嘆きの5時間目

 昼休みが終わって5時間目。教室内は静寂に包まれていた。

 それが正しい姿で、模範的な授業態度だと言える。――――本来ならば。

 この時間の内容は何なのか。そう、ホームルームだ。騒がしいとまではいかなくても、生徒のおしゃべりが多少聞こえても許される比較的緩い部類の時間だ。

 それなのにどうしてここまで静まり返っているのか。それどころか全員、自分の机の上を見つめて固まっている。まさにお通夜状態。

 別にクラス全員でお説教を受けているわけでもない。その証拠に、このクラスの担任である榊先生は―――――――おどおどしていた。


 授業中の教室という空間で、統率者であるはずの人物がどうしたらいいのかと戸惑っているのだ。何せこれから1年間共に過ごし、信頼関係を築いていかなければならない生徒に呼びかけても全然反応が返ってこないのだ。


 榊先生に対するいじめをクラスで実行しているということでもない。俺たちの担任である榊先生は、まだ2日目であるにも関わらずこのクラスの生徒に人気だ。なにせまだ20代という若さに加え、かわいらしい顔立ちに性格も穏やかで親しみやすいという、「この人を嫌いになる人間いるの?」と短期間で感じさせられるほどの人物だ。すでに一部からは紗江ちゃん先生などの愛称で呼ばれ始めているらしい。俺も好感を持っているし、この先生が担任になったことが現状の高校生活で数少ない幸運の1つだと言える。そんな先生はすでに半泣きである。親しみやすいのは良いことなのだろうが、威厳とかそういうのはいいのだろうかと心配になってしまう。


 本題に戻るが、榊先生を現在ピンチにしているものは何なのか。それは入学式の日の終わり際に言っていた事、委員会決めだ。

 そんな委員会決めが始まって、現在15分程経過していた。しかし15分経過したというのに、なんと1つも決まっていない。この状況を作り出してしまった原因はクラスの一員である自分にもあるので申し訳ないと感じる。しかし、この状況になってしまったのは仕方がないと思う。今決めようとしている委員はなんなのか。それは―――――――、


 みんな大嫌いクラス委員である。


「…えっとー。やっぱりやってみようかなって人いないかな?やりがいあると思うな。やり通したらきっと、やって良かったって思えるんじゃないかなー。なんて…」


 全員無言。目も合わせようとしない。しかし榊先生に対する申し訳なさから、みんな苦痛に耐えるような顔をしている。そんなにきついなら早く楽になってほしい。たぶん、手を上げたら先生が抱きしめてくれるほど喜ぶんじゃないか。


 それでも、誰も動かない。それだけクラス委員という役割が嫌ということだ。クラス委員はことあるごとに休み時間や放課後に集まりがあったり、授業のことで準備を手伝わされたり、イベントなどでも実行委員の役割を任されるという、面倒な仕事を1つにまとめた委員だ。実行委員は普通、別枠であるものだろうと呆れてしまう。


 そんな俺も絶対にクラス委員になりたくない生徒の1人だ。理由はいろいろとあるが、もちろん多くの時間を奪われるというのが大きな理由だ。そして最大の理由は、間違いなく俺だけにしかないリスク。その危険性を考えたら絶対にクラス委員になるわけにいかない。


「ねぇ、久木くん。何か良い案はないかな?」


 榊先生が教壇の前の席に座る明希に尋ねる。ついに生徒に頼るという手段に出てしまった。明希も驚いて困っている。


「えっとー、クジとかはやっぱりダメなんですよね?」

「うん、できれば自主的にやってもらいたいから」


 クジ引きの案自体はすぐ出ていたのだが、先生が今言った理由から選択肢から外された。本当に真面目な人だ。


「それなら、まずクラス委員をやるのが難しいやつを省きませんか?」

「…うーん、それしかないか。まず部活に入る予定の人数把握からかな?」

「それがいいと思います」


 まずい。俺は自己紹介でまだ部活を決めてないと言ったが、そもそも高校で部活に所属するつもりがなかった。なぜかというと、実はマンション近くの飲食店でバイトをすることが入学式の前から決まっていた。姉が高校時代にバイトしていたお店で、姉の紹介でバイトさせてもらえることになった。そんなわけで「部活でクラス委員をやるのが難しい」という逃げ道が俺には存在しなかった。今は入るつもりを装って最終的に入らないという方法も無くはないが、間違いなく後で面倒になるからその手段は取れない。


「それじゃあ、まず男子から。部活をまだ決めていない人は挙手して」


 俺は素直に挙手する。挙手したのは7人。このクラスの男子は18人いるので半数近くが手を挙げたことになる。問題はここからだ。いかにしてこの7人の中から選ばれないようにするか。


「7人かー、あとは家が遠い人も難しいかな。嶋田君、電車で2時間近くかかるところだったよね?」

「あ、はい」


 先生そんなこともすでに覚えているのか、仕事熱心で驚く。ここにきて1人勝ち抜け。正直羨ましいが、時間がかかるのは大変だろうから文句は言えない。あと6人。


「あと葉山君もお家のことで忙しいだろうからダメね」

「はい、ありがとうございます」


 何か事情があるらしい。これもまた文句は言えない。あと5人。どんどん減っていく、どうしよう。


「んー、あとは特にないかな?」

「先生。僕部活入ることにしたのでクラス委員やらなくてもいいですか?」

「あ、そうなの?それなら仕方ないかな」


 このタイミングで決めたなんてズルいにもほどがある!ちゃんと入るのだろうかと少し疑ってしまう。先生が仕方ないと言ってしまったのであと4人。何かここから抜け出すいい方法はないだろうかと俺は焦り始める。


「4人かー。ここからどう絞ればいいかな?やっぱり直接お願いするしかないかな」


 先生がまた明希に助けを求める。もう明希がクラス委員になればいいのではないかと誰もが絶対思っている。


「これ以上は難しいでしょうし、じゃんけんで決めませんか?」

「え?でもそれだとクジと変わらないし…」

「違いますよ先生。じゃんけんと言っても今回は勝った人がクラス委員をやるんです!そうすることで負けた罰ではなく、勝ち取ったという栄誉になるんです!」

「なるほど!それだわ!」


 ダメだ、誰かあの詐欺師を止めてほしい。突然示された解決策に、先生も絶対に正常な判断が出来てない。この先生、悪い男に引っかかったりしないだろうか…。


「ということでじゃんけんで勝った人をクラス委員に任命します!」


 教室に拍手が響く。候補の4人を除いて。


「それじゃあ、4人は前に来てじゃんけんしてね」


 俺を含めたクラス委員候補の4人が黒板の前に集まる。


「水本、お前がやってくれてもいいぞ。いろいろ環境には恵まれてるみたいだし」

「なんだよ、環境って。俺もやりたい事とかあるしそんな風に言わないでくれよ、ええっと…」

「関本だ。自己紹介でボーっとしてたのは人に興味がないからか?」


 いい線いってるなと感心する。想えばこれがクラスメイトとの初めての会話なんじゃないか?初めてがこんな険悪な雰囲気って、我ながら本当にスタートに失敗したのだなと再確認する。


「誤解だよ。もう覚えたし許してくれると嬉しいんだけど」

「はっ」


 鼻で笑われた。どうやら外面良く接してもダメなタイプらしい。たまにこういうやつがいる。関わらないのが1番だ。


「なあ、そんな話どうでもいいから早くじゃんけん終わらせよう」

「うん、俺も早く終わらせたい」


 他の2人がこの雰囲気に耐えられなかったようだ。俺も長続きさせたいわけじゃないのでそれに応じる。


「ごめん!じゃあ、はじめようか」


 4人で円になる。掛け声は俺がすることになった。


 よし、絶対に負ける。俺には自信があった。今までの俺は、じゃんけんの勝率が高くも低くもなかった。大事な場面でのじゃんけんなんて負けることの方が多かった印象だ。それに加えて高校に入ってからの俺の運気は絶望的に悪い。つまり導き出される結論は1つ。俺は負けられる!


「じゃーんけーん――――」

「「「「ポン」」」」





「…はい、クラス委員になりました水本です。1年間よろしくお願いします」


 自己紹介の時とは違って疎らな拍手だった。


 それにしても素晴らしい勝利だった。他の3人をワンパンだ。見事にクラス委員の座を勝ち取ることができた上、喧嘩腰だった関本には「いやー、助かった。ありがとな」とお礼まで言われてしまった。


 …もう泣きたい。間違いなく神様に嫌われてる。ちゃんと初詣に行ったし、お賽銭に500円も入れたのに。来年から5円にしよう。


「はい、水本君よろしくね。水本君がやってくれるなら私も安心だよ」


 榊先生が嬉しそうに言う。この先生は何を見てそんなことを言ってるのかと疑問に思ったが、先生なのだから見れるか。と納得した。正直期待されても困る。クラスでは浮いてるし、俺がまとめられるとは思えない。


「それじゃあ次は女子のクラス委員を決めないとだね」


 そう、まだ男子が終わったばかりだ。同時に決めればよかったのではと思うが先生が「こういうのは男の子からやっていかないと!」と謎の主張で決まった。そういうわけで、これから女子も選ばないといけない。男子と同じ決め方ではしこりを残しそうな気がするが、どうするのだろう。


「とりあえず水本君、さっそくお仕事です。この後の進行よろしくね!」

「あ、はい…」


 丸投げされた。これは変な決め方をしたら俺にヘイトが向くパターンじゃないか?

 とりあえず、意思の確認をもう一度してみよう。


「えっとー、改めて女子でクラス委員やりた――――」


 1人の手がまっすぐ挙がった。勢いがすごかった、俺が言い切る前には挙がりきってた。クラスの視線が挙手した者へ集中する。―――――倖楓だ。ここで挙げるなら最初から挙げてくれれば、男子も揉めつつすぐに決まっただろうに。俺は少し嘆く。


「…えっとー、遊佐さん以外にはいない?」


 倖楓が不満そうな顔をする。真面目な場なのだから名字で呼ぶくらい許してほしい。


「…それじゃあ、遊佐さんに決定で」


 今度は大きな拍手が響いた。一部の男子から「うわー、ミスったー」などの声が聞こえる。今からでも変わってやろうか。


 その思いを感じ取ったのか、1人の男子が立ち上がって俺に声をかけてくる。関本だ。


「水本、嫌々みたいだったし変わってやろうか?」

「え、まじ?おねグㇷッ!」


 突然の救いに手を伸ばそうとした俺の右脇腹に、内臓へ響くような強い衝撃が走る。そこには、いつの間にか前に出ていた倖楓の肘が入っていた。脇腹を押さえながら倖楓に文句を言う。


「サ、サチッ、お、おま、え」

「ふんっ」


 たまたま目の前に座っている明希の顔が目に入った。呆れた顔をしている。納得いかずに槙野を見ると、口パクで「ばーか」と言われる始末。理不尽な。暴行の犯人である倖楓はというと、めちゃくちゃ不機嫌な顔をしていた。俺の知らない間にこの子を暴力的にしたのは一体誰だ、抗議しに行きたい。


「はーい、一度決まったことを変えるのは許しません。関本君、諦めてね。水本君も最後までやり通すように」

「はい、頑張ります…」


 関本は黙って座り、俺はまだ痛む脇腹をさすりながら返事をする。倖楓は満足そうな顔。そんなにやりたかったのか。本当になんで最初から立候補しなかったのか不思議だ。


 そんなクラス委員の決定が落ち着いたとはいえ、これがまだ1つ目だ。他にも決めなければいけないことがたくさんある。先生が言った通り、この後の進行も俺と倖楓ですることになった。俺はやりたくなかったことする羽目になっても、それを雑にやったり投げ出したりするのは嫌いだ。こういう筋は通したい。


 2人で進行を始める。すると、思ったよりスピーディーに決まっていった。全部決め終わるまでの時間よりクラス委員を決める時間の方が長かったくらいだ。

 その積極性をクラス委員で見せてほしかった。と俺は心の中で嘆いたのだった。

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