2泊3日の始まり
「ゆーくん、着いたよ。起きて」
肩を叩かれ、倖楓の声が聞こえた俺は目を覚ます。
「…ん」
やはり目が覚めてすぐはボーっとしてしまう。俺はまだ動けない。
すると倖楓が困ったような声を出した。
「あのね、ゆーくんが起きてくれないと私も動けないんだけど…」
「…ん?」
俺は現状を把握出来てないのに加えて、倖楓が何を言っているのかもよくわからなかった。しかし、それも意識がハッキリとしてきて全て解決する。
さっきまで車の窓に預けていたはずの俺の頭が、倖楓の肩に乗っていた。どうりで頭上から倖楓の声が聞こえると思った。
俺は慌てて倖楓の肩から頭を離す。
「ご、ごめん!俺、いつから…?」
「もうっ、そんなこといいから行こ?」
俺にとっては“そんなこと”じゃない。無意識とはいえ、俺がずっと倖楓の肩を枕に寝ているなんて光景、思い浮かべるだけでも恥ずかしかった。
ふと、周りを見ると俺と倖楓以外は、もう車を降りて荷物を取り出していた。
たしかに鍵を閉めたりすることを考えたら、いつまでも車の中にいるわけにいかない。俺は深呼吸をして自分を落ち着かせる。
「…降りるか」
「うん」
俺はドアを開けて車の外に出る。倖楓も出てくると思ってドアを開けっ放しで待っていると、外まであと一歩なのに出ようとしない。
「サチ?どうした?」
「ん!」
倖楓が座ったまま手を俺に伸ばしてきた。まさか引っ張れって言うのだろうか…。
「お前、子どもじゃないんだから…」
「失礼な勘違いしてるでしょ!違うよ!」
どうやら違ったらしい。しかし、そうなると何を要求しているのか、いまいちわからない。
「ごめん、全然わかんない。なに?」
「ほら、お嬢様みたいにエスコートしてほしいの!」
あー、車から降りる時に手を添えるやつか。それにしても、倖楓は定期的によくわからない要求をしてくる。まあ。断るほど困った要求でもないのだが。
「あのなー、そういうのは高級車じゃないと恰好がつかないだろ…」
俺は文句を言いながら、倖楓の伸ばしてきている手に自分の手を添える。
「だって思い付いちゃったんだもん」
倖楓は声を弾ませながら、俺の手に軽く体重をかけて車の外へ。
「2人とも、やっと出てきてくれたのか」
後ろから父さんが苦笑気味に声をかけてきた。
「ご、ごめん」
「健一おじさん、お待たせしてごめんなさい…」
俺と倖楓が揃って謝ると、父さんは仕方がないなと言いたそうな顔になった。
「ほら、トランクから荷物は出してあるから持って行って」
「わかった」
「はい」
俺と倖楓は父さんに促されるまま荷物を取って玄関の前に向かう。ここに来るのは正月ぶりだ。
目の前には2階建ての一軒家がある。リフォームしたばかりで周りの家と比べても綺麗な外見をしている。これが父さんの実家で俺の祖父母の家だ。
すでに母さんと姉ちゃんが先に入ったからだろう、玄関のドアは開いていたのでそのまま入る。
「ただいま」
「お邪魔します」
俺は普段通りに、倖楓は少し緊張気味に挨拶をする。すると、奥から家主の2人が出てきた。
「おー、よく来たね、悠斗」
「悠斗君いらっしゃい」
祖父の
「うん。それで、えっと…」
普段ならこれで挨拶が済むのだが、今回はイレギュラーな事がある。もちろん倖楓の事だ。俺は2人に倖楓の事がどう伝わっているのか全くわからない。だから、どう紹介すべきなのか迷ってしまう。
俺が頭を悩ませていると、祖父が先に尋ねてきた。
「そちらの御嬢さんが遊佐さんかい?」
その言葉を聞き、俺の一歩後ろにいた倖楓が俺の隣に並ぶように踏み出す。
「初めまして、遊佐倖楓です。この度は、見ず知らずの私を受け入れてくださってありがとうございます」
倖楓がこれまで見たことがない丁寧な所作で挨拶をした。真面目モードの倖楓を見ると普段とのギャップでドキッとしてしまう。
すると、今度は祖母が嬉しそうな声を上げる。
「まあまあ、なんて良い御嬢さんなのかしら!見ず知らずなんてことは無いのよ?昔から悠斗君から話を聞いたり、奈々ちゃんや明日香ちゃんからも話はたくさん聞いてるわ!」
「そんな、お恥ずかしいです…」
倖楓がすごくお淑やかに照れている。…誰だ、この子。
というか、俺はそんなに倖楓のことを話したことがあっただろうか。なんだか恥ずかしくなってきた。
「私達のことも、本当のおじいちゃん、おばあちゃんだと思ってくれて良いからね」
「ありがとうございます!」
祖父も倖楓を気に入ったらしい。ご満悦そうな表情をしている。まあ、気に入られるのは良いことだ。
すると、倖楓がいつの間にか手に持っていた紙袋を2人に手渡す。
「あの、つまらない物ですが、良かったら」
こういう礼儀作法の知識はあっても、生で見るのは始めてだ。様になっているというか、嫌味っぽくないのは素直にすごいと尊敬する。
祖母が倖楓からお土産を受け取った。
「これはご丁寧に、どうもありがとうございます。2人とも、まずは荷物を置いてきたらどうかしら?2階のいつもの部屋を使っていいからね」
「わかった、ありがとう」
帰省した際に姉ちゃんと2人で使わせてもらっている部屋がある。今回は倖楓も入れて3人で使うことになるらしい。まあ、元々部屋は狭くないので問題ないだろう。
「じゃあ行こう」
「うん。それでは、お世話になります」
倖楓が改めて2人に軽く会釈をしてから家に上がった。
階段を上って2階へ。そのまま、いつもの部屋へ。
「ここ」
「お邪魔します」
とりあえず部屋に入り、荷物を隅に置く。やっと一息つけたと思ったところで、俺はある違和感に気付いた。
「ん?そういえば姉ちゃんは…?」
そう、先に入ったはずの姉の荷物が部屋に置いてなかった。
すると、入り口から本人が声をかけてきた。
「あんた達やっと来たのねー」
呆れ気味に言われたが、今はそんなことよりも気になっていることがある。
「姉ちゃんの荷物は?別のとこ置いたの?」
「ん?お母さんとお父さんと同じ部屋に置いたけど」
「え?なんで?」
俺は意味が分からなかったのでそう尋ねたのだが、その瞬間、姉ちゃんの顔が「はぁ?」と言いたげな顔をした。
「いや、だって私そっちで寝るし」
「…は?」
思わず聞き返してしまった。いや、聞き間違いだろう。そうに決まってる、うん。
「だから、この部屋はあんたとさっちゃんの2人で使うって言ってるのよ」
ダメだ、何度聞いても意味が変わらなそうだ。
「いや!おかしいだろ!」
「べつにおかしいことないでしょう?ていうか、私もそこまで野暮じゃないわよ」
「野暮ってなんだ!そもそも、この部屋割りを父さんと母さんは許したの!?」
「もちろん」
うちの家族の倫理観を疑ってしまう。いや、べつに何か起きるわけでも、起こすつもりも無いのだが、それは保護者としてどうなのかと疑問を抱いてしまうのは至って普通のことじゃないだろうか?
俺はすでに倖楓と同じ部屋で眠ってしまっているので、今更と言えなくもない。だが、今回は今までと違うことがある。それは、“高さ”だ。
以前倖楓が俺の部屋で寝た時は、俺はベッドで倖楓は布団だった。同じ部屋でも、“いる”という感覚で済んでいた。
しかし、今回は2人とも布団を敷いて眠ることになる。つまり、横を向いたらすぐそこに倖楓の姿を見ることになるのだ。嫌というわけではない。ただ、「それは良いのか!?」と頭の中で大きく疑問が湧いて仕方がない。
自分の倫理観の崩壊を防ごうと必死の俺に、倖楓がさらに追い打ちをかける。
「もうっ、ゆーくん?もう何回も一緒に―――むぐっ」
俺は倖楓が爆弾発言をする前にその口を手で押さえた。
「むーふんっ!むむふむん!」
倖楓がそれはそれは不満そうな顔で抵抗してくる。もう同じ部屋で寝たことがあるなんて情報をこの姉に知られたらどうなるか、わかったものじゃない。
しかし、さすがの不自然さに姉ちゃんも怪しんでくる。
「なに?“何回も”って、まさか…」
「そう!昔!昔の話!いやー、たしかに小学生の頃はそういう事もあったなー」
「…ふーん、そう」
一応納得してくれたのか、それ以上の追求はされなかった。
俺が安心して倖楓の方を見ると、その顔はすごく不機嫌そうな、しかめっ面になっていた。玄関でのお淑やかな子はどこへ…。
「じゃあ私、先にリビングに下りてるからね」
「あ、うん」
そう言うと、姉ちゃんはあっさり出て行った。
姉ちゃんがドアを閉めたのを確認してから、倖楓の口を塞いでいた手を離す。
「ぷはっ!もうっ、苦しいよ!」
「サチがとんでもないことを口走ろうとするからだろ!」
お互いにお互いを睨み合う。しかし、それも長くは続かず、お互い同時にため息をつく。
先に倖楓から話し始めた。
「ねぇ、もしかして、まだ怒ってるの?」
そう俺に聞く倖楓の顔は、少し不安そうだ。
一瞬、何の事かわからなかったが、すぐにこのお盆の同伴の事だろうと思い至った。
実際、もう怒ってはいない。その話はあの時点で本当に許していた。しかし、どうやら倖楓には伝わっていなかったらしい。
「怒ってない。それに、父さんと母さんだけじゃなくて、じいちゃんとばあちゃんも許してるんだから、俺が口を出すことじゃないよ」
これで少しは不安が解消されるかと思ったが、倖楓の顔はさらに沈んだ表情になっていく。
「それじゃあ意味ない…」
「え…?」
俺が聞き返すと、倖楓は泣き出しそうな顔で言葉をぶつけてくる。
「それよりも、ゆーくんが嫌だったら私には意味がないの!」
「―――っ」
たしかに俺の気持ちを伝えてないと気付いた。それがこの子を辛そうな顔にさせてしまっていることに不甲斐無さを感じる。
俺は倖楓が“好き”だ。それは人としても1人の女の子としても。だが、まだこの好意を正直に伝えるのは、俺には無理だ。…でも、せめて“嫌いじゃない”と伝えることはするべきなのだと思う。
もしかしたら、ずるいのかもしれない。逃げているだけなのかもしれない。それでも、少しでも気持ちを伝えることは、きっと倖楓と“向き合う”ってことになると思うから…。
俺は倖楓の両手を取って、目を見る。
「サチ、嫌じゃないよ」
「ほんと?」
「うん。その、…嬉しい、かな」
「ほんとのほんと?」
倖楓が俺の手を強く握り返してきた。俺は倖楓を安心させたくて、言葉を重ねる。
「…嘘じゃないよ」
「私も、ゆーくんと一緒で嬉しいよ?」
ようやく倖楓が笑う。その顔を見て安心感を覚える。どうやら、俺も不安を感じていたらしい。
「そっか」
俺がそう言うと、倖楓がさらに手を強く握ってくる。
「ねぇ、また“倖楓”って呼んでくれないの?」
「え!?」
予想外の質問に動揺を隠せない。思わずのけ反りそうになるが、両手を掴まれているので逃げられない。
倖楓の強請る様な視線に逃げ出したくなってしまう。
「えっと…、それは…」
「それは?」
「追々、努力します…」
夏祭りの日、“倖楓”と口に出したのは本当に無意識だった。今思い出すだけでも恥ずかしくなる。何せ、俺は今まで“さっちゃん”や“サチ”としか呼んだことがないので、今更名前呼びは照れくさいし、特別な感じがしてしまうのだ。
「じゃあ、それは我慢してあげる」
どうやら許されたらしい…。
しかし、そこで止まらないのが『遊佐倖楓』だ。
「その代わり、この部屋で一緒に寝ようね?」
「代わりになってないな!?」
「嫌なの…?」
倖楓は悪戯っぽい笑みを浮かべている。
それでも俺は今までのように強く叱ったり出来ない。“向き合う”と決めてしまったのだから…。
「嫌じゃないです…」
「うん、じゃあ決まり♪」
もしかしなくても、俺はとんでもない決断をしてしまったのかもしれない…。
こうして倖楓と2泊3日の間、同じ部屋の隣同士で寝泊りすることが決まったのだった。
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