倖楓の扱い
駅のホームに着いて、俺はため息を吐いた。
ようやく今日元々の予定だった花火大会に向けてのスタートラインに立ったからだった。
「ここまで長かったな…」
「そうかな?私はあっという間だったけどなぁ」
「サチは最初から浴衣着るってわかってたからだろ…?」
俺からしたら、想定外というのはとても消耗するのだ。
そんなやりとりをしていると、時間通りに電車がホームに入って来た。
窓から見える乗車人数は、決して空いているとは言えないほどいる。空席なんてあるわけもなく、俺と倖楓は仕方なくドア付近で立っているしかなかった。
ちらほら浴衣姿の人も乗車しているあたり、恐らく降りるまでこのままになるだろうと想像出来た。
「サチ、1時間くらいこのままになると思うけど、辛くなったら1回降りてもいいから」
「うん。ありがとう、ゆーくん。そうなったらちゃんと言うね」
電車に乗ってから50分くらい経ち、雛ノ川駅を過ぎた辺りで人がさらに乗車して来たことで、立っているのも難しい状況になった。
普段電車を使わないため、満員電車とは縁遠い俺にはかなりキツい。倖楓を壁際に立たせていたのは正解だったと、こうなって改めて思う。
しかし、俺が完璧にバランスを取れるかと言うと、それはまた別問題だ。
『この先、電車が揺れることがありますので、ご注意ください』
車内のアナウンスがあると、その直後に想像よりも大きく電車が揺れる。
「―――っ」
なんとか踏ん張ろうとしたが、人の波には逆らえなかった。
俺は倖楓に衝撃を伝えないため、壁に腕を当てることでこらえる。そこそこの勢いだったので、“当てた”というよりも“ぶつけた”と言う方が正しいかもしれない。
腕の痛みに両目を閉じると、倖楓が小さく心配そうな声を出す。
「ゆーくん、大丈夫?」
「ちょっと痛かったけど、平気―――」
返事をしつつ目を開くと、倖楓の顔が想像の何倍も近くにあった。
驚いて固まっていると、倖楓は一瞬ニヤッと笑って、俺の腰に手を回してきた。
「お、おいっ」
周りに人がたくさんいる中で抱き着いてくるのは勘弁してほしかった。でも、満員電車で身動きが取れるはずもなく、俺は倖楓にされるがまま抱き着かれた。
「ゆーくんが倒れないように支えててあげるね♪」
こんなにわかりやすい建前があるだろうか。直前の顔や声音でバレバレだ。
しかも性質が悪いことに、叱ろうとしたり目立つことをすれば周りに注目されて益々状況が悪化するという詰みの状態だ。
まあ、この電車に乗っているのもあと10分くらいだ。
黙って大人しくしていればすぐに時間が経つだろ…。
約10分後、無事(?)に目的の駅に到着した俺と倖楓は駅前広場に出た。
「やっと着いたね!」
「そうだな…」
倖楓は電車を降りた時から上機嫌だ。
「予定通りの時間だけど、やっぱり人多いね」
駅から出る人のほとんどが同じ方向に進んでいる。その中には俺達と同じように浴衣姿の人もかなり多かった。
今はまだ進むのに支障は無いが、そのうち詰まって人混みの中で立ち止まることになるんだろうと考えたら、一気に憂鬱になる。
「ゆーくん、そんな顔しないの」
「そんな顔ってどんな?」
「人混みにうんざりしてる顔」
そのまんまだな。まあ、正解だけど。
でも、素直に認めないのが俺のせめてもの反抗だ。
「してないしてない」
「もうっ、ゆーくんの嘘は私にはわかるんだからね」
「はいはい」
俺は軽く返事をして歩き出したが、5歩くらい進んだところで倖楓が付いて来てないことに気が付いて振り向いた。
「サチ?」
俺が名前を呼ぶと、倖楓はそっぽを向いた。
今度は何事かと思いつつ、倖楓の前まで戻る。
「どうしたの?」
俺が尋ねると、倖楓は顔を背けたまま、目だけでチラッと俺を見た。
「私は嘘を吐かれて怒ってます」
口では「怒ってる」と言っているが、態度でそれがポーズであることはすぐにわかる。
ただ、それでもご機嫌取りをしないといけないという点だけは、本当に怒っている時と同じだ。
「じゃあ、どうすれば許してくれる?」
俺が苦笑気味に聞くと、倖楓は顔をこっちに向けてツンとした表情のまま手を差し出してきた。
何か物を強請るような出し方ではなく、手の甲は上に向けていた。まるでダンスパーティでエスコートを待っているようだ。浴衣ではそれはどうかと思うが。
俺が黙って倖楓の手と顔を交互に見ていると、さらに手を近づけてくる。
「ん!」
早く手を取らないと、それこそ本当に機嫌を損ねそうだ。
「謹んで罰をお受けします」
仕方なく倖楓の手を取ると、今度こそ怒った顔をする。
「私と手を繋ぐのが罰なんだ?」
まずい、失言だったらしい。
倖楓は変な所に地雷があって苦労する。脳裏に「お前の処理が下手なだけだ」と言ってくる顔なじみが数人浮かんだが、気にしない。
「…間違えました。どうしても俺が手を繋ぎたいので繋がせてください」
「うむ、苦しゅうない!」
もう機嫌が直った。
こう思うと、やっぱり倖楓の扱いは簡単なのかもしれない。
俺と倖楓は、改めて手を繋いだまま歩きだした。
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