第4章 それぞれの夏
夏の始まり(1)
セミの騒がしい鳴き声が、体育館の中にいても聞こえてくる。空調が効いていないわけではないが、夏らしいセミの音を聴くと、暑さと気怠さを感じてしまう。そして、気怠さを助長する要因がもう1つ…。
『―――ということで、夏休みでも羽目を外すことなく、学生として相応しい過ごし方を心掛けるように』
生徒指導の教員から伝えられる夏休みの諸注意だ。
現在、終業式の真っ最中。こういう式での長話を、最後まで真剣に聞き続けられる人間なんているのだろうか…。どうせやらかす奴は何言ってもやらかすのだから、手短に済ませればいいのにと思う。
相変わらずクラス委員なので列の先頭だし、怠けていたら目立つので、聞いてるフリをずっと続けている。
『えー、最後に何か連絡のある先生はいらっしゃいますか…』
教頭の言葉に、生徒の大半が「ない」と願っていることだろう。―――もちろん俺もその1人だ。
『はい、それでは以上で終わります』
やっと終わりだ。これで式だけでなく、長かったのか短かったのか微妙な1年の1学期が終わる。安堵からか、俺は口から長く息を吹いた。
号令の後、3年から順番に退場が始まった。少しの間、待機になる。
「ゆーくん、早く終われオーラ出し過ぎだよ?」
「サチだって定期的にため息ついてたの、気付いてるからな」
俺がジト目で見ると、倖楓は慌てて、
「た、ただの深呼吸!」
「へー、そういう言い訳しちゃうのか」
「言い訳じゃないから!」
水族館での会話以来、また倖楓と自然に話せるようになっていた。朝晩のご飯を一緒に食べるのまで、完全に元通りだ。…貴重な1人の時間が惜しいとは口が裂けても言えない。
「こら2人とも、もう少しで退場なんだから大人しくしててね?」
いつの間にか、目の前に
「「すみません…」」
倖楓と揃って謝罪すると、先生はすぐに笑顔になった。それほど怒ってなかったらしい。
どうやら要件は終わってないらしく、先生がその場から去らない。
「水本みなもと君。退場の時、先生と職員室に寄ってくれる?配布物を持って行くの手伝ってほしいの」
最初からそれが要件だったようだ。
「わかりました」
「あ、私も手伝います」
俺の了承に続いて、すぐに倖楓も手伝いを申し出た。
「遊佐さんは、みんなをクラスまで連れてって。ここは役割分担ね」
「…わかりました」
適材適所だ、と俺も納得。思ったより倖楓が残念そうなので、そんなに運びたかったのかと意外に思う。
ようやく俺達のクラスも退場になり、俺は頼まれた通りに榊先生と職員室へ向かった。
「はい、この箱をお願いね」
「わかりました」
俺は、榊先生のデスクに置いてある箱を持って職員室を出る。
廊下を歩いていると、榊先生から話を振られた。
「1学期はどうだった?」
ありがちな質問。仕事を任せた分、気を使ってくれたのかもしれない。
「そうですね、いろいろ大変でした」
俺は、素直な感想を苦笑気味に答えた。―――実際、色々な事がありすぎた。この調子であと2年以上もやっていけるだろうかと不安で仕方ない。
「水本君と遊佐さんは様子がコロコロ変わって心配だったんだよ?」
「…すみません」
知識というかイメージとして、先生は生徒の様子を見ているものだと思っていたが、自分の想像以上に見られているのだと驚く。榊先生が特別なのだろうか。
「謝らないで。今は大丈夫そうじゃない?」
「はい、なんとかって感じですけど」
本当にギリギリ感が否めないけど…。
「うんうん、青春って感じだねー。いいなぁー」
「先生も若いじゃないですか」
―――俺がそう言った途端、場の空気が重苦しくなった。
「現役高校生からそう言われるのが一番堪えるんだよ…?」
「す、すみません!」
若いと言ったつもりだったが逆効果だったらしい。今後のためにも覚えておこう…。
「ところで、9月には生徒会選挙があるけど、水本君は誘われたりしたの?」
そんな重い空気を、先生が自ら払拭した。流石は大人。
「なんでですか?」
生徒会選挙が、自分から立候補する形式なら「出るつもりはあるの?」と質問されるのも納得なのだが、うちの学校はそうではないので純粋に疑問だった。
「ほら、中学では生徒会に入ってたんでしょ?」
「あー、1期だけですけどね…」
やっぱり担任なので、俺の経歴は把握しているようだ。
「それでも立派だと思うな。それで、どうなの?」
隠す事でもないかと正直に答える。
「
「おー、流石だね!そっかー、もしやるなら先生は応援するよ」
「ありがとうございます」
―――水族館へ行ったあの日。焦らずに考えればいいと倖楓に気付かせてもらったが、この件はそろそろ決めなくてはならないだろうと俺は考えていた。
「はい、それじゃあみんな。2学期に元気な顔を見せてね」
先生の挨拶が終わると同時に、改めて1学期が終了した。高校生活最初の夏休みを迎えて、みんなテンションが上がっているようだ。各所で歓喜の声が聞こえる。
―――俺の前の席に座る人物もその1人。
「ゆーくん!夏休みだね!」
倖楓が席に座ったまま振り返り、嬉しそうにしている。
実は6月に席替えが行われたのだが、また倖楓と席が近かった。この席に決まった時は、さすがに不正を疑われたが、そんなこと出来るわけがないのだから勘弁してほしい…。
「だな、暑いのしんどいから室内でずっと過ごす夏休みにしたい…」
「そんな不健康そうなのダメ!」
怒られた。まあ、自分でも少しだらしないかなと思う。
「願望くらいいいだろ。どうせバイトとかで外に出ることにはなるんだから」
「…それもそうだね。夏休みはゴールデンウィークの何倍も一緒に過ごせるから楽しみだね!」
「…待て待て待て!」
反応するのに時間がかかった。ゴールデンウィークと同じということは、まさか夏休みの間は俺の部屋で寝泊りするつもりなのかと、俺は内心で焦りまくっていた。
「どうかしたの?」
「なにゴールデンウィークと同じことをするつもりでいるんだ!」
教室内で誰が聞いているかわからないので、一応泊まるという言葉は伏せて話す。聞かれたらどうなることか…。
「え?2日も泊まったんだから、1ヶ月くらい変わらないでしょ?」
「変わるわ!」
しかも普通に泊まるって言っちゃうし、俺の気遣いを無にしないで欲しい…。
俺の抗議を聞いて倖楓は唇を尖らせた。しかし、すぐに怪しい笑みを浮かべて俺の机に頬杖をつき、
「でも、嫌じゃないでしょ?」
「………」
俺だってプライベートな時間が欲しいとか、いろいろ言いたかったはずなのに言葉が出なくなった。
何か言い返さなくてはと考えていると、
「ん゛っん゛っ」
横からわざとらしい咳払いが聞こえる。
そこには
「せっかくの冷房が効かなくなるから、イチャつくなら学校出てからにしてくれない?」
「えへへ、香菜ちゃん、ごめんね?」
「イチャついてなんかない!」
俺と倖楓の反応をそれぞれ見た槙野は、ため息をつきながら話を続ける。
「そんなことより、月末に
7月末は、毎年夏祭りが雛ノ川駅周辺で2日間開催され、それなりに規模も大きい。俺も何度か行ったことがある。
バイト先の『ルピナス』でも、店の外で料理をパックで販売したりすることになっている。初日はそっちを手伝うことになっているが、2日目は例のごとく海晴さんがフリーにしてくれてたので問題はない。
当然倖楓もその予定なので俺が目で問いかけると、倖楓はすぐに察して頷いた。
「うん、問題ないよ」
「楽しみにしてるね!」
「そ、良かった。細かいことはまたメッセージで決めましょ」
「わかった」
「じゃあ私、部活あるから行くわね。またね、倖楓ちゃん、水本」
「またね、香菜ちゃん」
要件を済ませると槙野はすぐに教室から出て行った。部活入ってるやつは忙しそうだと他人事のように思う。まあ、他人事なんだけど。
「帰ろうか」
「うん、そうだね」
俺達も、もう用事は無いので教室を出て帰ることにした。
下校途中、倖楓が楽しそうな顔をして話し出す。
「ねぇ、ゆーくん。駅前寄ってかない?」
「えー、暑い…」
今なら何を言われても「暑い」と言い返せる自信が俺にはある。それくらい夏が苦手だ。
俺の回答が気に入らなかったのか、倖楓が不満そうな顔で、
「ゆーくん、いつからそんなにだらしなくなっちゃったの!そんなもやしっ子に育てた覚えはありません!」
いや、倖楓に育てられた覚えはこっちもない。
「わかった。母さんにサチが教育方針に文句言ってたって伝えとく」
俺がそう言うと、倖楓がものすごく慌てはじめた。
「そ、それはダメ!絶対ダメだからね!」
珍しく弱った倖楓を見て思わず笑ってしまう。
「もうっ!」
倖楓が俺の腕を叩いてきた。よっぽど焦ったのだろう。
「ごめんごめん。で、何か用事があるの?」
俺はまだ笑いながら倖楓に尋ねる。
すると、少し不機嫌そうだった顔が急にドヤ顔になった。――あ、たぶんロクな事じゃない。
「放課後デートをします!」
思った通り、全然ドヤ顔するところじゃない。
俺は呆れながら、
「付き添いな、付き添い」
一応、了承のつもりで答える。
すると、また倖楓が不満そうな顔をする。本当によく表情が変わるなと感心してしまう。
「もうっ。…こうすればデートっぽくなるでしょ?」
倖楓が自分の腕を、俺の腕に絡めてきた。最近、よく腕組みをしてくる。倖楓の中でブームなのだろうか…。正直、精神衛生上よろしくないので早くブームが去ることを願う。
そう思うと同時に、不快感が襲ってきた。それは―――、
「「暑い!」」
2人同時に叫んだ。どうやら、倖楓も夏の暑さには敵わなかったらしい。
俺達は、冷気が満ちたオアシスを求めてショッピングセンターまで急ぎ足で向かったのだった。
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