夏の始まり(2)

「「あー、天国だー」」


 目的地であるショッピングセンターに入ると、俺と倖楓は同時に歓喜の声を上げた。


「じゃあ、改めまして」


 倖楓がそう言うと、すぐに俺は腕を取られた。もうツッコむのも面倒なので諦める。


「で、何するの?」


 俺が尋ねると、倖楓は少し考える顔をしたが、すぐに何か見つけたような顔になった。


「まずはあれ!」

「ん?」


 倖楓が指した方を見ると、そこにはジェラートを販売している店舗があった。俺達と同じように学校終わりの学生がたくさんいる。


 倖楓に腕を引かれながら店の前まで行く。メニューが貼ってある、立て看板の前で止まり、俺達は注文を考え始めた。


「クリームチーズ!あ、でもキャラメルも…。やっぱりパンプキンかな…。紫イモ!?なにそれずるい!」

「ずるいってなんだ…」


 あーでもない、こーでもないと倖楓が悩み続けること5分。


「どうしよう…」


 決まっていなかった。

 見かねた俺は、妥協案を出すことにする。


「じゃあ、俺の分もサチが決めて良いよ。また来ればいいし、とりあえずで決めちゃえば?」

「いいの!?ゆーくん、ありがとう!」


 そう決めてからも3分くらい倖楓は悩み、やっと注文をした。結局選んだのは、俺がパンプキン、倖楓はキャラメルだった。

 ジェラートを受け取ると、タイミング良く2つ並んだ椅子が空いたので座って食べることにする。


「ほら、先に取りなよ」


 俺は、パンプキンのジェラートが入ったカップを倖楓に差し出す。


「ありがとう!いただきます」


 そう言って、スプーンですくったジェラートを口に運んだ倖楓が、幸せそうに目を細めた。


 俺もジェラートを食べる。たしかにおいしい、夏って感じだ。


「はい、ゆーくん♪」


 倖楓もカップを差し出したのかと思って隣を見ると、キャラメルのジェラートが乗ったスプーンが差し出されていた。この子は定期的にこれをしないと死んでしまう病気か何かなのだろうか…。


「ほら、溶けちゃうよ?あーん」


 これに対する悪手もそろそろわかっている。時間をかけたらその分だけこっちが不利だ。さっさと食べるにかぎる。


「おいしい?」

「…普通」

「もー、素直じゃないなー」


 大人しく食べたのだから、これくらい許してほしい。

 その後は倖楓が『あーん』を要求してくることもなく、普通にジェラートを食べる。


 俺は夏休みの話題を倖楓に振る。


「そういえば、サチは実家にいつ戻るの?」


 4月から始まった、今ではそう呼んで良いのかも怪しい1人暮らしだが、俺はまだ一度も実家に帰っていない。俺が知りうる限り、倖楓もそのはずだったので気になっていた。


「お盆の時期になったら帰ることにしてるよ。だから、それまではゆーくんと一緒にいられるね」

「もっと早く帰ってあげた方が、おばさん達も良いんじゃ…」


 息子があまり帰らないのは、それほど心配じゃないかもしれないが、やっぱり娘が帰らないのは心配だろうと思う。


 倖楓は少し不機嫌そうに、


「そんなこと言って!ゆーくんもお盆まで帰らないの知ってるんだからね!」

「なんで知ってるんだよ!」


 俺はそんな話を倖楓の前で一度もしていない。しかし、犯人の予想はすぐについた。あの姉、一度しっかりとした話し合いが必要だ。


「ねぇ、ゆーくん?」

「ん?」


 倖楓の声のトーンが優しいものに変わったので、どうしたのかと思う。


「またさ、うちに顔出さない?」


 『うちに』とは、倖楓の実家ということだろう。


 疎遠になるまで、倖楓の両親にはお世話になった。たぶん、俺の家族とはまだ交流があるはずだ。だからこそ俺の事をどう思っているのか、わからなくて怖い。どんな人たちかわかっていても、気持ちが前に進まない。


「…それは、もう少し待ってほしい」

「うん、わかった。待ってるね」


 倖楓はすぐに受け入れてくれた。もしかしたら、最初から俺がどう答えるのかわかってたのかもしれない。たぶん、いつでも来て良いのだと伝えたかったのだと思う。




「さ、次行こっか!」

「どこに行くの?」

「いいからいいから!」


 倖楓に腕を引かれながら、俺は歩き出した。


 それにしても、べつに逃げたりするつもりは無いのだから、わざわざ腕を組まなくてもいいんじゃないだろうかと思う。


「ここ!」


 足を止めたのは、―――水着売り場だった。


「よし、帰るか」


 すぐに回れ右をするが、腕が倖楓から引き抜けない。ものすごくデジャブだ。


「ほーら、逃げないの!」

「こういう場所はもう来ないって言っただろ!」

「ゆーくんが言ったのは、『あそこのお店は」でしたー」


 ものすごくイラッとする言い方だった。


「そもそも水着着る機会なんてあるわけ!?」

「んー、秘密?」


 なぜ疑問形なのか。逆に怖い。


「あ、それか水着エプロンとかしてあげようか?」


 倖楓が少し顔を赤くして言う。


「恥ずかしがるなら言うな!」

「まあまあ!もう好きな色は聞いたし、今回は形を決めてくれるだけでいいから!」

「どこが『だけ』だ!十分キャパオーバーだよ!」

「え?もしかして水着の場合は違う色がよかった?」

「そこじゃない!」


 ツッコミが追い付かなくなってきた。誰か助けてほしい。あれ?もう夏バテしてきたかもしれない。


 ちょっと前までの少し控えめな倖楓に今だけ戻ってくれたりしないだろうか…。


「ねぇ、ここで駄々っ子になってると目立っちゃうよ?」


 周りに意識を向けると、たしかに視線が少し集まっていた。

 このまま連れて行かれるしかないのかと諦めかけた、その時。


「あなた達、何してるの?」


 茉梨奈さんが俺の真横に立っていた。


 助かったと思ったら、倖楓が俺の腕を力いっぱい引いて、茉梨奈さんと俺の間に入る形を作った。


「…どうして橘さんがここにいるんですか?」


 倖楓の表情がさっきまでと変わって、ものすごく不機嫌だ。


「入るのに許可がいる場所ではないのだから、べつにいてもおかしくないでしょう?」


 茉梨奈さんの呆れたような言い方に、倖楓がさらに不機嫌さを増す。倖楓に掴まれてる俺の腕も痛くなってきた。


「そうでしたか。橘さんの邪魔をしないように、ゆーくんと別の場所でを続けますので」


 やけに『放課後デート』を強調して言った気がする。それと同時に茉梨奈さんの眉がピクッと動いた。


「あら、デートだったの?はたから見たらそうは見えなかったものだから、つい声をかけてしまったの」

「はい?どこからどう見てもデートじゃないですか!」


 あー、久しぶりに龍と虎が見える。しかも2人のヒートアップに比例して周囲の視線の量も増える。これは良くない。


「あの、2人とも落ち着いて―――」


「「ゆーくん(悠斗君)は黙ってて!」」


 なんでこんなに良きぴったりなのに仲良く出来ないのか。

 俺の思いと反して、2人はまだまだ止まらない。


「そもそもデートと言って、無理やり水着売り場に連れて行くなんてずる…はしたない」

「今ずるいって言おうとしましたよね!?ほら!橘さんだって真面目ぶってるだけじゃないですか!」

「あなたと一緒にしないで。私はちゃんと節度ある行動を心掛けてるわ」

「節度ある人は他人を脅迫して生徒会に入れたりしません!」


 話がどんどん違う方向へ向かっている。それに明らかに、注目を浴び過ぎだ。


 俺もこれ以上は看過できない。少しお灸をすえる。


「いい加減にしろ!これ以上続けるなら外でやれ!」


 2人が一斉に俺を見た。それから周りを見回し、ばつが悪い顔になる。


「「ごめんなさい…」」


 これも2人揃って謝罪してきた。やっと正気になってくれたか。


「はぁー、わかればいいから」


 再び倖楓と茉梨奈さんは向き合い、話し始めた。


「ここは、2人でゆーくんに水着を選んでもらうということで手打ちにしましょう…」

「…ええ、いいわ」

「いや!俺の意見は!?」


 気が付くと俺の両腕は、左右から2人に抱えられて逃げられなくなっていた。


「あまり騒ぐと迷惑になるわ」

「そうだよ、ゆーくん。早く行こうね」


「2人共、どの口が言ってるかわかってる!?」


 人の話なんてまるで聞かない倖楓と茉梨奈さんに、俺は地獄へ引きずり込まれるのだった。

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