1日目の夜(2)
姉ちゃんがリビングを出て数分、俺はソファに移動して1人で考えていた。
どうすれば答えを決められるのか。
正直、最終的な選択肢はそれほど多くはないと、わかってはいる。
ただ、どの選択も間違っているような気がして、結局決めきれない。
俺はさっきの姉ちゃんの言葉を思い返す。
「自分を優先、か…」
そう口にしてソファにもたれかかり、天井を見つめる。
すると突然、リビングのドアが開いた。
俺は驚いて、勢いよくドアの方に振り返る。
そこにいたのは、風呂上りの倖楓だった。
「部屋にいると思ったのに、ゆーくん、どうしたの?」
まさか、倖楓のことを考えてたとは言えないので、どう言うか迷ってしまう。
「えっと…。そう、水飲もうと思って来たんだけどさ、気付いたらソファでうとうとしちゃってて…」
「もうっ、風邪引いちゃうよ?」
少し呆れたような注意をしながら冷蔵庫に向かう倖楓。
どうやら倖楓も何か飲みに来たらしい。
倖楓は棚からコップを取り出し、水を注ぐ。
そしてゆっくりと水を飲む。
半分ほど飲んだところでコップから口を離すと、俺の方を見た。
「あ、あのね?あんまり見られてると恥ずかしいんだけど…」
「あ、ごめん!」
無意識にずっと倖楓を眺めてしまっていた。
慣れない倖楓の風呂上りの姿に目を奪われてしまっていたらしい。
ゴールデンウィークの時は体調が良くなかったのもあって、全然気にならなかったのに…。
「ゆーくんは、まだ寝ないの?」
「もう少ししたら寝ようと思ってたよ」
俺がそう答えると、倖楓がもう一度コップに水を注いで、こちらに近付いてきた。
そしてそのままソファに―――、俺の隣に腰を下ろした。
「えっと、どうした?」
「まだ戻らないんでしょ?それなら私も一緒にいようと思って」
少し、無言の時間が続いた。
話そうと思えば、いくらでも話せることも話したいこともあるはずなのに、それが口に出ない。
倖楓もそうなのか、2人揃ってどこかソワソワしている。
そんな沈黙を先に破ったのは、倖楓だった。
「今日のこと…」
「…うん」
倖楓からその話題を選ぶことが、少し意外だった。
「ゆーくんの大事な友達なのに、その、ケンカというか、仲良く出来なくてごめんね…」
とても申し訳なさそうに俯いて謝る倖楓。
「サチがあんな風に誰かと言い合いになるなんて珍しいからビックリはしたけど、それはレンに対してもそうだったから、サチ1人が悪いってわけじゃないよ」
「それでも…、きっかけは私だと思うから…」
本当に後悔をしているんだろう。
それはファミレスから帰っている途中には気付いていた。
「でもさ、今そうやって悪いと思えてるなら、明日はきっと大丈夫だよ。サチもレンも良い奴なんだから、きっと仲良く出来るって」
「うん…」
励ましてみたものの、まだ暗い表情の倖楓を見て、俺は胸が痛くなる。
この子のこんな表情は、やっぱり見たくない。
そのためなら、俺は“自分”を殺しても構わないと思える。
それはあの頃からずっと変わらない。
そう想うのと同時に、俺は自然と倖楓の手を握っていた。
「…ゆーくん?」
「俺も一緒だから、大丈夫」
何の根拠にもならないかもしれないし、何の力にもなれないかもしれないけど、そう伝えたかった。
それが伝わったのかはわからないが、倖楓が俺の手を握り返し、微笑んでくれた。
「約束だよ?」
「わかった」
「それじゃあ、明日も早いし、もう寝よ?」
倖楓はそう言うと、俺の手を握ったまま立ちあがった。
「そうだな」
俺は倖楓に促されるまま、コップを片付けて2階の部屋へ向かった。
「消すよ」
俺は倖楓が布団に入ったのを確認してから、部屋の電気を消す。
暗くなった部屋を手探りで進み、すぐ近くの自分の布団に入った。
目を瞑って眠ろうとする。
しかし、一応布団同士の距離を取っているとはいえ、すぐ隣にいる倖楓の存在感をもの凄く感じてしまいなかなか眠れない。
やっぱり高低差が無くなると、ここまで凄まじいものなのかと内心大混乱だ。
暗闇に慣れてきた目で、普段は絶対にやらない天井の木目を眺めるなんてことをして雑念を消そうと奮闘するが、全く意味が無い。
すると、何かが俺の掛け布団をかき分けて入ってきた。
その“何か”はゆっくりと探るように動き、やがて俺の右手を探り当てて掴まれる。
「サチ…?」
ゆっくりと隣に頭を向けると、俺が布団に入る前よりもずっと近くに倖楓の顔があった。
よく見ると、布団ごと寄ってきていた。
木目に集中するのに必死で気付かなかった…。
「ちゃんと距離、開けてたよな!?」
夜中なので声のトーンを抑えつつ、倖楓を問い詰める。
「元々、この距離だったよ?」
まるで俺がどうかしているかのような態度の倖楓。
「んなわけあるか!俺がちゃんと布団半分くらいの間隔開けて敷いたんだぞ!」
「じゃあ、私の寝相が悪いってことで許して?」
「それなら今起きてるし、元の位置に戻れるな?」
「………」
「寝たフリすんな!」
「もうっ!車の中で私の肩を枕にして寝てたんだから、このくらいの距離でもいいでしょ!」
そう言われると正論のような気がしてきてしまうのだから、最近の俺は本当に倖楓に甘くなっている。
とはいえ、ちゃんとした線引きは必要だ。
「それは周りに家族がいたし、俺は無意識だったからセーフってだけで、今はそのどれにも当てはまらないだろ?」
「私はアウトでもいいもん」
「あのな、家族じゃない高校生の男女が同じ部屋で2人きりで寝るってだけでもいろいろ問題だらけなのに…」
俺は空いている左手で目を覆う。
たしかに誰もいないし、俺と倖楓が言わなければ問題にはならないだろう。
実際、何か間違いが起こることも、起こすつもりもない。
だが、そういう緩みが生まれるのは良くないと思う。
「とにかく、早く元の場所に―――」
「今日だけ!」
俺の言葉を遮った倖楓の声は、どこか必至だった。
「サチ?」
「今日だけでいいの、お願い…」
さっきまでとは様子がまるで違う。
やっぱり、今日の倖楓はどこか変だ。
「サチ、どうしたんだよ?」
「………」
倖楓は黙り込んでしまう。
その代わり、俺の手を掴んだまま布団から出して、俺と倖楓の枕の間に置いた。
すると倖楓は俺の右手を両手で包むように握る。
「あのね…」
ようやく言葉を発した倖楓。
その声は、少し震えていた。
「私、怖いの」
「何が…?」
「私の知らないゆーくんがいること」
倖楓の知らない俺。それはいつのことだろうかと考える。
中学の3年間だろうか、それともやっぱり倖楓と離れる直前の事だろうか。
真っ先にその2つが思い浮かんだ。
中学時代は話せるが、小学校卒業直前の事となるとそうもいかない。
そう考えてから、俺は間違いに気付いた。
今日は全くそういう事に関連した話をしていないのに、それを知りたがるだろうか。
そして、ほぼ確信を得ながら俺は倖楓に尋ねた。
「…もしかして、レンとのこと?」
「…うん」
まさかとは思ったが、そのまさかだった。
なにせ、レンと過ごしたのは本当に短い時間で、過ごした時間で言えば倖楓の方が何十倍も多い。
それなのに、その短い時間に不安を抱くなんて思いもしなかった。
「べつに特別な話があるわけじゃないんだけどな…」
「自分でもワガママだって、傲慢だって思う。でも、全部知ってたいって思っちゃうの…」
そう言う倖楓は心底自分に呆れて、嫌悪しているようだった。
やっぱり、倖楓らしくない。
どうすればこの子の不安を取り除けるか、俺は考える。
そして、
「サチがワガママなのは今に始まったことじゃないしなぁ」
笑い飛ばしてやった。
すると、倖楓はポカンとした顔をして、すぐに拗ねたような顔に変わった。
「酷いっ!」
「それに、俺の周りで倖楓ほど俺の事を知ってる人なんていないよ」
そう、俺の好みから嫌いなもの、考え方なんてお見通しだ。
自分ですら敵わないと思わされるほどに。
「ほんと…?」
「ほんとだよ。倖楓が一番。だから、気にしないでいいんだよ」
「あ、名前…」
「あ…」
またまた完全に無意識だった。
「ねえ、もう2回目だし、ずっとそう呼ぼうよ!」
「四捨五入したら0だから忘れてください」
「じゃあ、あと2回はすぐに呼んでもいいんだよね?」
墓穴を掘った。
こういう時は本当に生き生きしてる。
「ほら、もう寝るぞ」
俺は無理やり話を終わらせようとする。
「もうっ、名前くらい呼んでくれたっていいのに…」
まだ続ける倖楓を無視して、俺は早く寝る体制を整えようと奮闘する。
「手、寝にくいから離して」
すると、倖楓は離すどころか両手でさらに強く握る。
少し痛いくらいだ。
「今日だけ、今日だけでいいから!」
掴んだままの俺の手を、倖楓は祈るように自分の額に近付けた。
同じ“今日だけ”だったが、さっきとは声色が正反対の安心できる声だった。
それがなんだかすごく安心出来て、嬉しくなる。
だから、つい「しょうがない」なんて考えてしまう。
「はぁー、…わかった。おやすみ」
本当に甘い。
「ありがとう、ゆーくん♪おやすみ!」
こうして、俺と倖楓の帰省1日目の夜は更けていった。
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