付かず離れず

 関本との出来事から約1週間が経ち、6月になった。


 今日から夏服での登校になる。初めての夏服に少し違和感を覚えながら、家を出る。


「おはよう、ゆーくん」

「…あ、うん。おはよう」


  倖楓も当然夏服の姿だった。初めて見る格好に、俺は少し動揺する。

 少し前まで毎日朝ごはんを作りに来ていた倖楓だったが、最近は俺が断る日があった。今朝もその日だったので、扉の前で今日最初の挨拶を交わした。


「…どうかな?」


 倖楓がスカートを摘まみながら上目使いで尋ねてくる。主語は無いが、さすがに何を聞かれているかはわかった。


「…いいんじゃないかな」

「そっか、ありがとう…」


 この約1週間、倖楓と一緒にいると頭の中がごちゃごちゃしてしまって、ぎこちなくなってしまう。

 倖楓もそれをなんとなく感じているのか、最近は2人でいても口数が比較的少ない。

 この中途半端な状態を良くないと俺は感じてはいるが、簡単に解決できる問題ではなかった。




 学校に着き教室に入ると、たまたま目の前に関本がいた。こっちを見て目が合うが、関本はすぐに目を逸らして自分の席に戻った。あれから、関本は倖楓に近付かなくなっていた。


 結局、関本はあの日のことを誰かに言ったりはしなかったようで、特にクラス内の変化は起こらなかった。翌日は俺も覚悟をしながら登校したのだが、拍子抜けしてしまった。




 体育の授業が終わり、教室で体操着から制服に着替える。脱いだ体操着を、俺が片付けていると明希が声をかけてきた。


「悠斗、ちょっといいか?」

「何?」


 倖楓とはぎこちなくなっているが、明希や槙野とはそうなってはいない。


「もうすぐ、香菜の誕生日だろ?」


 そう言われて俺は思い出す。黒板の日付を見れば、約2週間後だった。一応、毎年俺もプレゼントを渡したりしている。


「そういえばそうだ。2人で何かするの?」


 毎年祝っているとはいえ、当日に一緒にどこかに行ったりはしたことが無い。さすがにそこは2人に気を使っていた。


「当日の日曜、遊佐さんも誘って4人で遊びに行かないか?」


 倖楓の名前が出て少し動揺してしまう。名前が出ただけでこれだ、我ながら呆れる。


「…まあ、いいけど」


 嫌というわけではないので了承する。


「そっか、よかった。それなら遊佐さんのこと誘っておいてくれるか?」

「は!?」


 予想外の頼みごとに素っ頓狂な声を出してしまう。


「何かまずいのか?」

「…いや、そうじゃない…けど」


 説明できるようなことでもないので、俺は言葉に詰まる。


「なぁ、また遊佐さんと何かあったのか?」


 これだけ動揺してれば、さすがに気付かれていても驚かない。

 それでも俺は取り繕ってしまう。


「なんで?」

「あのな、普段の2人はどこまでも2人で1人って感じなんだよ」


 なんだそれはとツッコみたくなるが、続きを待つ。


「4月にケンカしてた時はお互いを見ながらも一定の距離を離れてたんだけど、今回はどっちでもない。この1週間は付かず離れずで、ぎこちなく見える」


 完璧な分析に恥ずかしくなってきた。…傍から見てもそんなにわかりやすいのか。


 ここまでバレていても、やはり何か話そうとは思えなかった。


「ちょっとな…。でも、また何とかするよ」

「そうか、何か手伝えることあったら言えよ?」


 ここで踏み込んでこない友人の優しさに、ありがたみを感じる。


「うん、ありがとう」

「それじゃ、遊佐さんによろしく」

「…あ!」


 すっかり忘れていた。…明希の奴、わざと話題を変えて意識を逸らしたのではないだろうか。さっきまで感じてたありがたみを返してほしい。




 放課後。

 昼休みも休み時間もいくらでもタイミングがあったはずなのに、全く倖楓を遊びに誘えなかった。そんな簡単なことも出来なくなっていることに、ため息が出る。


 窓の外を見ると、雨が降っている。とは言っても、授業中から降っていたのでわかってはいた。天気のせいもあってか、気持ちが余計に沈む。


「はぁー、帰るか…」


 俺は荷物をまとめてから席を立ち、ロッカーに置きっぱなしにしてある折りたたみ傘を取りに行く。


「水本」


 背後から聞き慣れた声で呼ばれたので振り返る。


「槙野?どうかした?」


 俺が1人の時に話しかけてくるなんて珍しい。特別な用事があるのかもしれない。


「その折りたたみ傘、ちょっと見せてくれない?」


 急にそんなことを言われて意図が読めないが、べつに断る理由もない。


「まあ、いいけど…」


 恐る恐る槙野に傘を手渡す。受け取った槙野は傘を眺めてから俺に視線を戻した。


「この傘、借りてくわね!」

「は?」


 俺が抗議する間もなく、槙野がダッシュで教室から逃走した。


 突然の犯行に俺は理解が追い付かず、呆然と立ち尽くす事しかできなかった。


「いや!ちょっと待て!」


 ショックから回復するのに少し時間がかかった。誰があんな大胆な犯行をすると予想が出来るだろうか。


 このままでは雨の中、濡れて帰ることになる。まずは槙野を追いかけなくてはならない。バスケ部なら体育館で練習だろうし、必ず見つけられる。


 そう確信した俺が体育館へ足を進めようとすると、


「ゆーくん、どうかしたの?帰ろう?」


 帰り支度を終えている倖楓が横から声をかけてきた。帰りは相変わらず俺からは誘わないが、倖楓から誘われれば断らずに帰っている。


 一瞬の出来事に倖楓も見ていなかったのだろう。俺は事情を説明する。


「槙野に折りたたみを盗まれたから、取り返さないと帰れない…」

「それならよ?」

「あー、それは助か―――って待て!」


 あまりにも自然な申し出に受け入れかけてしまった。倖楓は相合傘をして帰ろうと提案してきているわけだ。そんな注目されるようなことをして帰るなんて絶対に無理だ。


「え?何を待つの?」


 どうしてこの子は恥ずかしいとか思わないのか。もしかして、俺が意識し過ぎなのだろうか…。


 そうなると、ここで正直に相合傘は恥ずかしいなんて言うのは自滅する行為に等しい。もっともらしい理由で断ろう。


「ほら、やっぱり2人だと狭くなって濡れるだろうから…」


 俺がそう言うと、倖楓は背後から普通の雨傘を出して見せてきた。


「私の大きいから問題ないよ!」


 たしかに言われてみれば、コンビニとかで売っている安めの傘と違って、サイズも大きくて見た目も高そうだ。


 …いや、ここで納得してはいけない。


「それでもやっぱり濡れると思うから―――」

「私と一緒の傘に入るのは嫌…?」


 少し寂しそうに言う、その表情に良心が痛む。


「…そうは言ってない」

「良かった!それじゃあ、帰ろう?」


 倖楓の顔に笑顔が戻ったので安心すると、倖楓が俺の袖口を掴んで引っ張り、そのまま2人で教室を出る。


 昇降口の出入り口で外の雨を見て、俺はやっぱり相合傘に耐えられないと感じる。


「やっぱり傘返してもらいに…」


 そうだ、体育館に行けば確実に傘を回収出来るのだから、そうしない方がおかしい。


 俺がそう考えていると、倖楓が肘で俺を小突く。


「ゆーくん、ここまで来て往生際が悪いよ?」


 なんで呆れられているのか。俺が悪いわけじゃないのに、なんだか理不尽だ。


「はいっ♪」


 倖楓が傘を渡してくる。なんか、今日は久しぶりに倖楓の押しが強いように思う。

 俺は諦めて倖楓から傘を受け取る。―――ここで拒否出来ないのだから、俺は本当にどうしようもない…。


 傘を開くと倖楓が寄り添ってくる。


「…やっぱり狭いんじゃ―――」

「もうっ!」


 俺の言葉を途中で遮って、倖楓が無理やり俺と腕を組む。ここまでするとは聞いていない。


「ちょっ、サチ!?」

「行くよ!」


 倖楓に引っ張られて、俺達は歩き出した。


 やっぱり下校する他の生徒からの視線を感じる気がする。幸いなのは傘でそれが遮られていることだ。気のせいであってほしい…。


「ねぇ、ゆーくん?」


 倖楓が改まって呼んできた。どうしたのだろうか。


「なに?」

「今日は晩御飯、作りに行っていい?」


 少し前までなら聞いてこなかったことも、今は聞いてくる。それが良いことなのか、悪いことなのか俺には判断できない。


 昨日は断ったので、連日断るのも悪い気がする。


「うん、いいよ」

「よかった、ありがとう」


 お互いに何も言わないまま進む。今まであまり会話が途切れたことはないが、それでも無言の時間が気まずいことなんて、ほとんどなかった。


 何か話題をと考えて、明希からの頼みを思い出した。今がそのタイミングだろう。


「サチ」

「なに?」


 倖楓が少し驚いた顔をしてこっちを見た。


「あのさ、もうすぐ槙野の誕生日なの知ってる?」

「うん、知ってるよ」


 あれだけ仲良くしてれば、そのくらい知っているのも納得だ。愚問だったかもしれない。


「明希がさ、当日が日曜だから4人で遊びに行かないかって…」


 俺が提案したわけでもないのに、なぜか緊張する。


 恐る恐る倖楓の顔を見ると、パッと明るくなった。


「行く!もちろん行く!」


 思ったよりも嬉しそうな返事に面食らったが、一安心した。


「そっか、それなら明希にもそう伝えとく」


 帰ったら連絡しようと考えていると、倖楓も何か考え込んでいる様子だった。


 倖楓の様子を見ていると、どうやら何か決まったらしい。


「よし!ゆーくん、今からプレゼント買いに行こ?」

「今から!?」


 突然の提案に反射的に驚いてしまった。今日は急なことが多すぎる気がする。


「そう、今から!」


 今からということは、駅前のショッピングセンターに行くことになるだろうと予想できる。この時間からだと放課後の生徒が結構いると考えて、俺は気が引ける。


「えっと、今日は雨だし、また今度に…」

「私と買いに行くの嫌?」


 最近の倖楓は、こういう聞き方をすることが増えた。そんなに俺は嫌そうな顔をしているだろうか。―――俺は倖楓を拒絶したいわけではないのに。


「…嫌じゃない。いいよ」

「そっか!嬉しい!」


 一緒に買いものに行くだけでこんなに喜ぶなんて、幸せのハードルが低いのではと心配になってしまう。


「そうと決まったら、早く行こ!」


 倖楓が絡めた腕に力を入れ、俺を急かす。傘の軸がぶれて、溜まっていた雨粒が一気に落ちてくる。


「サチ、濡れるだろ!」

「水も滴るって言うからいいの♪」


 倖楓の謎理論に困惑させられながら、2人で雨の道を進む。

 俺達がプレゼントを買い終える頃には、雨が上がっていた。

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