第32話 つかみどころのない陽の者は悪魔じみた笑みを浮かべる

 今日は全体的に授業に集中できない日だった。

 部室へ行きたかったからというのもあるが、それよりも光野の事だ。用件があるならさっさと聞いておきたいと言ってものらりくらりと躱され続け、遂に放課後まで来てしまった。


「じゃ、行こうぜ謙信公!」


 色々と思案していると、存外すぐに光野が声をかけてきた。


「手短に頼むぞ」

「まかせんしゃいまかせんしゃい」


 うんうん頷きながら光野が背中を叩いてくる。うさんくせぇ。


「あれ? チュン兄たちどっか行く系?」


 光野と連れ立って教室を出ようとすると、淳司君がこちらに寄ってくる。

 これは一緒に来てもらうのも手かもしれないな。光野が何を企んでいるのかは分からないが、今の淳司君であれば何が起きてもとりあえずは俺の肩を持ってくれるはず。


「あー」

「そりゃ部活だろ? てか淳司今日なんかハンドボール部の当番じゃなかったっけか?」


 俺が口を開く前に、光野が口を挟むと、淳司君がヤッベ! と目を丸くする。


「完全に忘れてた、さんきゅー輝くん! またな! チュン兄も!」


 淳司君は早口で言うと、颯爽と廊下をかけていく。

 秒で封殺されてしまった。これはもうあの時も狙ってああいう行動に出たと考えざるをないかもな。


 ラウワンへ行きが決まったきっかけを思い出しつつ光野についていくと、あろう事かそこは俺がぼっち飯で愛用していた屋上扉前だった。流石に偶然だよな……?


「うっし、この時間ならまず誰もここには来ないだろうな~」


 何やら物騒な独り言を明るく言い放つ光野に警戒しつつも対峙する。


「で、話ってなんだ。柊木の事と言っていたが」


 さっさと済ませたいのでこちらから話を切り出す。


「そうそう。それそれ」


 光野は別段変わった様子なく言うと、余裕綽々な笑みを浮かべた。


「あの黒板やったの柊木だよな?」

「は?」


 出し抜けに放たれた言葉に一瞬思考が止まる。黒板、と言えば直近で思いつくのはあの時しかない。柊木が俺を陥れるためにやってのけた嘘のリーク。


「やっぱそうか。あの日柊木けっこう早く来てたみたいだったからもしかしてと思ってたんだよなー」

「おい勝手に話を進めるな。まだ誰も肯定してないぞ」

「けど否定もしなかった」


 光野の瞳が怪し気に映る。

 まるで確信しているかのような物言いだな。あるいは俺に事実を認めさせるためにあえてそんな風を装っているのか。分からないが、俺はもう部室に戻る事ができる立場になっただけで十分だ。それ以上望むことなどない。ならやる事は一つ、光野に真実へたどり着かせない事だ。


「そりゃ当たり前だろ。答えを知らないのに否定も肯定もできない」


 言うと、光野は大仰に手のひらを広げる。


「そうかそうか。なら教えてしんぜよう! あれをやったのは柊木だぜ? 謙信公」

「いやそんなわけないでしょ。あんな絵に描いたような善人が相手を貶めるような行為するわけない」


 何せあの女は自分でどん底に叩き落とすくらい嫌いな相手にわざわざ寄り添ってくれる真性の善人だからな!

 自らの白々しさに呆れを通り越して感心していると、おもむろに光野は口を開く。


「なぁ知ってるか謙信公?」

「あ? 何を」

「絵は自分で絵を描く事はできないんだ」


 何故なら筆がいるから? その筆を操るのは人間ってか? 詭弁だな。


「うわ、かっこよすぎて草。で、結局お前が俺を呼んだ理由はなんだ? その哲学もどきを披露するためか?」


 挑発的な物言いだったと思うが、光野は気にするどころか愉快そうに口の端を歪める。


「うーん、そうだなぁ? まぁある意味じゃそれも間違ってないかもなぁ? どう思う? 謙信公」


 光野はまるで今の状況を心から楽しんでいる様子だ。

 なるほど、こちらの思惑など全てお見通しってか。俺の知る曲者なんて染石くらいのものだと思っていたが、どうやらこいつもそういう人種らしい。もっとも、この男の場合は明確に悪い意味での曲者だが。


 まぁそれも薄々きづいてはいた事だ。

 何せこいつは俺がラウワンに同行するために考え付いた搦め手を、より効果的な形で使って見せた。


 あの時の俺は、事実かどうかはともかく他の人間、特に風見にとっては柊木のストーカーだ。だからこそ、もしストーカーであった場合言う通りにしてくれないと暴走するかもしれないけどいいよね? と言った具合に脅せば柊木が大事な風見は頷かざるを得なかっただろう。


 だがそんな事を疑われてる本人が言い出せば、確かにラウワンには同行できるかもしれないが、心証はより悪い方向へと傾いてしまい、余計に誤解をとくのに時間がかかってしまったはずだ。

 だからあの時搦め手は使わなかった。


 しかし、それも外野が言ったのであれば別だ。当事者じゃない第三者、それも人として尊敬できるような人間からの言葉であれば、それは脅しでなく助言となる。連れていく行かないの判断は強制されるものから自分の意思で決めるものへと昇華されるのだ。


「……はぁ、もう言葉遊びはうんざりだ。頼むから早く用件を話してくれ」

「てことは柊木がやったって認めるのか?」

「だから知らないと言ってるだろ」


 この男には何を言っても無駄だろうが、わざわざ折れてやる必要もない。


「ほーん」


 つかみどころのない表情で呻る光野だったが、やがてまた自信ありげな笑みを浮かべこちらを見据える。


「ま、あんまり時間が無いのはその通りだしな。俺の用件はこうだ。明日俺は嘘の情報を黒板に書いた奴を吊るし上げる」

「なんだと?」


 降って湧いた物騒な言葉に、表情筋が自分の意図しない挙動をする。


「そんな険しい顔すんなって~。これは他でもない、謙信公のための敵討ちだ。あの嘘のおかげで散々な目にあったってーのにその犯人はのうのうと過ごしてる。そんなの許されるわけ無い」


 厳しい事を言っている割には、光野は顔色一つ変えていない。


「俺が許すと言ってもか?」

「お前が許しても俺が許せねー。ダチが危うく汚名を着せられそうになったんだ」


 ダチか。友達ね、俺たちが。まぁ別に友達の定義なんて千差万別だし、自称してくれる分には何も問題はない。

 ただ、白々しいと、そう俺が一人で勝手に感じるだけで。


「それは」

「なんて、それは建前だ」


 偽善だ。そう言い終わる前に光野が割り込んでくる。


「建前?」


 つまり理由が俺のためではない、そう主張しているのか。


「おうよ。それもこれも全部俺自身のためさ」

「お前自身のためだと?」


 確かに光野がやろうとしている事は、自己の欲求を満たすための行為、つまり偽善だと俺は確信している。


「謙信公はきっとこう思ってるんだろ? 俺のしようとしてる行為は偽善だって」

「……」


 己の思考を見透かされ、つい閉口してしまう。


「けど残念ながらそれは違う。俺が犯人、つまり柊木をつるし上げようとしてるのは他でもない、俺がそっちの方が楽しいからさ」


 歯を見せる光野は一件ただの陽気な男のようにも見えるが、同時に悪魔的にも映る。


「人をつるし上げて不幸にするのが楽しいとは……良い趣味してるな」


 軽蔑など通り越してもはや呆れていると、光野は落ち着き払った様子で口を開いた。


「待て待て、それは誤解だぜ謙信公。あくまでつるし上げるのは目的の過程に過ぎない」

「どういう事だよ?」


 つい尋ねてしまう。

 というかさっきからが聞いてばかりな気がするな俺……。こいつの思考がまったく読み取れなさすぎるのが悪いんだが。


「俺ってけっこう人気者だろ?」

「は? なに急に」


 またしても訳の分からない事を言い出す光野。


「だから色んな奴らとこれまで関わってきた。だからこそ、多くの事が見えてくる。例えばそうだな」


 光野は自信ありげに笑みを崩さないまま、また一つの核心を突いてくる。


「柊木が本当は人間関係を煩わしく思って、言動とは裏腹にまったく今を楽しんでない事、とかな」

「ほう……」


 どうやら大口を叩けるだけのスペックは伴っているらしい。つくづく恐ろしい男だな。


「とどのつまり俺は我慢できねーんだ。俺の周りの人間はちゃんと今を楽しんでくれてないとな。何故ならそうでなければ俺が楽しくない。逆に周りが楽しんでくれてるなら俺自身も楽しい」


 光野が肩を竦める。

 つまりコイツの目的は今を楽しむ事であり、周囲が楽しんでいる事が自分の楽しさにつながる、そう言いたいのだろう。


「だから柊木をどん底に叩き落として自分の周りから抹消するってか」


 ファシズム極まってんな。けどそういう思想の奴に限ってカリスマ性があったりする。それは世界の歴史が証明してくれている事だ。

 だが光野としてはそういう認識ではないらしい。


「いやそれも違う」

「違う違うとさっきから否定ばかりだな。お前は反抗期か?」

「反抗期はもう終わったさ。家族仲は良好だぜ? なんなら今度うちに招待してやろうか」

「断る」

「くう~相変わらずの謙信公節ッ」


 茶化す光野は無視し、話を促す。


「馬鹿馬鹿しい。で、反抗期じゃないなら一体どういう理由でお前は違うと言った?」

「同じクラス、いや学校にいる時点で柊木は一人のダチに変わりない。退学か転校でもしない限り俺の周りから抹消される事はねーから違うって言ったんだ」

「つまり追い詰めて自主退学ないしは転校させると」


 指摘すると、光野が半目でこちらを見てくる。


「ほんと疑りぶけー奴だな」

「だってそうだろ? 学校中の人間から蔑まれる立場に追いやって柊木が楽しめるなんてそんなわけがない」

「いや問題ないぜ。何故なら雀野、お前は絶対に柊木を蔑む立場に行かない」

「……」


 光野が俺の方を見据える。


「普段他人との関わりを煩わしそうにしている柊木でも、謙信公と話している時だけは別だ。心から楽しそうにしてる。なら柊木が今を最大限楽しめるよう俺ができる事は何か。それは煩わしい人間関係を取り除いてやり、謙信公とだけつるめるような環境を作る事さ」


 そんな事を宣う光野の瞳は決してふざけているようには見えない。こいつは本気でそれが最適な方法だと思っている。


「一応柊木とは一年の時から付き合いがあったからな。俺だって自分の力で楽しんでもらえるよう努力はしてきたんだぜ? でも結局駄目だった。もう頼みの綱は謙信公しかいねーんだ」


 これまで自身ありげだった光野だったが、ここで初めて笑みが弱々しいものになる。その姿は自らの力が及ばない事を、本気で残念がっているように見えた。

 だがそれは一瞬で、すぐにケロリとし始める。


「ま、そんなわけで俺は別に柊木を貶めたいわけじゃねーって事。むしろ逆だな。柊木が楽しんでくれれば俺もまた楽しくなる。ウィンウィンって奴だ」


 右手左手と交差させると、親指を突き立て「うぃん? うぃん」と謎の所作を見せる。まぁ単にお道化て見せてるだけだろうが。


 それ俺の気持ちは度外視ですよねぇ? とか正直こいつには言いたいことが山ほどあるが、全て言っていてはキリがないな。

 今はとにかくこいつが馬鹿げた行為に走るのを阻止する必要がある。

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