第2話

 とにかく日本舞踊はお金が掛かる。まず稽古は着物だし。扇子や小道具。仕事終わりでも通える様にと稽古用の浴衣も買った。

 母はその後も運動をはじめてくれることはなく、「本当に日本舞踊始めたんだ。」と、驚いていた。

 疲れて休みの日は寝ていたいし、でもインストラクターだから休みの日こそ、筋力やら病気やらの健康知識の勉強は必須だった。稽古に行けは、お師匠さんから稽古中に「違う!」「なんで出来ないの?わからないの!」と、怒鳴られ扇子で殴られれたり、扇子が飛んでくる。……なんで高い月謝払って、初心者なのにこんなに怒られなくちゃいけないんだ、と僕が鬱になりそうだった。

 そんなある日だった。あまりにも踊れない僕を見てお師匠さんが「一回だけこの踊りを見せてあげる」と、踊りを見せてくれた。


 僕の心は、空っぽになった。

 本当に言葉にできないくらい。

 美しくて。儚くて。


 その時始めて「お師匠さんのように舞いたい。」と、思った。

 その日から僕は変わった。今までは「インストラクター」として自分が商品だから、減量したり体を鍛えていたし、プロテインとかジムで販売する器具や、イベントに合わせて身体を作ったり、食事も自己管理していた。

 しかし、お師匠さんの踊りを観てからは、踊る曲の役に合わせて身体を作った。

 日本舞踊は“踊り”の世界。年齢や性別は関係ない。それこそ、男の僕でも「舞妓」等の若くて華奢で小柄な女の子の踊りから、「雨の五郎」と、言った大柄な色男の踊りをする。

 当時の僕は、身長は168センチの64キロだったけれども、「舞妓」の時は57キロまで減量したり、「雨の五郎」の時は67キロまでポンプアップさせた。

 それくらい日本舞踊にのめり込んだ。


 でも、お師匠さんはやっぱり凄い。僕はもちろん稽古と役作りの為に身体を作っていたけれども、お師匠さんはいつもお師匠さん。体型も立ち振る舞いもいつも変わらない。でも踊りとなると、その人物でしかない。

 稽古の度に心を奪われる。

 いつしか僕は、いつもお守りのように扇子を持ち歩く様になった。暇さえあれば曲のテープを聴き、片手が空いたら常に扇子で要返しの練習をしていた。

 夜も寝る前に必ず一曲は、踊る様になった。ただ、いつも踊りながらも要を回す時も考えている事は「お師匠さんならどう舞うのだろう。どう魅せてくれるのだろう。」それだけだった。


ーーーーーーー

 

 日本舞踊は、流派毎に別れていて、家元がいて、そこから枝別れしている感じだ。

 ある日、お師匠さんに「お師匠さんの憧れの方はどんな方ですか?」と、聞いたら「自分のお師匠様だ。」と、言われた。


「そんなに凄い人なんですか?!」と、僕が凄く興奮したので、お師匠さんのお師匠さんのチャリティーに母と同じ門下生の先輩方と連れて行ってもらえることになった。

 

「憧れのお師匠さんが憧れるなんて、どんな舞をするのだろう?」と、僕は、興奮した。

  

 お師匠さんは行きの電車でも、チャリティーが始まる前に皆で入ったランチ処でも浸すら自分のお師匠さんの話をしていた。

 どうやらかなりのご高齢で九十歳以上。

 人間国宝にならないか、と声をかけられたが「自由に踊りたいから」と、その声を跳ね除けたらしい。

 ちなみに、僕も経験したのだが、国立で踊る時は松竹の衣装でなければいけなくて、衣装さんに「どこの門下生ですか?」と、聞かれてお師匠さんの名前を出したら

「あの○○さん!あの大先生の一、二番弟子の○○さん?!失礼しました!」と、同じ松竹の衣装でも更にワンランクアップの衣装を持ってこられた。お師匠さんも凄いけど、更にそのお師匠さんが偉大で凄い方なのが伺える。

 もちろん、お稽古だけではなく、あまりにも熱心な僕を見て、お師匠さんは色んな日本舞踊の舞台やチャリティーへ連れて行ってくれた。

 有給をその為に使う様になったり、身体作りをしているのでとうとう「脳みそまで筋肉で、流れる血はプロテインの日舞バカ」と、お客様からも職場の方にも言われる様になっていた。それでも構わない。むしろ褒め言葉くらいに感じていた。

 もちろん僕だってお師匠さんだけじゃない。他の流派の方や、同じ流派でも老若男女問わず、心を奪われる立方さんがいたし、その人とも軽くだけれども顔見知りとなる。その度に彼等は自分達のことを「同じ流派の兄妹」だと、声を掛けてくれる。それがまた心地よかった。

 

 実際にチャリティーが始まった。お師匠さんが「一番前の席で観よう」と、声を掛けて下さり、皆で一番前の席に座った。

 日本舞踊は、大体一曲目にその会のトップか実力者が舞う。その後、経験順に立方が変わり、最後にトップが踊る、という最後になるに連れて実力も上がっていくので最後の方から観に来たり、身内が踊ったら帰ったり、興味のない立方の時は席をわざと外したり、中には極々稀にマナーが本当に悪い人や性格の悪い人は上演中にわざと雑談しだす人もいる。

 もちろん僕も日舞を始めたばかりの頃は身内も母くらいのものだし、友人にも日舞をやってる、なんて話してなかった。だから僕の踊りの時間もガラガラだったが、いつも僕が踊りだすと会場は静まり返ってきた。

 ある日、門下生の先輩にお話したらどうやら、僕が踊りだすと皆、それこそ喋っていた人は話すのを辞めてしまったり、パンフレットやプログラムを見ていた人は顔を上げ、眠っていた人も目を覚まして有り難い事に舞台の僕に集中してくれていたらしい。だから幕が下りても皆暫く話せなかったり動けていなくなっていたそうだ。

 確かに一度、家族孝行に祖母を舞台に呼んだ事がある。高齢で遠方から来る為、友人に頼んで祖母の付き添いをしてもらった。

 その時「舞妓」を舞ったのだが、友人が祖母に「この後、お孫さん踊りますからね」と、声を掛けてくれたのに、祖母は僕が踊り終わった後も

「私の孫の出番は?」

「今の立方は、私の孫じゃない。」

と、パニックになっていたらしく友人が楽屋に祖母を連れてきてくれた時に赤い着物を着ている僕を見てやっと「私の孫だ!」と、認識したらしい。

 最初は僕も、「祖母も年だし認知症か、赤い着物だし解らなくても仕方ない」と、思っていたが、その後「本物の現地の舞妓より舞妓らしい舞だった。」と、評価されていたそうだ。

 その後も、「雨の五郎」を踊った時に観に来てくれた友人からも「○○だなんて思えなかった。“男”じゃなくて、正しく“漢”だった!日本舞踊には興味無かったのに、たった一曲で感動したのは初めてだ!」と、肩を叩かれてた。

 あと、同じ流派でもかなりの実力派の天才肌の大御姉様が、いつも興味がないと席を外してしまうのに、僕の舞の時だけ席に戻って来る様になった、と教えて頂けた時は本当に嬉しかった。

 どうやら僕は「憑依方の立方」と、言われていたらしく、「役よりも役以上に“役”」と、毎回ご評価頂けていたそうだ。

 確かにいつもリハーサルではお師匠さんは、フォーメーションや音入りチェック位しか何も言ってくれず、アドバイスお願いしたら、「貴方は本番に化けるし、本番が一番凄い良いから毎回何も言う事はない」と、少しさみしい事を言われてしまった。


 そんなこんなで、お師匠さんのお師匠さんの舞台。僕の胸は高鳴った。

 しかし、僕は……爆睡してしまった。

 お師匠さんの更に凄いお師匠さんの舞台を。しかも最前列で。

 実はその後も、何回もお師匠さんのお師匠さんの舞台を観に行ったものの、毎回最前列で眠っしまっている。つまりは最後まで僕は、お師匠さんのお師匠さんの舞を観れた事は一度もにないのだ。

 確かにかなりのご高齢で素晴らしいのだと思う。しかし……本当にごめんない!僕の心には刺さらないんです!

 それこそ、僕はきっと眠って首を三つ振りや連獅子の如く頭を動かしていそうだし、

 曲が終わり幕が降りる音で目を覚まし、まるで見栄切って、

 誰よりも大きく最前列で拍手をシていた事だろう。

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