第3話
今夜に至るまで『夜の君』についてそれ以上の事を探り出せずにいる。昼間は薄暗い部屋で一人で過ごし、さすがに苛立ちも募り始めていた。今夜こそ彼の事をもっと聞き出してみせる。気を悪くすれば首になるだけのことだ。彼は嫌いではなかったが、正直、こんな陰気臭い場所とはさっさと縁を切りたい気分だった。
相手が食事を終えたのを見計って、私は尋ねた。
「私はたいしてお役には立てていないようです。ほかにもできる事はありませんか?」
「ナイ」
彼の返事は素っ気ない。
「何も分からないまま、ここで暮らすのはとても辛いのです。あなたとお話できるのも夕食の時間だけです。昼間もお話相手になるわけにはいきませんか?」
「ダメダ」
「それでは、せめてあなたの姿だけでも見せてはいただけませんか?」
「スマヌ。ソレモ ダメダ」
彼はそのまま黙り込んでしまった。取り付く島もない。怒らせてしまったのかと不安になって、彼のいる方向に瞳を凝らす。ヒューヒューとおかしな音が聞こえてくる。彼の呼吸の音だろうか?
その時、どさりと重いものが床に落ちる音がした。苦痛の唸り声に、彼が椅子から転げ落ちたのだと気付き、テーブルの上の燭台を掴むと暗闇の中へと足を踏み入れた。
「クルナ!」
彼が叫んだ。だがその声はひどく苦しそうだ。
「放ってはおけません」
闇の中の彼を見つけようと燭台を高くかかげたが、小さな蝋燭の光は広間の闇に吸収されてしまう。強い魔法に満ちている場所で、うっかり呪文を唱えればどのような災難が引き起こされるか分からない。それが私に魔法を教えてくれた人からの戒めだった。だが相手の姿が見えないことには助けようがない。何も起こらないことを祈りつつ、私は呪文を唱えた。
蝋燭の炎が一瞬だけ大きく燃え上がった。私の貧弱な力ではこれが精一杯。だが広間の反対側に置かれたテーブルと、その脇にうつ伏せに倒れている男の姿を認めて走り寄る。燭台を床に置き、彼の身体を仰向けに返して、私は慌てて飛びずさった。
ぼんやりとした蝋燭の光の中に浮かび上がったのは、人間の顔ではなかったのだ。
いびつな頭にはめ込まれた巨大な一つ目が、私を見つめている。鼻らしき肉の塊の下には、尖った歯がのこぎりのように並ぶ裂け目があった。おまけに頭のてっぺんからはねじ曲がった角が二組突き出していたのだ。
やがて化け物はよろよろと立ち上がり、私から顔をそらすと、びちゃっ びちゃっ と音を立てて自分の部屋へと逃げ込んだ。勢いよく扉が閉まった後も、私はしばらくその場から動くことが出来なかった。
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翌日も朝日と共にすさまじい悲鳴が聞こえてきた。 私は頭から毛布をかぶり、震えながら化け物の発作が終わるのを待った。私はあの男達に騙されて、病人ではなく病気の化け物の巣に放りこまれてしまったのだ。なにが『夜の君』だ。この上なく醜い怪物ではないか。
もう嫌だ。こんなところにはいたくない。鬱々として私は部屋の中を歩き回ったが、ここから逃げ出す方法は思いつかなかった。一つ目の化け物が隣にいると思うと気持ちが落ち着かない。
あの男達は何が目的で私を化け物に与えたのだろう。彼を生かしておくために想像もつかぬほどの費用をかけているのだ。あの化け物にはそれだけの価値があるということか。
私は昨夜の出来事を思い返した。化け物は私に見られたことを恥じているように見えた。自分が醜いということは心得ているのだ。私に危害を加えたければ今までに機会はいくらでもあった。つまり彼は危険ではないということだ。その証拠に、昨夜椅子から転げ落ちるまでは、毎晩私と楽しく食事をしていたではないか。
そう思うと、醜い化け物が突然に怖くなくなった。
よし、こうなったら彼の正体を何が何でも暴き出してやろう。
その晩、彼は食事の時間になっても私を呼びにはこなかった。私は身なりを整え部屋を出た。いつもと同じく私の席も用意されている。部屋の反対側から銀器を取り落とす音が聞こえた。化け物は私が出てくるとは思っていなかったのだ。
「明日からは食事の時には呼んで下さい」
私はそう言って席に着くと、何事もなかったかのように食事を始めた。
「……私が怖くはないのか」
おずおずと彼が尋ねた。
「怖いです。でももう五日も一緒にいるんです。いまさら私を食べたりはしないでしょう」
思わぬことに彼が声を立てて笑った。
「そなたは肝の座った娘じゃな」
そう言ってまた笑う。彼の笑い声は朗らかで温かい。声だけは『夜の君』にふさわしいのだが。
「あなたの姿を見せてください」
「見ないほうがよいな。おそろしく醜いのだから」
「でも、あれぐらいならすぐに慣れると思うんです」
彼がまた笑った。
「そんなに簡単に慣れるものではない。駄目だ」
その晩の話はそれで終わった。だがその翌日、私は『夜の君』の姿を見ることになるのだった。
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翌朝の発作は凄まじい悲鳴から始まった。いつもよりずっと激しく長い。彼は壁のあちこちに体当たりを繰り返し、棚から物が落ちる音が響き渡った。
もう見過ごすわけにはいかなかった。今回はためらいもせず扉を開ける呪文を唱え、あっけなく開いた扉から彼の部屋の中に転がり込んだ。そして初めて明るい光の中で彼の姿を見た。それは二日前に見た一つ目の化け物の姿とは似ても似つかぬものだった。
私の目の前でのた打ち回っているのは、馬のような形をした巨大な生き物だった。だがこれが馬だとしたら地獄の馬に違いない。身体には毛がなくしわだらけ、四肢の長さはすべてばらばらだ。足先には蹄の代わりに人間の指が生え、ぶるぶると震えていた。だが何よりも恐ろしいのは、その生き物の全身が絶えずぐねぐねと形を変え続けていたことだ。
めきめきと吐き気を誘う音を立てて首が伸びていく。首と背中の皮が無理やり引き伸ばされ、彼の顔が苦悶にゆがんだ。背骨の出っ張りの一つ一つが皮膚を突き破り、まるで一列に並んだ棘のように成長していく。鮮血を流す傷口からはすぐに新しい皮膚が生まれ、つぎはぎのような模様を残しながら骨を覆っていった。すべての変化に恐ろしい痛みが伴うのだ。血走った目からぼろぼろと涙を流し、彼は屠殺される牛のような悲鳴をあげた。
我に帰った私は彼に駆け寄り、闇雲に宙を掴む彼の前足を押さえつけた。突然に痛みから解放され、彼の身体からくたりと力が抜けた。長い首を持ち上げてぼんやりと私を見つめる。おそらくその顔には驚きを浮かべていたのだろうが、人間の顔とはかけ離れた形をしていたので、私には彼の表情が読めなかった。
生き物をあらゆる肉体の痛みや苦しみから解放する。これが私の生まれ持った、そしておそらくこの世で私だけが持つ能力だった。 高名な魔術師たちが私に興味を持ったが、どのような呪文をもってしても、この能力を再現することはできなかったのだ。
「なんと……」
口をパクパクさせてそれだけ言うと、彼は白目を剥いて気を失った。
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「呪いなのだ」
しばらくして目を覚ました彼は、私が尋ねもせぬうちに、自分の身に起こったことを語り始めた。
「去年の夏、北の国境へ遠征に出たときの話だ。国境沿いの村々が隣国の山岳民族に襲撃される事件が続いておった。隣国に苦情は申し入れたものの、知っての通りガルヴァニでは内乱が続いており、辺境の民にまでは目が届かぬ。国境を越えて討伐隊を送り込むわけにもゆかず、私は頭を悩ませておった。
村の者の話によれば、国境のこちら側にも同じ民族の暮らす集落があり、襲撃を手引きをしておるということだった。集落の者を引き立ててこさせ尋問したが、関係はないと言い張る。奴らの肌は透き通るように白く髪は赤いのだ。地元では化け物の血筋だという噂もあった。 討伐は思うように進まず、いつまでも都を空けておくわけにもいかぬ。苛立ちはつのり、ある晩、酒の席で愚かにも私は、あのように醜い者共は生かしておいてもしかたがないと口を滑らせてしまったのだ」
彼は不揃いな四肢を身体の下にぎこちなく畳み込んで、分厚い絨毯の上に座っていた。寝室の隅々にまで絨毯が敷かれている。変身時に身体に傷がつかないように誰かが気を配ったのだろう。彼の背中には大きな敷布のような布がかぶせられ、醜い身体を隠している。背骨に沿って棘のような骨が突き出ているので、身体の上に天幕でも張っているかのようだ。皮膚は青白く、黒ずんだ血管がクモの巣のように透けて見えた。
「翌日、部下の一人が手勢を率いてその集落を襲った。村の者を皆殺しにしたのだ。浅はかな男だった。だが、そのような行動を引き起こした私の発言こそ浅はかであったのだ。私は暗い気持ちで殺戮の跡を見て回った」
そこで彼は長いため息をつき、馬に似た長い顔を悲しそうに左右に振った。ひどくひしゃげているので、いつも首を傾げているように見える。
「男はすべての村人を殺したと言っておったが、小さな小屋の中に老婆が一人だけ残っておった。老婆は私に指をつきつけ、理解の出来ぬ言葉で私を責めた。小屋の中には布で包まれた骸が三つ転がっておった。包みの一つはとても小さく、私の胸は痛んだ。謝罪の言葉など何になろう。私はただ頭を下げて老婆のののしりを受けたのだが、今考えるとそれが間違いであったのだ」
再び長いため息をつくと彼は続けた。
「次の朝、朝日と共に私の身体に異変が起こった。体中に激しい痛みが起こり、苦しんだ挙句につぶれたヒキガエルのような姿へと変わってしまったのだ。同行の魔術師はこれは呪いであると言った。すぐにあの老婆を引き立ててこさせたが、婆はただ笑うだけであった」
私は心の中で自分の愚かさを責めた。どうして今まで彼の正体に気付かなかったのだろう。
「あなたは国王陛下ですね?」
王は遠征先でかかった病が悪化したため、弟に国政を任せ、おしのびで療養中だという。この国の者なら、誰でも知っていることだ。
彼は憂鬱そうに笑った。
「もう私は王ではない。ただの罪人だ。弟には王の座を譲ると言ったのだが、どうしても受けぬ。私には王でいる資格などないと言うのに」
「どうしたらこの呪いが解けるのか、ご存知なのですか?」
だが彼は床に視線を移し、私の問いには答えようとしなかった。
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