第4話
その日、私はずっと王の部屋にいた。出て行けとは言われなかったので、居座ることに決めたのだ。今まで私を部屋に入れなかったのは、単に醜い姿を見られたくなかったからだろう。思ったとおり、王様は歪んだ馬顔に微笑みらしき物を浮かべて、事あるごとに私に話しかけた。
『夜の君』の正体が国王陛下だったと知り最初は緊張したが、彼は私の無作法など気にも留めない様子だったので、すぐに気兼ねなく彼との会話を楽しめるようになった。王様というのはまつりごとの話しかしないものだと勝手に思い込んでいたのに、彼は民草の暮らしについても詳しいようだった。
彼の部屋は、私の部屋より一回り大きいだけで、造りはよく似たものだった。その日は私の分の食事も、王の部屋の机の上に届けられた。王は外部の人間に意思を伝える手段を持っているようだ。
夕食だけは今まで通り広間で食べたが、その晩からは立派なテーブルが部屋の中央に現れるようになった。私たちは向かい合って、大きな燭台の明かりの下で食事をした。
王は自分の姿のせいで食事がまずくなるのではないかと心配してくれたが、その頃には私はすっかり彼の姿に慣れてしまっていた。食事が終わるとお互いの部屋に戻り睡眠を取る。そして夜明け前に王の部屋を訪れ、彼の腕を握るのが翌日からの私の日課になった。
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いくら痛みからは解放されたとはいえ、王の変身は見ていて気持ちのよいものではなかった。私は目を閉じて、変化していく彼の腕をしっかりと握り締めた。毎回、彼は前日とは全く違った姿に変わり、私を驚かせた。
どのような姿に変わろうと彼はひどく醜かったし、彼もそれを恥じていた。だから私は彼を元気付けようとあることを考え付いた。毎朝変身の終わった王の身体を眺め、褒めるべきところを一つだけ見つけ出すのだ。
例えば、ある日の彼は巨大なハゲワシのような姿をしていた。色も形も、ばさばさにねじくれた羽も見苦しいことこの上なかったが、右目だけは黒いガラスの玉のようにキラキラと光っていた。私は機会あるごとに彼の目玉を大げさに褒めたたえ、冗談を言って笑い合った。
王は元来陽気な性格の持ち主のようだ。さもなければこんな境遇には耐えられはしない。私が部屋に出入りするようになってからはますます明るさを取り戻したようだった。尻尾や角を振り回してげたげたと笑う王を見るたびに、何も知らない人が見たら腰を抜かすだろうと愉快な気持ちになった。
王は私の村での生活について知りたがった。あまり自慢できるような暮らしぶりではなかったので、私はかいつまんで話した。村人は悪い人達ではなかったが、孤児の私には無関心だったのだ。私を引き取った魔女のばあさんが死んでからも、一人で生き延びてこられたのはひとえに魔法の才能のお陰だ。
だが、痛みを和らげることは出来ても病人を治すだけの力はない。そのためにかえって恨まれる事もあった。事前に説明はするのだが、人はいつだって奇跡を求めるのだ。癒しの技を持った魔法使いに払うお金がないから私を雇ったというのに。
つい先日もこの能力のために嫌な思いをした。うんざりしていたときに、私の噂を聞きつけたあの男たちが現れたのだ。仕事の誘いを受け、私はしばらく村を離れることを決めた。お金さえあればもう魔女なんてやめられる、そう思ってこの依頼を引き受けたのだ。
ここに連れてこられた経緯を話すと、王は笑い声を上げた。
「ラフルが無礼を働いたようじゃな。私を思う心より出たことだ。どうか許してやって欲しい」
あの髭男が名高きラフル将軍だと知って私は驚いた。辺鄙な山中の村まで将軍自らが私を迎えに来たのだ。それだけ期待されていたと言うわけか。確かに毎朝の王の苦しみを和らげられるのは私しかいないだろう。
「おかげでそなたがここにおるわけだから、感謝しなくてはならぬな」
王の言葉に私は赤くなった。今まで私は病人は金づるだとしか思って来なかったのだから。
だからといって責められては困る。魔女のばあさんは、病人が出るたびに年端も行かぬ私を送り込んで小遣い稼ぎをしていた。中には回復の見込みのない重病人もいたのだ。何人もの人達が私の手を握ったまま死んでいった。感謝する者もいれば責める者もいる。
誰からともなく村人達は私の事を『小さな死』と呼び始め、仕事を頼むとき以外は避けるようになった。私は病人を看取るのも生活費を稼ぐための手段だと、割り切ることにした。そうでもしなくては、小さな私の心はつぶれてしまっただろうから。
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ある時、王は本棚にずらりと並んだ本を指差して遠慮なく読むようにと言った。私は顔を赤くして字が読めないことを白状した。村には学校があったのに、誰も孤児の私を通わせようとは思いつかなかったのだ。
王は驚いた。彼も先代の王も国民の教育に熱心であったから、私のような若い娘が字を読めないことを知り、少なからず衝撃を受けたようだった。その日から王は私に読み書きを教え始めた。まるで私が文盲なのは自分の責任であるかのように。
ほとんどのアルファベットは知っていたので、綴りと発音の関係が分かるとすぐに簡単な文章を読めるようになった。ここにある本は政治学や哲学など難しい内容の物が多かったので、王は私のために絵のついた本をたくさん取り寄せてくれた。彼がどのようにして外の世界と連絡を取り合っているのかいまだにわからなかったが、彼が所望した物は翌日には部屋の隅の棚の上に載っているのだった。
本だけではなく珍しい菓子や果物も毎日のように届けられた。勉強の合間には、私たちは並んで絨毯の上に座り、温かいお茶とお菓子を楽しんだ。
変身した姿によっては王は声が出せなくなった。そんな時には授業もできないので、私が彼に本を読んで聞かせた。その頃には物語の本であれば、あまり詰まらずに読めるようになっていたのだ。
王が話せず、鵞ペンも握れない時のために、いろいろな合図も決めた。彼は軍隊で使う信号を知っていたので、それを応用して私たちだけの合図を考え出したのだ。私のお気に入りは壁を五回叩く合図だった。『おやすみなさい』という意味で、私たちは毎晩、眠る前にお互いの部屋の壁をこつこつと叩いて挨拶を交わした。
毎朝、新たな化け物に変身する国王陛下と共に、魔法に満ちた薄暗い小屋の中で幽閉生活を送る。どうみても普通の暮らしとはほど遠かったけれども、私はすっかり馴染んでしまっていた。だが春も終わろうという頃、いくつかの事件が起きたのだ。
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