幕間 2人のデート


 ―――甘い、花のような香りがする。

 なんだか心地が良くて、安心する香りだ。


 俺はその香りに包まれながら、微睡の中を漂う。

 すると、段々と香りを近くに感じ始める。その違和感に俺が瞼をそっと開くと―――、


「おはよう、ゆーくん♪」


 倖楓の顔が、俺の真横にあった。


「さ、サチ!?」


 俺は、あまりの距離の近さに跳び起きて、壁に後ずさる。

 なぜこんな状況になっているのか。


 それは、一昨日のこと。俺は久しぶりに風邪をひいてしまった。それを知った倖楓が俺を看病してくれたのだが、1日だけでなく2日連続で泊まり込んでの看病になってしまった。

 その結果が、この今の状況なわけなのだが…。


「じゃ、私朝ごはん作るねー」

「え、あ、はい」


 ナチュラルに朝ごはんを作りに行ってしまった。


「朝から心臓に悪い…」


 悪態をついてから、俺もリビングへ向かった。




 顔を洗ってからリビングに戻ると、パジャマの上からエプロンをつけた姿で、キッチンに立つ倖楓がいる。

 冷静に考えて、女の子と2晩も同じ部屋で眠ったというのは、とんでもないことだったのではないだろうかと思い始めた。もちろん何も無かったし、何かしようとも思わなかったが。


「ゆーくん、どうかした?」

「あ、いや、なんでもない」


 見過ぎてしまったらしい、倖楓に不審に思われてしまった。

 ―――倖楓を好きだと自覚してから、正直どう接したらいいのかわからなくなる時が何度かあった。今まで通りで良いと頭では分かっているはずなのだが…。


 俺は一先ず、朝食の準備を手伝うことにした。


「手伝うよ」

「病み上がりなんだから、ゆーくんは座って待ってるのが仕事です」


 そう言われると、昨日まで看病されていた身としては、何も言い返せなくなってしまう。




 大人しくソファで待っていると、テーブルに朝食が並べられた。


「お待たせー、食べよ!」

「ありがとう。…おいしそう」

「でしょ?」


 並べられたのは、オムレツとソーセージとサラダというメニュー。普段なら特別というメニューではない。しかし昨日まで、おかゆやうどんといった比較的味の薄い物を食べていた身としてはとてもありがたい。


 2人揃って食べ始めて少しした頃、倖楓が嬉しそうな顔をして喋りだした。


「昨日も思ったけど、こうやって一緒に朝ごはん食べるのもやっぱりいいね」

「まあ、そうかも…」

「それじゃあ、今度から朝も一緒に食べよっか!」

「…たまになら」

「ほんと!?やった!」


 このように倖楓の顔を見ていると、以前なら断れたことも受け入れてしまう。

 倖楓が、未だに笑顔でこっちを見ている事に居心地が悪く感じた俺は、今日の予定の話を振る。


「ところで、今日はどこに行くつもりなの?」

「んーとね、駅前でショッピングを考えてます!」


 どうやら、駅直結のショッピングセンターへ出かけるらしい。

 今日は、2日間の看病のお礼という名目で、倖楓と2人で出かける約束になっている。


「何か買いたい物があるの?」

「特別決めてないけど、ゆーくんと一緒に歩いて、これが良いって物があれば買おうかなって」

「そっか」

「ゆーくんは何か行きたいところとかない?」

「今日はサチへのお礼だから、俺の希望は無でいいよ」

「…単純に思いつかないだけでしょ」


 倖楓がジト目でこちらを見てくが、俺はコーヒーを飲みながらそれをやり過ごす。


「まあいっか。10時に改札前で待ち合わせね?」


 現在の時刻は7時30分を回ったところ。時間的余裕はある。


「それはいいけど、なんでわざわざ待ち合わせるの?マンションの下から一緒に行けばいいのに」


 浮かんだ疑問をぶつけると、倖楓がすごく不満そうな顔をした。


「せっかくのデートなんだから、ちゃんと待ち合わせしたいの!」

「わ、わかった」


 俺は、倖楓の勢いに押されて了承する。そもそも断る理由もなかった。




 朝食を食べ終えると、俺が片付けを担当して、サチには自分の部屋に戻ってもらった。

 片付けをしながら、部屋の静けさに少し寂しさを感じる。2日も家に自分以外がいるのは久しぶりだったからだろう。


「何を感傷的になってるんだか…」


 そんな独り言を口にしながら、俺は片付けを進めた。




 俺は今、改札前で倖楓が来るのを待っている。

 スマホで時間を見ると、9時55分の表示。

 俺は50分には着いていたのだが、少し早かったかもしれない。


 そう思っていると、こちらに誰か近付いてくるのを感じる。


「ゆーくん、お待たせ!待った?」


 声をかけられた方へ顔を向けると、倖楓が笑顔で立っている。


「いや、平気。行こう」


 俺がショッピングセンターの中に入ろうと1歩足を進めると、倖楓に腕を掴まれて引きとめられた。


「どうかし―――」

「お・待・た・せ!待った?」


 なぜ同じことを繰り返してくるのかと考えたが、すぐに意図が読めた。

 俺は仕方なく、茶番に付き合うことにした。一応、今日はお礼ということになってるし。


「…今来たとこ」

「ならよかった!行こっか!」


 倖楓は満足そうな顔をして、俺の腕を引っ張って進み始める。

 このちょっと古いやりとりのどこが気に入ったのか。俺は少し呆れながら、倖楓に連れられて建物の中へ入った。


 中に入ると、倖楓は案内も見ずにスムーズに先へ進む。どうやら、最初の目的地は決まっているらしい。


 エスカレーターで数階上がってから倖楓が止まった。


「最初はここ!」


 そこはレディースのファッションフロアだった。まあ、倖楓は女の子だし別におかしくも、予想外でも無い。

 ただ、やっぱりどうにも居心地が悪い。何度か姉に付き合わされたりもしたことがあるが、姉弟で来ても居心地が悪いのだから、今は尚更だ。


 俺がそんな風に気後れしていると、急に手を握られた。


「こうすれば平気でしょ?」

「…まぁ」


 俺は少し抵抗感を抱きながら、倖楓と手を繋ぐことを受け入れた。


 2人で歩き始め、倖楓は恥ずかしくないのだろうかと、俺は疑問に思った。

 倖楓と端の店から順に入って、中を見回る。どうやらフロア内の全部を回るつもりらしい。これは骨が折れそうだ。


 半分ほど回った頃に入った店舗で、倖楓がトップスを自分に当てながら姿見で見ていると、ショップ店員に声をかけられた。


「良くお似合いだと思いますよ!彼氏さんもそう思いますよね?」


 よくある接客対応。

 いちいち否定するのも面倒なので、俺は無難に返答することにした。


「そうですね、俺も似合ってると思います」

「へ!?ほ、ほんと!?じゃ、じゃあこれは!?」

「良いと思うよ」

「彼女さんがこんなにかわいいと、彼氏さんも嬉しいですよねー!」

「そうですね」


 正直、1人で服の買い物をしている時でも店員に話しかけられるのは好きじゃないので、早くどっかに行ってくれないかなと思う。


 俺が内心で少しうんざりしていると、倖楓が慌てたような声を出す。


「そ、それなら全部買っちゃおうかな!」


 試しに持ってきた服を全部抱えてとんでもないことを言い始めた。明らかに変なスイッチが入ってバグってる。


 俺は倖楓の抱えてる服を取り上げて、店員さんに返す。


「すみません、また今度来ます」


 倖楓の手を掴んで、急いで店の外へ出る。


「いきなり全部買うやつがあるか!」


 俺は店から離れた場所で、倖楓に説教を始めた。


「だってぇ…」

「だってじゃない。買うなとは言わないけど、もう少し熟考してからだな…」

「もうっ!ゆーくんが悪いんだからね!」

「えぇ…」


 突然の逆ギレに理不尽さを感じる。


 倖楓がすっかりご機嫌斜めなので、次の予定を聞いて話を変えることにした。


「で?次はどの店に入る?」


 俺がそう聞くと、倖楓は考え込むポーズを取る。なんでこういう、わざとらしいことをしてもイラッとしないのだろう。一種の才能ではないだろうか。


「決めた!こっち!」


 そう言った倖楓が俺の手を握って、エスカレーターへ向かう。このフロアはもういいらしい。


 1つ上のフロアに上がると、倖楓が止まって前方に指を差す。


「ここ!」


 倖楓が選んだ場所。それは、


 ――――下着売り場だった。


 俺は思わず、エスカレーターを逆走でもいいから下りようとする。


「こら!逃げるな!」


 しかし倖楓に手を握られているので逃げられなかった。このために手を繋いでいたのかと、長期的な罠であったことに気付き後悔する。


「今日は他人に見られたくないような買い物にも付き合ってもらいます!大丈夫!私と手を繋いでいれば、怪しくないよ!」

「…全然大丈夫じゃないんだけど」


 本当に全然大丈夫じゃない。さっきまで見ていたレディースのファッションフロアとは、次元が違う。誰か助けてほしい。

 絶望している俺を引っ張って、倖楓が店内に入ってしまう。通路が狭いわけではないのに、すごく圧迫感がある。


 俺は視線を、倖楓と繋いでる手にだけ集中させる。これが俺の生命線であり、命綱だと強く認識する。


「ゆーくん、今日はゆーくんの希望を聞いてあげます!」

「…そうだな、今すぐここから出て家に帰りた―――」

「まず、ゆーくんはどのタイプの―――」

「ごめんなさい、俺が悪かったので許して下さい。あと俺が決めるのも勘弁してください」


 危ない。必要ない知識を増やされるところだった。

 倖楓は少し唇と尖らせて不満そうな顔をする。


「しょうがないなぁ。それじゃあ何色が好き?」

「……。」


 反応したら負けだ。俺は心にそう刻み込む。


「…ゆーくんの私服は黒とか青が多いから、そっち系かー。てことは黒の可能性が高そう。ゆーくんも結構大胆なのが好きだなぁ」


 何も言ってないのに、俺の好みを勝手に決めて話を進めている。男に対するセクハラもあるということを、ちゃんとわかっているのだろうか…。


「よし、それじゃあ黒を―――」

「わかった、せめて青系にしてください」


 俺の本能が、それを選ばせちゃいけないと警報を鳴らした気がしたので、苦肉の策で色の希望を伝える。


「最初から素直に言ってくれればいいのにー」

「言えるか!」


 それから倖楓が何かを迷って、レジに持って行くまで15分程かかった。

 ようやく購入し終わって店外に出た瞬間から、俺は倖楓に文句を言う。


「もう絶対に!2度と!一緒にここには来ないからな!」

「もー、大げさだなー。ゆーくんが選んだのを着けてるとこ見せてあげたら、そんなこと言えなくなるかな?」

「見せなくていい!」


 なんて怖い発想をするんだこの子は。

 倖楓が面白そうに笑っている。人で遊ぶのも大概にしてほしい…。



 そろそろお昼を食べようとなり、俺たちはパスタがメインの店に入った。

 お昼時なのもあり混んでいたため、壁沿いのカウンター席に案内され、2人並んで座る。


「やっぱりお昼は混んでるねー」

「ここは他の店と比べてもリーズナブルなのも理由かもね」


 そんなことを話していると、さっそく店員がお冷を持って来てくれる。


「今はランチセットのお時間なので、そちらのメニューからご注文ください」

「あ、はい。ありがとうございます」


 俺がお礼を言うと、すぐに下がって行った。


 倖楓とメニューを眺めながら、何を選ぶか相談する。


「ゆーくん何にする?」

「んー、やっぱりケーキも付いてるセットにしようかなー」

「じゃあ私もそうしようかな。パスタはジェノベーゼで、ケーキはミルクレープで」

「そっか。俺は…。カルボナーラとチョコレートケーキにするかな」


「ふふっ」

「どうかした?」

「ゆーくんは昔からカルボナーラだなって思って」

「好きだからいいんだよ」


 俺は店員に声をかけて、注文を取ってもらった。




 2人の注文したパスタが配膳されたので食べていると、倖楓が肩が触れるほど近くに寄ってきた。


「なに?」

「私、ゆーくんにいっぱいあーんしてあげたけど、ゆーくんからされたことない…」


 すごく不満そうな顔をしている。今日何度目だろうか。


「してあげたって言うけど、別に頼んでないし…」


 今度は頬を少し膨らませている。


「そんな顔してもやらない」


 すると、今度は顔を耳の近くまで寄せてきた。


「ねぇ、ダメ?」


 倖楓に耳元で囁かれる。


 その瞬間、身体全体が震え上がった。とんでもない破壊力だ。


「いや、だから…」


 俺は、なんとか正気を保って抵抗を続ける。

 しかし、倖楓の攻めも止まらない。再び耳元で囁く。


「お願い、ゆーくん」

「…わかった」


 理性が吹き飛ぶかと思った。


 すでにノックアウトされてしまった俺は、すぐにフォークにパスタを絡めて、倖楓に差し出す。


「…ほら」

「ちゃんと言って?」


 倖楓が、少し困ったような顔で要求してくる。どこでそんなの覚えてくるんだ。


「…あーん」

「あーん。…うん、おいしい♪」


 とても満足そうだ。こっちは恥ずか死しそうなのに。

 今になって壁沿いの席で良かったと、俺は安堵した。




 昼食を食べ終えた俺たちは、雑貨屋などがあるフロアに来た。

 俺はトイレに行きたくなったので、倖楓には少し待っててもらうことになった。

 しかし、俺が元の場所に戻ると、そこに倖楓の姿が無い。

 周囲を見回すと、近くのアクセサリーショップでショーケースを眺める倖楓が見えた。

 近づいてみると、倖楓は気に入ったのか、1つのネックレスを見ている。


 少し悩んでから、声をかけた。


「サチ」

「あ、ゆーくん。おかえり」

「ただいま。何見てたの?」

「ん?ちょっとね。でも大丈夫、次行こ!」


 倖楓は何でもないかのように振る舞って、俺の手をまた握って歩き出した。


 その後は俺の服を見たりして、時間が過ぎていった。


「さて、結構見て回ったけど、この後はどうする?」

「うーん。帰ろっか!お家で晩御飯食べよ?」

「サチがそうしたいならいいよ」


 俺がそう答えると、倖楓が改まって話し始める。


「ゆーくん、今日1日ありがとう。またデートしてくれる?」

「…気が向いたら」

「ふふっ、そっか!」


 こうして俺たちのデートは幕を閉じた。


 ちなみに、俺の部屋で夕飯を食べた後、倖楓が自然に泊まることになっていたのを寝る直前まで気付かず、一悶着あったのはまた別の話。

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