第35話 時に間違った入り口からでも正しい出口に辿り着くこともある
柊木から視線を外し顔を上げると、タイミングが悪かったかちょうど染石とまた目が合ってしまう。
なんだかんだ俺がいない間一人で文芸部を切り盛りさせてしまったからな。ここは部長として何か声をかけるべきなのだが……あれやばい、言葉が出てこない。
一応第一声にどう声をかけるかは予め決めていたのだが、余計なアクシデントがあったのもあって全部飛んで行っちゃってますねこれ。
思考が停止し身動きがとれなくなってると、意を決したようにこちらを見据え俺の前まで歩いてくる染石。
「えと、その、雀野……」
目を泳がせると、顔を逸らし自らの眼鏡を外しそのレンズを拭き始める。
その姿に部室に戻ってきたのだという実感が沸々と沸き始めていると、ややあって染石は視線だけこちらに寄こしてきた。
「お、おかえり」
「え、ああ、おう……」
色々と頭の中が整理できず、つい心無い返事になってしまった。
それが不服だったようで、染石は顔を真っ赤にしながら眉を吊り上げる。
「な、何よ⁉ ずっと雀野来てなかったんだから間違ってないでしょ⁉」
「いや、誰も間違いとは言ってないが……」
「だ、だったら大人しくただいまって言えばいいの! 挨拶を返すのは人として当たり前よ⁉ さぁ早く言いなさい!」
「えぇ……」
そりゃ挨拶は大事だけどね? 強要するものでもないんじゃないかなぁとか思ったり思わなかったり……いやでもまぁ、おかえりと言われて無視するのは確かにおかしいか、うん。
腹をくくりその言葉に報いるべく改めて視線を上げれば、涙目で睨んでくる染石の姿がある。
長い黒髪を二つに結い、眼鏡を外したその姿は紛れもなく俺イチ推しの小説家だった。
「ただいま」
思いのほかすっと出てきたその言葉に自分でも驚いていると、染石は一層顔を紅くし顔を背けつつも頷く。
「う、うん」
束の間の沈黙が染石との間にできる。
おかえりと言われてただいまと返す。別に変ではないはずだが……あれなんだろう。なんか前来た時よりこの部室暑い気がするな……。いやでもそうか。ずっと来てなかったもんな。もう五月入ってるし多少暑くもなるか!
「あのー!」
季節の移り変わりを体感温度略して体温で感じていると、不意にここにいるはずの無い第三者の声に静寂が切り裂かれる。
何者かと見てみればそこには柊木がいた。あれ、なんでこいついるんだっけ。
「あれ? 柊木さん……なんで、あ、入部届ね⁉」
「あーいや、それはどうでもいいんだけど」
柊木が入部届を机におく。
じゃあなんでいるんだよお前。だから部長にも副部長にも忘れられるんだぞ!
自らを棚上げし自己完結していると、突如柊木が染石の脇をすり抜ける。
「ちょ、ちょっと柊木さん⁉」
「チュンの正室は私なので!」
柊木はそのまま俺の腰に抱き着きいけしゃあしゃあとそんな事をのたまう。
「おい離れろ妄言女」
「ヒドい⁉」
「ひどいのはお前の虚言癖だろうが」
「いーっだ、輝也君公認だから妄言でも虚言でもないもーん」
「馬鹿馬鹿しい……」
柊木の口から出た名前にどっと疲労感が押し寄せてくる。
「そういうわけだから百合奈ちゃんごっめんねぇ?」
柊木がねっとりとした口調で言い放つ。うーん、絶妙にウザい!
さしもの染石もこんな言われ方したら……。
「柊木さん……っ!」
「なにかな?」
柊木が妖艶に微笑むと、染石がぎゅっと目を瞑る。
「そんな嫌がらせしちゃダメでしょ! 雀野はくっつかれるのが嫌いなの知ってるわよね⁉」
「へ?」
妖艶な響きとは程遠い間の抜けた声が耳に届く。
なるほどそう来ましたか。
確かに俺からすれば柊木の行為は嫌がらせでしかないが、たぶんこれ微妙にズレてるんだろうなぁ……。
「ま、まぁ、その……あたしだって物書きだし、す、好きな人にちょっかいかけたいって言う心理が存在するのは理解してるわよ? でもその……」
どこか恥ずかしそうにしながらも、染石は言葉を紡ぐと、恐らく本人の無自覚に柊木の領域に足を踏み入れた。
「嫌がらせをしても相手は振り向いてくれない、と思う」
「……」
嫌な沈黙が部室全体を覆い尽くす。
間違った入り口から入ったのに正しいゴールにたどり着くとは、流石だな。
「じゃあさ」
不意に、背筋が震えるような凍てついた声が耳朶を打つ。それが柊木のものであると理解するまでそう時間はかからなかった。
柊木はゆっくりと俺から離れていくと、染石に真正面から対峙する。
「どうすれば相手は自分に振り向いてくれるの? 教えてよ百合奈ちゃん」
「そ、そんなの……」
一切取り繕うのをやめた柊木だったが、染石は気づいた様子もなくつっけんどんに答える。
「分かってたら……もうとっくにやってるわよ」
染石が視線を横に逸らし頬をほんのり赤らめる。
だがすぐにまた柊木の方へと向き直ると、大慌てで取り繕い始めた。
「で、でも勘違いしないでね⁉ べべ、別にあたしが身近に振り向いてほしい人がいるわけじゃなくて、これは……そう! 今書いてる小説の話よ!」
早口で言うと、染石はびしっと人差し指を立ていかにも得意げな雰囲気を演出する。
「そっか」
柊木はそんな染石の姿を冷ややかな目、あるいはどこか羨ましそうな眼差しで見やり呟く。
「百合奈ちゃんでも分かってないんだ」
ふと、柊木の目がこちらへと向く。
な、なんだよ……そんな目で見るなよ! まるでどこかの雀野さんはどこかの染石さんに釘付けなのにとでも言いたげな視線だな! いやぜーんぜんっそんな事無いしぃ⁉ あくまで俺が釘付けなのは染石の小説の方なので!
「え、ええ、そうね。小説書く時いつも心理描写には苦労させられるわ」
誤魔化しきれたと思っているのか、染石は先ほどより幾らか落ち着いた様子で語る。
妙な沈黙が辺りを覆い尽くし、妙な空気が部屋に流れるのを感じていると、唐突に柊木が明るく声を放つ。
「よーし!」
どうやら俺のよく知る嘘だらけの本物の柊木が戻ってきたらしい。
柊木は放置されていた入部届を両の手に取ると、俺へと突き出す。
「ここにハンコお願いしますチュン部長!」
正直受け取りたくないのが本音だが、入部には部長の印鑑が必要だ。流石に私情で公的手続きを蔑ろにするわけにはいかないだろう。
しぶしぶ入部届を手に取ると、柊木はゆっくり顔上げはにかむ。
「なんかラブレター渡すみたいだね……?」
「そうか。なら俺にこれを受け取る義務は無いな。帰れ」
「無慈悲⁉ じょ、冗談だよチュン⁉」
「馬鹿馬鹿しい……」
呆れつつも再び入部届を手に取り、印鑑を押してやる。
「ん」
入部届をぞんざいに渡すと、柊木が顔を嬉しそうに綻ばせる。
「やった~! これでチュンと一緒の部活だ! よろしくお願いします部長!」
「挨拶するなら副部長にしてくれ」
俺が一人なら間違いなく柊木の入部なんて受理してなかったしな。
「うん、もちろん!」
柊木はくるっと染石の方へ体を向けその手を取る。
「よろしくね、百合奈ちゃん」
「よ、よろしく……」
面と向かって言われたからか、どこかむずがゆそうに頬を赤らめる染石に百合の波動を感じキマシタワーしてると、その全てを打ち砕いてくるようなぞっとした声が聞こえてくる。
「これからはじっくり見させてもらうから」
「……? う、うん」
染石は柊木の言葉に疑問符を浮かべながらも、一応は頷く。
おいおいまさか柊木、染石に何かするつもりじゃないよな……。まぁそうなったら全力で阻止させてもらうまでだが、これは先が思いやられる。
「はぁ、さてと」
決意改め、席を立つ。
こんなでも一応部長だからな。部員が揃った今、言うべきことは決まっている。
活動、始めるか。
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