幕間 悠斗のお世話(1)

 ――――目覚まし時計が鳴っている。

 そして私、遊佐倖楓は目を覚ます。


 ベッドから起き上がり、私は今も鳴っている目覚まし時計を止めてから、立ち上がる。

 カーテンを開け、気持ちの良い日差しが部屋に入り、私の気分も晴れやかになる。


「うん、今日も良い天気」


 今日からゴールデンウィーク初日。本来なら連休の初日なのだから、もう少しベッドの上でまどろんでいたい気持ちになってしまうかもしれないけど、そうもいかない。

 なぜなら、今日1日バイトがある。私はそれを面倒だとか、行きたくないとかは全く思わない。バイト先の洋食店『ルピナス』を営む甲斐夫妻はとてもいい人達で、私は大好きだし、唯一の同僚である男の子と一緒にいられる時間だからだ。


 同僚の男の子―――、彼の名前は水本悠斗。私は、彼のことをゆーくんと呼んでる。ゆーくんとは幼馴染で、今通っている高校では同じクラス。同じマンションに住んでいて、部屋は上下のご近所さん。そして、


 ―――私の1番大切な人。


 昔から、何をするのも一緒だった。ずっと傍にいてくれた人。―――でも、中学に上がると彼は傍にはいなかった。

 それでも今は傍にいて、また一緒の時間を過ごしている。私はそれが何よりも嬉しい。


「よし!仕度しよっ」


 私は声に出すことで自分に気合を入れて、バイトへ行く準備を始めた。


 まずは洗面所で顔を洗って、シャキッとさせる。次は朝ごはんの準備。食パンをトースターにセットして、その間にスクランブルエッグやサラダを用意。出来上がった料理を皿に乗せてテーブルに並べ、最後にインスタントのコーヒーを揃えたら完成。


「いただきます」


 私はトーストにジャムを塗りながら、昨日の出来事を思い出す。


 私は、とある理由で怪我をしてしまった彼に付き添って保健室に行った。その時の私は、彼への罪悪感で泣きそうなのを我慢していて、何も言えなかった。


 保健室の先生が席を外してくれて、私達は久しぶりにちゃんと向き合って話をした。たくさん言いたい事があって、でも初めに出た言葉は彼の怪我への謝罪。私が怪我をさせたわけじゃないけど、私が原因でゆーくんを傷つけてしまった。


 それでも彼は、私の責任じゃない、私の事を1度も恨んでないと言ってくれた。それが、彼の傍にいることを許してくれたような気がして嬉しかった。


 だから私は、彼とまた約束をした。ずっと前にも交わした約束。その時の約束は違えてしまったけど、今度は絶対にそんなことにさせない。私がゆーくんから離れないと決めているから。後は彼が約束してくれるだけでよかった。


 私が約束を言い出したら、彼は少し驚いたような顔をしてた。たぶん、ゆーくんは前の約束を自分が破ってしまったことをずっと気にしていたんだと思う。それでも約束を受け入れて、昔のように指切りをしてくれた。その顔はとても真剣で、前よりもずっと深くお互いの心に刻み込んだと感じることができた。


「これで少しは前に進めるといいなぁ」


 私は、にやけながら願望を口に出した。


 ―――ほんとは、少しじゃなくてどこまでも先に進みたいんだけど。


 ゆーくんはまだまだ手強そうなので、これからも全力でアピールしていかなくちゃいけないなと、私は改めて方針を固めた。


 朝食を食べ終えて、バイトへ行く仕度を改めてはじめる。


 お店に着いたらウェイトレスの格好に着替えるけど、行き帰りの短い時間でもゆーくんにカワイイ姿を見てもらいたいので服装選びも真剣だ。


 出かける服が決まっても、今度はメイクをするのでまだまだ時間はかかる。そのうち髪を巻いたりし始めたら、仕度の時間だけでどれくらいかかってしまうのかと不安を覚えてしまう。


 私はようやく仕度を終えて、部屋を出た。ゆーくんの部屋の前で待って、一緒に行くことも考えたけど、最近過度に攻めたことを反省している私はお店で待つことにした。


「もしかしたら、先にいるかもしれないし」


 私はそう納得してバイト先へ向かった。


 ―――のだけど、私の予想は大きく外れてしまう。


「あ、倖楓ちゃん!丁度良かったー」


 お店に入ると、海晴さんが困ったような顔をして声をかけてきた。


「おはようございます、海晴さん。どうかしたんですか?」

「うん、おはよう。…それがね。悠斗君、熱でダウンしちゃったみたいなの」

「え!?」


 海晴さんの言葉に私は大きく動揺してしまった。


 私の記憶違いでなければ、ゆーくんは滅多に風邪をひかない人だったはず。そんな彼がダウンしたなんて聞いたら心配せずにはいられない。


「電話越しの悠斗君、言いたい事は伝えてくれるんだけど、なんだかこっちの言ってることが伝わってるのか曖昧な感じだったから心配で…」

「それはかなり具合悪いんじゃ…」


 彼は今1人暮らしだし、看病してくれる人が家にいない。それに話を聞く限りだと、家族に連絡を取れているかも怪しいくらいに思う。


 私はゆーくんの心配で頭がいっぱいになる。今すぐ彼の下へ行きたくなっていた。


「倖楓ちゃん!今日は休んでいいから、悠斗君の看病に行ってあげて!」


 顔に出てしまっていたのか、私はすごく申し訳なくなってしまう。


「で、でも…」

「お店のことは心配しないでいいから。それに悠斗君が心配でみんな仕事に集中出来なくなっちゃうし」

「は、はい…」


 海晴さんの優しさに甘えたいけど、休日のお店の忙しさを知っている私は、なかなか素直に引き受けられないでいた。


「…それにね。弱ってる時に看病してくれる女の子、ポイントが凄く高いのよ」


 今までで1番真剣な顔で言われた。海晴さんの経験談なのか、すごく説得力を感じる。


 ここまで言ってもらって行かないのは逆に失礼だと思って、私はゆーくんの看病に行くことに決めた。


「わかりました!ありがとうございます、海晴さん!」

「うん。焦ったら危ないからね、冷静に落ち着いて看病に行ってね」

「はい!」


 私は来た道を引き返して、ゆーくんの部屋へ直行した。


 ドアの前に辿り着いて、私はインターフォンを押す。しかし反応が無い。何かあったらまずいと思い、私は最終手段を持ち出した。


 私は鞄に入っていたキーケースから、私のではないマンションの鍵を選んで、鍵穴に差し込む。しっかりと噛み合った感触を確認してから、捻って鍵を開ける。


 実は以前、ゆーくんのお姉さんである、明日香お姉ちゃんからゆーくんの部屋の合鍵を預かっていた。いざという時のためという名目だったので、間違いなく今がその時だ。


「ゆーくん?入るよー?」


 私は入ってすぐに声をかけた。しかし反応が返ってこない。不安になってリビングへ向かうと血の気が引く光景が目に入ってしまった。


「ゆーくん!」


 ゆーくんは床にへたれ込んで、ソファの座面に顔を埋めていた。

 私は駆け寄って彼に呼びかける。


「ゆーくん!大丈夫!?返事して!」


 すると、ゆーくんが少し動いて、顔を私に向けた。瞼も開ききらず、焦点も定まっていなかった。


「…う…ん」


 なんとか反応があった。私は安堵してから、ゆーくんの肩を叩いて再び呼びかける。


「ゆーくん、動ける?ベッドで横にならないとダメだよ」

「んぁ…」



 彼は意識があるのかないのか、わからないような返事をした。すると、すぐにフラつきながらも立ち上がってくれた。


 足元がおぼつかないゆーくんを支えて、なんとか寝室のベッドに寝かせることが出来た。


「ゆーくんの家に連絡しないと…」


 そう思って寝室を離れようとすると、私のトップスの裾が引っ張られる感覚があった。


 振り返ると、ゆーくんがこっちに顔を向けて手を伸ばしていた。


「…さ…ち…かぁ?」

「ん!?」


 弱々しくも、彼に初めて名前を呼ばれて動揺してしまった。


「い、いや、今それどころじゃないでしょ私!」


 彼が不安を感じたのかはわからなかったけど、私を引きとめた手を握って、布団の中に戻してあげた。


 ゆーくんの苦しそうな顔を見て、私は心配になって頬に触れる。

 ふと、彼の唇に目が行った。そこにはまだ治りかけの赤い筋が入っていた。


 私はその傷を見て複雑な想いを抱く。


 間接的にでも私が原因で作らせてしまった傷。それと同時に、彼が私のために作ってくれた傷。


 そう想うと、彼の傷がとても愛おしくなった。


「ちょっと変態チックかも…」


 私は自嘲気味に笑って、ゆーくんの唇に指で触れる。すると、段々と唇に吸い込まれるような感覚に陥る。


 ―――気が付くと、ゆーくんの顔がとても近くにあった。


「きゃっ!」


「弱ってる人に対して、何をしてるの私!」


 予想外の行動をした自分を叱りつけて、私は改めて立ち上がる。


「少し待っててね」


 ゆーくんに声をかけてから、私は寝室を後にする。


 寝室から出た私は、すぐにゆーくんの家に電話をかけた。3回程、呼び出し音が鳴った後に、聞き覚えのある声が聞こえる。


『もしもし、倖楓ちゃん?』


 どうやら私の携帯電話の番号が家電にも登録されていたみたいだった。


 最初から名前を呼ばれて少し驚いてしまう。


「あ、もしもし、奈々さんですか?」

『うん、そうよー!倖楓ちゃん、別に私はお義母さんって呼んでくれてもいいからね!』


 奈々さんは、ゆーくんのお母さん。


 私にとっても昔からお世話になっているもう1人のお母さんと呼べる人だ。

 とても嬉しいことを言ってもらえているけど、今は非常時なので私は本題をすぐに伝える。


「あの、実はゆーくんが熱を出してしまって」

『そうだったの?じゃあ、今は悠斗の部屋にいるの?』


 そういえば、明日香お姉ちゃんから合鍵を預かったのはいいものの、奈々さんに伝えていなかったことを気付いた。


「ご、ごめんなさい!明日香お姉ちゃんから、もしもの時のためにって合鍵を預けてもらってて」

『謝らなくていいのに!それくらい今更でしょ?』

「そう言ってもらえると嬉しいです…」


 奈々さんが良い人で本当によかった。


 私は改めてこれからどうすればいいのかを奈々さんに尋ねる。


「あの、どうしたらいいですか?お家の誰かが来るまで傍にいてあげたらいいですか?」

『ユウは滅多に風邪をひかないけど、ひいた時は一気にダウンしちゃうのよ。いつものことだから病院には連れて行かなくて平気だと思うから、何か食べさせた後に、薬飲ませて寝かすだけで大丈夫よ!てことで、倖楓ちゃんに看病お願いしてもいい?』

「はい、もちろんです!」

『本当にありがとうね。あの子も、こんなに良い子が近くにいることをもっと自覚してほしいんだけどね…』

「大丈夫です!ゆーくんは私のこと、ちゃんと大事にしてくれてますから!」


 私は、奈々さんに任せてもらえたことと、褒められたことが嬉しかった。


『あら、惚気かしら!反対はしないけど、もうおばあちゃんになるのは、まだ心の準備が出来ていなー』

「な、奈々さん!まだまだ先のことですから!」

『否定しないなんて、本当に悠斗は幸せ者ねー』

「も、もうっ奈々さん!」

『それじゃあ、悠斗のことよろしくね。容体が悪くなるようだったら改めて電話してね。今日は仕事休みだから、次は直接私に電話していいから』

「わかりました、ありがとうございます!」


 通話を終えた私は大きく息を吐いた。


 奈々さんとの会話は緊張してしまう。もちろん奈々さんは大好きだけど、私の気持ちが全部バレているので敵わない。たくさん力を貸してもらっているから、嫌ではないけど。


「よし、頑張らないと」


 私は、看病に必要なものを自分の部屋へ取りに行った。

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