約束をもう1つ

 槙野の誕生日当日。


 俺達は水族館に来ていた。…はずなのだが、はたしてここを水族館と呼んでいいのかわからない。なぜかと言うと、入場したはいいが俺の知っている水族館の光景とは全然違っているからだ。室内には海賊船が振り子のように動くアトラクションがあり、魚はいるが小さい水槽に小さい魚が入っているだけだ。奥に進むとクラゲが入った水槽を様々な色でライトアップしているゾーンも一応出てきたが、まさかずっとこれなのだろうか…。


 他の3人の様子を見ると、普通に楽しそうにしているからこれでいいのかもしれない。俺はとりあえず納得しつつ、中を見て回る。


「あ、次は上みたいだね」


 倖楓が言うように、エスカレーターが現れた。この作りで上まであるのか…。

 俺の心配はすぐに解消されることになる。


「え」


 思わず声が出た。エスカレーターを上がったら、急に俺の知っている水族館の光景が広がっていたからだ。


 俺が驚いていると、隣から必死に笑いを堪えている雰囲気を感じる。


「…どうした?」


 不審に思って俺が倖楓に尋ねると、今度は堪えられずに普通に笑い始めた。


「ふふっ、だってゆーくん、さっきまで露骨に不満そうな顔してたんだもん」


 最近、気持ちが顔に出過ぎだ。…良くない傾向だと思う。


「悠斗、ここのホームページ見なかったのか?」

「水本がやけに静かだと思ったらそうだったの?」


 明希と槙野は、俺の内心に気付いてなかったらしい。どうやらそれほど顔に出てなかったのかもしれない。


「明希が決めた場所だし、心配しなかっただけだよ…」


 俺の言い訳(?)にとりあえず納得したのか、それ以上は何も言われなかった。


 改めて俺達は水族館の中を進み始める。

 今まで水族館という場所に来た回数は少ないが、改めて来てみるとこの薄暗い中に水の青と控えめな照明の光が広がるこの空間に心が落ち着くように感じる。結構好きかもしれない。


 ふと先を見ると、人だかりが出来ていた。水族館であれだけ人を集められるとすれば、候補は大体絞れる。


「香菜ちゃん!ペンギン!」


 倖楓は先に中が見えたらしい。興奮気味に槙野の肩を叩いている。そんなにペンギン好きとは思わなかった。


「ほんとだ!倖楓ちゃん行こう!」


 槙野もテンションが高くなっていた。流石は水族館のアイドルのペンギン様。


 2人が小走りで水槽に向かうと、


「転ぶなよー」


 明希が心配そうに声をかけた。完全に保護者だ。

 水槽の前まで近づけた2人を少し離れた所で俺と明希で見守る。


 すると、明希が何の前置きもなく訪ねてきた。


「まだ遊佐さんとは微妙な感じなのか?」


 2週間前に明希から心配されてから今日まで何も変化が無かった。いや、正確には変化させられなかった。


「サチがどうこうってわけじゃなくてさ。俺の問題なんだよ…」


 俺はなんとか自嘲気味に笑う。


「悠斗、1人で抱え過ぎなんじゃないか?」


 明希の言葉に驚いてしまう。


「ずっと悠斗が何かしら抱えてるのは知ってるけど、それを聞くのが俺も怖かった。聞いたら悠斗が離れていくんじゃないかと思ってさ」

 今まで俺の内面の話はしてこなかった。いや、お互いに避けていた。それが、ここに来て話すことになるなんて。


「そんなこと…」


 そんなことないと強く言いたかったが、わからなかった。


「でも、それじゃあ駄目だったんだよな。もっと悠斗のこと信頼して聞いてやるべきだったんだと思う」


 言葉が出ない。そんな風に考えていたなんて思いもしなかった。


「だから、もっと悠斗も俺のこと信頼していい。もう3年の付き合いになるんだから、どんなことだって受け止める。…口には出さないけど、香菜も同じだと思うぞ」

「ありがとう…」


 ただそう言うだけで精一杯だった。突然のことに受け止めきれなかった。でも、それが真剣なものだとわかっているからこそ、少しずつでも受け入れたいと思えた。


 明希はさらに続けて、


「で、俺と香菜の2人を足しても届かないくらい、悠斗に信頼を寄せてるのが遊佐さんだよ」


 その言葉に、胸が痛む。


 すると、少し遠くから槙野の声がした。


「明希!写真撮って!」


 どうやらペンギンと撮りたいらしい。


「わかった!…ちょっと行って来る」

「うん」


 明希の背を見ながら俺は、気持ちの整理を続けていた。




 ペンギンの後は、なぜか爬虫類やらカピバラなんてのもいて、今の水族館は何でもありなのかと思った。


 広場でペンギンのショーを見終え、次はどうするかと言う話になると、


「この後、イルカショーがあるんだよ」


 明希がスマホの画面で案内を見せてくれた。

 ここ、そんなものまであるのかと驚愕する。都会の真ん中とは思えない。


「じゃあ、席取りに行きましょうか」


 槙野がそう言った時に俺は気付く。今日は槙野の誕生日で、この後のスケジュールを考えたら明希と2人きりになれるタイミングは帰る時しかない。それは良くない気がした。

 少し前を歩く明希と槙野には聞こえないように、倖楓に声をかける。


「…サチ」

「ど、どうしたのゆーくん?」


 突然俺が小声で話しかけたので驚いたらしい。


「悪いんだけど、俺に合わせて欲しい。詳しく話すと長くなる」

「へ?う、うん?」


 あまり納得出来てないようだったが、俺は実行に移す。


「明希、槙野!」

「ん?どうした悠斗?」

「なに?」


 2人が振り返る。


「俺、疲れたから途中にあったカフェで休んでていいか?」

「…あ、私もそうしようかな!」


 すぐに倖楓も乗ってくれた。流石秀才。


「え!?急にどうしたのよ」


 槙野が戸惑っている。さすがに急過ぎたか…。


 俺がもうひと押ししようとすると、明希が続けて、


「まぁ、それなら仕方ないな。終わったら合流しよう」


 どうやら意図が伝わったらしい。顔に仕方ないと出ている。


「明希もそう言うなら…」


 槙野がなんとか納得してくれた。


 俺達はそれぞれ分かれて歩き出す。明希と槙野が遠くへ離れたタイミングで、倖楓が肘で小突いてくる。


「もうっ、いきなりでびっくりした」

「…ごめん」


 俺もそう思うので素直に謝る。


 しかしそれでは倖楓の気が収まらなかったのか、恨めしそうな声で、


「あーあ、私もイルカショー見たかったなー」

「うっ」


 それを言われるとかなりダメージがあった。もっと早く2人にすることを思いついていればと自分を責める。ここはとにかく謝るしかない。


「本当にごめん…」

「じゃあ、次はゆーくんが私を連れてきてね?」


 さっきまでの恨めしさが嘘のよう笑顔で言ってきた。

 しかし、その条件なら断れない。


「…タイミングが合えば」

「そこは言いきってほしいのにー」


 言い方は不満そうだったが、楽しそうだ。


 すると突然、倖楓が立ち止まった。


「サチ?」


 不思議に思って声をかけつつ、倖楓が見ている方向を俺も見ると、そこはさっきも通ったペンギンの水槽だった。

 ただ、さっきと違って人だかりが無い。イルカショーの時間が近いからかもしれない。


 俺はさっきも思ったことを口に出す。


「ペンギン好きなんだな」

「うん、かわいいから」


 納得の即答だった。

 2人でガラスの目の前まで近づいてペンギンを眺める。


 すると、倖楓が改まって話しはじめた。


「ゆーくん、ここしばらく考え事ばっかりしてるよね?」


 ついに来たかと内心の焦りが止まらない。正直、いつ倖楓からこう言われるのかと、ずっと不安だった。


「…うん」


 俺は何を言われるのか恐れながら倖楓の言葉を待つ。


「ゆーくんはきっと、たくさんのことを考えて何か迷ってるのかもしれないけど、私はゆーくんが傍にいてくれたら何でもいい」


 予想外だった。もっと、何を考えているだとか、何があったとかそういうことを聞かれると思っていた。


「だからね、ゆーくんが何かを決めるんだとしても焦らなくていいんだよ。ゆっくり、1番大事なものを考えてから選べばいいよ」


 俺は焦っていたのだろうか。―――いや、そうかもしれない。どこかで今すぐにでも決めなきゃいけないと思っていた気がする。


「うん、ありがとう…」


 この子はいつも俺に何かを気付かせてくれる。でも、何が1番かはずっと決まっている…。


「あとね、保健室での約束なんだけどね」

「ん?」


 突然の話題変更に戸惑う。何かあったのだろうか…。


「あれは、ゆーくんが私にしてくれた約束だったでしょ?」

「うん?」


 まあ、見方にとしてはそうなるのだろうか。


「だからね、今度は私からゆーくんに約束。私はゆーくんから絶対に離れないから」


 倖楓が小指を差し出す。これも、もう3度目になる。

 恐る恐る出した俺の小指を、倖楓が小指で捕まえに来た。


 ―――心臓の音がうるさい。自分の顔が熱いし、倖楓の顔をまともに見れない。


「よし!写真撮ろっ!」

「え?」


 また話題の急転換に、頭が追いつかない。


「ほら、こっちこっち」


 倖楓が俺の腕に抱き着いてくる。制服の時と違って倖楓の体のやわらかさが、さらに増して伝わってきた。これは下手に動けない。


「はい、撮るよー」


 倖楓がそう言ってからシャッター音まで、ほとんど間は無かった。俺の腕はすぐに解放されたが、緊張感から落ち着くまで時間がかかる。


 すると、倖楓が笑いだした。


「あははっ」


 何事かと思って見ると、スマホに今撮った写真が映っていた。そこにはものすごく無愛想な顔をした俺の顔があった。さすがにこれは嫌だ。


「それ無し!サチ、撮り直そう!」

「だーめ!これはこれで思い出になるからいいの!」


 すぐに却下されてしまった。俺が続けて抗議するも倖楓はスルーして、


「さ、カフェに行こっか」


 と俺の手を握って歩き出す。


 まだ俺はどうするべきなのかは見えない。でも、倖楓の言う通り少しずつ考えればいいのだろうか。

 倖楓は俺に傍にいて欲しいと、俺の傍から離れないとも言ってくれた。


 ―――それなら俺は…。

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