水本家と倖楓

 玄関にスーツケースを置いたまま、俺はリビングへ入る。


「ただいま」

「おかえり、悠斗」


 俺を迎えたのは、父である水本健一みなもと けんいちだった。


「あれ、なんで父さんがいるの?休みは明日からじゃないの?」


 俺が疑問を口に出すと、父さんも不思議そうな顔をした。


「お母さんから何も聞いてないか?ずっと今日から休みの予定だったんだけどな」

「いや、全然知らない…」


 まあ、べつに居て困るわけではないので気にしないことにした。


「悠斗、おかえりー」


 キッチンから母さんが出てきた。父と比べたら、ちょくちょく連絡はしていたので久しぶりという感じはない。


「ただいま。とりあえず玄関にスーツケース置いてあるから、俺の部屋に持って行くよ」

「うん、わかった」


 この家から出て1人暮らしを始めたが、2階にある俺の部屋はそのままになっている。部屋の物もほとんど持って行かなかったので、引っ越す前と変化はあまりない。


 とりあえず部屋の真ん中にスーツケースを置いてからすぐにリビングに戻った。


 すると、すぐに母さんが話しかけてきた。


「倖楓ちゃんは来れるって?」


 そういえば、昼食に倖楓が来ることをまだ聞いていなかったのを思い出した。すぐ近くにいた姉ちゃんがドヤ顔をしていたので、すぐに状況は理解できたが。


「まだ連絡ないよ。あっちも久しぶりに会ったんだし、長話してるんじゃない?」

「それもそうね。お昼の準備は出来てるし、いつでもいいんだけどね」


 テーブルを見るとホットプレートが置かれていて、その横には何か混ぜられた物が入ったボウルもあった。お昼はお好み焼きだろうか。


「あー、悠斗…」


 俺がお昼のメニューの予想をしていると、ソファに座る父さんから呼ばれた。少しぎこちない様子に不安を覚える。


「え、どうしたの…?」

「倖楓ちゃんとは…どうだ?うまくやれてるか?」


 父さんに倖楓と再会したことを俺は言ってなかった。だが、それを知ってることに驚きはない。なにせ、我が家にはおしゃべりな人が約2名もいるのだから。


「俺なりにだけど、なんとかなってると思う…」


 ここで自信を持って言えないのは、我ながら情けないとは思う。しかし、俺の自信のない回答でも父さんは安心してくれたらしい、さっきまでと違って表情が優しい笑顔になっていた。


「そうか。よかったな」

「ありがとう」


 やっぱり父さんは、今でも小学生の時のことを心配してくれているのだと思う。いや、態度なんかに出さないだけで母さんや姉ちゃんも。


 ――――突然、俺のスマホが鳴った。


 もちろん、鳴らしてきた相手は倖楓だった。


「もしもし」

『あ、ゆーくん?お昼なんだけど、ゆーくんの家で食べて良いって!』

「わかった、伝えとく。それじゃあ、待ってるから」

『うん、すぐに行くね』


 通話を終えてスマホをポケットに入れると、何か言いたげな顔でニヤニヤしている母と姉が目に入った。


「…なに」

「「べっつにー」」


 流石は親子だ、息ぴったりでムカつく…。


 電話の様子で倖楓の返事はわかったのだろう。母さんはすぐに昼食の準備を再開した。それから家のチャイムが鳴ったのは、すぐのことだった。


 俺が玄関を開けると、倖楓が少し驚いた顔をして立っていた。やけに緊張した顔をしている。


「どうした?」

「な、なにが!?」

「…いや、なんでもない」


 こういう時は下手に触れない方がいいだろう。とりあえず気付かなかったことにする。


「とりあえず、入ったら?」

「あ、う、うん。…お邪魔します」


 玄関の鍵を閉めてからリビングへ。


 倖楓を見て、母さんが嬉しそうに声を上げる。


「あ!倖楓ちゃん!いらっしゃい!」

「な、奈々さん!お邪魔します!」

「もう、倖楓ちゃん。“”で良いって言ってるでしょ?」


 たしかに昔は“奈々”と呼んでたし、べつにおかしいことはないが、今更その呼び方は恥ずかしいのだろう。倖楓は慌てていた。


「あ、えっと、それは」


 その様子を見て居た堪れなくなったのか、父さんが助け舟を出した。


「奈々、倖楓ちゃんが困ってるだろう?倖楓ちゃん、いらっしゃい」

「あ、健一おじさん、お邪魔します!」


 父さんのことは“おじさん”付きで呼ぶのか。と俺が意外に思っていると、父さんが急に落ち込んだ顔になった。


「…やっぱり、おじさんのことも“健一お義父さん”って呼ばない?」

「へ!?」


 助け舟を出した人から急に裏切られて、倖楓がさっき以上に動揺している。良い大人が2人して何をしているのやら…。


「サチで遊ぶのもほどほどにしなよ。ほら、サチも落ち着いて」

「う、うん」


 俺の言葉にハッとした顔をした倖楓は、深呼吸を始める。


「見せつけてくれちゃってー」


 姉ちゃんが俺に近付いて肘を当ててくる。もしかして、今日はずっとこの調子なのだろうかと不安になった。


 すると、母さんが手を叩いた。


「さ、みんな手を洗って来て。そろそろ焼くからね」


 その言葉を機に、みんな順番に手を洗ってから席に着いた。




「さ、どうぞ」


 母さんが、全員の前に切り分けたお好み焼きが置かれたのを確認して言った。


「「「「いただきます」」」」


 こうして家族揃って食事をするのも久しぶりだ。しかもそこに倖楓までいるのだから、違和感がすごい。倖楓も特殊な状況に緊張しているのか、いつもと違って表情が固い。とはいえ、何を言えばいいか…。


俺がそう考えていると、父さんが先に口を開いた。


「倖楓ちゃん、学校はどう?悠斗と同じクラスなんだよね?」

「あ、えっと、そうですね。ゆーくんも優しくしてくれますし、とにかく楽しいです!」

「それは良かった。悠斗は、あまりそういう話してくれないから気になってね」


 父さんが少し苦笑いで言う。


「あー、ゆーくんあまり自分の事を話したりしないですもんね」

「そうなんだよ、だから代わりに倖楓ちゃんが教えてくれないかな?」

「あ、それはお母さんも気になる!」

「教えて、さっちゃん」

「はい!任せてください!」


 倖楓が胸を叩いて自信満々で引き受ける。


「待って、俺の意見は!?」


 誰も俺の話なんて聞きもせずに倖楓が意気揚々と学校でのことを話しはじめた。幸い、倖楓と2人の時の事は何も話さないでくれた。さすがの倖楓も恥ずかしかったのだろう。


 しかし、他人から自分のことを家族に語られるというのは、想像以上に恥ずかしい。かつてなく居心地が悪い。お好み焼きの味がまるでしなかった。


 一通り話を終えると、父さんが俺の方を見た。


「本当に、悠斗が楽しそうでよかった」


 その言葉に、俺は何と言えば良いのかわからなくなってしまう。ずっと心配をかけてきたのだと、改めて理解してしまったから。


 俺は無意識のうちに下を向いてしまった。


 すると、隣に座っている倖楓の手が俺の膝の上に置かれる。俺は少し驚いて倖楓を見ると、優しい笑顔を向けていた。まるで、『大丈夫』と言うように。


 倖楓から勇気を貰うように、膝に置かれた倖楓の手に俺の手を重ねた。そして父さんの顔を見る。


「ありがとう、父さん」


 俺が絞り出したお礼に、父さんは少し目を大きく開いてからまた笑顔になる。


「うん」






 昼食を食べ終えた俺と倖楓は、母さんの提案で俺の部屋に行くことになった。


「えっと、それじゃあどうぞ」


 玄関の時と違って、今度は俺も緊張してしまっていた。この部屋に倖楓を入れるなんて何年ぶりだろうか。


「お邪魔します」


 2人して部屋に入ったはいいが、座布団とか座椅子があるわけでもないので、座るところがない。どうしようかと考えていると、倖楓がベッドを指した。


「座っていい?」


 他に場所は無いなと俺も納得する。


「いいよ」


 2人並んでベッドに腰を下ろした。しかし、何かを話しはじめるわけでもなく沈黙。


 改めて何を話せばいいのかと頭を悩ませていると、倖楓が感慨深そうに、


「ゆーくんの部屋、久しぶり…」


 呟くように言う。


「今も俺の部屋に出入りしてるじゃん」

「やっぱり、ここがゆーくんの部屋って感じが一番するもん」

「…そっか」


 たしかに、昔はしょっちゅう俺の部屋に倖楓を入れていた。その頃は、何を話せばいいか何て悩んだりもしなかったなと思い出す。でも、これは気まずいとかマイナスな理由ではなく、単純に俺が倖楓を好きだと自覚してしまったのが原因だ。


「ねえ、ゆーくん」


 俺の肩を叩いて呼ぶ倖楓。やけにキョロキョロしている。


「どうした?」

「中学の卒業アルバム見せて!」


 すごくワクワクした顔で頼んでくる。正直、困ることはないが何故か見せたくないような気持ちがある。


「えー…」

「嫌なの!?」

「嫌ってわけでもないけど…」

「ゆーくんが見せてくれなくても、香菜ちゃんに見せてもらうよ?」


 たしかに、結局槙野に見せてもらえるのか。そう考えたら目の前で見てもらった方が、槙野に余計なエピソードなんかを話されずに済むかと考える。


「わかった。俺のを見せるから、槙野に頼らないって約束な」

「うん、わかった!」


 いつも返事は良いんだよな、返事は。


 俺は軽くため息をつきながらも、棚から卒アルを出して倖楓に渡した。


「ありがとう!」


 受け取った倖楓は、楽しそうな顔でアルバムを開いた。


「ゆーくん、何組だったの?」

「4組」

「えーっと…、あった!」


 すぐに4組のページを見つけて、食い入るように見ている。


「ゆーくん見つけた!…こうして見比べると、結構変わってるかも」

「今と違って髪をセットしたり出来なかったしな」

「というより、顔つきかな?」

「どうせ写真映りは良くないよ」

「もうっ、そうじゃないのにー」


 倖楓は口を尖らせながら卒アルに顔を戻す。


「あ、香菜ちゃんと久木くんだ。久木君はあんまり変わってないけど、香菜ちゃんの黒髪初めて見た!」

「あー、そう言えばそうか」

「うん、新鮮」

「そういえば倖楓は髪染めたりしなかったんだな」

「…染めた方が良い?」


 少し不安そうな顔をする倖楓。俺は髪を含めて倖楓の顔を見たが、やっぱり倖楓は黒髪が良い。たぶん染めても似合うとは思うけど。


「そういうわけじゃないよ。やっぱり女子は染めたいのかなって」

「興味がないわけじゃないけどね、まだいいかなって思うんだー」

「そっか」


 倖楓がまた卒アルに目を戻す。


 すると少し寂しそうな顔をした。


「私もみんなと同じ中学が良かったな…」

「―――っ」


 思わず息を飲んだ。俺は倖楓が中学の時どう過ごしていたのかを知らない。聞こうと思わなかったのもそうだが、倖楓が話すことも無かった。


 聞いてもいいのだろうか。でも、俺にそんな資格があるのか。頭の中で葛藤する。


 ふと、肩に重みを感じる。夏祭りの時と同じ重みだった。


「ごめんね、そんなつもりじゃなかったの」

「あ、いや…」


 倖楓には俺の考えは筒抜けだったらしい。俺は上手く答えられない。


「大丈夫。私、今がすっごく楽しいよ」

「…うん」


 倖楓が俺の手を握る。


「ゆーくんは楽しい?」

「…楽しいんだと思う」

「そっか、嬉しい」


 やっぱり、自分の気持ちを言葉にするのは少し苦手だ。ハッキリと言いきれない。


「ねぇ、今日お家の前でお別れする時に、何を言おうとしてたの?」


 やっぱり、それも気付かれていた。


 素直に言うべきか、誤魔化すか。俺はまた悩む。でも、今度は正直に言うことにした。


「今日でしばらく会わなくなるだろ?」

「…うん」


 倖楓は俺のゆっくりと絞り出す言葉を待ってくれている。


「だから…、その…」


 俺の手を握る倖楓の手の力が強くなる。それに引き出されるように俺は言葉を続ける。


「夕方とか夜に、散歩でもどうかなって…」


 倖楓の様子が気になってチラ見すると、それを待っていたかのように目が合った。すると、倖楓がすぐに二ヤついた顔になった。


「そっかー、ゆーくんは私と離れたくなかったんだね♪」


 改めて言われるとものすごく恥ずかしい。今になって正直に言った事を少し後悔してきた。


「でも、お昼食べたから無し」

「えー!?」


 俺の精一杯の反抗に、倖楓が大声で抗議してくる。


「どうして!お散歩しようよ!」

「ほら、俺は明日の朝早いから」

「車で寝れば良いでしょ!」


 今度は俺の腕を両手で掴んで体を揺すってくる。


 そんな風にしばらくいつものように言い合いをしていたら、いつの間にか夕方になっていた。さすがにそろそろ倖楓を帰さないといけないだろう。


「サチ、そろそろ帰った方がいいんじゃない?」

「んー、そうだね…」


 名残惜しそうに俺の部屋を見回す倖楓。しかし、思ったよりも素直に立ち上がって部屋を出た。


 倖楓は、最後に挨拶のためにリビングに顔を出す。


「あの、今日はお邪魔しました!」

「あら、倖楓ちゃんもう帰るの?」

「はい!奈々さん、お好み焼き美味しかったです!」

「またいつでも来てね、悠斗がいない時でも歓迎だから!」


 母さんが楽しそうに言う。まあ、これに関しては俺が文句を言ってもしょうがないだろうと思いスル―。


「悠斗、さっちゃん送って行きなさいよー」


 ソファで横になっている姉ちゃんが手をひらひらさせて命令してきた。


「いや、目の前で送るも何もないんじゃ…」


 俺が純粋に思った事を言うと、姉ちゃんが睨んできた。断ったら後が怖い。嫌と言うわけでもないので構わないのだが、姉ちゃんに従うというのが癪だ。


「倖楓ちゃん、またね」


 俺と姉ちゃんのやりとりを見て苦笑いの父さんが倖楓に挨拶をする。


「はい、またよろしくお願いします!」


 とりあえず家族に挨拶は済んだだろうと考えた俺は、倖楓に帰りを促す。


「じゃあ、行くか」

「うん」


 玄関を2人で出る。


 本当に目の前なので、すぐに倖楓の家のドアまで着いた。


「じゃあ、またな」


 これで本当に少しの間、お別れだ。


「大丈夫だよ、またすぐ会えるから!」


 俺の考えを呼んだのか、倖楓は笑顔でそう言ってから自分の家に入って行った。






 翌朝。


「悠斗ー、いつまで寝てんの。早く支度しなさい」

「…ん」


 姉ちゃんが部屋に入って起こしに来た。


 まだ寝ていたいが、俺が遅くなると家族全体が困るので、半分寝ぼけながらも起き上がって仕度を始める。


 なんとか仕度を終え、家族で一番最後に家を出て父さんの車に向かう。トランクで待つ父さんにスーツケースを渡して後部座席に乗り込む。


「遅い」


 奥から姉ちゃんが文句を言ってくる。眠いのと、自分が悪いと自覚しているので甘んじて受け入れる。


「もうっ、私が起こさないとすぐこれなんだからー」


 隣から


「…ん?」


 おかしい、するはずのない声が聞こえた。たぶん、まだ寝ぼけてるんだ。うん、そうに違いない。最近はずっと倖楓と朝が一緒だったからな、うん。


「まだ寝ぼけてるの?もうっ、しっかりしてね」


 幻聴のはずの倖楓の声がまた隣から聞こえて、しかも俺の頬をつねった。―――


 俺の眠気は吹き飛び、一気に意識が覚醒する。


 勢い良く横を向くと、倖楓が笑顔で座っていた。


「なんでいるの!?」


 倖楓は俺の驚いた様子を満足そうに見て、


「言ったでしょ?“”って♪」


 あー、なんかこの感じ久しぶりだ。


 お盆だろうと、倖楓から離れることなんで出来なかったらしい…。




 ―――俺のお盆に、遊佐倖楓が強襲してきた。

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