2人の約束(2)

 審判がお互いのチームが準備出来たのを確認して、ジャンプボールのためにボールを上へ投げる。


 空中で弾かれたボールは俺の手元に来た。すると、すぐに鈴木が俺の前に立ち塞がる。どうやらというか、予想通り俺のマークをしてくれるらしい。


「将来のバスケ部レギュラー様にマークしてもらえるなんて光栄です」

「絶対に潰す」


 学校の球技大会で使うような言葉じゃないだろと内心で思いながら抜きに行く。


 現役のバスケ部員とは思えないくらい反応が遅かった。俺が違和感を覚えるのと軸足に何か引っかかったのは同時だった。


「っぶな」


 俺はバランスを崩してしまって倒れかけている。咄嗟に近くにいたチームメイトにパスをしてから床に倒れた。手をついて倒れたので、幸いどこか打ったりはしなかった。


「おいおい大丈夫か?」


 鈴木が白々しく聞いてくる。やられてみれば納得のいく結果だった、こいつが正々堂々プレーするわけがない。


「思ったより反応が遅くて、将来のバスケ部を心配してたら足元に意識がいかなくなっただけだよ」

「ちっ」


 もう少し隠そうとはしないのだろうか。うちの学校、結構偏差値高いのによく入れたなと思う。


 俺が立ち上がると審判の笛が鳴った。明希が決めたらしい。俺の方に走って寄ってきた。


「平気か?」

「ちゃんと受け身とれたし問題ないよ」

「そっか。気をつけろよ?先生もいるしあまり過度なことはしないと思うけど」

「だといいな」


 苦笑気味に言う事しか出来なかった。


 その後も鈴木のラフプレーは続いた。ブロックという名の体当たりや腕をぶつけてきたりと様々だった。


「さすがに痛いな」


 何度もぶつけられた自分の背中や腕や脇腹が脈を打つように痛む。


 ふとコート外が目に入る。そこに倖楓が心配そうな顔をして立っていた。みんなボールを目で追っているから鈴木のラフプレーをほとんど目にしていない。だから誰からも文句が出てなかったのだが、どうやら倖楓は見ていたらしい。


「まあ時間的にもあと少しだな」


 今回の球技大会でのルールはちゃんとしたバスケのルールではなくお遊び用に簡単にしたもので、1クォーター、つまり1試合10分で勝負が決まる。残り時間が3分の表示だったので本当にもう少しで終わりだった。スコアも3ポイントなどは無く、1ゴール1点のルールだ。現在は8対9で1組が負けていた。


「おいおい、1人だけ辛そうだな?体力無さすぎじゃね?」


 どこまでも白々しい。


「そう?未来のバスケ部レギュラー相手に1点差なんていう接戦が出来てるなら上出来かと思ってるよ」

「見ててわかったけどお前経験者だろ?まあ、その実力じゃあ高校でやめるのも納得だわ」


 自覚があるので何とも思わない。実際ここまで善戦出来てるのは明希のおかげだ。


 ボールがコート外に出て笛が鳴った。1組のボールになり、俺がスローインをする。明希にボールが渡り、ゴールに向かおうとするがマークの数が多く、抜けるのは難しそうだった。なんとかチームメイトにパスしてゴールへシュートさせようとする。リバウンドのために俺はゴール下で構えていると、チームメイトのシュートが外れた。ボールを確保しようとした時、目の前に人影が飛び込んでくる。鈴木がジャンプしてボールを先に確保したのだ。そのまま俺の目の前で落下してくる鈴木が、着地直前で向きを変える。


「ゆーくん!」


 その認識をしたのと自分の頬に衝撃を感じるのにタイムラグはほぼ無かった。ボールを持つ鈴木の肘が俺の顔に入ったらしい。突然のことで何が起こったかハッキリ自覚するまで少し時間がかかった。いつの間にか俺は膝をついていたようだ。


 これにはさすがに審判が笛を鳴らした。


「大丈夫か!?」


 審判の教員に返事を返すのに少し時間が必要だった。口の中に鉄っぽい風味が広がっていくのを感じる。


「すみません!俺、後ろが見えてなくて」


 鈴木が事故を装う供述をしているのが聞こえる。


「悠斗!大丈夫か?俺の事わかるか?」


 明希が駆け寄って来て、焦った声で呼びかけてきた。


「あぁ、…大丈夫」

「鈴木!お前いい加減にしろよ!」


 俺が何とか返事をすると、明希が声を荒げて鈴木を責める。


「は?だからわざとじゃないって言ってるだろ?それに部活の大会とかでもこういうことあるだろ」


 それっぽい理由を言って責任から逃れようとする鈴木に笑えてくる。


「ははっ」


「お、おい君。本当に大丈夫か?保健室に行った方がいい」

「大丈夫です。腕とか足を痛めたわけじゃないので続けられますよ」

「いや、顔に当たったんだから頭に支障があるかもしれないだろう」

「本当に大丈夫なので。その代りと言ってはなんですけど、フリースロー1本貰えませんか?」

「…わかった。どこか違和感を感じたらすぐにやめろよ?保健室に連れて行くからな」

「はい」


 俺はボールを受け取ってフリースローラインに立つ。久しぶりの感覚だ。不思議と頭はクリアだった。呼吸を整えてボールを掲げる。そして全身を使ってリリース。少しリングに触れながらもボールは中を通り抜けた。


「ナイスシュート!」


 明希が声をかけてきた。


「久しぶりだったけど、入って安心したよ」


「…なぁ。あそこで抗議しなかったってことは、試合に勝って鈴木にやり返すつもりなんだろ?」


 やっぱり付き合いが長いだけあって、お見通しだった。あそこで抗議して鈴木を控えさせることも出来たかもしれないが、それでは鈴木がほぼ目的を果たしていて意味をあまり感じなかった。それならバスケ部員としてのプライドである試合の勝利を、目の前で掴めなくさせる方が効果的だと考えた。


「ああ、たぶんラストワンプレーだ。頼むよ、エース」

「中学最後の大会よりプレッシャーだな」


 そう言って俺たちは拳を合わせた。


 再び笛が鳴ってプレーが再開される。7組のスローインからスタートだ。


 残り時間は1分でスコアは9点の同点。ボールを回して時間切れがということが出来ないので攻めに来るのは確実だろう。

 相手のスローイン役がどこにパスするかを悩んでいた。焦っていたのだろう、パスの方向が丸わかりだった。


 その隙を明希が見逃すわけもなく、パスされたボールをそのまま奪ってゴールへ向かう。センターライン付近でディフェンス2人に囲まれて止まってしまうが正面にいた俺にパスした。俺はボールをキャッチしてフリースローラインまで進んだが、鈴木が追い付く。


「止めてやるよ、下手くそ」


 やはり最後の最後は真剣にプレイをして終わらせようとしてきた。だからこそ勝機がある。俺のバスケの腕は経験者と呼べる程度のものだが、1つだけ得意なことがあった。それは視線や身体の動きを使ったフェイント。それを駆使することで下手なドリブルでも相手を抜いたりパスを通すことが出来た。


「別に俺が決めるとは言ってないけど」


 そう言った瞬間に俺はゴール付近にいるチームメイトに視線を移してパスの姿勢を取る。しかし、タイミングを待っていたかのように鈴木がボールに手を伸ばす。だが、それは俺も同じだった。ボールを鈴木の手から逃すように引き戻し、そのまま後ろへ投げた。


「ナイスパス」


 俺は真後ろでフリーになっていた明希にパスをした。中学の時に何度か使った手だ。そして、試合中にフリーの状態でスリーポイントラインから明希が外すなんて俺はほぼ見たことが無い。


「久木!」


 鈴木が名前を叫んだ時にはもう明希はシュートを打っていた。綺麗な放物線を描いて、俺とは違いリングに触れずに通り抜ける。


 ギャラリーの歓声が耳に響いてくる。審判の笛が聞こえなかったがちゃんと得点になったようだ。


「流石エース」

「心臓バクバクだったぞ」


 時間を見るとあと2秒だった。その後、プレーは再開されたが7組が2秒でゴールすることは出来ずに試合終了の笛が響いた。


「10対9で1組の勝ち!礼」


「「「「「ありがとうございました」」」」」


 整列している鈴木は下を向いていて、身体は小さく震えていた。どうやらちゃんとやり返せたみたいだ。


 俺が満足していると、審判の教員から声をかけられた。


「君!水本だったか?やっぱり保健室に行ってきなさい。決勝があるから嫌かもしれないが…」

「いえ、今から行こうと思っていました。特に異常は感じていないので大丈夫ですけど」

「そうか、付き添って行こうか?」

「1人で大丈夫です、ありがとうございます」


 俺は教員にそう言ってから、明希に保健室に行くことを伝える。


「じゃあ俺、1人で保健室行ってくるからみんなで決勝頑張って」

「そっか、わかった。あんまり無理するなよ?」

「ありがとう」


 俺たちのチームは元々6人で、試合ごとにメンバーを入れかえてやっていたので俺が抜けることは問題なかった。


 そのまま体育館の出入り口に向かう。


「ゆーくん!」


 出ようとした直後に倖楓から呼ばれた。振り返ってみると、また泣きそうな顔をしていた。


「サチ、どうした?」

「どうしたじゃないよ!保健室行くんでしょう?」

「別に異常は感じてないんだけどね。疲れたしちょうどいいかなって思って」

「私も一緒に行くから」


 倖楓の真剣な表情に断るなんて考えが浮かばなかった。


「わかった、じゃあ一緒に行こう」

「うん」




 保健室までの道はお互い無言のまま。ただ、倖楓が俺のジャージの裾を掴んでいて少し歩きづらかった。


 保健室のドアまで辿り着いた俺はノックして保健室の先生がいるのか確認をする。


『はーい、どうぞー』

「失礼します。…打撲とかを冷やしたいんですけど」


 一瞬、なんと伝えればいいのかに迷ってしまった。まさか暴力を受けましたとは言えないしこれが精一杯だ。


「あら、どうしたの?」

「えっと、バスケで人とぶつかりまして」


 苦笑気味にでも詰まらず言えただけ上出来だ。


「あぁ、そうみたいね。唇切れてるわよ」


 気が付かなかった。触ってみると唇に痛みが走る。


「ところで、あなたもどこか怪我?」

「あ、いえ。彼の付き添いです…」


 倖楓の返答に力がなかったので先生が不思議そうな顔をしていたが目線が一瞬下がって、何か納得したような顔をした。


「とりあえずぶつかった場所を診せて」

「はい」

「あー、赤くなってるねー。しかもぶつかったの1回や2回じゃないでしょ」

「…ちょっと何度か」


 先生が怪しむ顔をしたが特に追求はされなかった。


「あとは顔ね、ここはしばらく冷やしておきましょうか」


 先生に、保冷剤を薄いタオルに包んで渡された。俺はそれを頬に当てて冷やす。少し染みるような気がした。


「少しの間、職員室にいるから誰か来たり何かあったら呼んでね」


 急に先生がそう言って保健室から出て行ってしまった。処置はしてもらったので特に文句もないがどうしたのだろうかと思う。すると、さっきまで無口だった倖楓が口を開いた。


「…ごめんね。私のせいで」


 倖楓が今度こそ涙を流していた。俺は身体の打ち身よりも強い痛みを感じる。


「違う。サチの責任じゃない」

「違くないよ、私がいつもゆーくんに辛い思いさせてる」


 涙の止まる気配が全くしない。俺はただ泣いて欲しくなくて、責任なんて感じて欲しくなくて、自分の素直な気持ちを伝える。


「サチは悪くない。俺はサチを1回も恨んだことなんてないよ」

「…嘘だよ」

「嘘じゃない。サチがそんな顔して、そんな風に自分を責めてる方が俺は辛いよ」

「…ほんと?」

「うん」


 俺がそう言うとしばらく黙って、やがて涙が収まった。


「やっぱり痛いよね」


 涙は収まったがまだ心配そうな声で聞いてきた。俺は少しでも安心させるために笑顔を作る。


「大丈夫だって、血が出たのも唇だけだし。俺の事は心配しなくていいから」

「それはダメ!」

「なんで…」

「ゆーくんを心配するのは私の特権なの!」

「なんだそれ」


 思わず笑ってしまった。それにつられて倖楓も笑う。やっと笑顔が戻ってきた。


「だからね、ゆーくんには私を大事に出来る特権をあげます!」


 いつもの調子で少しドヤ顔で主張してくる。もういつもの倖楓だった。


「特許って売ればお金になるよな」

「もうっ!なんで売ろうとするの!」


 2人揃って笑い合う。


 俺はまだ言ってないことがあることを思い出して話をする。


「あのさ、サチ」

「なに?」

「一昨日は怒ってごめん。言い過ぎた」

「私も、ごめんね」


 2人で頭を下げ合って謝る。顔をあげると倖楓が優しく笑った。


「変なこと言うけどね。私、ゆーくんとケンカで出来るようになって嬉しい」

「どういうこと?」

「だって昔は小さいことでケンカになるなんていっぱいあった」


 そう言われてみればそうかもしれない。お菓子の取り合いだとか何して遊ぶとか、そんな小さいケンカが日々の中にあった。それと同じ数だけ仲直りもした。


「だから久しぶりのケンカで、お互い謝り方を忘れちゃってたんだと思う」


 そうか、俺と倖楓はケンカをしてたのかと自覚した。ずっと、ただ気まずくなってるだけだと思ってた。ケンカは仲直りとセットな物だと俺は思う。


「そうだな。いざサチに何か言おうとすると言葉が出て来なくなってさ」

「うん、気付いてた。でも気付いてないフリしてたの。それもごめんね」

「もういいよ。お互い許したんだからさ」


 倖楓が下を向いて少し考え込んでいた。何か言おうと考えてるのだとわかって俺は静かに待つ。


「あのね、ゆーくん」

「なに?」

「また約束してほしいの」

「え…?」

「また黙ってどこかに行かないでほしい、お願い…」


 やっぱり約束を覚えていたのかと俺は動揺した。


 俺は自分のことを信用出来なかった、また約束を破ることになるんじゃないかと疑ってしまう。でも、約束をしないことはもっと嫌だった。


「わかった、約束する。もう、黙っていなくならない」

「うん、それじゃあ約束」


 倖楓から差し出された小指に、小指を合わせて指切りをする。


 同時に俺は、ずっと蓋をしてきた想いを自覚してしまった。


 ―――ああ、俺はどうしようもなく目の前にいる女の子が、遊佐倖楓の事が好きだ。

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