2泊3日、最後の夜

「あぁー、まさか、あんなことになるなんて…」


 浴室で湯船に浸かりながら天井を眺めて、俺は呟く。


 倖楓と予想外のキスをした後、縁側でお互いに何も言わずに座っていると、母さんが風呂の準備が出来たと呼びに来た。

 俺は花火の後片付けをして、倖楓が先に風呂という方針になった。

 そして今、俺はようやく風呂に入っているというわけだ。


 それにしても、後悔はしてないが、まさか倖楓とキスをしてしまうことになるなんて思いもしなかった。

 ただ、「今はそれでいい」と言われたことや、倖楓も“好き”だと言葉にはしなかった。

 もちろん、言葉にしなかったからといって好意が無いなんて考えるつもりはない。

 でも、やっぱり付き合ったというわけではないはずだ。

 というか、改めて「付き合ってはないよな?」なんて聞けるわけもない。

 これから、どんな顔をして倖楓と顔を合わせればいいのか、わからなくなってしまった。


 俺はこのモヤモヤを拭うようにお湯を顔にぶつけるが、もちろんそれで気が腫れるわけもなく…。


 ―――その時、浴室のドアに、人影が映った。


「ゆーくん、寝てない?大丈夫?」


 突然の倖楓の声に慌てた俺は、腰を滑らせて頭が湯船に沈んで溺れかける。


「ゆ、ゆーくん!?」


 慌てたような倖楓の声。

 今にも浴室に入って来るかのような勢いに、俺はさらに慌ててしまう。


「だ、大丈夫だから!もうすぐ上がろうと思ってたから!」


 とにかく、脱衣所から出て行ってもらうのが先決だと考えた。


「ほんと?それならいいんだけど…」


 なんとか倖楓が突入してくるという事態は避けられそうだ、と一安心する俺。

 しかし、一向に倖楓はドアの前からいなくならない。


「…サチ?」


 まだ何か用事があるのだろうか、そう考えて名前を呼んだ。


 すると、倖楓は浴室のドアを背に座り込んだのが影でわかった。


「なんで座った!?」


 出て行ってもらおうとしたはずなのに、まさか居座られることになるなんて、真逆の結果になってしまった。


「ちょっと話がしたくって」

「部屋に戻ってからいくらでも出来るだろ…?」


 正直、部屋に戻ってからもまともに話せるか、自分でも怪しいところだけど…。


「だってゆーくん、部屋に戻っても何かと理由つけて話せ無さそうだもん」

「ぐっ…」


 …バレてる。

 これは話が終わるまでは動いてくれないだろう。

 俺もそれなりの時間を湯船で過ごしているし、そろそろのぼせそうだ。

 大人しく、倖楓と話をすることにした。


「わかった。…それで?」

「うーん…。話がしたいって言っても、特に決まった話題があるわけじゃなくて…」

「え?」


 それは予想外中の予想外だった。

 こういう時は決まって、倖楓の中で大事な要件があった。

 少し身構えていた俺としては拍子抜けだ。


「あのね。なんか、ゆーくんとただ話してたいだけっていうか。…だめ?」


 いつもの悪戯っぽい雰囲気はなく、素直なお願いだと感じた。

 こういうお願いも、なんだかんだ断り辛い…。

 ただ、やっぱりそろそろ限界だ。


「さすがに、もうのぼせそうだから、部屋に戻ってから話さない?ちゃんと話を聞くって約束するからさ」

「…うん。わかった、待ってるね」


 そう言って、倖楓の影はドアから無くなった。


「上がるか…」


 俺は湯船から上がり、浴室を出る。

 それから寝る仕度を済ませ、部屋に戻った。




 部屋に戻ると、倖楓はスマホを触っていた。

 俺が部屋に入ったのに気付いて、すぐにスマホから目を離し、


「おかえり」


 と、笑顔で迎えられる。


「ああ、うん」


 やっぱり面と向かって話すのは、どこか緊張してしまう…。


 俺はすでに敷かれている布団に腰を下ろして、倖楓と向き合う。


「それで、何を話す…?」


 いつもなら、こんなこと言わずに自然と喋れるのだが、今日というか今は無理だ。

 しかし、それは倖楓も同じなようで。


「えっと…。ゆーくんは何かある?」


 思えば、2人で話す時はほとんど倖楓から話題を出すことがほとんどだ。

 こんな風に俺から話題を決めるというのは珍しい。


「そうだな…。あ、レンと仲良くなれて良かった」

「あ、うん!昨日、ゆーくんが励ましてくれたから頑張れたの!」


 そう言う倖楓は本当に嬉しそうだ。


「ちょっと離れて、戻ったらすごく仲良くなってて、驚いたよ」

「私達、2人になったら、同時に謝ってね。それでお互いに笑っちゃって」

「なにそれ」

「変だよね。でも、そこからは自然に話せるようになって、香蓮ちゃんから友達になってくださいって言ってくれたの」

「そっか。なんか、安心した」


 2人が仲の悪いまま、またレンと離れるというのは避けたかった。

 あの様子を見れば、大丈夫なことは一目瞭然だったが、改めて本人の口から聞けて安堵した。


「………」

「………」


 会話が途切れてしまった。

 何か話そうと思いつつも、どの話題も口に出来なくて…。


「あの、次は私の番でも、いい?」

「え、ああ。いいよ」


 俺が譲ると、倖楓は呼吸を整えるように深呼吸をした。


「その、…」

「へっ!?」


 『さっき』というワードが何を示しているのか、すぐにわかった。

 だが、まさか今その話をするとは思っていなかった。

 もっと何気ない会話をしていくのだとばかり…。


「私、初めてだったんだけど…、ゆーくんは…?」

「お、俺も、…初めて、でした」


 思わず敬語になってしまった。


「そ、そっか。その、変じゃ、なかった…?」

「変ってことはなかったと、思う…。逆に、俺の方が悪いとこ無かった?」

「それは無かったよ!ほんと、むしろ良かったというか…」

「…良かったんだ」

「あ!な、なんていうか、とにかくゆーくんに悪いとこなんて無いって意味で!」

「わ、わかってる!だよな!」


 お互いに誰に言い訳しているのか、わけのわからない慌て方をしてしまう。

 そして、また沈黙。


 沈黙が苦痛になりはじめた頃、2人同時に、


「そろそろ寝るか!」

「そろそろ寝よっか!」


 と、声を揃えて提案した。


 倖楓は布団に入り、俺は電気を消す為にスイッチに手をかける。


「消すよ」


 俺が倖楓にそう声をかけると、倖楓がこっちを見る。


「あ、あのね!」


 急に声を張る倖楓に驚く。


「ど、どうした?」


 倖楓は目を少し泳がせ、すぐに俺に視線を合わせた。


「私も、ゆーくんが“特別”だからね!おやすみ!」


 そう言い残して、倖楓は布団を頭から被った。


「………」


 俺はスイッチに手をかけたまま、しばらく固まっていた。

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