2区

 鶴見市場駅前、3車線から2車線へと減少する市場駅入口交差点。このポイントに設けられた鶴見中継所で、東京国際大学の2区ドライバーである和光選手は1区の赤塚選手を待っていた。

 國學院大學のリーフがドライバー交代を終えてピットアウトしていくのを眺めながら、紺青のロリポップをゆっくりと振る。それからすぐに彼らのCT200hが見えてきて、指定されたレーンに停車した。赤塚選手がクルマから降りるなり、ヘルメット越しにアドバイスをくれる。

「神大のノート、あれタイヤ持たないぞ!」

「ノートなんて数台先だぞ、そんなことよりも目の前のリーフはどうだ!?」

「リーフなんて重いのが分かってるんだ、そんなことより神大だよ! あいつは2区、ないしは3区で抜ける! 諦めるなよ!」

「分かった、ありがとう! ロリポップ持て!」

 和光選手は赤塚選手にロリポップを渡し、CT200hに乗り込んでシートベルトを締める。アクセルに右足をしっかりと置いて、赤塚選手がロリポップを持ち上げると全開まで加速した。東京国際大学にとっての2区のスタートだ。

 まずは第一京浜のストレートを往き、鶴見川をオーバーパス。リーフは50メートルから60メートル先に見えている、この差はかなり大きい。仕掛けるのは少し経ってからになる。

 中央分離帯が出てきて鶴見駅を過ぎた先、潮見橋・本町通り方面へのルートが出てくる鶴見分岐。ここは本線側が中速のS字コーナーとなっていて、少量の減速を余儀なくされる。前を走るリーフもブレーキランプを灯して進入していくが、そのタイミングと挙動を見て、和光選手は赤塚選手のアドバイスを理解した。

「確かにEVは重い、ブレーキングとコーナリングでかなり損をしている。箱根駅伝の最適解とは言えないんじゃないのか?」

 東京国際大学のCT200hも約1400キログラムとそれなりに重いが、あのリーフはこちらよりも更に太っている。赤塚選手が警戒していた神奈川大学のノートも、恐らくその弱点を突いてオーバーテイクした。こちらでも同じことが出来るだろうか?

 どこで抜こうかを悩みつつも、和光選手が鶴見分岐を無事に通過する。リーフとの彼我差は確実に詰まった。まずは相手に追い付かなければ話が始まらない。向こうよりも速く、ベストを尽くすだけだ。

 国道駅から生麦駅までは、ひたすらに第一京浜のストレートが伸びる。ここで後れを取らないためには、ハイブリッドのアシストを投入しなければならない。バッテリー残量を確認すると、8割近くも残されていた。赤塚選手に心の中で感謝する。この時のために、セーブしてくれていた。

 岸谷生麦インターを越えた時には、リーフが50メートル以内に近付いていた。この先にあるのは新子安駅、そこから神奈川新町駅まで続く高速のテクニカルセクション。1つ目の勝負所はここだ。

 周囲にライバルがいないことを確認し、レーンを広く使ってアウトインアウトのラインを取る。中央分離帯の途切れる交差点では、対向車線に転線してまでコーナーの内側を選ぶ。全線封鎖しているからこそ出来る、とても泥臭いが効果的な走りだ。これは差を詰めるという目的以外にも、相手へプレッシャーを与えるという副産物まで収穫できる。みるみるうちに赤いテールランプが大きくなっていった。

 神奈川新町駅を越えて東神奈川インターに差し掛かる頃には、10メートル程度の差にまで近づいていた。もう少しで射程圏内、スリップストリームがここから効き始める。完全に手の届く範囲だ。

 首都高が頭上に現れると、すぐに金港トライアングルが待ち構えている。ここは第一京浜の中でも唯一、低速のシケインとなっているポイント。車線減少とブレーキングの応酬が飛び交う、2区で最も熱いコーナーだ。

 行くならここしかない、和光選手が腹を括った。

 みなとみらい・高島・国道1号方面へと3ルートに分岐する一つ目のコーナーは、当然最右側の赤舗装を選ばねばならない。エスケープゾーンも無く急に狭くなり、おまけに右の低速コーナー。ブレーキを踏まない理由が無かった。

 鈍臭いリーフのブレーキングを見て、それよりも遥かに遅いタイミングでCT200hが回生を始める。モーターが唸ると同時に減速し、リーフのリアバンパーにスピンドルグリルが軽く当たった。ブレーキング勝負ではまず勝利した。次は反転して左コーナー。

 東京国際大学はいち早く左レーンへ転線し、次のコーナーのクリッピングを抑える。歩道橋との距離を目安にブレーキを踏んで、同時にステアリングを左に回してターンイン。コーナー内側の縁石を削り取るような勢いで、國學院大學をオーバーテイクした。

 右を見ればリーフはアンダーステアで、大きく膨らんでラインを外している。あれでは立ち上がり加速もままならない。横浜駅までの短いストレートですら、埋められない大きな溝を築き上げた。

「次は、明治のマツダ3!」

 そごう・ポルタ前の左コーナーを駆け抜けて、東京国際大学は狙いをファストバックスタイルのクルマに定めた。


 箱根駅伝ストリートGPは長い耐久レースだ。ただトップスピードを競い合うだけでは勝てず、全体を通してのマネジメントも重要となる。これは例えば2区だけを捨てた走りとするような、涙を呑むような作戦のことも指していた。

 山梨学院大学は、これまで大した成績を残せていない大学だ。年によっては予選落ちも珍しいことではなく、表彰台の中央に立つのは夢のまた夢だった。

 しかし今年は違う。Honda eというクルマに可能性を見出し、後半に戦闘力を集中させるという作戦を立てた。前半の1区と2区は捨てる。勝つためならその判断も尊重する、2区ドライバーである上原選手はそう考えていた。

 彼は4年生で、今年のGPをラストにして引退する。最後に活躍できるのが今の舞台だが、チームからのオーダーは『抑えて走れ』だった。このクルマがあれば彼でももっと上位を狙えるが、それでは駄目だということも理解している。だから捨てる2区のドライバーを甘んじて受け入れた。

 神奈川大学のノートに現在乗っている津久井選手も、彼と同じ4年生だ。毎年同じ下位を走っていた仲間だが、今のノートは3位でこちらは7位。1区でスタートに成功したから高望みは出来ないが、津久井選手の見ているトップ3の景色を彼も一度拝んでみたかった。

 帷子川を通過すると、国道1号・東海道は2つの方向に分岐する。左側はそのまま地上を走り交差点を越えて京浜東北線をくぐるルートで、右側は地下に潜り戸部駅の手前までショートカットするルートだ。ポイント名を新高島分岐と言う。どちらも右へカーブするのは変わらないが、左ルートは平坦だがやや膨らんだ線形をしていて遠回りになり、右ルートは最短だがアップダウンを経なければならない。

 上原選手がバックミラーを見ると、3台のハイブリッドが連なって走っているのが見えた。東海大学のヴェゼルに駒澤大学のC-HR、そして帝京大学のXV。どれも例年上位争いをしている大学だ。

 新高島分岐に差し掛かるところで、Honda eは二択を要求されていた。右を選べば後ろの3台を引き離せるが、代わりにタイヤとバッテリーを消耗してしまう。左を選べばそれら2つを温存して3区以降に繋げられるが、上位の常連にはバトルさえ挑めずに抜かれてしまう。まるでジョーカーラップのような二者択一。ハイブリッド勢は回生電力で充電したいから下り勾配のある方を選ぶ、3台が右ルートを選ぶのは明白だった。

 悩む猶予は残されていない。山梨学院大学は断腸の思いで、自身のウインカーを左に倒した。チームからの支持をここで破っては、後に控える後輩たちに見せる顔が無い。例えここで順位を3つも落としても、きっと終盤の5区で挽回してくれる。Honda eはそういうクルマなのだから。

 戸部駅を越えた合流地点でハイブリッドの3台を先行させ、山梨学院大学は差を維持する『守りの走り』で平沼橋を虚しく駆けた。


 一方で神奈川大学の津久井選手は、その先の保土ヶ谷で青山学院大学のポロに追い付いていた。

「見えた、こいつを食えれば2位になる!」

 ノートは意地の走りで母校の目前を疾走し、前年度覇者にプレッシャーを掛け始める。保土ヶ谷駅の歩道橋を過ぎた時には、既に走行ラインを右側に変えてサイドバイサイドの戦いを繰り広げていた。

 青山学院大学のドライバーは、期待の1年生である神田選手。予選レースでは新人賞を狙えるほどの区間タイムで目立っていたが、彼には経験が足りていないと津久井選手は踏んでいた。1年生ということは、免許を取って1年以内だからだ。

「まだストリートバトルは10回も経験してないだろう? 並走のプレッシャーに耐えられるかなぁっ!」

「ここで並ばれた……狭くなるポイントまでそうするつもりですかっ!?」

 神田選手が動揺する。目の前にある保土ヶ谷橋交差点、鎌倉方面へ伸びる環状一号の起点である保土ヶ谷分岐。この直角コーナーを越えた先は、両側を合わせても3車線しか無い狭小道路へと変化するのだ。中央分離帯は省かれてオレンジラインだけなので対向車線を使えば並走できるが、それ以降も最終的には片側1車線へと減少してしまう。

 保土ヶ谷分岐の90°コーナーはノートの方がイン側、そもそもこの時点でポロは不利だった。200PSの心臓に鞭打って立ち上がり相手の先行は阻むが、代償であるウェイトハンデのことも考慮すると非常に厳しい展開となった。

「本当はこんなところで、神大なんかとやり合ってる場合じゃない……早く早大に追い付かないと、総合優勝が狙えなくなる!」

 現在首位の早稲田大学ルーテシアは、遥か彼方へと逃げ切ってしまった。このままでは2位、いや神奈川大学に抜かれて3位となり、神田選手のせいで青山学院大学連覇の夢が潰えてしまう。

 大学側からはレース前に、連覇が至上命題だと念押しされている。ここまでサポートしてやったのだから、恩はリザルトとして返して来いと。もし失態を犯したら、迷わず相模原キャンパス送りにすると。相模原は嫌だ。

 ノートとチームの両方から重圧をかけられ、経験の浅い1年生は逃げ出してしまいたいと強く思った。それはまさしく、津久井選手の思う壺だった。岩崎ガード交差点手前、茶色の歩道橋が現れた地点。狩場インターへアプローチするため、いきなり片側3車線へと広がる。ここで青山学院大学のポロは迷わず左へと幅寄せし、なるべくノートとの距離を取ろうと画策した。

 しかし神奈川大学のノートはそれを見逃さず、まるで接着剤でくっ付いているかのように、左へ寄るポロとの間隔を維持しながら同じく左へ幅寄せ。神田選手は歩道と神奈川大学との板挟みに遭った。

「どうしてですか、ここはもう道が広いんですよ!?」

「この先は3車線から2車線に減る、左側通行はちゃんと守らないとなぁ!」

 対向車線を長時間走行するのはレギュレーションで規制されているので、津久井選手の言い分は一応通る。それにしてもこの仕打ちはダーティーなのではないか、神田選手は心中で慟哭した。ここの左側レーンは本線に繋がっておらず、狩場インター行きの分岐として泣き別れしてしまうのだ。

 アクセルは限界まで踏み込んでいる、これ以上の引き出しは持ち合わせていない。狩場インターに乗るのを避けるには、右足の力を緩めてノートの背後に付くのが賢明だ。そうしないと狩場インターから保土ヶ谷バイパスを下って、相模原キャンパスまで直行してしまう羽目になる。

 しかしここでアクセルを緩めたら、格下の神奈川大学に直接対決で負けるのだ。全国中継がなされている保土ヶ谷において、それは大学の言う『失態』に値する。つまり相模原送りを避けるためには、この悪質なノートをオーバーテイクしなければならないのだ。どうやって?

 頭の中で思考が絡まる。右足の力を制御できない、アクセルはそのまま全開を維持。悲しいことにここはストレート、スリップストリームが使えなければ勝負も出来ない。そして前走者であるルーテシアは遠くへ行ってしまった。

 迷いに迷って、判断が遅れた。

 結局神田選手はアクセルを緩めることも出来ず、そのまま狩場インターへと進入してしまった。進路は当然、相模原・八王子方面。自慢の200PSを誇るポロGTIは、虚しくも保土ヶ谷バイパスを走り込むしか無かった。

 青山学院大学、前年度覇者がまさかのリタイア。

 例年は下位の神奈川大学がこれで2位にまで上り詰め、今年の箱根駅伝ストリートGPは誰も予想できない展開へと突っ込んでいった。


 タイヤがきつい。津久井選手は権太坂で痛感していた。

 後ろに居る明治大学のマツダ3から、猛烈なプレッシャーを受けている。2区の後半は片側1車線なのでそう簡単には追い抜きも出来ないが、隙を見せれば必ず抜かれてしまうだろう。

 青山学院大学を墜とすバトルだけで、かなりタイヤを消耗してしまった。このデグラデーションの状況では、3区はまだ走れるだろうが、4区で10番手以降に落ちるだろう。終わってみれば、きっといつもの定位置だ。

 この権太坂近辺を分水嶺として、不動坂交差点まで下り勾配が続く。ここに至るまでの上り勾配で明治大学に張り付かれたが、軽いノートの方がここでは有利だ。

 一方のマツダ3は4輪駆動(AWD)と190PSを武器に、不動坂以降の登りで勝負を仕掛ける余裕がある。明治大学の北沢選手も、かなり冷静に分析していた。

「1区では高井先輩が世話になった……今度は俺の世話を焼いてもらいますよ!」

「くそっ、暑苦しいのが来た!」

 津久井選手が焦りながら、環状2号の平戸立体を潜って下る。少なくともこのテクニカルセクションでは彼の方が圧倒的に有利だが、プレッシャーのかけ方が群を抜いてえげつないのだ。パッシングをしてくる訳でもない、ただひたすらにその大きな車体で背後にピタリと張り付いてくる。一時的に片側2車線となるこの平戸立体でも、ラインを変えずにずっと後ろを走る。この芸当が出来るドライバーは少ない。ベテランの津久井選手にとっては少なくとも、ここまでのプレッシャーは初めてだった。

 コーナーを1つクリアする度に、神奈川大学のタイヤが徐々に死んでゆく。大人しく進路を譲れば楽にはなるが、彼のプライドがそれを許さない。

 不動坂交差点の分岐を右に曲がる。ここは狭くバトルが出来るようなポイントではないが、このことが一層神奈川大学へのプレッシャーを増幅させる。5キロ以上も背後霊のようにちらつくマツダ3の姿は、ずっと見ていると頭がおかしくなりそうだ。そしてこの不動坂分岐から、ノートに不利な上り勾配が幕を開ける。しかしまだマツダ3が仕掛ける場所ではない。

 東海道線と柏尾川を陸橋で渡り、対向車線のみが上がってゆくポイント。横浜新道との合流地点からが、北沢選手の本領発揮だ。

「神奈川大学、いざ勝負!」

「やっぱりか、ここまでセーブしてやがった!」

 ギアを一段上げたかのように、マツダ3の走りがアグレッシブになる。2車線へと広がった登りの左コーナー、車線変更をしてとうとう2台が横並びとなった。

 馬力制限のBoPも味方して、津久井選手のノートも負けじと張り合う。2区の後半は貴重なテクニカルセクション、波打ち続けるサイドバイサイド。両者一歩も譲ろうとせず、意地とプライドが火花を散らす。

 戸塚駅行きの矢沢分岐、ここからの下りでノートが鼻先を出す。右へ右へとコーナーを攻め、1車身リードしたら今度は上り。戸塚警察署までのきつい勾配で、ハイパワーのマツダ3が捲りたてる。

 短いストレートでまた横並びとなり、戸塚警察署交差点を越える。緩い左への高速コーナー、戸塚中継所は目と鼻の先だ。ここでアクセルを緩めてしまえば、2区の2位の座は勝ち取れない。タイヤのライフなんてもうどうでもいい、そんなものは戸塚に捨てろ。津久井選手の脳内で悪魔が囁いた。

 釣具屋が見えたところで減速ラインに至り、二台とも全力のブレーキング勝負。ディスクブレーキが熱で赤く輝く。前のめりになる荷重を全身で受け止め、どうか相手よりも前に出てくれと二人が祈る。戸塚道路との合流地点に設けられた戸塚中継所に、2つのスキール音が甲高く響き渡り――。

 僅差でピットへ先に進入したのは、明治大学のマツダ3だった。


<2区リザルト(トップ10)>

1st…ルノー ルーテシアR.S. トロフィー(早稲田大学)

2nd…マツダ 3 FASTBACK X PROACTIVE(明治大学)

3rd…日産 ノートnismo S(神奈川大学)

4th…レクサス CT200h F SPORT(東京国際大学)

5th…日産 リーフnismo(國學院大學)

6th…ホンダ ヴェゼル RS(東海大学)

7th…トヨタ C-HR GR SPORT(駒澤大学)

8th…スバル XV Advance(帝京大学)

9th…Honda e Advance(山梨学院大学)

10th…トヨタ カローラスポーツ HYBRID G(東洋大学)


DNF…フォルクスワーゲン ポロGTI(青山学院大学)

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