迎えた朝は騒がしく

 倖楓に手を握られたまま眠った翌朝、まだ俺の意識は半分夢の中だった。

 今日の予定を思い出すが、すぐに忘れてまた眠りに落ちる。

 その繰り返し。


 そういえばアラームを設定して寝た気がする。

 聞こえてこないということはまだ時間があるということだろう。


 安心した俺が再び深い眠りに落ちようとしたその時、俺の身体が揺らされる。

 しかし、それを認識しても不快感のある揺らされ方でないこともあって、気にせず眠り続ける。


 すると、今度は左肩に少し強い衝撃を感じる。

 だんだん強さが増していく。

 さすがに痛くなってきた。


「ん…、いたい…」


 俺は肩に痛みを与えてくるを止めるために、右手で掴んで自分に引き寄せた。


「へっ!?きゃっ!」


 なんだか聞き覚えがあるような甲高い声が聞こえたのと同時に、俺の身体にが覆いかぶさった。

 今すぐにどかしたかくなるほど重くなく、いい香りがする。

 それに部屋の涼しさのおかげか、その温かさも丁度良い。

 俺は空いている左手で、そのを抱きかかえるように手を回した。


「ひゃっ!ゆーくん!?そ、その、今は困るっていうか…!」


 また聞き覚えのある声。

 さすがに俺も違和感を覚える。


 一体、何が俺を揺らした?

 何が俺の肩を叩いていた?

 俺が掴んで抱き寄せたのは…?


 たくさんの疑問によって、俺の意識が眠りから完全に覚醒する。


 そして、ゆっくりと目を開けると―――、


 そこには、俺の胸にがいた。


「え?」


 寝起きの頭では、全く状況の整理が出来なかった。

 俺が右手で倖楓の左手首を掴み、左手では倖楓の腰に手を回している。

 初めは俺の勘違いかと思ったが、何度考え直しても俺が倖楓を逃げられないようにしてしまっている。

 何がどうしてこんなことになっているのか…。


「あ、あのね?私はこのままでもいいんだけど、さすがに恥ずかしいって思ったり…ね?」


 倖楓が言葉通り、恥ずかしそうに明後日の方向を見る。

 それはこの部屋の扉がある方向だった。


 カシャッ―――


 今度は聞き覚えのある電子音が聞こえた。

 しかも、現状で最も聞こえたらまずい類の音―――。


 俺は倖楓から手を離し、丁寧にどかして飛び起きる。

 そのまま扉の方へ向く。


 そこにはスマホを構えてニヤついている姉の姿があった。


「あら、もうやめちゃうの?まさか昨日の今日で自分の欲に忠実になるなんて思いもしなかったわ…」

「全然違う!あと今すぐ写真を消せ!」

「ふーん、そんな口の利き方するのね?」


 姉ちゃんが心底残念そうな声を出す。

 もちろん、演技なのがまるわかりだ。


「まずは下にいるみんなに見せて、その後は槙野ちゃんにでも―――」

「すみませんでしたお姉様、どうか愚弟のために削除していただけないでしょうか」


 深々と頭を下げる俺。

 所謂、“土下座”だ。


「ふん。…そうね、さすがにこんなさっちゃんをばら撒くのは良くないわね」


 理由はどうあれ、とりあえず危機的状況は回避できたらしい…。


「とりあえず、わたしは下に行ってるから。お腹空いてるんだから早く下りてきなさいよ」


 そう言い残して姉ちゃんが去って行った。


 さっきまでの騒がしさが一気に静まり返る。

 俺がゆっくりと自分の寝ていた布団に目を向けると、枕を抱えて座り込んでいる倖楓と目が合うが、すぐにお互い目を逸らす。

 ものすごく気まずい…。


「えっとー、起こしてくれてたのにごめん…」

「ううん、びっくりしただけだから…」


 また沈黙。


 気まずい空気なのに、欠伸が勝手に出てしまう。


「ゆーくん、アラーム鳴ってからも起きないなんて今日は特に朝が弱そうだね」

「あー、うん、ちょっとな…」


 どうやら、気付かない間にアラームを止めてしまっていたらしい。


 昨日倖楓に手を握られてから、眠ろうと努力はした。

 しかし、手に意識が向いてしまって一向に眠れなかったのだ。

 結局、ほとんど眠れなかった。


「もしかして、私のせい…?」


 倖楓が枕で口元を隠して申し訳なさそうにしている。

 そんな様子を見て、そうだとは言えない…。


「いや、単純に疲れてたから普段の睡眠時間でも足りなかっただけだよ」

「…そう?」

「だから、気にしなくていいよ」

「うん、わかった」


 そして、また沈黙。


 しかし、それは許されなかった。


『ちょっとー!あんた達、まだなわけー?』


 下から姉ちゃんの俺達を呼ぶ声が響いて来た。


「今行くから!」


 俺はすぐに下にまで聞こえるように声を出した。


「じゃあ、行くか」

「そうだね」


 俺達はお互いに苦笑いを浮かべて部屋を後にした。




 俺は顔を洗ってから、朝食の並んだテーブルの席に着く。

 それを見計らったタイミングで倖楓がご飯と味噌汁を置いてくれた。


「サチ、ありがとう」

「うん」


 朝食は焼き鮭とご飯とみそ汁と漬物の並び。

 最近、朝食では洋風が多かったので和食は久しぶりだ。


 全員の準備が出来たところで食べ始める。


「おぉ、味噌汁美味しいね。ちゃんとうちの味だ」


 祖父が感心したように感想を言った。


 祖母か母さんが作ったのだから、いつも通りなのは当たり前なのではと思ったが、その疑問はすぐに解消される。


「本当ですか!嬉しいです!」


 隣に座る倖楓がとても嬉しそうにしていた。

 どうやら倖楓が味噌汁を作ってくれたらしい。


「倖楓ちゃんは飲み込みが早いのよ」

「本当に、もう何でも任せられちゃう」


 祖母と母さんも続けて倖楓を褒める。


 まあ、たしかに普段倖楓の作るご飯を食べている俺も一度だって不満を持ったことが無いほどに倖楓の料理は美味い。

 そう思うと、俺はかなり恵まれた境遇だと改めて感じる。

 もし予定通りの1人暮らしなら1日3食ちゃんと食べていたか、正直自身が無い。


「ほんと、さっちゃんと結婚出来る男が羨ましいくらい。ね、悠斗?」


 姉ちゃんが味噌汁をすすりつつ、俺に視線を向けてきた。


「姉ちゃんも同じくらい料理出来るようになるといいんじゃない?」

「はい?できますけど?」

「へー、そんなにバリエーションあったっけ?」

「ありますけど?今度片っ端から作って口に突っ込んであげようか?」


「2人とも、朝食中に言い合いは止めなさい」


 姉弟喧嘩がヒートアップする前に父さんに止められた。


「「…はーい」」


 これ以上何も言わないように、姉弟揃って朝食を無言で食べ進める。


「ふふっ」


 倖楓は笑いを堪えていた。

 今更だが、親に怒られるのを見られるのはなんだか恥ずかしい。


「ゆーくんはお味噌汁、美味しい?」


 そう感想を求める倖楓の顔は、なんと答えるかわかっているかのようにすでに笑顔だった。


「…美味しいです」

「じゃあ、今度からお味噌汁はこの味にするね」


 そう言われれば、倖楓はあまり味噌汁を作ってなかった気がする。

 あの味はあの味で悪くないと思うのだが、食べ慣れた味にしてくれると言うのだから受け入れるべきだろうか。


「サチが大変じゃないなら…」

「うん、任せて!」


 倖楓の満足そうな顔を見届けてから再び食べ始めようとして、家族の視線が集まっていることに気が付いた。

 またか…。


「お母さん、慣れって怖いね。わたし何も感じなくなってきた」

「えー、お母さんはまだこの空気を味わうのも悪くないかなって思い始めたのに」

「奈々、明日香。あんまり茶化すのは2人が可哀そうだよ?」

 父さんのその一言が一番刺さるよ…。


 祖父母は、揃って生暖かい眼を向けてくる。

 無言も辛い…。


 その後、俺は黙って朝食をすぐに食べきった。




 思ったよりも時間が経つのは早く、少し急がないと遅刻しそうな時間になってしまった。


 倖楓は朝食のために早く起きたのもあって、仕度はすぐに終わったようだ。


『ゆーくん、遅れちゃうよー!』


 2階にいる俺の耳に、倖楓の声が届く。

 どうやら、すでに玄関にいるらしい。


「わかってる!もうそっち行けるから!」


 言葉通り、ちょうど荷物の準備も終わった。

 俺は急いで玄関に向かう。


「ごめん、お待たせ」

「もうっ、やっぱり朝を克服しないとダメだよ?」

「それを言われると何も言い返せません…」


 今朝の失態も相まって申し訳なさが倍以上になってしまう。


「それじゃあ、気を付けてね」

「楽しんでおいで」


 祖父母が俺と倖楓のやりとりに笑いつつも見送ってくれる。


「はい!」

「うん、ありがとう。行ってきます」


 俺と倖楓は、少し小走りで家を出たのだった。

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