失望
倖楓が俺の腕を引っ張って教室の外へ出るが、なぜか屋上の踊り場には向かわなかった。
どこへ向かっているのだろうかと俺が思っていると、倖楓が止まり、
「ほら、早く連絡しなよ…」
顔は俺に向けないまま、不機嫌そうに言う。
そんな話を全くしていなかったので、俺は意味がわからずに困惑する。
「えっと、誰に?」
その発言がお気に召さなかったのか、倖楓の顔が不機嫌から怒った顔に変わった。
「橘さんに!さっき、ああ言ったんだから嘘にするわけにはいかないでしょ!」
「あ、そういうことか…」
俺が嘘を言ったことが、それほど腹立たしかったのだろうか。褒められたことじゃないとは俺も思うが、倖楓に今までこういった嘘で怒られたことがなかったので腑ふに落ちない。
しかし、そう言われてしまった以上は早く連絡した方がいいだろう。スマホを耳に当てて、相手が通話に出るのを待つ。
『もしもし。珍しいわね、悠斗君』
1コールも終わらない内に
「あー、突然すみません茉梨奈さん。今日って生徒会室で食べれたりしますか?」
『本当に珍しいわね、どういう風の吹き回し?』
たしかに俺から誘ったことなんて無かったと思うが、そういう風に言われるとなんか申し訳なくなってきた。
「えっと、諸事情でそうしなければならなくなりまして…」
『…悠斗君。あなた諸事情が無いと私とお昼も食べれないの?』
―――まずい、これは良くない言い方をしてしまった。
「いえ、そんなことないですから!いつでも一緒に食べたいです」
とにかく機嫌を直してもらわないと困る。必至になって言葉を捻り出したのだが、
―――ドスッ
「う゛っ」
突然の脇腹への衝撃に思わず、呻き声が出た。
片手で脇腹を押さえながら犯人の顔を見ると、腕を組んでそっぽを向いている。一体なんなんだ…。
『…はぁー。遊佐さんもいるのね』
なんで今のでわかったのか、全く理解できないが話が早くて助かる。
「はい、難しいですか?」
『いいわ。今から向かうから2人で来なさい』
なんとか許された。安心で口から息が漏れる。
「ありがとうございます。俺達もすぐ向かいます」
『ええ』
通話を終えて、俺はスマホをしまう。
倖楓に移動を促そうとすると、まだご機嫌斜めの様子だった。
「あー、サチ?許可もらえたから生徒会室行こう?」
俺が恐る恐る聞くと、
「ふんっ」
1人で生徒会室へ歩き出してしまった。
どうにかして生徒会室に到着するまでに倖楓の機嫌を戻さなきゃいけない。ようやく丸く収まったと思ったのに、まだ試練が降ってくるとは…。神様はとことん俺を苦労させたいらしい。…本当に勘弁してくれ。
「…なるほど。それで私に連絡をしてきたわけね」
茉梨奈さんがタンブラーから口を離して机に置く。
俺と倖楓が生徒会室に到着すると、茉梨奈さんはすでに中で待っていた。
席に着いて食事を始めたところで、茉梨奈さんから説明を求められた。
俺が事実をそのまま茉梨奈さんに伝えた結果が、今の納得の言葉だった。
「簡単なことじゃない。ハッキリとそのクラスメイトに拒絶の言葉を言えばいいだけよ」
少し呆れたように言う茉梨奈さん。茉梨奈さんらしい回答だなと俺は苦笑いする。
倖楓は浮かない顔でご飯を口へ運ぶ。茉梨奈さんの意見に、倖楓もそうできたらいいとは思っているのだろう。
「何を迷う必要があるのかしら。有象無象よりも自分の大事なものを優先するなんて、当たり前のことでしょう」
茉梨奈さんにしては珍しくイラついたように見えた。
「茉梨奈さん、これでもサチは昔と比べてハッキリNOって言えるようになってるので成長してるんですよ。なので、茉梨奈さんと同じレベルになるにはもう少し時間がいりますよ」
「あなたは遊佐さんに甘過ぎるのよ」
なぜか俺が怒られた。
実際、倖楓は小学生までの頃と比べたら、周りの誘いを断ることが当たり前に出来るようになっていた。昔は、俺と一緒ならの条件を付けては色々な誘いを受けていたのを思い出す。
「周りの人間を気にするなら、1対1で話をしてしまえばいいんじゃない?」
茉梨奈さんの意見に、たしかにと思う。
今まで関本は教室内の他のクラスメイトが大勢いる前で声をかけてきている。それなら一度呼び出してちゃんと伝えるのが効果的だろう。…なんか、関本と倖楓が2人きりというシチュエーションを想像したらムカついてきた。
「…私、そんなことは気にしていません」
意外な言葉に、俺は驚いてしまった。―――それなら何を気にしているのだろう。
「…そういうことね」
俺がまだ考えていたのに、茉梨奈さんにはすぐわかったらしい。女同士でしかわからないようなことなのか?
「でも、早く解決しないと、気がかり以上に悪い状況になることもあるわ」
「…はい」
倖楓にしては、珍しく茉梨奈さんの助言を素直に受け入れている。―――やっぱり、それほど深刻なのだろうと心配になる。
その後は関本の話には触れず、あまり会話もなく昼休みは終わった。
授業が終わり、チャイムが鳴った。
1日の疲労を少しでもほぐそうと、腕を上げて軽く背伸びをする。今日は久しぶりに無駄な疲労感があった。
早く帰って湯船に浸かりたくてたまらない。
「おい、水本」
―――どうやらそれは許されないらしい。
教室内の空気が少しピリつく。このマッチアップも何度目になるだろうか。
「関本、何か用?」
呼んだ本人はすでに不機嫌な顔だ。そんなに嫌いなら話しかけないでほしい。そもそも、「おい」って呼び方はないだろう。
「ちょっと来い」
ついに俺への呼び出しかとうんざりする。ていうか、なんで一々偉そうなんだこいつ。さすがの俺もそろそろ我慢の限界というのはあるんだが…。
「わかった」
そう思ってもこれを断ったら、さらに面倒になるのは間違いないので受けざるを得ない。
隣の席の倖楓を見ると、心配そうに俺を見ていた。―――これは隠れてついて来たり、待ってたりしそうだ。
俺は倖楓に、軽く手招きをする。近付いてきた倖楓の耳を借りて、
「今日の夕飯は煮込みハンバーグがいいから、先帰って準備しといて」
―――こういうお願いを先にしておけば帰ってくれるだろうかと、半分願いつつのリクエスト。
あまり納得してなさそうな顔だったが頷いてくれた。さすがに苦しいかと思ったが、意図が伝わったのかもしれない。
俺は荷物はまとめずに、関本の後をついて行った。
関本について行って辿り着いたのは、昼食に使っている屋上の踊り場だった。こうして連れて来られたということは、ここに人が近寄らないのは結構有名なのかもしれない。
「で?何の用?」
「お前、遊佐さんと付き合ってんのか?」
俺の中の、『関本が聞いてきそうな事ランキング』第1位を見事に口に出すので、吹き出しそうになる。危ない。
さすがにそれは相手を刺激し過ぎるので、少し咳払いをして耐える。
「付き合ってないよ」
「じゃあ、好きなのか?」
本当に、どう育ったらこんなに図々しくなれるのか。そろそろイライラが抑えられなくなってきた。
「…そもそも、なんでそんなことを関本なんかに言わなきゃいけないわけ?」
「俺が遊佐を狙ってんのわかってるだろうが!」
―――裏では呼び捨てにしてるのか、こいつ。しかもキレてるし。
「関本の事情なんて知らないし、知りたくもない。俺には関係ない事だろ」
こんなに思った事をそのまま他人に言うなんて久しぶりだ。―――まあ、結果は最悪だけど。
関本の右手が俺の胸ぐらを掴んで来た。
「お前が一番、遊佐に近い男子なんだ。付き合ってないなら口添えとかで協力したっていいだろ」
関本の主張に呆れずにはいられない。それが協力を仰ぐ態度か。道徳の授業とか寝てたのか?
「それくらい自分で努力しろよ。それに、そういうことはサチ本人が決めることだろ」
「遊佐が周りと一線置いてることぐらいわかってるだろうが」
また関本の都合か。そもそも倖楓は関本と一線どころか堀を作ってそうだ。
なぜあそこまでの対応をされて気付かないのだろうと不思議でならない。
「じゃあ無理だ。俺が何か言ったって、生き方は変えないだろ」
―――生き方はそう簡単に変わらない、変えられない。それでも変わったのなら、それはその人が痛みを伴った経験をしたということだろう…。
俺の言葉に関本がうつむく。少しは理解出来ただろうか。
「クソッ、見た目も頭もいいからって全員見下してんのか?他人の気持ちが理解できないなら1回痛い目をみればいいのに…」
―――こいつは一体何を言ってるんだ?そう思った瞬間、俺に刻まれた最も醜悪な場面がフラッシュバックする。
「―――ねぇ。あの子、困らせちゃおうよ」
全身の血が頭に一気に上ってきたような感覚がする。耳に血流の音が聞こえて、心音もうるさいくらい早くなる。
―――それからは、ほぼ無意識だった。
俺の胸ぐらを掴んだままの関本の右手を内側に捻り、お辞儀をするように相手の手首に体重をかけると、
「痛ってぇ!」
関本は痛みから逃れるように膝をつく。その後、関本の右腕をさらに捻ることで床に這いつくばらせ、背中にマウンティングを取ると同時に、そのまま関本の右腕を背中で極めて、自分の太ももで固定する。
抵抗する関本の頭を左手で押さえつけ、
「お前が学校であいつの周りをうろちょろしてるだけなら、他の奴と同じようにどうだっていい。でもな、あいつに悪意とか害意を持って近づくのを許すほど、俺は無責任じゃない」
淡々と忠告する。
しかし、関本は呻き声を上げるだけで返事はない。俺は関本の極めてる右腕をさらに内側へ力を入れる。
「わ、わかった!俺が、俺が悪かった!」
それを聞き届けて、俺は関本を解放する。
関本が右腕を庇いながら起き上がると、俺から距離を取った。その顔は、今までの不機嫌な顔とは少し違って見えた。
「俺が言った事、忘れるなよ」
俺が再度忠告すると、関本は少しビクついて、
「…ああ」
そのまま階段を降りて行く関本の背中を見届ける。足音の響きも無くなり、やがてこの場所本来の静けさが戻ってくる。
そうして、やっと俺の身体の温度も落ち着きを取り戻した。
「ははっ」
乾いた笑いと共に、俺は壁に背を預けてそのまま座り込む。
「…結局、俺はこんなやつだったわけだ」
自嘲気味に笑う事しか出来ない。
―――何も成長してない、それどころか悪化しているようにも思う。
「やっぱり俺は―――」
俺の声は、屋上へ出る扉が開く音でかき消さる。
「…酷い顔ね」
―――茉梨奈さんが、そこに立っていた。
「どうして」だとか、「こんなところを見られた」だとか、そういった考えは一切浮かばなかった。あるのはただ、―――自分への失望のみ。
「悠斗君、ちょっと付き合いなさい」
茉梨奈さんは、そう言って扉の鍵を閉めて、階段を下りる。
すぐ下の踊り場まで着くと、まだ動かない俺に振り返り、
「早くしなさい。私を待たせると後が怖いわよ?」
小さくため息をつきながら、俺は立ち上がる。
――――俺は、茉梨奈さんに外へ連れ出された。
「悠斗君、これどうかしら?」
夏物の服を自分の体に当てながら、茉梨奈さんが意見を求めてくる。かれこれ1時間くらい同じことをしていた。
俺達は今、ゴールデンウィークに倖楓と来た駅前のショッピングセンターに入っている。もうすぐ1ヶ月近く前になるのだが、やはりまだ記憶に新しい。
―――そのせいか倖楓の顔がチラついて、今の俺の心に重くのしかかる。
正直、こんなことをしてる気分ではないのもあって、茉梨奈さんの問いを1つもまともに返せていない。
「さすがに疲れたわね、お茶にしましょうか」
何も気にしないかのように振る舞われていることが、ただただ居心地が悪かった。
「…もう帰りたいんですけど」
今の俺の本心をそのまま口に出した。―――不快感もなく、ただ淡々と。
茉梨奈さんと知り合ってからもう2年くらいだが、こんな風に意図がハッキリしない行動は2度目だ。
「次で最後だから、付き合いなさい」
有無を言わさないと顔や態度から滲み出ている。…まあ、ここまで付き合ったのだから、あと1か所だけならいいか。
「…わかりました」
連れて来られたのは、4月に倖楓も含めた3人で入った喫茶店だった。しかも、ウェイターさんに案内されたのは同じ席だ。
―――沈黙が続いていた。
テーブルに置かれたコーヒーを見つめる視線を正面に向けて、俺は話を切り出す。
「なんのつもりですか?」
向かいに座る茉梨奈さんは、俺の質問に少しも表情を変えることなく、カップに口をつける。
このタイムラグに、今は少し苛立ちを覚える。
「初めに言ったでしょう?酷い顔をしてるって」
屋上の踊り場でのことだろう。しかし、その言葉とさっきまでの行動が、俺の中では全く結びつかない。―――本当に今日はいつもの茉梨奈さんと違って調子が狂う。
「答えになっていません。はぐらかすなんて茉梨奈さんらしくもない…」
さすがの俺も、言葉に苛立ちが出る。
茉梨奈さんはカップを手で包みながら、目を伏せている。―――言葉を選んでいるように見えた。初めて見るその様子に、俺は驚きと戸惑いを感じる。
やがて、ゆっくりと瞼を上げ、
「…そうね。その酷い顔、考えや想いから日常に戻してあげようと思ったのよ」
思いもよらない回答に、俺の頭は一瞬フリーズしてしまった。それなら普通に失敗していると思う。
「でも、やっぱりあなたをそんな顔にさせるのも、日常に戻せるのも、あの子だけね…」
苦笑気味に言う茉梨奈さんを見て、俺は
あの子が誰なのかはすぐわかった。―――だからこそ何も言えない。
それでもなんとか言葉を絞り出し、
「…俺の日常は前からこうでしたよ。ただ、最近は気が抜けていたというか、腑抜けていたと言うべきですかね。…本当に救いようがない」
自分の言葉に笑えもしなかった。
「何があったかは、見ていたというより、ほとんど聴いていたわ」
そう言われても、俺は驚かなかった。あの時の出てくるタイミングが良すぎたからだ。
「悪趣味ですね」
「あなた達が後から来たのよ。それに、あんなに声を出してたら気が付くに決まってるでしょう」
これは関本が悪いなと、改めて恨めしく思う。
「だからこそ、私には言える。あれは悠斗君に落ち度は無いでしょう?…いいえ、今日のことだけじゃない。あなたが話してくれた小学生の時のことだってそう…」
家族以外で唯一、茉梨奈さんにだけ話した事。
―――小学生の時。そう、俺の生き方が変わった出来事。
―――俺にとっての痛みの記憶。
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