リベンジ

 母さんの惚気話から逃走し、俺はリビングに財布などの荷物を取りに来た。

 すると、テーブルにスマホや財布などの貴重品が並んでいて、そこに浴衣と似た様なデザインの巾着袋が添えてある。

 これに入れて行けと言うことだろうとは考えるまでもなかった。


 手荷物をまとめて玄関に行くと、そこには履いて来たスニーカーの代わりが置いてあった。


「下駄だ」


 あまりにも物珍しくて、思わず口に出した。

 『下駄』と言われて想像するような歩き辛そうな物ではなく、流線形で浅いゴム底になっていて、デザインも浴衣に合った暗い色だ。


 母さんが少し遅れてやってきた。


「いいでしょ、それ」


 『それ』がデザインというだけでなく、選んだ自分のセンスも含まれているのが丸わかりのドヤ顔だ。

 実際、文句の着けどころが無いので何も言わないが。


 とりあえず履いてみることにする。


「どう?」

「思ったよりは違和感無いかな」

「なら良かった。でも、普段履かないから痛くなったりするかもしれないし、これも巾着袋の中に入れときなさい」


 そう言って母さんから絆創膏を数枚渡された。

 俺は受け取った絆創膏を財布に入れて再び巾着袋の中にしまった。


「ありがとう」


 お礼を言って外へ出ようとしたところで、1つ話していないことを思い出した。


「そういえば、着てきた服とか靴のこと考えたらこっちに帰ってこないといけないんだよね?」

「いけないとは何よ、嫌そうね」


 そういう意図は無かったのだが、そう取られても仕方ない言い方をしてしまった俺が悪いだろう。


「そんなつもりじゃなかったんだけど…」

「ウソよ、ウソ。どこかで一晩明かしてきても詮索したりしないから、安心しなさい」

「明かさねーよ!『皆まで言うな』みたいな雰囲気出すな!」


 というか、親としてその発言はどうかと本当に思う。


「はいはい。まあ、そこは倖楓ちゃんと好きに決めなさい。今日はマンションに帰って後日取りに来てもいいし」

「とりあえず、わかった」

「ほら、もうすぐ倖楓ちゃんも出てくるだろうから、悠斗も出なさい」

「あ、はい」


 母さんに促されるまま、俺は玄関のドアを開けて外に出た。

 すると、8月の真昼の暑さが俺を襲い、外を出て5秒もせずに室内に戻りたくなる。

 日差しの強さに目を顰めている俺の表情は、さぞかしうんざりしていることだろう。


 やっぱり連絡が来るまで家の中で待っていようかと考え始めたところで、家の向かい側からドアの開く音がする。

 自然とそっちに目を向けると、ハーフアップにされた髪と白地に水色で金魚の描かれた浴衣姿の倖楓がドアを開けたままこっちを見ていた。


 互いに互いを見合ったまま固まっていると、倖楓がハッとした表情に変わり、慌ててドアを閉めて俺の方へ歩いて来る。着慣れない浴衣と履き慣れない下駄なこともあってか、倖楓は少しぎこちない歩き方だ。

 ――――その姿から目が離せなかったのは、危なっかしかったからか、それとももっと単純な理由か、あるいはその両方だろうか。


 倖楓は目の前の短い距離を躓くような事は無く、すぐに俺の傍まで来れた。


「ゆーくん、浴衣すごく似合ってる!やっぱり思った通り―――、ううん、それ以上に良い!」

「あ、はい、ありがとうございます」


 開口一番、かなり興奮気味で俺を褒めるその勢いに、少しだけ気圧されて敬語になってしまう。


「私は…、どう、かな?」


 倖楓はそう口にしながら一歩後ろへ下がった。

 こうして感想を求められるのは、もう何度目になるだろう。その度にあまり代わり映えのしない感想しか言えてないので、それでも求められるということは、理屈ではないのだろうと理解し始めていた。


「似合ってるよ。髪型も新鮮で良いと思う」

「うん、ありがとう!リベンジ出来てよかった!」


 俺のありきたりな感想に、倖楓は満足そうに笑う。


「リベンジ…。ああ、夏祭りのか」

「そうだよ!あの時は仕方ないって思ってたけど、やっぱり私もゆーくんに褒めて欲しかったから!」

「普段も結構褒めてるつもりなんだけど」

「何度言われても嬉しいし、こういう特別な時は尚更褒められたいの!」


 倖楓に力説され、俺は苦笑いする。


「ということで、毎日最低10回は褒めてください」

「調子に乗るんじゃない」


 今度はわざとらしいドヤ顔をする倖楓のおでこに、触れる程度のチョップでツッコむ。

 そして、少し間を空けて俺達は同時に吹き出した。


「ゆーくん、なんだかご機嫌だね!」

「そう?」

「うん、いつもよりも楽しそうな顔してるもん」


 自分がどんな顔をしているのか自分ではわからないので否定しようがなかった。でも、それを言われて嫌な気がしなかったというのが何よりの証拠なのかもしれない。


 そんな風に自己分析をしていると、今度は後ろからドアの開く音がした。

 倖楓も音に気が付いたようでドアの方へ目を向ける。

 そこには母さんがドアから顔だけを覗かせてこっちを見ていた。


「母さん、何してんの?」

「もしかして、お邪魔だった?」

「普通に話してただけだよ!」


 相変わらず息子をおちょくるのが好きで困る。


「まあまあ、ゆーくん。それで、どうかしたんですか?」

「そうね、いつまでも暑い中で立ち続けるのも辛いでしょうし、要件を話しましょうか」


 そう言って、母さんは顔を覗かせるのをやめて外に出てくる。

 その手には、デジカメが握られていた。


「記念写真撮るから、2人でドアの前に並んでくれる?」

「いや、何の記念?」

「細かいことはいいのよ。いつかこれが必要になって、撮ってて良かったって思う日が来るんだから気にせず撮られなさい」


 『記念写真が必要になる』とはどんな状況かと考えていると、倖楓が俺の手を取った。


「私はゆーくんとの写真が増えるのは嬉しいよ?今はそれだけで良いと思わない?」

「…まあ、悪くはないけど」


 俺と倖楓は、母さんに言われるがままにドアの前に並んだ。

 母さんはカメラを構えると、不満そうな顔をする。


「ほら、もっと2人共近寄って」


 既に十分近いのにそんなことを言われて文句を言いかけたが、その前に倖楓が腕に抱き着いて来た。


「お、おいっ」


 たまに倖楓はこうやって抱き着いてくることがあるが、親の前ということで恥ずかしさは比べ物にならないほどだ。


「ほら、ゆーくん?カメラに目線送らないとダメだよ?」

「サチには恥ずかしいとか、そういう感情は無いのか!?」

「もうっ、これくらいで恥ずかしがってたらこの先やっていけないよ?」

「これ以上何する気なんだ!?」


 心配される方向が意味不明過ぎて、逆にこっちが怖い。


「悠斗、写真1枚で何をそんなに騒いでるのよ」

「いや、写真だけで騒いでるわけじゃ―――」

「大人しく撮られないと、悠斗の友達にも写真を送りつけるわよ?」


 最後の一言がとどめとなり、俺は大人しく被写体になるしか出来なかった…。

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