第3話 国守人
※
不思議なことだが、杉崎はあまり汗をかいていなかった。
軍服も、生地は粗悪なものだが、戦帰りというほどくたびれてはいない。汚れや生傷といった身体異常なども外からは見受けられなかった。
とはいえそのままの恰好でいられるとこちらも落ち着かない。せっかくだから、と風呂場に案内をしたついでに箪笥の肥やしになっていた祖父の遺品──着流しを着替えに用意した。
風呂場を見た彼は大はしゃぎだった。
シャワーという文明機器はもちろんのこと、湯張りが自動で行われることにも大層おどろいて、張り終わるまでずっと、浴槽のふちでじっと眺めているほどだった。
また、杉崎が「湯を沸かしたことまわりに伝えなくていいのかい」と聞いてきたときは、その意味が分からずに困惑した。彼の少年時代は、毎日湯張りをするのはぜいたくで、周囲の家々と協力して風呂を貸し借りしていたらしい。
「シャワーもあるし、ほとんどの家が自分の家で風呂に入る」
と答えると、杉崎はまた驚いていた。
たどたどしいながらも入浴を終え、杉崎はふんどし一丁の恰好で居間に戻ってきた。脱衣所が暑くて、着流しを着る気になれなかったらしい。
「いい湯だった。ありがとう!」
と、うれしそうにタオルで拭き上げる彼の身体に目が釘付けになる。
(傷、が)
視線を察したか、杉崎はじぶんの身体を見回した。
「ペ島は酷かったな。普通なら死んどる傷をいくつも食らっちまった」
彼の戦場での活躍は、目覚ましいものだったという。
なによりも、彼の身体に刻まれた傷痕がなによりもそれを証明していた。
「昔聞いた。ペリリュー島は激戦区だったって」
「そうなの? ああそうか、ペ島は司令部とも密に連絡がとれていたから記録に残ってるんだな。けれどペ島に限らず戦争なんてのは、アンガウル、ガダルカナル、ビルマ──みんな激戦を繰り広げたことに変わりはねえよ」
襦袢と着流しを肩にかけたまま、ふんどしひとつの姿で胡坐を組む姿はおよそ軍人には見えないが、身体中の傷痕はひどく目について、戦争の生々しさを再認識させられる。
「いや本当にどこから、どうやって帰ってきたんだろう。俺──だって死にそうだったんだぜ。見ろよこれ、壮観だろうが」
軍曹は、それぞれ身体の部位を指差しながら説明してくれた。
「右腹部と右大腿部に盲管銃創、左肩峰脱臼に加えて左上腕部裂傷、あとは──右腓腹部貫通銃創と、左頸部に軽く裂傷、その他こまごまとした傷や火傷だ。死ぬぜこりゃ」
「…………」
盲管銃創とは、弾丸が貫通せずに体内にとどまる傷のことだと聞いたことがある。
一見、貫通した方が傷は重いように思えるが、そうでもない。体内にとどまるということは、発射された弾丸のエネルギーを体内で全て受け止めるということになる。
身体のなかで、ぎゅるぎゅると弾丸がえぐるようにスピードを落としてゆく様を想像するだけで、私は全身がひやりとした。
「な、なんで生きてるんスか?」
「なっはっは。俺が聞きてえよそんなこと。ここの傷を受けたときはなにかの臓器が手に触れたぜ」
「────」
淡々と語る彼も彼である。
「ぞ、臓器に触れたのに、生きてたんだ」
「人間、生きるも死ぬも気力さね。臓器が見えたって、動いていりゃあまだ生きておるってことだ。生きておるうちは、鬼畜米兵どもをぶっ殺すことができる」
「…………」
目に見えない私の臓器が、身体の中できゅう、と縮こまる。対照的にわははと杉崎が笑うので、私は青い顔で聞いてみる。
「痛くないんスか」
我ながら馬鹿な質問である。案の定、杉崎はさらにゲラゲラと笑った。
「痛ェよ。痛いなんてもんじゃない、何度も気を失った。でも目が覚めるんだからこりゃあまだ死ねないぞ、となるわけだ」
「──でも、動けないじゃん。そんなに傷を負ったら」
「右腕と左足は動かせたよ」
「お腹がいたいじゃん!」
何故か、私の方が蒼白になる。想像しただけで冷や汗が出てきた。なのに杉崎はなにが楽しいのか、いまだにわらっている。
「そうは言っても、ぼやっとしておったら米兵に殺られるんだ。俺は無抵抗に殺されるなんてのは我慢ならねえから、とにかく相討ちで死にたいと思ってたんだよ。傷を受けたときに近くを米兵が通ったら、一瞬だけ死んだふりをする。そしてそいつがひとりなら、銃剣でぶすりだ」
「…………」
「最期は、サクラ、サクラ。俺は死ねなかったがね」
サクラ、サクラ。
ペリリュー島司令部が、玉砕を大本営へ伝えた電文である。
その電文を打ったのち、残ったわずかな兵力で『万歳攻撃』をしかけ、祖国を想い憂いた決死の日本男児たちは、儚くもペリリューの地に散っていった。
「玉砕作戦が敢行されたから、生還した兵士のほとんどが自分の墓標を抜いたろうよ」
きっと宍倉も、と杉崎は愉快そうに肩を揺らす。が、その顔はすぐに悲しげに歪んだ。
「しかし俺の場合は、帰ってきたと思ったら七十年後たァ──これじゃあまるで浦島太郎だ。まいったなぁ」
本当に困ったことである。
およそ七十年前、先ほど杉崎が言った通り『玉砕敢行』の報せが家族に届いていたとすると、彼はすでに死亡したと思われたはずだ。つまり、いまの彼には、存在証明できるものがなにひとつないのである。
残る希望は、死亡後にその存在の証を残すモノ──。
私は首をかしげた。
「杉崎家の墓って、この近くにある?」
「うん、昔は近くの寺にな。でも今はどうかな──無縁仏として処理されておらなきゃいいが」
「まだ残っているんだとしたら、だれかが杉崎家の檀家料を払っていることにならん? 墓石があるかどうかだけでも確認しようよ。ないならないで、住職に聞けばいいし」
我ながらよい提案だった。
杉崎家の菩提寺は、宝徳寺というらしい。これも偶然か、その寺には倉田家の墓もある。今年の春におこなった祖母の葬儀も、この寺の住職にお経をあげてもらった。
かなりの高齢だったから杉崎家に関する話も聞けるかもしれない。
「あったまいいなぁ和真。よし、そうと決まりゃあすぐに聞きに行こう。俄然、やる気が出てきた」
宝徳寺の墓所に来た。
杉崎が記憶している場所に、それはまだ存在していた。
「あった」
と、一言だけ漏らして、あとは墓石の前からぴくりとも動かない。
改めて墓石を見上げる。
杉崎家代々之墓──と雄々しく彫られ、後ろには卒塔婆が数本立てかけられている。
「和真」
「ん」
「そこの、石の側面に」
誰が書いてあるか見てくれ。
と、言いたかったようだが、杉崎はそれきり黙ってしまった。
「…………」
彼はどうやら、親の名前がそこに刻まれていることを知るのが怖いらしい。それはそうだ。私は言うとおりに竿石の側面に回った。
「読みますよ」
「たのむ」
「杉崎登志夫、昭和十九年」
「俺の親父だ。戦地で散ったと聞いたよ」
杉崎はぼそりと言った。
「杉崎みち子」
「──妹だ」
彼の緊張が、こちらにまで伝わって、私はごくりと唾をのむ。
「昭和二十年、八月十五日」
「…………」
小田原空襲の日だ。杉崎はなにも言わずに続きを待っている。私は隣に目を向けた。
「杉崎多江」
ハッ、という息をのむ音で、この女性が彼の母親であることを悟った。
「昭和四十三年、十月一日。享年六十八歳」
「…………」
「杉崎さんの名前はない──スね」
「うしろの卒塔婆は?」
杉崎は暗い声で言った。何本か刺さっているものをじっくり読んでみたが、どこにも茂孝の文字はない。
「ないよ」
という言葉を最後に私も口をつぐむ。
「…………うん」
杉崎も、ようやく絞り出した言葉はそれひとつ。その表情は複雑だった。かける言葉も分からず、竿石を見上げる。
(ずっと、帰りを待っていたのか)
玉砕作戦を敢行し、杉崎茂孝は戦死したという報が家族の元へ入ったはずだった。当時、命からがら生還した軍人たちはその姿を見せてもなお幽霊に間違われたと聞いたことがある。
自分の名前で建てられた墓標を抜いたとも。
それでも。
(それでも。……)
遠い昔に起きた、こわい物語。
当時の私からすれば戦争はしょせんそんな感覚であった。
学校行事で赴いた平和祈念資料館も、ただ他人の不幸話を聞かされるだけのものだと感じたことだってある。そう、物語だったから。
けれどいま、もの言わぬ一基の墓石が、ここまで戦争を語る。当時の人々の祈りや願いを、未来のいまこの瞬間まで残している。
たぶん、といった彼の声はおだやかだ。
「俺の名前を入れなかったのは、さ」
「…………」
「むかしから俺の母という人は、自分の目で確かめなきゃ納得しないタチだったんだ。この目で見るまでは、死んだかどうかなんて判るもんかって思ったんだと思うよ」
「うん」
「俺が生きてるって、どこかで信じてくれてたのかもしれない」
「…………うん」
きっとそうだ。
私はなぜか本気でそう思った。まだ数時間しかいっしょにはいないけれど、当時の彼の母親とおなじ立場だったならば、おなじことを思うだろう。
茂孝は死なぬ──と。
思っていたところで、杉崎はわはは、とわらった。
「なんだかしんみりしちまうな。おい、住職に聞いてみようや。墓が残っているってことは、誰かが維持してくれているってことだろ」
「そうスね」
私はうなずいた。
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