第34話 ようやく戻って来た部室にはあの少女がいた

 先ほどは散々な目に遭った。それに最後に言っていたサプライズとやらも嫌な予感しかしない。


 様々な不安が頭の中を駆け巡るが、それも古ぼけたスライドドアを前にすると全て飛んで行った。

 ついにやって来たのだ。念願の部室に。

 あまりにご無沙汰していた扉に幾らか緊張する。


 鍵は開いているようだから、恐らく染石はこの中にいるのだろう。いやそう言うとなんか部室というより染石を待ちわびてたみたいじゃねえか……。もっとも、新作できるって言ってたからそういう意味では待ちわびていたが。


 まぁとりあえず行くとしよう。

 相変わらず扉は建付けが悪く、少し力を入れないと開けない。

 だがなんとか開く事が出来れば、嗅ぎ慣れた埃の香りが鼻腔をくすぐる。

 そして聞こえた。声が。


「あ、チュンやっときた!」


 悪い意味で聞き覚えのある声につい立ち止まってしまう。

 向かい合わせでくっつく会議机の一角に座り、満面の笑顔でこちらに手を振る女は当然染石なんかではなかった。


「なんでいるんですかね?」


 もしかしてこれが光野のサプライズか? だとしたら俺の悪い予感は杞憂だったらしい。予想以上に最悪で身構えても無駄だっただろう。


「なんでって、それはね~?」


 平静を装いつついつもの定位置へと座ると、すかさず柊木は俺の隣へ腰かけパイプ椅子を寄せてくる。


「何でだと思う?」

「知るかよ鬱陶しい」


 ようやく染石、の小説を拝めると思ってたのに早速出鼻をくじかれてしまった。


「冷たい! 私はチュンと二人っきりでお話できてこんなにも嬉しいのに」


 ふとバニラのような甘い香りがしたかと思えば、柊木が寄りかかってきていた。


「離れろ」

「ヤダ」

「じゃあ俺が離れる」

「あっ……」


 さっさと立ち上がり、対面にあるいつも染石が座っている席の横を陣取る。

 名残惜しそうな眼差しを向けてくる柊木だったが、わざわざ追いかけてくるような真似はしなかった。

 代わりに少し視線を落とすと、おもむろに口を開く。


「やっぱりこんな子じゃ駄目だよね……」

「……」


 発言の意図が読み取れず沈黙する。


「こういう感じで距離を詰めるやり方はチュンが一番嫌いなタイプだもんね。分かってるんだけどなんかもう思いつかなくて」


 ふと柊木は弱々しい笑みを向けてくる。その姿は、全てが狂い始めた学校帰りあの日に見せた笑みと重なる。


 あの時はなんと言っていたか。確か……自分を偽って近づいて振り向いてくれたところで、それは本当の自分じゃないから、柊木と俺は一生好き同士なれないみたいな事だっけか。


「まぁ……」


 これまで散々こいつは俺を振り回してきたが、所詮は一介の少女にすぎない。少なくとも俺はそう感じている。


 その少女の定義は人によってさまざまだろうが、どの認識にも共通するのは精神が未熟な女の子、という事だろう。

 故に未熟さ故たまに暴走はすれど、実は根は良い奴なのだと便利な言葉を使って柊木を肯定してやる事はできる。


 俺としてもこの女の事を根っからの悪者だとは思っていない。時折見せる無垢な所作や反応は、恐らく柊木本来の姿の一端だと思う。


 ……だが。


 それを差し引いてもこいつのしでかした事はなかなかに酷い。というか普通にありえないよね? 確かに俺が余計なひとこと言って変なスイッチ押しちゃったのは認めるよ? でもそれだけで普通あんな発想に至るか? 少なくともまともな奴ならそんな事は無いし、仮にそんな方法を思いてしまったとして、まず実行には移さないでしょ……。そんな奴を彼女にとか普通に無理じゃね?

 だからこそ俺がかけるべき言葉は決まっている。


「そもそもそんな方法無いんだから思いつかなくて当然だと思うぞ」

「え?」


 柊木が目をぱちくりとさせる。


「よく思い出せ。お前は俺を振り向かせるためにどういう方法を使った? さぁ言語化してみろ」

「えっと、チュンが他の人たちから嫌われても、私だけは嫌わないよ~むしろ大好きずっとそばにいてあげるってアピールした?」

「おい目的だけ言語化して手段を端折ってんじゃねえぞ」

「え、えー?」


 柊木が視線を泳がせる。こいつほんとさぁ。


「簡単に言うと大嘘流して俺を陥れるような真似をしたよな?」


 柊木を見る俺の眼球がどんどん死んでいくのを感じる。


「で、でもでも、それは信じた他の人達が悪いよね⁉ その点私はずっとずーっとチュンの味方だったし……!」


 あの態度でよくもまぁ味方したと言い張れるな。ここまで来ると呆れを通り越して感心すら覚えるわ。


「そもそも黒板にあんな事書かなければクラス以外の人間にまで嫌われる事は無かったんだが」

「クラスの人に嫌われてるとは思ってたんだ……」

「は? 当たり前だろうが。こんな性根の腐った協調性皆無のひねくれ陰キャが嫌われないわけがない。ていうかそんな事はどうでもいいんだよ。話を逸らすな」

「うっ……」


 柊木がまずそうな表情をする。いやマジで話逸らそうとしてたのかよ。クズなの?


「要するにな、あんな真似した時点でお前はもう俺の恋愛対象カテゴリーから真っ先に消去される存在になったの。さっきこんな子じゃ駄目かどうか聞いてきたが普通に駄目だからな? むしろそんな事を口にできる己を恥じろ」 


 一息に言い切ると、部室内に静寂が訪れる。柊木は俯いてしまい、聞こえるのは後ろの窓の上にかけられた時計の針の音のみ。


 ちょっと言い過ぎたか……? いやでも変に期待させるくらいならここできっぱり可能性を否定しておかないと結局誰も得しないだろうしな。だからって他人を傷つけていい事にはならないという詭弁に返す言葉を思いつかないが、そもそもこれまで傷だらけにされてきたの俺なんだよなぁ。と言っても少々面倒だっただけで大した痛みは無かったけども。


「……ま、諦めることだ」


 あんまり沈黙が続くと重苦しかったので適当な言葉で埋める。

 染石もいないしとりあえず久しぶりに執筆作業にでも取り掛かろうかとカバンからノートを取り出すと、不意に柊木が呟く。


「やだ」

「あ?」


 嫌だって言ったのか? それとも何か別の言葉だろうか。

 次の言葉を待っていると、柊木は肩を震わせながら顔を上げる。


「やだ! 私あきらめないもん……」

「えぇ……」


 涙目で訴えかけてくる柊木に頭痛がする。

 あそこまで言ったのにまだそんな事を言うのか……。嫌いならもっとディスってやればいいのだろうが、別にこいつの事嫌いってわけじゃなしな。もちろん微塵たりとも好きってわけでもないが、生憎俺は興味のない人間に攻撃的になるような不毛な事をする趣味は無い。


「そういえばチュン、さっきなんでここにいるか聞いたよね?」


 突如として耳朶を打つやけに落ち着いた声に、背中に嫌な汗がにじみ始める。あの時と同じ感じだ。日直の掃除の時に初めてこの女の本性に触れたあの時と。


「……で、なんでいるんだ?」


 尋ねると、柊木が薄く微笑む。


「うん、教えてあげるね? 私がここにいる理由……それはね、ある女の子の存在をチュンの心の中から取り除くためだよ。私知ってるよ? その子がチュンの中ですごく大きな存在なんだって」


 俺の心の中にいる女の子……女子と関わる機会なんてほとんどないから自ずと選択肢は絞られる。もし仮に中学の時いじめみたいな奴の一環で俺に嘘告まがいの事をしたあいつの事ならむしろ喜んで取り除いてもらいたいところだな! 柊木なら一応同じ中学だから名前くらいは認知しているだろうし、可能性としては無くは無いはずだな!


 ……なんてこいつができる事なんて限られれてるよな。


 うっすらと柊木がやろうとしている事を察していると、ふと部室の扉が開かれる。よりによってこのタイミングで来てしまったか。


「す、雀野……!」


 染石がこちらに目を向け、立ち止まる。二つに結われた黒髪は相変わらずだが、今は眼鏡をかけている。

 久々に見たその姿にある種の安心感のようなものを感じるが、それを断ち切るがごとく柊木は俺と染石の間に割って入ってくる。


「百合奈ちゃん……」


 心なしか柊木が声を震わせる。


「え? どうしたの柊木さん」


 近づいてくる柊木に染石が訝しげな眼を向ける。


「チュンが……チュンが、私にひどい事言ってきて……」


 ……うわぁ。あながち嘘じゃないから否定できない。腐ってもあんな事をしでかした女だ。的確に俺の弱みを突いてきやがる。だがこれで理解した。たぶんこいつがやろうとしてる事は前と同じだ。その対象が学校全体から染石に代わっただけ。柊木お得意のこすい手段だ。


 染石は柊木に縋りつかれると、俺の方へと目を向ける。あーあ。これは以前より威力増してそうだな。小悪党の少女にしちゃ良い考えだよ柊木。俺は学校全体にそしられるよりも染石にそしられる方が何十倍も……。


「何言ってるの? 雀野が酷い事言うはずないじゃない」

「へ?」


 柊木が間の抜けた声を出す。かくいう俺も同じように声を出してしまっていたかもしれない。


「ま、まぁそりゃ確かにたまに困らせてくるような事は言ったりしてくるけど……」


 一瞬染石の控えめな視線と目が合うが、何か思い出したのかはっとした表情をしてまた柊木の方へと目を向ける。


「あ、それより入部届。取ってきたから記入してもらえる?」

「えっと……」


 柊木が染石から渡された入部届をまじまじと見つめる。


「な、何よ……入部したいって言ってきたの柊木さんじゃない。だからあたしは職員室までそれを取りに行ったんだけど……もしかして違った?」


 自分に何か手違いがあったと思ったのか、バツが悪そうに染石が言う。


「え、う、ううん! 違わないよ! ありがとう百合奈ちゃん、今書くね。書く……」


 柊木はゆっくりと身を翻すと、会議机の端に入部届を置きカバンから筆記用具を取り出す。


「曲者めぇ……」


 柊木が恨めし気な声を上げながらペンを走らせる。

 うん、まぁそれについては同感だな。ただ流石にここまでとは思っていなかった。

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