急転直下
席に着くと、
丁寧におすすめも載っているので、注文に迷うことはなかった。
「抹茶と、きな粉餅のセットを二つでお願いします」
「承りました」
注文を取り終えた茉梨奈さんは綺麗な所作でお辞儀をし、調理スペースのあるであろう暖簾の奥へ去って行った。
動きの一つ一つに品があり、こっちまで背筋が伸びてしまう。改めて、大企業のご令嬢なのだと実感する。
それは
「私も茶道か華道、はじめてみようかな……?」
ボソッと口にした倖楓の言葉からその姿を想像してみると、違和感の欠片もない。
「いいんじゃない? たしか、茶道部ならうちの学校にもあったでしょ」
「部活かー……。とりあえず、茉梨奈先輩に相談しようかな」
そのうち倖楓の点てたお茶が飲めるかもしれない。それはちょっと楽しみだ。
「――ねぇねぇ、ちょっといいかな?」
突然、面識のない女子が声をかけてきた。
袴を着ているので、茉梨奈さんと同じクラスの先輩だろう。
意外にも、先に返事をしたのは倖楓だった。対応を引き受けてくれるらしい。
「はい、なんですか?」
倖楓の怪訝そうな表情を見て、先輩と思われる女子が少し慌てたように改めて自己紹介を始めた。
「あたしは、橘さんと同じクラスの
先輩だけに名乗らせておくのも気が引けるので、俺たちもあとに続いて「一年の
「二人は
藪から棒な問いに、倖楓と目を合わせる。
一瞬の間を置いて、倖楓は戸惑いつつも頷く。
「えっと、そうですね。そう思います」
もちろん、俺は茉梨奈さんとの付き合いがそれなりに長いし、最近では倖楓の方が連絡を多く取っているくらいだ。二人とも良好な関係だと思う。
倖楓が頷いたのを見ると、川上先輩は手を合わせて目を輝かせる。
「やっぱり!」
一体、何に納得したのかがこっちには全くわからず、俺たちは揃って首を傾げた。
「あ、急にこんな質問してごめんね。 二人が教室に入ってきた時の橘さんの様子が新鮮過ぎてきになっちゃったんだ」
「いつもは、ああじゃないんですか?」
「全然! あんな風に冗談言ったりしないもん」
そっちの方が俺からしたら違和感がある。昔からあの人には本気に聞こえる冗談でからかわれてきたものだ。
「あたし、一年生の時も同じクラスだったんだけど、感情を見せない人でね? でも、あんなに綺麗で完璧で、まさに才色兼備ってかんじだと、嫌悪感なんて全く湧いてこなくて。むしろカッコよくて憧れちゃうくらい」
「それは私もわかります」
いや君、ちょっと前まで会う度に言い合いしてなかったっけ……?
ツッコミたい俺の視線に気付いた倖楓がこっちを向く。
「なに?」
「イエベツニ」
今言ったら、話の腰を折ってしまうので自重しておいた。
「茉梨奈先輩はクラスに仲のいい人はいないんですか?」
「うん。一年の時からずっと一人でいるんだよね。会話が無いわけじゃないんだけど、事務的というか……必要最低限ってかんじかなぁ」
俺は、中学時代のことを思い出していた。
茉梨奈さんと出会って数ヶ月経ち、俺が倖楓と離れることになった出来事を打ち明けることにした時のことを――。
あの人は俺のことを“唯一”と言ってくれた。
ハッキリと言い切ったわけではなかったけれど、今なら照れ隠しだったのだろうとわかる。
その“唯一”も、最近になってようやく変わったのだと思う。
しかし、唯一ではなくなったからといって、それが急に増えていくようにはならないだろう。
茉梨奈さんの場合は家柄もあって、打算的に関わろうとする人間もいる。
たくさんでなくていいから、一人でも茉梨奈さんのことをわかってくれる人が増えていったら嬉しいと思う。
「――でもね、最近の橘さんは違うの」
俺は思わず「え?」と声が出た。
「積極的に話しかけてくれるわけじゃないんだけど、声をかけた時の表情がやわらかくて、話し方もあったかく感じるっていうか……。今までと全然違うから、きっと何かあったんじゃないかっと思ってたら、さっきの二人と橘さんをみたらピンと来たんだよね。きっと、この二人だ――って!」
川上先輩は大発見と言わんばかりに嬉しそうだ。
最近感じていた茉梨奈さんの小さな変化は、他の方向から見える大きな変化の一部だったのかもしれない。
「それでね? 橘さんと仲良く話せるコツを伝授してもらえないかな!」
先輩が手を合わせてお願いしている。
これが本題だったらしい。
さて、裏がありそうには見えないが、どうするべきか――。
意見を求めるように倖楓へ視線を向けると、目が合うと同時に笑って小さく頷いた。
倖楓にも悪い人には思えなかったようだ。
ここは、一番付き合いの長い俺から伝えよう。
「――きっと、そのままの川上先輩として話せばいいと思いますよ。変に特別扱いせず、普通にクラスメイトとして」
「ほんとにそれだけでいいの?」
「茉梨奈さんは、ちゃんと中身を見てくれると思います」
「……そっか、そうだよね! なんか自信出てきた!」
こんな風に前向きになれるのは素直に凄いし、羨ましいとも思う。
本当に良い人なんだろうな。
「私も応援してます。頑張ってください」
「うん、ありがとう! 出来れば二人とも仲良くさせてほしいな」
今度は二人で相談することもなく「喜んで」と即答した。
まさかこんな形で上級生と交友が広がるとは。
小さなことかもしれないが、人生何があるかわからないものだ。
「で、仲良くついでに聞きたいんだけど」
先輩の話はまだ続くらしい。
俺と倖楓が「はい?」と声を揃えると――、
「二人は付き合ってるの?」
……飲み物がまだ無くて本当に良かった。タイミングが悪かったら、コップを倒すか、口から吹き出していたに違いない。
なんとか動揺を見せずに済んだが、一旦落ち着こう。
そう思って呼吸を整えていると、倖楓に先手を取られる。
「付き合ってはいないんです」
「そっか、付き合ってはいないのか」
……二人揃って変なところでアクセントをつけるのはやめてほしい。あと先輩、ニヤニヤしないでください。
「橘さんも、この初々しさに当てられちゃったってことなのかなー」
うんうん、と先輩が頷いていると、
「――誰が何に当てられたですって?」
お盆にお茶とお菓子を乗せた茉梨奈さんが、本日二度目の冷たい笑みを浮かべて立っていた。圧がさっきよりも強い……。
「……えっとー……そ、そう! メニューの文字は、全部橘さんが書いてくれたってことをあてられちゃったなー、って!」
さすがに苦しいだろうと思うが、これから仲良くなりたいと言ってる人にここで挫折してほしくはない。
「すごく綺麗だったんでパソコンで入力したのかと思ってました。流石は茉梨奈さんです」
川上先輩を助けるためではあったが、本心だったのが功を奏したのか「そういうことにしておいてあげるわ」と、なんとか許された。
その後「邪魔したら悪いから」と言って、川上先輩は手を振りながら席から離れていった。
きっと、本当に気を遣っただけで、逃げたわけではないと思う……たぶん。
川上先輩が去ると、茉梨奈さんが俺と倖楓、それぞれの前に注文の品を丁寧に置いてくれる。
まずは一息吐こうと、抹茶の方から手に取った。
「――美味しい」
ただ苦みがあるだけでなく、しっかりとお茶の美味しさを感じられる。
普段口にする抹茶はラテだったりするので、純粋な抹茶というのは初めてだ。
「……点てた甲斐があるわ」
何でもなさそうにしているが、その口元は笑っているように見える。
「茉梨奈先輩がこれを?」
「ええ」
驚いた様子の倖楓がもう一口味わい、さらに驚いている。
美味しさに気を取られていたが「点てた」と言ったということは、実際に点てたのだろう。
ほんと、この人に出来ないことなどないのでは……。
「口に合って良かったわ。それじゃあ、私は仕事に戻るから」
本当に感想が聞きたかっただけのようで、すぐに行ってしまった。
倖楓もまだ話したかったようだが、このお茶とお菓子を楽しむことが一番の感謝の伝え方になるだろうと思い、呼び止めなかった。
しっかりと堪能し終えて席を立つと、茉梨奈さんが見送りに来てくれた。
「今日は来てくれてありがとう」
「いえ、こちらこそご馳走様でした」
「美味しかったです! また今度お茶のこと教えてください」
「ええ」
まだお客さんが多かったこともあり、挨拶も短く教室を出ようとする。
すると、茉梨奈さんが俺を呼び止めた。
「
「はい」
振り返った俺に微笑み、
「頑張りなさい」
ただ一言。
それが何のことか、わざわざ聞き返さなかった。
これほど素直に嬉しく、力になるエールはない。
「――はい!」
だから俺も、笑顔で返事をした。
「ゆーくん?」
今度は、すでに出入り口まで行っていた倖楓から呼ばれる。
「それじゃあ」
「ええ」
最後の挨拶を済ませ、俺と倖楓は茉梨奈さんの教室をあとにした。
「なに話してたの?」
再び着替えるために別棟へ向かっている途中、倖楓が聞いてきた。
「んー、秘密」
「なにそれ。怪しい……」
「怪しくない怪しくない」
「ほんとかなー?」
こうは言っているが、相手が茉梨奈さんとうこともあり本気で怪しんでいるわけじゃなく、じゃれてきているだけだ。
――不意に、すれ違った人影がすぐ後ろで足を止めた。
全てが順調だった。
多くを望んだわけじゃない。
ただ今日を笑って過ごして、ずっと伝えたかったことを倖楓へ伝えることが出来たら、それだけでよかった。
なのに――、
「――やっと見つけた。倖楓ちゃん」
神様ってやつは、非情だ。
「うそ……」
倖楓の声にならない声が漏れる。
俺にとって、本当の悪夢の象徴――
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