第37話 未だ曾て有らずの窮地に立たされた件
職員用トイレを隠蔽するためか、うちの職員室は生徒の生活圏から地味に遠い。
よって、経由してしまうとかなり遠回りになるため、二人とは一旦別れ、一人で下駄箱へ向かう。マジで教師共ぜってー職員用トイレ使い続けてやるからな。震えて待て。
「しかし……」
先ほどの染石の言葉を思い出す。
なんだかんだ染石と下校を共にするのって半年ぶりくらいか? 先輩がいた時は染石もその先輩も最寄りの駅を利用していて、また俺はその駅の向こうに家がある事で下校を共にしていたりしたが、先輩が引退してからはからきしだった。
まぁ、こんなコミュ力皆無の陰キャと二人きりとか拷問に等しいだろうから当然だな……。そういった意味では柊木には感謝しないといけないかも……いやなんで感謝するんだよ。これじゃあまるで俺が染石と普段から帰りたがってたみたいじゃねえか! そんな事無いし! あったとしても全部作家としての情報を聞き出すためで他意は無いから!
まったく俺という人間はどうしようもない奴だなと自らを心中で説教していると、やがて下駄箱へとさしかかると、死角から声が聞こえてくる。
「……ん、うん、まぁいいからさ? な? 絶対だぜ?」
電話でもしてるのだろうか。だとすればぶつかる可能性があるので慎重に角を曲がろうとすると、唐突に人影が飛び出してきた。
「……っと、って、謙信公!」
「おいマジかよ」
なんの因果か、スマホを耳に当てているその人影は、二、三時間ほど前に俺を振り回してきたあの男だった。
「何でよりによってお前なんだ光野」
一切取り繕わず嘆く。
「なーんだよ、そんな喜ぶなって~!」
「喜んでねえよ。お前が来るくらいなら淳司君とかの方が百倍嬉しかったわ」
どこをどう見たら喜んでると判断できるのか、やっぱ陽の者、それも陽の極みみたいな奴の考える事はわからん。
「おっ、てことはやっぱり嬉しいんじゃねーか。淳司の百分の一でも俺は全然かまわないぜ?」
「いつ俺が一以上の数字だと言った?」
「じゃあ小数点だったか?」
「すっとぼけるなよ。この世には0という人類史における極めて偉大な数字概念が存在するだろ」
「でも何もないところに数字を掛ける事はできないよな?」
楽し気に語る光野姿にため息が込み上げてきた。
「はぁ、また哲学かよやめてくれ。今日で俺は哲学が一番嫌いな学問になったんだ」
言葉遊びに辟易していると、光野がふとどこか遠い目をする。
「にしても、百倍とは淳司にちょっと妬けちまうなぁ」
そもそも0なので大小など無いが、その事を言えばまたややこしく切り返してきそうなので抑える。
「男の口からそんな言葉は聞きたくねえ」
「じゃあ誰から聞きたいんだ?」
藪から棒に放たれた問いに、ふとある女子の姿が脳裏によぎりすぐに振り払う。
「いや、そりゃまぁなんだ、女子だろ」
「女子の誰だよ?」
さらに突っ込んで来ようとする光野に、努めて胡乱な視線をお見舞いする。
「お前は俺に何を言わせたいんだ?」
「いやいや、謙信公だっていっぱしの男だろ? 気になる女子の一人や二人いるんじゃねーの?」
光野がいやらしい笑みを浮かべる。
「いたとしても俺がお前に教えると思うか?」
「まぁまず教えてくれねーよな、謙信公は」
「よく分かってるじゃないか。なら早急に諦めろ」
二度と聞くな。
「ったくつれねーなぁ、あ、ちなみに俺は誰でもウェルカムでーっす」
「聞いてねえ」
このイケ男がと心内で毒づいていると、不意に光野が深刻そうな顔をする。
「ただでもそうだな、最近に気になる子はできたかもな」
「ほう……?」
まさか陽の者・極からの恋愛相談か? 正直光野について辛酸を舐めさせられまくってるからな、ここは一つこやつの欠点を知っておいて、今後、まだ付き合えてないんですかプギャーとマウントを取るくらいの事はしてやってもいいかもしれない。まぁこいつが本気出したら一瞬なんだろうけどさ……。
「ほら、なんて言ったっけか。謙信公と一緒の部活の……」
眉がひとりでにピクつくのを感じる。これはあれだな、柊木とかいうオチだろう。なんか楽しませたいらしいしそう考えてるうちに惚れたなんて全然あり得る。
「ほら、この前うちに教室覗きに来てた子」
その言葉に、心臓が波打つ。
薄々理解し始めていると、光野は声を潜めてその名を口にした。
「そうだ、染石。染石百合奈ちゃん、だな」
「……」
一番出てきてほしくなかった名前につい閉口する。
「一緒の部活だし連絡先とか知ってるよな? ラインとか教えてほしいんだけど」
「断る」
「おっと即答だな? じゃあそうだな、インスタとかなら良いか? けっこう軽いノリでみんな教えあったりするぜ?」
「……それも断る」
「え~? なんでだよー?」
光野が駄々をこねる子供のように訴えてくるが、ふとその視線が怪し気に光る。
「それとも……俺に教えたくない大きな理由でもあるのか?」
光野が挑戦的な笑みを浮かべこちらを覗き込んできた。
「それは」
否定しようと口が開きかけるが、何故か言葉が喉につっかえ思いとどまる。代わりに正反対の言葉が迫り上がってきた。
「……俺が染石を好きだからだ」
言うと、光野は豆鉄砲を食らったような顔をしポケットに手を突っ込んだ。
「おっと……こいつはちょっと予想外だったな……」
「流石に俺もお前の事をここ最近でようやく少し理解したつもりだ。どうせ言わせるまであの手この手で言葉遊びをしかけてくるんだろ。ならもうさっさと白状した方が時間を無駄にせずに済む」
本当はそういう事じゃないのだと薄々理解しつつも、息をするように言い訳が口から出てくる。
「なんだよ~。俺結構ああいう駆け引き、謙信公とするの楽しかったんだけどなぁ」
「俺は楽しくない。ただ今お前が今この場で楽しんでない姿を見るのは少し楽しいがな」
「おっ、ならいっか。結果オーライだ!」
光野が嬉しそうに顔を綻ばせる。最後のは余計な一言だったか。
自らの発言を悔いていると、出し抜けに光野が俺を名指す。
「ところで謙信公」
「なんだよ」
ぞんざいに返すが、特に気を悪くした様子もなくむしろ一層その顔を楽しそうにする。
「俺実はさっき柊木と電話してたんだけどさー」
「なに?」
確かに誰かと電話していたようだったが、相手は柊木だったのか。だがなんでそれを今俺に伝えた? もしかして黒板の件で何かアクションを……。
様々な憶測が脳内を飛び交っていると、光野はそのどれにも当てはまらない事を言い出す。
「謙信公とでくわしてからうっかり電話切るの忘れてたんだよなぁ?」
「それが……どうしたって言うんだ」
今にも大笑いしそうなくらい楽しそうな顔に、こちらの警戒心はますます濃くなっていく。いやあるいはもう全てを察しているのかもしれない。察した上で俺はその可能性を必死に排除しようとしている。いやでも大丈夫だ、光野は常に俺の予想の上を行く男だからな!
だがそんな希望は、一瞬にして打ち砕かれた。
「いやそれがさぁ? スピーカーモードにしてもらった直後だったんだ」
光野が柊木のトーク画面で今この時間まで電話をしていた表示を見せつけてくる。
「つまり……」
ふと、どこからパタパタと足音が聞こえてきた。
嫌の予感に全身から汗が滲み出るのを感じていると、やがてその足音はどんどんと大きくなり、姿を現す。
「い、今のって……」
職員室に繋がる通路で、染石が軽く息を切らしながら立っていた。
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