遊佐倖楓はサプライズがお好き

 俺は今、今日だけでもう何度目になるかわからない大混乱に陥っていた。なぜか俺の住んでいるマンションが倖楓にバレていて、しかもすでにドアの前まで来ているという危機的状況だ。

 俺はすぐに倖楓と通じているインターホンの通話を切った。これで諦めて帰ってくれればと願う。しかし遊佐倖楓に俺の願いが通じないのは身を持って知っている。


 すぐにインターホンの呼び出し音が鳴った。


「すみません、間に合ってますのでお帰り下さい」


 俺は勧誘の人間を追い払うようなテンプレートな言葉を倖楓にぶつける。ここはしっかりお断りの意思を伝えるべきと判断してのことだ。これで少しは怯んでくれれば―――


『入れてくれなかったら、閉め出された妻のマネを大声でするから』


 俺は一目散に玄関へ走る。人生で一番スタートダッシュが早かったのではないかと思う。

 途中で転びそうになりながらも玄関にたどり着き、すぐにドアを開ける。


「きちゃった♪」


 また言ってる。そこにはブレザーを脱いだ制服の上からエプロンを着た姿にトートバッグと鍋を持った倖楓が立っていた。


「どこからツッコめばいい?」

「んー、私としては全部受け入れてくれるのが一番かな?」


 そんなの無理に決まっている。とりあえず、姿を見て要件はだいたい理解出来たので持っている物の中身を尋ねることにした。


「その鍋は?」

「カレーだよ!ゆーくん好きでしょ?」


 もちろん好きではある。しかし鍋ごと持ってくるとは思わなかった。


「カレーを渡しに来たってことでいい?鍋は洗って後日返却のシステムになってたりするの?」

「え?私も一緒に食べるよ?」


 そんな、「何言ってるの?」みたいな顔で言わないでほしい。こっちがそう言いたい。どうやら最初から部屋に上がる気満々らしい。


「あー、でも俺まだ米炊いてないし」

「それならこのトートの中のタッパーに入ってます」


 ドヤ顔だ。部屋の前でこのやりとりを続けてご近所さんに見られるのは困るので部屋へ通すことにした。


「あー、もうわかったよ。散らかってるけど、どうぞ」

「お邪魔しまーす」


 俺は倖楓を部屋へ通した後、食器などを準備する。倖楓は鍋を温め直していた。


「それにしても、ゆーくんの部屋なんて久しぶり。ちゃんと片付いてて私は安心しました」

「どんな部屋だと思ってたんだよ」

「買うのを人に見られたくない物が置いてある部屋とか?」

「…それはもう忘れてください。お願いします」


 どうせこうなるなら、あんなこと言うんじゃなかったと俺は後悔する。これはもう少し遊ばれそうだなと思い憂鬱になる。


 俺と倖楓はテキパキと準備を終わらせ、テーブルに向かい合って座る。目の前に置かれたカレーは、一般的な物と違って野菜の種類が多く、野菜カレーと呼ばれるものだった。カレーの匂いに食欲をそそられる。


「それじゃあ食べよっか。召し上がれ」

「いただきます」


 スプーンで一掬って、湯気の出るカレーを息を吹きかけて冷ましてから食べる。ちょうどいい辛味が口に広がって、また次が食べたくなる。俺が好きな味だ。


「おいしい?」


 倖楓がまたドヤ顔で聞いてくる。悔しいが美味いと思うので素直な感想を言う。


「うまいよ。こう言ったら怒るかもしれないけど、正直驚いた」

「そうでしょ?私、ゆーくんの知らない間に料理頑張って覚えたんだから!」


 たしかに俺が知ってる頃の倖楓は料理なんて出来なかった。3年という時間は、人をここまで成長させるものなのかと思った。それに比べて、俺はあの頃からどれだけ変われただろうか。


「本当に頑張ったんだな。サチはすごいよ」

「あ、ありがとう…」

「どうした?」

「だって、そんな風にストレートに褒められると思わなかったから」


 倖楓が照れくさそうに笑う。なんだか俺まで恥ずかしくなってきた。話題を変えよう。


「そういえば、今日サチが教室から出る時に応援されてたけど、あれなんだったんだ?」

「…あー、あれね。あれはもう終わったからいいの」

「終わった?」

「そう、だから気にしなくていいの」

「そう言われると益々気になる」

「おしえませーん」


 いたずらっぽく言ってるけど、これは本当に教えてくれなさそうだと諦めた。すると倖楓が急に笑った。


「ふふっ」

「どうした、急に」

「こんな風にゆーくんと一緒に家でご飯食べるなんて久しぶりだから嬉しくって」

「そっか…」


 本当についこの間まで、こんなことになるなんて思いもしなかった。再会した時は最悪だと思っていたが、今はこの状況が俺にとって良いことか悪いことかわからなかった。ただ、変わらず平穏に過ごしたいとは思っているけど。


「ねぇ」

「ん?」

「また一緒に家でご飯食べてくれる?」

「…たまになら」

「ほんと?うれしいな」

「でも次はちゃんと事前に連絡してくれ」

「えー、でもサプライズの方が楽しいのに」

「えーじゃない。連絡無かったら次は入れないからな」

「はーい」


 倖楓の子どもっぽい返事に少し笑ってしまった。そんな会話をしているうちに2人ともカレーを食べ終えたので、片付けを始めるが時計を見るともう20時を回っていた。


「サチ、もうこんな時間だし片付けは俺がやっとくからもう帰った方がいい。鍋とタッパーは洗って今度返すから」

「大丈夫だよ。ここから本当にすぐだし」

「ダメだって。親も心配するって」

「私、今1人暮らしだからバレないもん」


 薄々気が付いていたけど、本当に1人だったのか。とはいえ、そんなことは理由にならないので早く帰ることを強く促す。


「帰らないと、次の機会があっても一緒に食べないぞ」

「むー、それは嫌だなー。ゆーくんもずるい手を思いつくね」

「ずるくない、正当な手段だよ」

「わかった。それじゃあ鍋とタッパーは明日取りに来るね」


 なんとか折れてくれた。さすがに1人で帰すわけにもいかないので送って行かないとだめだろう。


「家まで送るから、出よう」

「じゃあ、お言葉に甘えようかな。ほんとに近いから大丈夫なんだけどね」


 どれだけ近いのだろう。まあ、鍋を持って来れるくらいだからこのマンションからも見える場所なのだろうと考える。


 倖楓の準備が出来たのを確認して一緒に玄関へ向かう。靴を履いている途中の倖楓に、改めてカレーのお礼を言う。


「一応ちゃんとお礼言っとく。カレーごちそうさま、ありがとう」

「喜んでくれてなによりだよ。今度はゆーくんの食べたい物作ってあげるね」


 2人とも靴を履き終えて外に出る。すぐ近くのエレベータ乗り場に着い時、俺は当初の疑問が再び頭に浮かんだ。


「そういえば中にどうやって入ってきたんだ?誰かに入れてもらったとか?」

「え?普通にだよ」


 普通ってなんだ普通って。

 やってきたエレベーターに乗り込んで、俺は質問を続ける。


「ドア開いてたのか?このマンションそんな不用心じゃないと思ってたんだけど」


 俺が質問すると、すぐにエレベーターが止まる。まだ1フロアしか下がってなかったから誰か乗って来るのかと思ったが、扉が開いた先には誰もいなかった。ボタンだけ押して階段にしたのだろうかと考えていると倖楓がエレベーターから降りてしまう。


「ここまだ1階じゃないよ」

「いいからいいから」


 そう言って倖楓が俺の手を引く。嫌な予感がしてきた。乗り場からすぐ近くの扉の前で立ち止まる。部屋番号の下1桁が俺の部屋と同じだ。つまりこの部屋は俺の部屋の真下ということになる。夢だ、どうか夢であってくれ。俺は強く願う。しかし、遊佐倖楓という人間はどこまでも俺の願いを打ち砕く。


「じゃーん!サプライズ!」


 倖楓が手を添えたその表札には―――――――、「遊佐」と書いてあった。


「またご近所さんとしてよろしくね♪」


 俺の、「自宅」という最後の砦にまで遊佐倖楓が強襲してきた。

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