第38話 俺の意思を染める者

 待て待て待て。何だこの状況。どうするんだよこれ。え?


「サプラ~イズ」


 光野が陽気に言うと、さっさとその場を後にしようとするので引き留める。


「なんでだ、なんでお前は俺の……一体どこからお前は……!」


 よく考えたらこいつは何故染石の事を認知していた? 何故俺が染石に気があると目星をつけた?

 次々と疑問が湧きあがるが言語化できないでいると、光野が全てを察したかのように飄々と歯茎を見せる。


「知ってたか謙信公。案外校舎の中ってのは声が響くんだ。それも人があまりいないと尚更な。だから少し遠い位置からでも案外盗み聞きできちまう」

「何を……」

「ま、これ以上詳しく語るまでもないよな? ただ俺が偶然購買の帰りに誰かと歩くダチの姿を見つけ、偶然とある二人のやりとりを耳にし、偶然それを材料に判断できた。だからこそ偶然ミーティングの前にサプライズを思いついたんだ。ここまで偶然うまくはまるとは思ってなかったけどな!」

「冗談だろ……」


 ヤロウ……何が詳しく語るまでもないだ。言いたい事全部言いやがって。

 思い当たるのはあの時しかない。部室に戻ると決めたあの時。


「んじゃま、そういうわけで。せいぜい楽しめよ~」


 今度こそ光野はこの場を後にする。

 くっそ、あの時のサプライズってこういう事だったのかよ! こいつやりやがった。最初から全部これをするためだったんだ。


 だいたいなんで好きな人間について聞かれた時に気づかなかったんだ。どう考えても流れが不自然だっただろ俺!


 ……が、今更どうこう考えたところで、既に道化の手によって賽は投げられてしまった事実は変えられない。

 目の前で困惑する俺の思い人が、いやがおうでもその現実を突き付けてくる。


「……っ」


 歩み寄ると、つい喉に力が入る。

 先ほどまでここはただの下駄箱だったはずだ。だがこの子が目の前にいる、それだけで本当にここが下駄箱なのか疑わざるを得ない。だって下駄箱だぞ? 掃けば砂埃が舞うような無味乾燥な場所、他に存在しないだろう。こと学校内においては尚更だ。


 にも拘らず、今俺は相当動揺している。あるいは高揚しているのかもしれない。心が大きく揺れ動いているのが分かる。とにかく息が詰まりそうだ。


「さ、さっき柊木さんの電話から聞こえた、あの、え?」


 目の前にいる彼女もまた酷く動揺しているようだ。かけられた眼鏡の中に映る瞳は不安げにこちらの様子を窺っている。

 インドアなのかいつもは清廉で白い肌は、夕日のせいかほんのり朱に染まっていた。


「ね、ねぇ雀野?」


 彼女が俺の名前を呼ぶ。これ以上の沈黙は許されない。ならばもう伝えるしかないのではないか。図らずも伝えてしまった好きという言葉を、今一度文芸部副部長の彼女――染石百合奈に投げかける。


「ああそうだ。俺は好きなんだ。染石の……」


 染石がはっと息をのむ音が聞こえた気がした。だがそれが拒絶感から来たものなのか、そうじゃないのか、判断しあぐねた。

 だからこそ、恐れをなし余計な言葉を付け加えてしまう。


「……の、小説が」


 染石がパチパチと目を瞬かせるのが視界に映る。

 だがそれ以上は、自身のあまりの体たらくにまともに見ることができなかった。


 いやでもさ、無理でしょこれは。だって俺キモオタひねくれクソ陰キャだよ? そんな奴に好きとか言われても困るだけだろうし……。

 視線を明後日の方へシフトさせていると、染石がぽそりと呟く声が聞こえる。


「そうよね……」


 恐る恐る焦点を再び前方へ合わせてみると、染石が決意に満ちた表情で視線を合わせてきた。

 二つに結われた長い黒髪が凛々しく揺れる。


「す、雀野はあたしの小説が好きなのは分かったわ。で、でもあたしは……!」


 染石の顔がより赤みを帯び始める。


「す、すす、すずっ、雀野のこ……」


 雀野の……こ? こってなんだ? 


「こ、こほん。雀野のー……小説、もっと好きよ? あたしの小説が好きって言ってくれるのと比にならないくらいにね」


 染石が片目でこちらを見やる。

 そうかなるほどちょっとむせただけだったか! そりゃそうだよな! やれやれ、これだからキモオタ陰キャDTは自意識が過剰になりがちなんだよな……。だがそれを踏まえても染石の言葉は嬉しいな! 


「そ、そうか! で、でも俺の方が染石の小説好きだと思うぞ。いつも新作待ちわびてるし。てか忘れてたけど新作はよ!」


 俺の早口に染石が早口で返してくる。


「あ、あたしなんて雀野、の小説が居なかったら、あ、これ擬人法よ。小説がいなければ文芸部に入ってなかったくらいだしー? ああ新作ね? うんできてるわよ忘れてたけど。ちゃんと明日読ませてあげるわ?」

「そ、そうかそうか。そうだったんだな。それは光栄だ。だが俺もずっと染石、の小説の姿を追い続けてきてたんだからな? そこは譲れない」

「ふ、ふーん、あたしなんかの小説を追っても仕方ないと思うけど、まぁ悪い気はしないわね? せいぜいがんばんなさい?」

「ハハハ」

「フフフ」


 乾いた笑い気が辺りに響き渡るが、やがてその音すらも無くなり再び場は静寂に包まれた。


「あー……」


 いつもの俺ならば、この空気で声を発したりはしなかっただろう。それでもなお口を開いてしまったのは、ここ最近陽の者の空気感というものに晒され続けていたせいかもしれない。気づけばこんな事を口にしていた。


「その、次のゴールデンウィーク、どっか行ってみないか? 小説の取材みたいな感じで……二人で」


 とてもじゃないが目を合わせることはできなかった。そもそも何故こんな事を口走ってしまったのかも分からない。ただ気まずさを紛らわせようと思っただけなのに。


 再び訪れる先ほどとはまた違った重みのある沈黙の時間に、ついぞ耐え兼ね染石の方を横目で窺った。

 すると、染石は差し込む朱色の光に頬を染めつつこくりと頷く。


「……うん、行く」


 表情は隠れて見えないが、ただ一つだけ確信した事がある。

 それは俺にとってこの子は、誰よりも特別な存在であるという事だ。

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