしていまだに一族経営なんだ。笑っちゃうだろ」

「でも──そのなかでアンタの父親も重鎮にいたってんだからすごいじゃん」

 とめずらしく手放しで褒めたロイだったが、倉田はわずかに暗い顔をした。

「親父は戦後、この東南東支部でいろいろ見聞きしちまってたらしいから……深いことは俺にもだれにも話しはしなかったが、そうとう一文字正蔵以下一族から口止めされていたみたいだな。どうせ役員って立場も口止めの一環だったんだろうよ。ま、そんなことも親父が死んでから分かってきたことなんだけど」

「ずいぶんと、薄ら暗い秘密を孕んでるみたいだな。この島」

「あ、でもこの一般棟ではたらく社員はなにも知らないぜ。この東南東小島支部は長くても六年で転勤だし、ここの配属だと手当も厚いから逆に人気なくらいだ」

「なるほどね。子どもの教育を考えて六年、そのあいだ良い環境と手当を与えてこの島に対する懐疑心を生ませないように必死なわけで……つまりそれこそが、一文字一族がこの島の秘密を知ってるってことの証明になるわけだ」

「勘のいい男だな君も」

「ひねくれてるだけですよ」

 と、言ったとき。

 倉田さん、と弾んだ声がした。ロビーの先にある管理室から駆けてきたのはひとりの若い女だった。

「おどろいた。しばらく本社のほうに行くって聞いてたから、いらしてるとおもわなくって。あ、そちらがうわさの新人さん?」

「そうそう、さっそくぼたんちゃんの後輩を連れてきたんだよ。保坂ロイくんってんだ、イギリスとハーフなんだって。なかなかイケメンだろ」

「まあ、どうりでかっこいいと思いました。わたし倉敷ぼたんと申します。つい一ヵ月くらい前にこの一般棟の管理人として採用されて」

 溌溂とした顔でわらう女──倉敷ぼたんは、人懐っこくすり寄ってまじまじとロイを見つめた。かくいうロイは、学生のころの視線がトラウマで女性があまり得意ではない。倉田の手前、無視をするわけにもいかず、ぶっきらぼうにあいさつだけ済まし、むっつりとおし黙る。

 が、倉田もそれを特段咎めることなく、にこやかにぼたんを見た。

「わるいね。いいヤツなんだけど人見知りなのよ」

「あ、ごめんなさい。わたしもむかしっから人と距離が近いって言われるんです。ふふふ」

「ええ~。俺なんかぼたんちゃんならどんだけ近づいてくれても大歓迎だけどなぁ」

「やだ、倉田さんったら奥さんいらっしゃるくせして。すぐそういうことおっしゃるんですから」

「誰にでも言うわけじゃねえよ。それこそ相手が」

 ぼたんちゃんだから──と、彼女を見る倉田のでれっとした顔が見ちゃいられない。ロイはそのわき腹を腕で突き、ちいさくつぶやいた。

「身を滅ぼすおこないはやめましょう」

「…………」

 昼に会った、高橋さんちのアキラくんを思い出したようだ。

 すっかり冷静な顔にもどった倉田はごほんとひとつ咳ばらいをする。

「ま、というのは冗談だけども。この棟の管理人の倉敷ぼたんさんだ。この子も君とおなじで一文字社員ってわけじゃない。あんまり接点はないと思うけど、まあ似た境遇の者同士仲良くしてくれや」

「はあ」

「保坂さんは?」ぼたんが身を寄せてくる。「どちらの配属ですか」

 ロイは露骨に身を離して倉田に視線を移す。そういえばいまだに自分が配属される場所を見ていない。

「旧棟の警備だ。ほら、立入禁止って説明した建物あったろ。最近、あそこに夜な夜な肝試しとかするヤツがいるらしくてなぁ。監視のために俺も見回ってんだけどひとりじゃ手が回らんからさ、まあ子どもも住む島だから安全のためにってことで、保坂くんにもお願いすることになったわけよ」

「まあ、重大任務ですねェ」

「だろ。ゆくゆくは島のパトロールもしてもらいたいとおもってるから、よろしくな」

「は?」

 聞いてねえぞ、とはおもったが、これ以上話をつづけて彼女になにかしら突っ込まれるのも嫌だったので、ぐっと奥歯を噛みしめた。

 ぼたんはコロコロと鈴のような声でわらったが、まもなく来館者を見つけて駆け戻っていった。管理人というだけあって、この建物を出入りする人間すべてをチェックするのが仕事らしい。その健気なうしろ姿を眺めていた倉田が「さて」とこちらに向き直る。

「そろそろ、その旧棟に案内しようかね。保坂くん」

「…………うす」

 意味深に歪んだその笑みに、ロイはただうなずいた。

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