幕間 悠斗のお世話(2)

 私はすぐに必要な物を取って、ゆーくんの部屋に戻った。


「まずは体温を測らないと」


 ゆーくんの寝室に入った私は布団を捲めくり、服の首元を広げて体温計を彼の脇に差し込む。


 体温計の計測完了の音の後、脇から体温計を取り出す。―――38.8℃と表示されていた。


「すごく高い…」


 ゆーくんの平熱は知らなくても、さすがに高熱であることはわかる。私は、自分の部屋から持ってきた冷却シートを、彼の額に張り付けた。


 すると、少しゆーくんの顔が楽そうになったように見えた。


 私は、それを見届けてから寝室を出る。




 ゆーくんに薬を飲ませるためにも何か食べさせてあげないといけないので、キッチンにやって来た。


「やっぱり風邪といえば、おかゆだよね」


 自分の経験上、風邪の時はおかゆを食べていたので、今回はおかゆを選ぶ。今後のため、元気になったゆーくんに希望を聞いておかなきゃと思う。


 私は、鍋でお米を火にかけながら、ゆーくんとのことを考えていた。


「このキッチンで料理するのも当たり前になってきたなー」


 嬉しい声が、つい漏れてしまう。


 ―――4月に再会したゆーくんの印象は、少し印象が変わっていた。もちろん、小学生の時と高校生で変わるのは当たり前だけど、見た目だけじゃなくて雰囲気とかが。


 再会した彼と1ヶ月を一緒に過ごして、変わらない部分と、変わった部分がよくわかった。


 でも、まだゆーくんの心の奥にあるものに、私は触れることが出来ていない…。



 ――――ガチャッ



 突然、寝室のドアが開いて、ゆーくんが起きてきた。

 でも、まだフラフラしていて表情もぼんやりしている。


「ゆーくん?どうかしたの?」


 呼びかけても反応がないので、私は火を止めてゆーくんに駆け寄った。


「ほら、まだ辛いでしょ?ベッドに戻ろう?」


 私がそう促すと、ゆーくんが私をボーっと眺めている。


「ゆーくん?」


 名前を呼ぶと、ゆーくんの手が私の頬に添えられた。


「へ!?どうしたの!?」


 あまりに突然のことで、私は動けなくなってしまう。


 ゆーくんの顔がどんどん近づいてくる。いや、私も引き寄せられてる。どんどん距離は縮まって、鼻先が触れそうになり、


 ――――ゆーくんの顔が私の肩に埋まった。


「…ゆ、ゆーくん?おーい!」


 残念だったような、安心したような、何とも言えない気持ちを抱えたまま、私はゆーくんをベッドに戻す。


「もうっ。さっきの続きは元気になったゆーくんから、ちゃんとしてほしいなぁ」


 私はちょっと叱るように、仕方ないなと思いながらゆーくんの頭を撫でた。



 出来上がったおかゆを持って、私はまたゆーくんの寝室に入っている。

 ゆーくんを、ベッドの上で上半身だけを起こさせて、おかゆの熱を冷ましてから口へ運ぶ。


「はい、ゆーくん。あーん」


 差し出されたおかゆを、ゆーくんはすぐ食べた。飲み込んだのを確認してから、次の一口を運ぶ。それもスムーズに食べてくれる。


 ―――私は今、猛烈に感動している!


 最近になってやっと、『あーん』を嫌々でもなんとか食べてくれるようになったゆーくんが今、目の前でなんの抵抗もせずに受け入れてくれている。


 感動せずにいられるわけがない!何のご褒美だろう!

 これが母性なのか、胸が熱くて仕方がない。

 不謹慎だけど、弱ったゆーくん最高かもしれない!なんて考えてしまう。


「海晴さん、女の子より男の子の方がポイント高いなんて聞いてません…」


 予想外の出来事に、クレームを入れてしまう私。


 ゆーくんは残さず食べてくれた。食欲はあるみたいでよかった。

 それから薬を飲ませてあげて、またベッドに寝かせる。やっと一仕事が終わった。


 寝室を出ると一気に疲労感が出てきた。まだお昼なのに消耗が激しいと感じる。


「これも私を動揺させまくった、ゆーくんが悪い!元気になったら、いっぱい構ってもらう!」


 私は新たに決意をして、料理の後片付けなどを始める。




 気が付くと、私はソファでウトウトしていた。カーテンがすっかりオレンジ色に染まってる。


「あぁ、寝ちゃってた…」


 そろそろ、ゆーくんの額の冷却シートを張り変えてあげた方がいいかもしれない。


 私が立ち上がろうとすると、寝室のドアが開いて、ゆーくんが出てきた。


「母さんか姉ちゃん、来てるの…?」


 家族が看病してくれたと考えて油断しているゆーくんと目が合った。


「は!?」


 ものすごい勢いで寝室に戻ってしまった。もうすっかり元気になったみたいだ。


『なんで!?どうしてサチがここにいるんだ!?』


 呼び方もサチに戻ってしまっている。私は少し寂しさを覚えながら、ゆーくんに事情を説明する。


「あのね。朝、海晴さんにゆーくんが熱で来れないから看病してあげてって言われたの。で、実は明日香お姉ちゃんから、いざという時のために合鍵を渡されてたから部屋に入れたってわけなんだけど…」

『はぁー、あの姉は…。せめて一言あってもよかっただろうに…』


 ゆーくんの呆れ声が、ドア越しに聞こえる。すると、部屋から出てきてくれた。


「身体はもう平気なの?あと、勝手に入ってごめんね…」


 もう仲直りはしていても、少し怖かったので、私は素直に謝罪をする。


「いいよ、看病されといて文句なんて言えない。ありがとう」


 お礼を言われて、私は安心した。


「ねぇ、お腹空いてる?何か作ろうか?」

「いや、そんなにかな」

「じゃあ、着替えたらどうかな?熱高かったから、汗かいただろうし」


 私が提案すると、ゆーくんは少し考えた顔をしてから、受け入れてくれた。


「じゃあそうする」


 そう言うと、ゆーくんが部屋に戻ろうとするので、私は引きとめる。


「その前に身体拭かないと!」

「あー、たしかに」

「蒸しタオル作ってあげるから、寝室で待ってて!」


 蒸しタオルを持って寝室へ入ると、ゆーくんがベッドに座って待っていた。

 なんだかこのシチュエーションにドキッとしてしまう。

 すると、ゆーくんが不思議そうな顔をして手を差し出してきた。


「サチ?どうかした?」


 どうやら自分でやるつもりらしい。それは今日ここまで看病した私に対してどうなのかと、少し不満に思ってしまった。


「背中は難しいでしょ?私がやってあげる!」

「いや、それくらい自分で…」

「病人に拒否権はありません!」

「……背中だけな…」

「もちろん!」


 観念してくれたらしい。もう少し手こずるかと思ったけど、案外脆かった。


「絶対に背中だけだからな?」

「はいはい、わかってますよー」


 ゆーくんが上を脱いで、私に背中を向けている。


 私はタオルをゆーくんの背中に当てて、絶妙な力加減を意識して拭く。

 彼の背中を見ていると、程よく筋肉がついていて、つい指でなぞってしまう。

 ゆーくんは少しビクついたけど、特に抗議の声は無かった。いけないとわかっていても、芽生えてしまった悪戯心を抑えられない。


 私はまたゆーくんの背中に指を数回這わせた。すると、


「サチ!そういうことさせるために許したわけじゃない!」


 怒られてしまった。

 さすがにやりすぎた。そう思ってゆーくんに謝ろうと顔を見ると…。

 真っ赤だった。今までに無い反応に私は驚く。


「あ、えっと、ごめんね?」

「…あとは1人でやるからリビング行ってて」


 頭が混乱していた私は、素直に従ってリビングへ。


「…もしかして、意識してくれてる?」


 そう考えたらすごく嬉しくなって、顔がにやけてしまう。


 にやけながらソファで待っていると、寝室からゆーくんが着替えて出てきた。


 私は気持ちを切り替えて、ゆーくんに話しかける。


「ゆーくん、ゼリーあるけど食べる?」

「んー、貰おうかな」

「食べさせてあげようか?」

「…自分で食べる」


 すぐに却下されたけど、また顔が赤くなっててこっちを見てくれない。

 素直じゃないゆーくんもやっぱり良いなと思ってしまう。結局私は、ゆーくんなら何でもいいのかもしれない。我ながら少し呆れる。


「お昼のゆーくんは素直だったのにー」

「…待った。俺、何かさせられたの?」

「ひみつー」


 ゆーくんがすごく慌ててる。やっぱりかわいい。


「…もしも何かやらされてても、無意識だし、記憶に残ってないしノーカンだから」


 私は、ノーカンのフレーズで、ゆーくんに顔を触れられた事を思い出してしまった。


 顔が一気に熱くなる。―――どうしよう。今、自分がどんな顔してるのかわからない。


「サチ?」

「ふぇ!?な、なんでもない!」


 変な声が出てしまった。


 本当に今日はゆーくんに心を乱され続けている。


「ほ、ほら、熱測ろう?」

「え?あ、うん」


 ゆーくんがあまり納得していない顔をしていたけど、そんなの今は無視だ。


 熱を測ってみると、36.8℃だった。おそらく平熱だと言えるだろう。


「よかったー、朝は38℃以上だったんだよ?」

「そっか、ほんとに助かったよ」

「うん。それじゃあ、私はお風呂とか済ませてから戻って来るね」

「ん?まだ何かするの?」

「寝るために戻ってくるだけだよ?」


「は?」

「へ?」


 ゆーくんと私で認識の差があるらしい。これは、ちゃんと考えを共有しなくてはいけない。


「だからね?私が寝るためにここに戻って来るの」

「いや、だからさ、必要ないよね?」

「どうして?まだ治りきってないでしょ?」

「いや、朝に様子を見に来るだけでいいだろ!しかも真下の部屋なんだから!」


 相変わらずガードが固い。これなら、もう少し熱で素直になっててもらった方がよかったかも、なんて不謹慎にも考えてしまう。


「私、今日1日大変だったんだけどなー。バイト休ませてもらって、フラフラのゆーくんの面倒を見たりしてヘトヘトなんだけどなー」


 私は十八番、『情に訴える』を行使する。ゆーくんにはこれが効果抜群だ。ほら、すでに顔に出ている。


「…わ、わかった」


 勝った。


「それじゃあ、私1回出るねー」

「…はぁー」


 ため息なんて聞こえません。




 私は自分の部屋で寝る仕度を済ませて、ゆーくんの部屋へ戻る。


 本当はお風呂なんかもゆーくんの部屋で済ませて、お風呂上りの姿を見せつけてアピールしようかとも思ったけど、さすがに病人に過度な刺激は良くないかと自重した。私、偉い。


 ゆーくんの部屋のリビングに戻ると、彼が布団を敷こうとしていた。


「病人がそんなことしちゃダメだよ!私がやるから、もう寝てて!」

「そうは言ってもお客さんだし…」

「もうっ!ここまで来てお客さんの立ち位置じゃないよ!」

「…わかった。じゃあ後はよろしく。おやすみ」

「うん」


 ゆーくんが寝室に戻った。


 さて、このまま大人しくリビングで寝るというのは、私らしくないのではないだろうか。


 ―――つまり、私の取る選択肢は1つ。


「お邪魔しますっ!」

「は!?待て待て待て!」


 私は寝室に押し入り、ゆーくんが私を追い返す前に、床に布団を広げて寝そべる。


「ゆーくんがお姫様抱っこして運んでくれるなら、リビングで寝てあげる」


「…はぁー、もう好きにしてくれ。その代わり、何もするなよ」

「はーい」


 これもなんとか勝利。どうやら、お姫様抱っこはまだハードルが高いらしい。うーん、早めにハードルを下げなくては…。




 ゆーくんが諦めて数分。寝室の電気は消されて、静寂と暗闇に包まれていた。


 私はソワソワしてしまって、まだまだ眠れそうにない。もう少しして、ゆーくんの寝息が聞こえたらベッドに潜りこんで添い寝してあげようかなんて考えていたら、ゆーくんが話しかけてきた。


「サチ、起きてる?」

「なに?」

「今日は本当にありがとう」

「いいよ。その代り、明後日、デートしよ!」

「明後日?明日じゃなくて?」

「明日はまだ安静にしてないとダメだよ?私もちゃんと面倒見てあげるからね」

「もしかして、明日も泊まるつもりなの!?」

「もちろんっ」

「いや、明日はさすがにだいじょ―――」

「嫌なの?」


「…わかりました」


 これも勝利。今日は全戦全勝だ。私のゴールデンウィークは最高のスタートを切ったと言っても過言じゃない。


 ―――こうして私は、ゆーくんから連泊とデートの権利を獲得したのだった。

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