第2章 新たな日常と変わらないもの
変化した日常
俺と倖楓が同じマンションに住んでいて、しかも真下の部屋という信じがたい事実から3日。俺の日常がどう変化したのかというと――――
「おはよう♪」
これだ。朝、登校するために家のドアを開けると目の前に倖楓が待ち構えている。これで3日連続になる。つまり真下の部屋に住んでいると発覚してから毎日待ち伏せされている。もう3日目ともなれば予想出来ていたが、ため息が出てしまう。
「はぁ…」
「ゆーくん、人の顔を見てため息つくなんて失礼だと思います!」
「ソウデスネ」
朝から元気だな、健康そうで羨ましい。
「ゆーくんは相変わらず朝弱いんだね」
「朝からテンション高く出来るやつがおかしいんだよ」
俺は朝起きるのは問題ないが、眠気を引きずるタイプで朝食も抜くことが多かったりする。これでも弁当を作るのに早起きするので、マシな方ではあるのだが。
「ところで、まだ挨拶返してもらってないんですけど」
「はいはい、おはようおはよう」
「もうっ」
倖楓が呆れた声を出す。そんな朝のやりとりをした後、2人でマンションを出る。
今日も明希と槙野の2人と待ち合わせをしているので駅に向かっている。すると倖楓が突然話題を振ってきた。
「もうすぐ、こんな風に久木君と香菜ちゃんと待ち合わせして行くのも出来なくなっちゃうね」
「だな。でも、たまには出来るんじゃないかな」
もうすぐ新入生が部活に入部できるようになる。
明希と槙野は2人ともバスケ部に所属するつもりのようなので、朝練が始まれば一緒に行くことがほとんど出来なくなる。
槙野は、最初は男子バスケ部のマネージャーをすることも考えたみたいだが明希とのことを考えてやめたらしい。たしかに同じ部活内で付き合うのはいろいろ面倒なのだろう。実際、野球部なんかはマネージャーとの交際は禁止とされているようだ。
一応、バスケ部はそういったルールは無いらしいが、どうせ付き合うなら男バスと女バスの関係の方が都合がいいと思う。
そういうことを考えられるならさっさと付き合えと何度も思ったけど槙野には言えない。
「ゆーくんは部活入らないの?」
「んー、どうかな。サチはどっか入らないの?」
「私も今のところ予定はないかなー」
俺はクラス委員決めの時にも言ったように、すでにバイトをすることが決まっているから部活をするつもりがない。倖楓も何かするつもりなのだろうか。
「バイトでもするとか?」
「そういう予定もないかな、あまり縛られたくないなって思って」
「なるほど」
そういう考え方もあるかと俺は納得してこの会話を終える。
昼休みになった。今日は俺と倖楓と明希と槙野の4人で食べることになった。場所は、明希が今日は弁当を持ってきてないということで学食に行くことになった。学食へ行くのは学校説明会以来なので、昼休みにどれくらい混むのか予測できなかったが、中に入ってみると賑わってはいるが満席ということはなく、俺たちはすぐに席を確保できた。
「それじゃあ食券買ってそのまま受け取ってくるから先に食べてていいぞ」
「ん、わかった」
「いってらっしゃい」
「あんまり待たせないでね」
明希はああ言ったが、俺たちは明希が戻って来るまで待つことにした。
「ほら、あの子だよ。新入生代表の子」
「うわ、ほんとだ。すげーかわいい」
「隣の子もかわいくね?」
上級生であろう生徒たちの会話が聞こえてきた。
「学食ってなんか落ち着かないわね」
「そうだね」
2人が苦笑気味に言う。たしかに周りからの視線が集まっていて食べるのにこれほど落ち着かないことはないだろう。同学年でも未だに注目されるのだから、まだ見慣れない上級生からしたら意識しない方が難しいのだと思う。これは今後学食で食べることはなさそうだ。
「悪い、待たせた」
明希が昼食を受け取って戻ってきた。メニューはカツカレーだった。カレーの匂いで3日前の夜の野菜カレーを思い出してしまい、頭を振る。
「悠斗、どうした?」
「…なんでもない」
倖楓がこっちを見てニヤニヤしている。こいつはエスパーか。
「じゃあ食べましょ、あたしもうお腹空いてしょうがない」
「だから食べてて言っただろ?」
「でも、やっぱりみんな揃ってからの方がいいよ」
「だな、急いでるわけでもないし」
そうして俺たちは昼食を食べ始めた。食べ始めてすぐ、明希も周りからの視線に気が付いたようだった。
「あー、ごめんな。学食選んだの失敗だったな」
「全然気にしないでいいよ、来てみて初めてわかったんだもん」
「そうよ、明希が謝るようなことじゃない」
「俺は仕方がないことだと思うし、気にしてない」
実際に俺が直接見られてるわけではないので気にしていない。逆に俺以外の3人はすごく見られている。明希が加わることで女子生徒の視線が増えたのも相まって、さっきよりも見られている感が強まっていた。
「今日母親が寝坊してさ。せっかくだから学食使ってみるかなんて軽い気持ちだったんだけど、こんなことならコンビニで買ってくればよかった」
「さっき水本も言ってたけど仕方ないわよ。どうせ1回は経験することになっていただろうし、遅かれ早かれよ」
「うん、私もそう思う」
誰が悪いということでもないので、俺たちは早く食べ終えてしまうことにした。
「そういえば週明けは新歓だな」
「だな、部活入る気が無い人間からしたらほとんど暇な時間で困る」
「それ、ごく一部の人間だけなんだから文句言うんじゃないわよ」
「そういうちょっと捻くれたところ直した方が良いと思うよ、ゆーくん」
怒られた。最近は槙野と倖楓の2人で俺を責めることが増えた。俺の味方はいないのかと涙が出そうになる。ちなみに『新歓』とは『新入生歓迎会』の略で、昨年までの写真を使った学校行事や学内の部活を紹介する会だ。部活によってはステージでちょっとしたパフォーマンスをしたりする点も含めてほぼ中学の時と同じらしい。
「新歓って生徒会主導でやるらしいぞ」
「…へぇ」
生徒会のフレーズに俺は苦い顔をした。その顔を見た槙野が呆れた顔をして言葉を投げてくる。
「あんた、まさかまだ…」
「ん?なんの話?」
本当に槙野は勘が良い奴だな。倖楓は意味がわからず俺に聞いてくる。あまりこの話を続けたくない俺は弁当の残りを一気に食べて席を立った。
「ごちそうさま。じゃ、俺行くから」
「あ!ゆーくん待ってよ!」
「逃げたわね」
「逃げたな」
倖楓の引きとめる声と明希と槙野の呆れた声を後ろに、俺は逃げるように教室に戻った。
午後の授業も終わり、放課後になった。相変わらず倖楓はクラスメイトが周りに集まっている。その中には関本もいて、あんなに冷たくされてもめげないメンタルに尊敬の念を覚えそうになる。
今日は特に残ってやることもないので帰ることにする。明希も槙野もクラスメイトと用事があるようなので1人で帰るつもりだ。帰り支度を終えて俺は席を立つ。
「あ、それじゃあ遊佐さんまたね!」
「うん、また」
俺が席を立ったと同時にタイミングよく会話が終わったらしい。教室を出ようとする俺に倖楓が声をかける。
「あ、ユウ!一緒に帰ろ!」
この3日間なぜか毎回こうなる。俺が教室に残ってやることをやってから帰ろうとしても、今日みたいにすぐ帰ろうとしても全く同じタイミングで会話が終わって倖楓に捕まる。ちなみに倖楓は俺の呼び方を、焦ったりした場合を除き完璧に使い分けている。やっぱり最初から昔の呼び方をしていた時はわざとだったらしい。ちゃんと呼べるのだから、もう「ゆーくん」は卒業してほしい。
「…まあ、いいけど」
「よかった」
ここで断ると面倒そうなので俺は渋々了承する。さっきまで倖楓と話していた女子たちを見ると腕で頑張れのポーズを倖楓に向けてしている。こないだ応援していたのと同じ女子だ。もう終わったんじゃなかったのか?と疑問に思うが倖楓も同じポーズを返しているので、また何かを頑張らないといけないらしい。本当になんなのだろう。
「水本くんもまたね!」
「委員長、ちゃんと遊佐さんを送ってね」
「寄り道はほどほどにねー」
「…なんだそれ!またなー」
最初の挨拶以外、何言ってるんだと感じて切り替えが一瞬遅れてしまった。これもここ最近で変化したことの1つだ。3日前のあの時だけかと思ったら、あれからずっと挨拶をしてくれるし、最近は休み時間に話しかけられることも増えた。良い変化だと思うが本当に何もしてないのに不思議でならない。
2人で下校して駅前まで着くと、倖楓が寄り道の提案をしてきた。
「ねえ、スーパー寄ってかない?」
「別にいいけど、何買うの?」
「今日の晩御飯の材料!一緒に食べよ?」
これもまた3日前から変化したことだ。毎回晩御飯を一緒に食べようと誘ってくる。断ろうとすると「私のごはんおいしくないんだね」と泣きマネをしてきて面倒なので、最終的には一緒に食べることになる。
「あー、わかったわかった」
「うんうん、素直なのはいいことです」
素直というか諦めてるんだけどな、とか言ったら面倒なことになるのでやめておく。実際、倖楓の作る料理は美味しいので文句はないのだが、こうやって俺の部屋にいるのが当たり前のようになるのが恐ろしいので抵抗している。
2人でスーパーに入る。俺がカートを押して、倖楓が材料を取る役割だ。
「で?今日は何作るの?」
「何がいい?なんでもいいはダメです」
先手を取られて俺の武器が潰されてしまった。倖楓の料理の腕は本当に高いと思う。初日のカレーから始まって、グラタン、焼き魚とほうれんそうの胡麻和えと味噌汁、とまだまだレパートリーの幅が広いようだ。
「じゃあ、ナス」
「ナスかー、それじゃあ今日はナスと豚肉の回鍋肉にします!」
食材1つ言っただけですぐ思いつくので素直にすごいと思う。献立を決めてからの倖楓の動きは早く、テキパキとカゴに材料を入れていく。
「なんだかこうしてると新婚さんみたいだね」
倖楓が悪戯っぽい顔をして笑っている。こういう悪ふざけをどこで覚えて来たんだか。
「せいぜい兄妹だろ」
「えー、私こんなおっきい弟いらない」
「なんでサチが上になってんだよ、絶対俺が兄だろ」
「だってゆーくんは根っからの弟じゃん」
「ふふふっ、お嬢ちゃんたち仲が良いんだねぇ」
騒ぎ過ぎてしまったのか、近くにいたおばあさんから笑われてしまった。
「はい、そうなんです!昔からの仲良しなんです!」
「すみません、騒がしかったですよね」
「大丈夫よ、仲が良いのは良いことだわ。これからも仲良しでいてね」
「はい、任せてください!」
「…頑張ります」
おばあさんとの会話を終えてレジへ向かう。
「えへへ。ゆーくん、仲良しだって」
「年配の方は心が広いな」
「もうっ、素直じゃないんだから」
レジへ着いて会計をはじめる。倖楓が財布を出そうとするのを見て俺が止める。
「いいよ、今日は俺が出すから」
「え、大丈夫だよ?」
「この3日ずっとだろ。強制的にとはいっても食べさせてもらってる身なんだから、これくらいさせてくれないと」
「強制的には余計ですー」
「はいはい」
「クスクス」
レジ打ちのパートさんに笑われてしまった。恥ずかしい。
「あ、ポイントカード」
「私持ってるよ、はい」
「マメだな」
「でしょ?」
このやりとりを見たパートさんが話しかけてくる。
「2人は付き合ってるの?」
「そう見えますか!?」
「全然違います」
倖楓が俺の腕を叩く。理不尽な。
俺はさっと会計を終わらせて、カゴを持って袋に詰めるための机に向かう。
「なんで全然違うなんて言い方するの!」
「だって事実だし。嘘はよくないと思うよ」
「あーいう時はノリでいいから、そうですって断言するものでしょ!」
「そんな決まりないから」
「むー」
いつからこの子はノリに厳しい人間になったのやら。俺たちは商品を袋に詰め終えてスーパーを後にした。
マンションのエントランスに着いてから倖楓が口を開く。
「ね、今日はゆーくんの家で作っていい?」
この3日間、俺の部屋で食べてはいたが調理自体は倖楓の部屋でされていた。というのも、俺が一緒に食べるのを最初から断るのがわかっているからか、作ってから持って行った方が断りづらいだろうと考えているようだった。どうせ一緒に食べるのを了承してしまったので、これも断る理由がもうなかった。
「いいよ。一応、調理器具は一通りあるから大丈夫だと思うけど」
「うん、そんなに特別なもの使わないし心配ないと思う」
2人で俺の部屋に入る。ドアを開けてすぐ、玄関に俺の物ではない女性物の靴が脱いであった。
「え!?ゆーくん、誰か家に泊めてるの!?」
「…いや、泊めてない。ていうか誰か来てたのすら知らない」
倖楓は慌てていたが、反対に俺は落ち着いていた。この靴の持ち主が誰なのか見当がついていたからだ。
「まあ、大丈夫だから上がっていいよ。サチも知ってる人だし」
「私も知ってる人?…あ、もしかして!」
そう言って玄関からリビングに入ると、予想通りの人物がソファに寝そべってテレビを見ていた。俺の部屋に入れて、倖楓も知っている人物。
「あ、おかえりー」
「何やってんの姉ちゃん」
「わぁ!明日香お姉ちゃん!」
「あれ!?さっちゃんだ!」
そう、俺の姉である
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