1日目の夜(1)

「送ってくれてありがと」

「遠くもなかったし、気にしなくて良いよ」


 ファミレスを出た俺達は帰ることにしたのだが、レンの住むアパートの方向が俺達と逆で、1人で帰ることになるのを良く思わなかった俺が、送って帰ることにした。

 実際、ファミレスから5分もかからず着いたので、ここから祖父母の家に戻るのもそれほど苦にならないだろう。


「それじゃあ、また明日な、レン」

「うん、また明日」


 レンが部屋に入ったのを見届けてから、俺と倖楓は今度こそ家路に向かう。


「よし、帰ろうか」


 俺がそう言って倖楓を見ると、少し俯きながら何も言わずに俺の手を握った。

 それを返事だと受け取った俺はゆっくりと歩き始め、倖楓も合わせて歩き出した。


 日中のような嫌になる暑さもなく、頻度の少ない車の通る音のおかげで静か過ぎることもない、そんな帰り道。

 俺の隣を黙って歩く倖楓を見ていて、昨日の話を思い出した。


「あのさ、サチ」

「なに?」


 倖楓が顔を上げて俺を見る。


「昨日、散歩の話したの覚えてる?」

「うん、結局行かなかったけど…」

「それは仕方なかったんだから許して欲しいんだけど…。って、そうじゃなくて」

「じゃなくて?」

「今、こうして歩いてて思ったんだよ。昨日は思いつきだったけど、散歩も悪くないかなって」


 俺がそう言うと、倖楓は周りをゆっくり見回して、やがて正面を向いた。


「うん、私も好き」

「だからさ、やっぱり今度、散歩しない?もう少し涼しくなったら」

「ほんとに?」

「こんな嘘つかないって」

「じゃあ、する」


 倖楓が小さく微笑む。

 少しとはいえ、ようやく倖楓の顔に笑顔が戻り、俺は安心する。


 気が付けば、家は目の前だった。




「ただいま」

「た、ただいま帰りました」


 俺と倖楓は家に入ると、リビングに届くように帰宅を告げた。

 倖楓はまだぎこちないが、自分の家では無いのだから仕方ないだろう。


 俺達の声を聞いた母さんが、リビングから出てきて出迎えてくれた。


「おかえりなさい。お風呂、残りは2人だけだから好きな時に入ってね」

「うん、わかった」

「はい、ありがとうございます」


 母さんにお礼を言う倖楓は普段と変わらない笑顔のようだったが、少し無理をしているように見えた。


「私とお父さんは、もう2階に行ってるからね」


 まだ21時過ぎだが、帰省中は祖父母の生活サイクルに合わせてなのか、割とみんな早寝になる。


「わかった、おやすみ」

「おやすみなさい、奈々さん」


 2階に上がって行く母さんの背中を見てから、倖楓に風呂の順番を確認する。


「どっちが先に入る?」

「私、時間かかるだろうし、ゆーくんが先に入っていいよ」


 たしかに俺は長風呂のタイプではない。

 それに後がつかえてると倖楓も落ち着かないだろうと思い、お言葉に甘えさせてもらうことにする。


「それじゃあ、そうさせてもらおうかな」

「うん」


 俺と倖楓は部屋に戻り、俺は着替えなどを持って風呂へ向かった。


 浴室に入り、髪や身体を洗い、湯船に浸かる。


「ふーっ」


 身体の内側の疲れが溢れたように口から息が漏れた。


 今日1日でかなりの疲労感だ。

 朝の倖楓同行ドッキリから始まって、予想外のレンとの再会。

 内容が濃いにも程がある。


「それにしても、あんなに変わるんだな」


 さすがに小学3年生と高校1年生なんて大人と子供くらいの違いがあって当たり前だとわかっていても、その印象の変化は驚かずにはいられなかった。

 昔と変わらずにショートカットではあったけど、髪色やピアスのおかげか、女の子としての印象が強くなっていた。

 昔も女の子だと思ってはいたが、どこか男友達のような感覚があったのも確かだ。

 それが、完全に払しょくされたように感じる。


「まあ、それだけ時間が経ったってことだよな」


 わかってはいたことだが、改めて口に出た。

 そう再確認してしまうほど、レンとの会話は自然に出来ていた。

 小学生以降、家族と倖楓を除いて自然体で話せたのは明希と槙野と茉梨奈さんと並んで4人目になる。

 俺にとってはそれだけ貴重な存在ということだろう。

 この縁を大事にしたい。


「でも、まさかサチとあんなに合わないとは予想外だ…」


 倖楓が初対面の人間に対してあそこまで不機嫌になるのは、俺の記憶にはほとんどない。

 一番最近の記憶でも、茉梨奈さんくらいだろうか。

 しかし、そんな茉梨奈さんとも最近は仲良くなっているようだし、時間が必要なだけかもしれない。


「でも、レンとは明日で離れることになるからなぁ…」


 茉梨奈さんの時のように頻繁に会うわけでもない。

 そうなると、明日のプールで何とか良好な関係になってくれるように俺が上手く立ち回らないといけないだろう…。


「あー、そうだ、水着買わないといけないんだった」


 そういうレジャー施設で売っている水着って、どういうデザインのが売っているのだろうか。

 べつにお洒落な水着が欲しいわけじゃないので、シンプルで無難なのが売っていればそれが良い。

 でも、奇抜な柄とかデザインばっかりだったらどうしよう…。


 そんな風に水着について考えていたら、一番最後に水着について考えた時の記憶が急に出てくる。


『ゆーくん!このオフショルなんてどう?』


 水着を持って聞いてくる倖楓の光景が鮮明に思い出された。


 結局、あの時は倖楓が何を買ったのか俺は知らない。


 最後に見せてきた、あの水着にしたのだろうか。

 でも悩んでいたし、別のにしたのかも…。


「あれ?そもそも泳ぐ予定なんてなかったし、サチも水着持って来てないんじゃ…?」


 でも、ファミレスの様子だと俺みたいに現地で買うって雰囲気じゃなかった気がする。

 倖楓のことだ、たぶん念には念を入れて持って来ていただけだろう。


 このまま考えていると、よからぬことまで考えてのぼせそうだ。

 そんな自分を戒めるように、手でお湯を顔にぶつける。


「はぁ、もう出よ」


 俺はすぐに浴槽から出るのだった。




 寝巻に着替えて髪も乾かし終えた俺は、倖楓を呼びに部屋に戻った。


 俺は倖楓に声をかけようと顔を見たが、さっきまで少しだけ倖楓の水着のことを考えていたこともあり、勝手に気まずさを感じてしまった。


「…お待たせ、お風呂どうぞ」

「うん、ありがとう」


 倖楓は気にした様子もなく、すぐに荷物を持って部屋を出た。


「バカか俺は…」


 我ながら情けない。

 そんなことで明日どうするのか…。


「水飲みに下りるか…」


 俺はリビングに向かう。


 リビングのドアを開けると、姉ちゃんがソファに座ってテレビを見ていた。


「あー、お風呂出たんだ」

「うん、今サチが入りに行った」

「さすがに覗いちゃダメだからね?」

「覗かねーよ!!!」


 弟のことを何だと思ってるんだこの姉は…。


 俺の文句もケラケラ笑いながら、目線はテレビに向けたままだ。


 俺はため息をつきながら、コップに水を注いで椅子に座った。

 そのまま俺もテレビを眺める。

 すると、姉ちゃんが目線は変えずに話しかけてきた。


「で、どうだったの?」


 急ではあったが、何を聞かれているのかはすぐにわかった。


「久しぶりだったけど、昔と変わらないところもあって、楽しかったよ」

「そ、良かったじゃん」

「うん」


 俺が短く返事をすると、姉ちゃんが今度は目線をテレビから外して俺の顔を見てきた。


「なに?」

「どっちつかずになるのだけはやめなさいよ」


 ジト目で忠告してきた。


「いや、なんでそういう話になるんだよ…」

「わたしはほとんど会ったことないから覚えてないけど、そのレンって子、かわいいんでしょ?」

「あのな、レンとはそういうのじゃないから」

「じゃあ、さっちゃんとは?」

「それは…」


 思わず言葉に詰まってしまった。

 べつに本人がいるわけでもないのだから、簡単に否定しておけばいいのに、なぜかそれが出来なかった。


 俺が続きを言えずにいると、姉ちゃんがニヤいた顔になった。


「ふーん、そういう反応するようになったのね!安心安心!」


 なんか、全部見透かされたような言い方がムカつく。


「何が安心なんだよ…」

「あんたが、少しは自分に素直になってる事がねー」


 そう言って笑う姉ちゃんは小馬鹿にするような笑いではなく、どこか嬉しそうで文句を言えなかった。


「なんだそれ…」

「全部言ってあげた方がいいの?」


 今度は小馬鹿にした笑い方だ。


「結構です!」

「ごめんごめん、そんなに怒んないの」

「誰のせいだよ」


 本当にこの姉は…。


「で、いつ告るの?」

「は!?」


 話が飛び過ぎて大声が出てしまった。


「何を驚いてんのよ。好きなんだったら最終的にはそうなるでしょ?」

「いや、みんながみんなそうはならないだろ…」

「は?まさかあんた、言うつもりないわけ?」


 姉ちゃんが顔も声を呆れたと主張してきている。


「…まだ、わかんない」

「好きかわかんないってこと?」

「それは違う」

「じゃあ、なに?」


 今更取り繕っても仕方ない。

 俺は、今の俺の考えを姉ちゃんに伝えることにした。


「好きではある。でも、それを伝えるべきなのか、伝えて良いのか、わからないんだよ」


 また呆れられるだろうと思って目を瞑っていたが、一向にため息も言葉も聞こえてこなかった。

 まさか絶句しているのかと目を開けてみると、姉ちゃんはどこか悲しそうな顔をしていた。


 俺は戸惑ってしまう。


「え…」


 姉ちゃんは少し目を瞑り、軽く息を吐いた。

 そして目を開いて、真っ直ぐに俺を見る。


「あのね、悠斗。悠斗の考え方は、べつに誰かを貶めたり傷つけるようなものじゃないから、それを無理やりにでも矯正しようとは思わない。でもね、本当に大事なのは自分の気持ちなんだから」

「それは…」

「わかってる。世の中、そんな簡単にいかないことがいっぱい。でも、悠斗はもう自分を十分殺したんだから、1回くらい自分を優先したっていいわよ」


 いつになく真剣な表情の姉ちゃんの言葉が俺には強く刺さった。


 そんな姉ちゃんに少しでも安心してもらいたかった。


「その、まだ自分の中で答えを決められないけどさ、“向き合う”とは決めたから。もう少し時間はかかるかもしれないけど…」


 俺がそう言うと、姉ちゃんは少しだけ笑った。


「そう、それなら私から言うことはもう無いかな」

「ありがとう」

「でも、あまりにも遅かったら、背中蹴り飛ばすからね?」

「なるべく早くなるように努力します…」


 この人なら本当にやりかねない…。

 その時の背骨が無事であるかどうか自信がない、これは本当に努力しないとだ。


「さ、わたしはそろそろ寝ようかな」

「あ、うん、おやすみ」

「ん、おやすみ。あんたも変なことで夜更かしするんじゃないわよー」


 最後はいつものように茶化しながらリビングを出て行った。

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