悠斗の“特別”

 レンを送り届けて家が見えてくる頃には、すっかり夜になっていた。

 やっと着いたと思ったその時、家の前に人影が見える。


「サチ、何してんの?」

「そろそろ、ゆーくんが帰って来るかなって思って」

「そっか、ありがと」

「………」


 お礼を言った途端、倖楓が瞬きをして固まる。


「どうした?」

「ゆーくんが素直だったからビックリしちゃって…」


 なんて失礼な理由なんだ。

 俺はそんなにお礼を言わない人間だっただろうか?


「じゃあ、もうお礼言わないからな」

「あー!ごめんごめん!」


 倖楓が慌てたように俺に縋り付く。

 すっかり倖楓もいつも通りだ。


「…その、改めてありがとう」

「私が待ちたかっただけだよ」

「そっちじゃなくて、レンと話す時間を作ってくれたこと」

「…どうだった?」


 笑顔で聞いてくる倖楓。


「うん、いろんなこと話せた」

「それなら良かった!ほら、入ろっ」


 倖楓は俺の手を引っ張って家の中へ連れて行く。


 そのまま2人でリビングへ入ると、家族が揃っていた。


 テーブルには鍋が置いてある。

 具材も並んでいて、生卵と思われる物が置いてあることから、メニューはすき焼きと予想出来た。

 それにしても、夏にすき焼きってどうなんだ?


 俺がそんなことを考えていると、家族に「おかえり」と出迎えられ、すぐに夕飯を食べることになった。


 夏でもやっぱり、美味い物は美味かった。


 食べ終えてからしばらくして、姉ちゃんがリビングを出て行ったかと思ったら、すぐに買い物袋を持って帰ってきた。


「悠斗、さっちゃん、花火買って来たわよ!」

「明日香お姉ちゃん、ほんと!?」

「元気だな…」


 俺と倖楓がいない昼間に買い物に行ったのだろう。

 それにしても、手持ち花火なんて久しぶりだな。


「あー、それならバケツが必要だろう。悠斗、こっちにおいで」


 祖父は反対するわけでもなく、スムーズに準備を手伝ってくれる。

 俺は祖父に連れられ、物置きからバケツを取ってから水を汲み、庭へ出る。

 すると、そこには倖楓だけだった。


「あれ?姉ちゃんは?」

「なんかね、あんた達のために買ってきただけだからって、2階に行っちゃったの」

「なんだそれ…」


 あんなにテンション高かったのに、自分がやるわけじゃないのか。

 まあ、せっかく買って来てもらったのだから、ちゃんと遊ぶのが礼儀だろう。


「じゃあ、やろうか」

「うん!」


 ろうそくに火を点けて設置し、花火を持つ。

 いざ、着火。

 すぐに花火に火が移り、綺麗な色を放つ。


「わー!綺麗!」


 倖楓は両手に1本ずつ持ってはしゃいでいる。

 その光景がとても微笑ましい。


「俺、手持ち花火ってすごい久しぶりだ」

「私も!それこそ小学生以来かも?」

「もしかして、一緒にやったのが最後?」


 小学6年の夏に遊佐家と合同で海に行った時に花火をしたのが、俺の最後の手持ち花火の思い出だった。


「そうそう!ゆーくんも?」

「そうだよ」

「なら、久しぶりに出来たのが、ゆーくんとで良かったぁ」

「…だな」


 俺と倖楓は次々と花火を点けて楽しんだ。

 2袋もあった花火も、気付けは線香花火しか残っていなかった。

 そして、どちらからともなく競争が始まっていた。


「………」

「………」


 お互いに黙って線香花火を見つめる。

 まるで、視線を外したら落ちると思っているかのようだ。

 もちろん視線を外さなくても―――。


「…あ」


 俺の線香花火が先に終わってしまった。


「最後は私の勝ち!」


 特に罰ゲームを用意していたわけではないが、悔しいと思ってしまうあたり、まだまだガキだなと我ながら思う。


 全ての花火を使い切り、バケツに最後の線香花火を入れて片づけを始めようとすると、後ろから倖楓の声が聞こえてきた。


「ゆーくん、ちょっと座らない?」


 振り返ると、倖楓は縁側に座っている。

 ちゃんと火の始末は済んでいるので、特に断る理由も無かった。


 俺は倖楓の隣に腰を下ろす。


「今日は楽しかったね」

「そうだな」


 今日はずっとこの感想を口にしている気がする。


「香蓮ちゃんにね、来年も来てねって言われたんだー」


 それは、遊佐家的にはどうなのだろうか…?


「俺は良いけど、サチの家族は良くないんじゃない?」

「お父さんとお母さんの説得は任せて!」


 それでいいのかと苦笑いをするしかなかった。


「もっと前から一緒に来れてたら良かったのに…」


 残念そうに呟く倖楓。


「それは言ってもしょうがないだろ?」

「それはそうなんだけどね」


 倖楓は子どもっぽく唇を尖らせている。


 俺は、そもそもの疑問を倖楓に聞いてみることにした。


「そもそも、どうして今回は一緒に来ることになったの?」


 よくよく考えたら経緯は聞いていなかった。


「えっとね、私と奈々さんと明日香お姉ちゃんのメッセージグループがあってね」


 何そのグループ、怖い。

 いつの間にそんなのもが出来てたんだ…。


 内心で怯えている俺に気付くこともなく、倖楓は続ける。


「そこで、お盆はどうする予定なのって奈々さんに聞かれて、実家に戻ってからは特に決めてませんって伝えたら、良かったら一緒に来ないかって誘われたんだよね」


 結局、あの母親が事のほったんだったわけか…。

 本当に自由人だ。

 呆れを通り越して尊敬してしまう。


「…あのさ、私、邪魔じゃなかった?」


 倖楓が不安そうに、俺の方を少しだけ見ながら聞いて来た。


「お盆の時くらい、離れたかった?」

「そんなことない!」


 自分でも驚くほどに食い気味に否定した。

 俺も驚いているのだから、倖楓も当然驚いて目を見開いていた。


 俺は、レンとの会話を思い出す。

 『ちゃんと“想ってます”って伝えて安心させてあげた方がいいよ?』


「サチ」

「…なに?」


 俺は少し深呼吸して、息を整える。


「その、昨日と今日、俺にはサチが“幼馴染”に拘ってるように見えたんだ」

「それは…、うん」

「どうしてか、聞いてもいい?」


 今度は、倖楓が一呼吸置いた。


「昔からゆーくんと一緒だったっていう証だから。他の誰とも違う、ゆーくんの“特別”だっていう、私の自信みたいなものだから…」


 そうか、だから同じ“幼馴染”のレンが現れて、あんなに張り合っていたのか。

 やっと納得出来た。


 ―――でも、倖楓はをしている。


「それは違う」

「…え?」


 俺の否定の言葉が予想外だったのか、倖楓は戸惑っていた。


「サチ―――。いや、


 今度は無意識などではなく、自分の意思で、名前を口にする。

 顔が見れない。

 代わりに、夜空を眺める。


 ―――そして俺は、伝える。


「幼馴染かどうかなんて、正直どうでもいい…」


 たとえ前に進む勇気が無くても…、俺の今を精一杯に口に出す。


「“幼馴染”だから特別なんじゃない」


 これだけは、昔から変わらない。

 ―――いや、変わらなかった、変えられなかった。


「倖楓だから…。倖楓だから“特別”なんだ」


 そして、これからもそれは変わらない。


「他に何人も幼馴染がいたって、倖楓が幼馴染じゃなくなったって、俺の“特別”は倖楓だけだから…」


 今、倖楓はどんな顔をして聞いているのだろう。

 俺の言葉はどれだけ伝わっているのだろう。


「その、それだけでも伝えたかったというか…」


 これだけでも言葉が足りないような気がした。


 すると、俺の手に倖楓の手が重ねられたのがわかった。


「―――ゆーくん」


 倖楓から呼ばれて、空から顔を、倖楓に向け直す。



 ――――そして、自分の唇がと重なる。



 倖楓の顔が目の前にあり、その瞳は閉じられている。

 俺の手に重ねられている手がかすかに震えていた。

 今、何が起きているのか、理解するのにそう時間はかからなかった。


 ――――触れるだけの、優しいキス。


 それだけでも、倖楓の想いが唇に熱として流れてくるようだった。

 周りの時間が止まったような、でも、自分と倖楓だけはたしかにそこにいて。


 やがて、どちらからともなく、ゆっくりと唇を離す。


 目を開けた倖楓は微笑む。


「もう少し、ゆーくんのペースをゆっくり待つつもりだったんだけど、私が抑えられなくなっちゃった」


 倖楓は、いつものように悪戯っぽく、でもどこか嬉しそうに顔を赤らめながら言う。


「私なりの、ゆーくんへのお礼。…嫌だった?」


 そう言う倖楓の顔に不安さは微塵も感じない。

 むしろ、俺の心の内なんてお見通しだ、と言わんばかりの笑顔だ。

 それがちょっと悔しくて、でも嬉しくもあって―――。


「…嫌じゃ、ない」


 また夜空を見上げ、無愛想な言い方をしてしまう。


「うん、今はそれでいいよ」


 倖楓が俺の肩に頭を乗せてきた。

 その重みが、心地いい。


「ゆーくん」

「ん?」

「嬉しかった。ありがとう」


 夜空に浮かぶ月がいつもより―――、さっきよりも綺麗に見えたのは、きっと気のせいじゃない。

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