好意と期待
また俺の高校生活の平穏が乱されることになった5時間目も終わり、放課後になった。
俺は教卓で学級日誌を書いていた。本来は日直の仕事なのだがまだ日直の順番を決めていなかったので、今日はとりあえずクラス委員が書くことになった。記入する内容は授業の内容やクラス内の出来事や様子などが主になる。
なぜ教卓で書いているのかというと、今日から掃除も始まったため自分の席で書けないからだ。この後は約束もあるので早く書き上げたい。
昼休みの連絡で、放課後は定番のファストフード店で集まることになった。とはいえ、まさかクラス委員になって日誌を書かないといけなくなるなんて誰が予測出来るだろう。仕方ないので明希と槙野と倖楓には先に行ってもらうことにした。初めは倖楓もクラス委員だから一緒に書くと言ってきたが、残っているとクラスメイトから誘われて断ることになるのは面倒だろうと考えたからだ。
「悠斗、それじゃあ先に行ってるぞ」
「水本、早く書いて早く来なさいよ?」
「わかってるよ。先に食べてていいからな」
明希と槙野が声を掛けてきた。槙野は本当に俺に厳しい。
「ゆーく…、ユウ、早く来てね」
「…わかったから、早く行って席取っといて」
ようやく俺を「ユウ」と呼んだ。倖楓の成長を嬉しく思う。…ほぼ言っちゃってたけど。
3人が教室から出ようと歩き出した時、今日何度か聞いた声が倖楓に話しかける。
「遊佐さん!よかったらこの後―――」
「約束があるので無理です。ご期待に添えず、すみません」
関本が放課後の誘いを言い終える前に、それはそれは丁寧なお断りの言葉を倖楓が浴びせた。
「そ、そっか!またの機会―――」
「そうですね、またの機会があればいいですね」
また最後まで言わせてもらえない関本。しかも「あれば」という部分が強調されてた。それを言う倖楓の顔は見たこともないような冷たさをしていた。なにあれ、怖い。関本、倖楓に何したんだ?
「あ、待たせてごめんなさい!行きましょう」
「え、あ、そうだな」
「う、うん。そうね」
さっきまでの冷たさが嘘のように、優しい笑顔が明希と槙野に向けられる。あまりの温度差に2人も圧倒されて返事をするのがやっとだ。関本なんて身体が固まっている。強く生きろ。
「あ!遊佐さん!」
今度こそ教室を出るかと思ったら今度は数人の女子が倖楓に声をかける。本当に人気だな。でも、今のやりとりを見た後でよく話しかけられるなと思う。遊びの誘いじゃないのだろうか?
「「「頑張ってね!!」」」
「うん、ありがとう!」
いきなり応援されてる。意味が分からない。でも倖楓はいきなり言われたって雰囲気ではなかったから何か相談でもしていたのかもしれない。ずっとクラスメイトの誘いを断ってた印象があったから心配してたけど、余計なお世話だったみたいだ。まあ、浮いてる俺から心配されても困るか。
やっと教室を出た3人を見て、俺も日誌を書き終えなくてはいけないと思いスピードを上げる。今日はそもそも内容のあるような事はしていないので、それっぽいことを書いて埋めていく。思ったより早く書き終わった。
自分の荷物を持って日誌を提出しに職員室に向かうために教室を出ようとすると
「お、委員長おつかれー、またなー」
「委員長じゃあな」
「水本君またねー」
急にクラスの男女から声をかけられて驚いてしまう。ていうかクラス委員であって委員長ではないのだけども。せっかく声をかけられたのだからちゃんと返そう。
「またな!あと、委員長ではないから!」
お互いに笑って別れる。それにしても突然クラスメイトとの距離が近づいて混乱した。特に何もしていないのだが、もしかしてクラス委員効果だろうか。面倒な役職を引き受けた奴への優しさ的な。それなら少しはクラス委員になった甲斐があったかなと思う。
まっすぐ職員室に向かってドアの前までたどり着いた。高校生になっても職員室に入るのは緊張するな。俺は廊下にバッグを置いて、ノックをして入る。
「失礼します。1年1組の水本です。学級日誌を榊先生に提出しに来ました」
「あ、水本君。こっちだよー。お疲れ様」
榊先生がデスクから手を振って声をかけてきた。俺は先生のデスクへ向かい、日誌を手渡す。
「はい、たしかに受け取りました」
「ありがとうございます。それじゃあ失礼します」
「あ、待って待って」
引きとめられてしまった。3人を待たせてるから早く行きたいんだけどな。
「はい、なんですか?」
「クラス委員、無理やりな形で引き受けさせてごめんね?大丈夫?」
本当にこの先生はやさしい。文句なんて言えるはずもない。
「大丈夫です。たしかに決まった時はショックでしたけど、やるからにはちゃんとやり通します」
「そう?やっぱり水本君になってよかった」
期待されるのは嬉しいがやっぱり困ってしまう。
「いえ、たぶんクラスの皆なら誰がやってもしっかりやると思いますよ」
「そうだね。それはそうかもしれないけど、遊佐さんとクラス委員をやるなら水本君以上に適任はいないと思うから」
「はい?どういうとですか?」
急に倖楓の名前を出されたので驚いてしまった。それに倖楓とやるならって条件にも疑問だ。
「私がなんでクラス委員を男子から決めたと思う?」
その質問の答えを、俺は5時間目の時点から持っていた。
「遊佐さん目当ての立候補をさせないためですか」
「やっぱり、わかっちゃうんだね」
「いえ、まあ遊佐さんがクラスで人気あるのは見てればわかるので」
「悪いこととは思わないんだけどね。周りからのそういう好意を一身に集めるっていうのは想像以上に重いことがあると思うの」
それはなんとなくわかっていた。毎回誰かから話かけられ、1人1人に対応して、気も使う。そんな事が負担になっていないわけがない。しかし遊佐倖楓という少女はそれをずっと続けてきたんだ。
「まあ、今はお誘いをほとんど断ってるみたいだけど」
「みたいですね。ところでそれがクラス委員とどう繋がるんですか?」
「彼女はそれだけ好意を寄せられるのだから、同時に期待も同じだけされると思うの。そして彼女はきっとそれに応えしまう」
「つまり男女同時にクラス委員を決めてたら、周りが倖楓をクラス委員にする流れを作っていたかもしれないってことですか?」
「うん。だから男子から決めるようにしたの」
「でも結局、遊佐さんはクラス委員になってしまったんですけど」
「それはいいの。だって誰かに願われたわけじゃなくて、彼女自身が決めたことなんだもの」
「まあ、そう言われればそうですね」
先生の考えに納得できた。この先生は俺の思っている以上に、色々な事を考えているのだと思う。残る疑問を俺は先生にぶつける。
「理由の方はわかりましたけど、俺が適任というのはどういうことですか?」
「え?それ言わないとわからないの?」
「はい?」
「はぁー」
なんで呆れられてるんだ。もしかして、これで内申下がったりしないよな?
「とにかく、あの教室で遊佐さんのことをよく知ってるのは水本君だけってこと。だから、彼女に近づくことを目的にクラス委員になる子より安心ってこと」
「は、はぁ…」
「遊佐さんのこと、よろしくね」
「まあ遊佐さんは目立ちますからね、嫌でも目に入りますよ」
「そう、私からのお話は終わりです!引き留めてごめんね」
「いえ、大丈夫です。失礼します」
俺はまた挨拶をして、職員室を出ようと後ろに向く。
「あ、最後にこれだけ」
「なんですか?」
まだ何かあるらしい。そろそろ本当に行きたいんだけど――――
「私の前でもサチって呼んでもいいからね!」
「絶対に嫌です!さようなら!」
優しい笑顔でとんでもないこと言ったぞ。この先生、油断できない。俺はもう引き留められないように早足で職員室を出る。
俺は昇降口に向かいながら先生の話を思い出していた。彼女に向けられる好意や期待、それを俺は昔から知っていた。そして、それが引き寄せるのは良いものだけではないことも――――――。
気付けば自分の下駄箱の前に着いていた。俺はローファーを取り出して床に置こうとした時、背中に軽い衝撃と重みがきた。
「わっ!」
「うおっ」
驚いて、前に頭から突っ込むかと思った。本当にこいつは見えないとこから出てくるな。油断も隙もあったもんじゃない。
「サチ、なに小学生みたいなことしてるんだよ、危ないだろ。」
「はーい、反省しまーす。でも後悔はしません!」
また子どもみたいなこと言ってる。実は同い年じゃなくて飛び級してるんじゃないかと疑いたくなる。
「で、なんでここにいるんだよ。明希と槙野は?」
「先に行ってもらったの。ほら、やっぱり私もクラス委員だし心苦しかったというか…」
なんかモジモジしてる。そんなに気にすることでもないだろうに。このあとの約束の理由もだけど、変なところで気を使うやつだな。
「じゃあ早く行かないと。明希はともかく、槙野は待たせると何言われるかわからないからな」
「ふふっ、そうだね」
改めて俺はローファーに履き替えて、倖楓と校門へ向かう。
「そういえば職員室から出てくるの遅かったけど、何してたの?」
「お前そこから見てたの?脅かすのに本気すぎだろ」
「もうっ、そんなことより何してたの?」
そんなことって、自分がやったことだろうに。さすがに内容は言えないから適当に誤魔化すことにする。
「何って、日誌の提出だよ。あとは少し先生の話を聞いてた」
「話?」
「まあ、クラスには慣れたかとかクラス委員として頑張れとか、そういう世間話だよ」
「なんか怪しい…」
なんで怪しむんだ。逆に怖い。
「怪しいってなんだよ、職員室だぞ?大したことなんてなかったよ」
「ふーん…」
まだ納得のいってない顔だ。これは無理やり話を切るしかない。俺は小走りをして倖楓より少し先に行く。
「ほら、そんな話してる場合じゃないだろ。置いてくぞー」
「あ!逃げるな!」
そう言って倖楓も小走りで追いかけてくる。
小学生の頃もこんな風に帰っていたことを少し懐かしく思い出しながら、俺たちは学校を後にした。
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