雨の五郎
あやえる
第1話
美しさは儚さ。
輝きは一瞬。
僕はただ、貴方の様に舞いたかった。
ーーーーーーー
僕の母は、鬱病だった。
母はシングルマザーで僕を育ててくれていた。でも僕が高校生の時に、何がきっかけかはわからなかったけれども鬱病になった。母からの暴言や暴力の日々。母が家事が出来なくなったから、小学生とか中学生の頃の家庭科の知識や記憶も曖昧だったから、僕は高校の図書室やテレビで家事や料理を独学で勉強した。母は鬱病ながらも仕事へは行ってくれていて、そこには本当に今でも感謝してるし尊敬しているし、頭が上がらない。
僕は、アルバイトを始めた。初めてのお給料は、母が昔4℃が好きって言っていたから、4℃のネックレスをプレゼントした。アルバイト先の先輩からは馬鹿にされたけど、母はとても喜んでくれた。
それ以降も、母の誕生日やクリスマスはケーキを毎年作り、毎日の朝ご飯や夜ご飯、自分の弁当は自分で作った。洗濯や掃除も僕がやっていた。そしたら前よりも母の鬱は少し落ち着いて、でもたまの暴力は変わらず、夜中にずーっと大声を出して泣き出す事もよくあった。
母の鬱を治したくて、心理学の大学への進学を目指さしたけれども、知識があってもそれが母の鬱の完治には繫がらない、と気が付きいた。それでも母は「大卒ってブランド名みたいなものだから大学へは行きなさい。」と、言ってくれて、僕は法学部の大学へ進学した。
大学は、正しく人生の夏休みだった。母の鬱は相変わらずだったけれども、それでも友達が出来て、世界観や価値観が広がったと思う。
そのまま、独学で鬱治療について勉強してたら、「鬱は薬やカウンセリングじゃなくて、運動がいい」と言う事を聞いた。
それで、僕はインストラクターに就職した。お客様はダイエットだけじゃなくてストレス発散や、生活習慣病予防の為に頑張っている人が多くて感動した。こんな性格だったから関東の色んな店舗にヘルプとして行かされて、休みの日もどこかでお客様に会ってしまっていてプライベートなんてものは無くなった。
そんな時に上司に「仕事だけで生きるな。時間は厳しいかもしれないが、仕事と自分の母親以外の生き甲斐や趣味を見付けなさい」と、言われた。
そんな事、言われても母が鬱で苦しんでるならそれどころでない。母は確かに「母」だ。でもそれ以前にひとりの「女性」だ。
今思えば、鬱になる前から父親になるかもしれない人が出来る度に、「コブ付きって言われた」「貴方がいなければ」と、よく言われていた。そして、その後「酷い事言ってごめんなさい。」と、よく母は泣いていた。
僕が、母と結婚出来ればいいのにな、とよく考えていた。
とりあえず、母に「鬱には運動がいいらしいから運動してみない?」と、話たら頑固拒否された。「やれ、と言われたら余計にやりたくなくなる。大きなお世話なんだけど!」と、ヒステリックを起こされた。
仕方なく後日、僕が奢るから、と居酒屋に母を連れて行き、とにかく食べたい物や飲みたがるお酒をどんな高額でも好きなだけ飲み食いさせた。
酒に酔い、かなり上機嫌となった母に「どうしたら鬱の為に運動してくれる?」と、聞いた。
そしたら、
「運動好きの貴方が、例えば日本舞踊とかやれって言われたらどう?」
と、言われた。
母は着物が好きで、若い頃からお茶や生花や日本舞踊をカルチャーセンター等にたまに通っていた。でも歌舞伎が好きだった母は日本舞踊を始めていた。
「嫌だね。」
「それと一緒よ。」
「なるほど。じゃあもし僕が日本舞踊始めたら、母さんも運動する?」
「そうね。」
「言ったな?約束したからな?」
そして僕は、次の週の母の日本舞踊の稽古に付いていった。そしてそのまま入門した。
それが、僕と日本舞踊とお師匠さんとの出会いだった。
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